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「モラル・ハラスメントのすべて」~夫の支配から逃れるための実践ガイド~
<管理人のモラハラ離婚体験記>
家庭モラル・ハラスメント
<母から愛されなかった娘の話>「母を棄ててもいいですか?支配する母親、縛られる娘」


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No.5764 バーバラさんへ 投稿者:seiko   投稿日:2011年07月14日 (木) 13時24分 [返信]

管理人さんへ
個人名あてにお便りして良いものかどうか?
もし不適切ならどうぞ削除して下さい。

バーバラさん
お久しぶりです。一方的ですがすこしお話させてください。
ご実家で窮屈な思いをされているとはいえ
娘さんのことがあるとはいえ
とりあえず今
一人で過ごす時間があり、この先20年か30年か
もしかしたら40年もの長い長い時間が残されている
バーバラさん

私も一人で過ごす時間があり、この先20年か30年か40年が残されています。

育てて行かねばならない子供を抱えて、日々生きていくことに必死にならざるを得ない人とは
またずいぶん違った孤独と苦しみ、長すぎる時間があります。

私は手術後4週間の逃れられない一人の時間
様々な記憶、想い、感情、不安、恨み、悲しみ、後悔、感謝、希望………を味わいかみしめました。

そんなとき
なにげなく病院の売店で購入した「ブッダにならう苦しまない練習」・・小池龍之介
軽くて、読みやすくて、
でも心の奥にふれるものがありました。
退院してリハビリとして散歩に出かけ、本屋で同じ小池さんの「超訳 ブッダの言葉」を見つけました。

ただの仏典からの抜粋訳です。
でも難しい日本語ではなくて、私レベルの素人でも読める訳でした。
いつも好んで私が手にとる本は、時々拝見するバーバラさんお薦めの本と傾向が似ています。
深く深く考え分析し、なんとか理性と知性で、自分の人生、自分の苦しみを理解しようとする。
もし違っていたらごめんなさい。
でもそんな気がしたので…

私はずいぶん回復しました。
でも過去を反復する思考から今も抜けられず、時々苦しみに支配されてしまうことがあります。
「のたうち回って血反吐を吐く」状態からは脱しましたが、まだまだ苦しい瞬間が突然襲ってきます。
どうしたら「心の平安」を得ることができるのか‥

いつも手にとってしまう本とはずいぶん毛色が違います。でももしかしたら
今のバーバラさんの心(前頭葉にではありません)にも
響くものがあるかもしれないと思いました。
余計なお節介ですが、もし何か感じるものがあったら
本屋さんで立ち読みして見て下さい。(立ち読みは許される行為だと思います。1700円は高いから)

その訳中で特に心惹かれたのは
「君を苦しめる感情すなわち、かなわぬものを求める欲望と、
いつまでも反復する怒りは、他人がつくったものではなく、
君自身の心身から生まれる。
好き嫌いというわがままも恐怖によってビクッとすることも、
君の心身によってつくられる。
たくさんのよけいな考えごとも妄想も、君自身の心身から生まれ、君の心をつかまえていじめる。
そうまるで少年たちが、イタズラにカラスをつかまえて投げすてて、いじめるのにも似て。」

一方的な内容でごめんなさい。
とても暑くて、混乱した日本で、津波や放射能や様々な困難と苦しみがあるのに
ただ自分の心の平安だけを望んでいる私は
とても小さい人間です。
だけど私のことは私にしか愛せないし、私にしかケア出来ないと思うようになりました。

近くにモラハラについても、娘のことも、自分の苦しみも話せる相手がいないので
バーバラさんにむけて書きつつ、自分に言い聞かせて、自分を慰めている側面も否めません。

私の勝手な話につきあって下さってありがとうございます。
ごめんなさい。



No.5766 seikoさんへ 投稿者:バーバラ   投稿日:2011年07月14日 (木) 17時01分

seikoさんへ

私のことを覚えて、こうして、掲示板への書き込み
ありがたく、またうれしいく拝見しました。

自宅療養での4週間、
お一人の時間は長かったことでしょうねぇ。
この暑さで、体調はだいじょうぶですか。


>様々な記憶、想い、感情、不安、恨み、悲しみ、>後悔、感謝、希望………を味わいかみしめました。

実感として、とてもよくわかります。
私も、よくここまで生き延びられたと思うこと
ばかりです。



私のほうは、裁判を提訴されてから4年目の夏を迎え、フラッシュバックには
なやまされつつ、抗不安剤の量が少し減らせるようになってきました。


>育てて行かねばならない子供を抱えて、日々生き>ていくことに必死にならざるを得ない人とは
>またずいぶん違った孤独と苦しみ、長すぎる時間>があります。


本当に。
私も、実家の母親と妹の無理解も加わり、絶望に
のたうちまわっていましたね。


『孤独力』とか『ひとりで暮らすということ』
とか『おひとりさまの老後』も、ずいぶん
読みましたよ~


週2日の仕事のあとは、まだ、足に紫斑がでて、
腫れむくみ、仕事の翌日は、一日寝て過ごすような
かんじでやっと暮らしています。


さて、小池龍之介の著作は気になっていました。

でも、あえて、素通りしたのです。seikoさんの
暖かいお気持ちはとてもありがたいです。



けれど、「苦しい感情や怒りは君の心身によってうまれる」といった仏教の言葉は、DVのまさに渦中にいる人間にとっては両刃の刃という気がしていまうのです。

私は、かつて、モラハラとわからず、夫の言動に
苦しんでいたとき、
小林正観氏、斉藤一人氏、江原啓之氏、浅見帆帆子氏など、ありがとうと笑顔でなんでも乗り切れるというスピリチュアル系の本に救いを求めました。

脱出後、管理人の大ママさんのwindの文章に
「自分が変われば、相手も変わるの類の本でモラハラ加害者に立ち向かうのは、
怪獣にようじで向かうようなものだ」という比喩に
心から納得したのを覚えています。



私に必要だったのは、自分がDV被害者であるという自覚でした。心底かんじる怒りが必要だったのです。怒りと絶望に
封をしては、重症の喘息にのたうち苦しみ、ガンにもなっていました。



また、脱出後は、瀬戸内寂聴氏、玄侑宋久氏、柳澤桂子氏、諸橋精光氏、伊藤比呂美の「般若心経」本を読みあさり、なんとか心の平安と孤独を受け入れることができないか、やってきました。

私を支えてくれる友人の中には、仏教徒もクリスチャンもいて、信仰を私の魂の救済のためにこころから信仰の道を奨めてくれることもありました。

でも、私は、信仰の道にはとびこまない、、と思います。


あえて、ひりひりするような孤独のなかで、
また、怒りと悲しみを骨の髄から味わい、
これまで苦難の道を歩いて死んでいった多くの女性たちと心のどこかでつながりたいと思います。

私は、上野千鶴子さんの『生き延びるための思想』
の中のことばに、共感するものです。


「私は祈ることをやめた。

理不尽な暴力や不当な差別やことばにならない無念さを前に「共に祈りましょう」と言えたらどんなにいいか、と幾度思ったことだろう。だが、私はその言葉を自分に対して禁句にした。

あまりに早く、「祈り」へと跳躍してしまわないようも。そのまえに、やれること、やるべきことはまだまだあるだろうから。」


「フェミニズムはレイプやセクシャル・ハラスメント 家庭内暴力、子どもの性的虐待などの性犯罪に対するパラダイムの変化をもたらした。
これらの経験は何より、被害者にとってトラウマ
的な経験であり、その上社会からスティグマを受ける。したがって、女性は二重の意味で沈黙を強いられてきた。

 経験の再定義のおかげで、女性は自分自身を責めることをやめて、加害者を告発することができるようになったのである。自分が犠牲者だと認めることは決して、弱さの証ではない。それどころか、
「わたしは悪くない」と宣言する強さの証明となった」ー133pより



フェミニズムの思想や上野千鶴子さんを嫌う人が
たくさんいるのも知っています。けれど、
私は、女性学の進歩がなければ、自分がモラハラ被害者だと自覚することも難しかったのではないかと
思っています。

モラルハラスメントという言葉を世界に広めたのは、一人の女性の精神科医でした。そして、
被害者の傷によりそう、『心的外傷と回復』をいう大部な著作を著したのもジュディス・ハーマンという女性の精神科医でした。その解説を書いたのが
小西聖子さんという女性。

またDV被害者や性犯罪の被害によりそい書かれた
『環状島ートラウマの地政学』もまた
宮地尚子さんという女性の学者によってかかれたものでした。

『DVと虐待』などの著作で、DV被害者がみずからを
被害者と認識できない闇をかいたのも信田さよこ
という臨床心理の専門家です。

また、虐待、性被害者の生きがたさを書いた名著『その後の不自由』を書いたも女性ダルクの上岡
陽江さんでした。


seikoさん、そんなわけで、私は、もう、宗教的なものはもとめないでやっていきたいと思っています。

私は、DV支援や被害者支援の最前線で奮闘している
人たちの最前線の活動を伝える著作と、女性学や不フェミニズムの最前線の論説に注目して生きていきたいのです。

私がうけた、モラルハラスメントという被害は、
ながい人類の女性蔑視が背景にある
暴力なのだと思います。
そのからくりと歴史をしっかり見つめ、自分の怒りにも悲しみにも封をしないで、生きていきたいのです。


せっかくのご配慮に、ぶしつけな返信をお許しください。


No.5772 再びバーバラさんへ 投稿者:seiko   投稿日:2011年07月15日 (金) 00時50分

バーバラさん、
私の勝手な、一方的な便りに真剣に真摯にお返事くださりありがとうございます。


> けれど、「苦しい感情や怒りは君の心身によってうまれる」といった仏教の言葉は、DVのまさに渦中にいる人間にとっては両刃の刃という気がしていまうのです。

その通りです。この言葉は
確かに渦中の人間にとっては自分を責めることになり、苦しみを増幅させます。


> 脱出後、管理人の大ママさんのwindの文章に
> 「自分が変われば、相手も変わるの類の本でモラハラ加害者に立ち向かうのは、
> 怪獣にようじで向かうようなものだ」という比喩に
> 心から納得したのを覚えています。

その通りです。私もそう思います。
「自分が変われば、自分が努力すれば、自分ががまんすれば…」
そうやって生きてきました。
なにが嫌いといって、「妻が変われば、夫も変わる」系の様々な媒体から流れてくるメッセージ。
それを目にするたび、耳にするたび発狂しそうでした。

> 私に必要だったのは、自分がDV被害者であるという自覚でした。心底かんじる怒りが必要だったのです。

私もです。深い悲しみと無力感に苛まれても、怒りを感じることができなかった。
だから生きる気力が沸いてこず、ただ死ぬ事だけを考えていました。


> でも、私は、信仰の道にはとびこまない、、と思います。

ごめんなさい。
信仰への道に進みなさいなどとそんな失礼なことを言うつもりなどなかったのです。
私自身
信仰への道に進もうと確固たる信念があるわけではありません。
たぶんそんなに簡単に信仰できるものでもないと思います。

苦しい結婚生活の間、私は占いや、宗教や、スピリチュアル系に救いを求めようとはしませんでした。
混沌とした自分がとても危うい存在だと無意識に理解していたので、それらの本を手にとることはしなかったのです。

女性学は私が大学生のころ
ちょうど女子差別撤廃条約が批准される少し前で
まだ世間を知らない私に大きな影響を与えてくれました。
だからこそ、母親や祖母や社会から受けた良妻賢母教育に縛られつつも、
両極端の価値観にひきさかれつつも、何とか自分の仕事を続けてこれたのだと思います。
経済的な自立だけは死守せねばと考えていたように思います。

離婚して丸3年がすぎて今回初めて宗教的な本を読みました。

鬱病になってから、本はなかなか読めなくなっていました。
読むのがしんどい状態が続くなか選んで読んだのは、やはりフェミニズム関係の本でした。
講演にも行きました。

ではなぜ般若心経にであったのかというと、
1年前、偶然友人の子供の懇談会に付きそうことになり、時間調整で奈良の薬師寺に観光に行ったからです。
ただの時間つぶしのためでした。

仏教がどうとか、宗教がどうとか、そんなことと関係なく、「その場の持つ空気が私にふれた」
といった感じでした。それからはただその空気にふれたいためだけに足を運んでいます。

説明はできません。誰かが私に「宗教に救いを求めたらどうか」などと言ったわけではありません。

今回本を買ったのは、病気で薬師寺に行けなかったから、たぶんそうだと思います。
これは私の内的なことで、ただ私一人のことなのに、
とても僭越だったと反省しています。
きっと気分を害されたことと思います。
それなのに丁寧で、穏やかで、配慮にみちた、でもきちんとご自分の考えを表明したお返事をいただきました。
ありがとうございました。

> あえて、ひりひりするような孤独のなかで、
> また、怒りと悲しみを骨の髄から味わい、
> これまで苦難の道を歩いて死んでいった多くの女性たちと心のどこかでつながりたいと思います。

バーバラさん
私にはできそうにありません。
私は怒りも悲しみも憎しみも
もう忘れたい。
ただ人はみな一人である。生まれるときも、死ぬときも。そのことを心静かに受け入れたいと願うだけです。


> 「私は祈ることをやめた。
>
> 理不尽な暴力や不当な差別やことばにならない無念さを前に「共に祈りましょう」と言えたらどんなにいいか、と幾度思ったことだろう。だが、私はその言葉を自分に対して禁句にした。
>
> あまりに早く、「祈り」へと跳躍してしまわないようも。そのまえに、やれること、やるべきことはまだまだあるだろうから。」

たぶん私はもっともっと利己的なのです。
ただ自分の苦しみ、悲しみからの脱却だけを考えているのです。だから「祈り」という形を取りません。
ひたすら自分の内的な、「自分」
まったく思い通りにならない「自分」
その「自分」が救われたいのです。

このようなやりとりをむりやりバーバラさんにさせてしまったことは申し訳なかったと思いますが、
このやりとりで、見えなかったもの、わからなかったこと
が少し形を持ってきたように思います。

> 私は、DV支援や被害者支援の最前線で奮闘している
> 人たちの最前線の活動を伝える著作と、女性学や不フェミニズムの最前線の論説に注目して生きていきたいのです。
>
> 私がうけた、モラルハラスメントという被害は、
> ながい人類の女性蔑視が背景にある
> 暴力なのだと思います。
> そのからくりと歴史をしっかり見つめ、自分の怒りにも悲しみにも封をしないで、生きていきたいのです。

この先も
数々の被害者が出てきます。
私がこの被害者同盟に助けられた様に、この先も多くの人がここに訪れ、
悲痛な叫びを書きこんでいかれます。

バーバラさんの的確なアドバイスは多くの人を助けています。

今回のこと
本当にありがとうございました。

No.5774 横レスさせてください。 投稿者:ラッパ水仙   投稿日:2011年07月15日 (金) 02時43分

seikoさん、バーバラさん、
お呼びでないのは承知ですが、コメントさせてください。

私は子供と暮らしていますが、
大学生と高校生の男子ですから、後何年か、というところです。

仕事は在宅の仕事(携帯、PCでの遠隔事務)を2年してますが、
契約している方の事業が大きく育ち、オフィスも構えて、
他の専任アシスタントさんも雇われたようなので、
もうすぐ私の仕事はなくなるでしょう。

そうしたら、私は毎日何をしようかしら、と考えます。

(離婚できていない)モラ夫が押し込んでくるかもしれません。

何かしなくちゃ、と漠然と不安を抱えたまま、何も手につかないでいます。


私はその昔、聖書を読みふけりました。

確かに、「いい訓え」はたくさんあります。
目の前にあるものが気に入らないから、
自分の視点を変えて、変えて、もっと変えてみました。

最初の夫(DV夫)との離婚調停では、調停委員に
「貴女が変われば、ご主人も変わるのでは?」と言われ、
「いいえ、相手を取り替える方が早いです。」と言い返しました。

理由もなく暴力を振るわれている被害者に向かって、
何をどう変われ、と言うのでしょう。

また、私は「神」を信じていない、とんでもない人間です。

「全能の神」がいたとして、どうしてこんな有害なモラハラ人間を生かしておくのでしょう。

「いいえ、神様が貴女に勇気と力をお与えになったのよ。」と言われたときには、
「では神様は、わざわざ私に辛い目に遭わせて、
それを乗り越えさせたと言うのですか。何のために?
失礼ですが、勇気も力も、私が自分で持っていたものです。
ひどい目にあっても誰も助けてくれないから、自分で戦ったのです。」
と言い返し、相手を無言にしました。

私は、ずーっと昔に、友達の男性にレイプされたことがあります。
今で言う、「デートレイプ」でしょうが、
私はつい最近まで、自分を被害者として認めることができませんでした。

「私にも落ち度があったのかもしれない。」
「私が誤解を招くようなことをしたのかもしれない。」


バーバラさんが仰るとおり、
モラハラ被害と同じく、自分が被害者だと認めることから、回復への一歩が始まると思います。

いつか皆さんで集まって、美味しいお茶を飲んで、お話したいです。

No.5777 再びseikoさんへ 投稿者:バーバラ   投稿日:2011年07月15日 (金) 12時58分

seikoさん、

あやまりすぎですって!

seikoさん、あまりにつらすぎて、
小池龍之介の本をきっかけに、自分のつらさ、苦しさをはき出したかったのではないですか。

病気なのに、なにもかもひとりでやらなくては
ならない孤独のなかで、心が悲鳴をあげていた
のではないでしょうか。近くにいたら、お見舞いに
伺ったのに。

私も苦しくて、苦しくて、般若心経をただ、
ぶつぶつを読んでいただけのときもありました。
ウツがひどいと、本を連続で読めないときも
ありました。活字が目をすべっていくというか。


信仰の道をすすめられた というふうにも
思わなかったですよ。


私の場合、言葉は悪いですが、こんな若造に私の
苦しみがわかってたまるか、仏陀に私の苦しみが
わかるか!!ってなもんです。

ラッパ水仙さんが書いてくださったように
聖書の言葉にもたくさん、いい言葉がたくさん、
あってたくさんの苦しみを救ってきたのでしょう。
そして、同胞を何万人を殺されたダマイ・ラマの
仏教者としてのあの姿勢にも心をうたれます。


それでも、
宗教は女の苦しみ、それだけでなく、
支配される奴隷のような人間の怒りをこういう
言葉で封じてきたのではないでしょうかねぇ、、、と思うことがあります。

>ひたすら自分の内的な、「自分」
>まったく思い通りにならない「自分」
>その「自分」が救われたいのです。

seikoさんが利己的だとご自分をおっしゃる、
そんなに自分に厳しくなくたって、いいではありませんか。私だって利己的です。自分を守るために、78になった母とは口もききません。

seikoさんが、この掲示板にわたしあてにメッセージを
くださったこと、そして、私がそれに長い返信をかきたい気持ちになったこと、ラッパ水仙さんが
これまた グッドフォローのコメントをくださったこと、
こういうやりとりが、私たち被害者に必要だなぁ、
と思うのです。

被害について、孤独について、別れてもつきまとう
苦しさについて、それを語り合うために管理人さんが用意してくれた掲示板なのだと思うのです。


多くの友人が被害の事を忘れろ、といいます。
私の母が私がカウンセリングにいくのも
「そんな暗い話をしにいってお金とられて」と
いいます。

だから、あえて、私は、怒りにも悲しにも封を
しない、、って書いたのですね。

だって、実際は、どんなに明るくふるまったって、
被害の記憶はつきまとい、被害の痕跡の残った心身を抱え、「その後の不自由」を生きているわけです。

おそらく、回復は、ある時点で終わったというより、20年も被害にいたわたしたちは、今後の人生の道がおそらくそのまま回復の道を歩いていくということになるのだと思うのです。

一人じゃ無理だ、、、と思うのです。



私は、掲示板の存在に救われました。

seikoさんと私は、同世代です。私は女も仕事を
続けるべきだと思っていました。が、出産時に
喘息が悪化して、転が重なり、退職をしました。
モラハラのはじまりでした。

seikoさんが、
>両極端の価値観にひきさかれつつも、何とか自分
>の仕事を続けてこれたのだと思います。
>経済的な自立だけは死守せねばと考えていたよう
>に思います。

は本当にすごいことと思います。若い頃から
継続して続けていらした仕事があるということ、
うらやましく思います。

母に「ここは私の家だ、出て行け」と怒鳴られるたびに、自分のふがいなさが情けなくなります。
しかし、冷静に考え振り返れば、喘息やガンで、
5回くらい死んでいてもおかしくはないところを
生きてきました。

いまもフルタイムの仕事はドクターに止められている状態です。


生きて、自分が被害者であるということ、DVの実体(加害者の外面のよさ、被害者が被害を自覚できないことなど)を細々とでも発信していきたいと
思っています。

そうじゃないと、私、自分が生きている意味がないような気がしてしまうのです。何もかも失ったから。

ここのところ、せめて犬を連れてくるのだった、、、この暑い中どうしているだろう、、、そう考えるだけで涙です。

また、メッセージください。おしゃべりしましょう。私たちの被害はわかりずらく、またとてつもなく深刻で、どこでも話題にできるものでもありませんしね。

そうだ!seikoさん、心を遠くに遊ばせるのには、
星野道夫さんのアラスカの写真集とエッセイ集が
おすすめですよ!友人がすすめてくれて、私は
悪夢がひどいとき、図書館から借りた写真集を寝る前には、かならず、みていた時期があります。





☆ラッパ水仙さんへ

いつか皆さんで集まって、美味しいお茶を飲んで、お話したいです。

ホントに!私たち、とってもいい友だちになれると思いませんか。何年後かにでもオフ会があるといいなぁ。

No.5780 混ぜてください 投稿者:クレア   投稿日:2011年07月15日 (金) 18時27分

いろんな意味で若輩者のクレアです(笑)

私も過去をなかったことにはできないし、受け入れることで前に進もうとしています。
ミッションスクールだったのに、聖書の言葉なんて自分の都合でいいように解釈して、
苦しいときは神頼みして、もっと苦しいときは神に八つ当たりですよ。
信者でもないくせに、罰当たりもいいとこです。

でも、いまはそれでいいかな、なんて…

seikoさんも、バーバラさんも、ラッパ水仙さんも、ロムの方々もみんな、
この掲示板にいらっしゃる方々は本当に暖かいです。
私、皆さんのこと大好きです。
いつも助けてもらって、助けてあげたいって思えて、お互い救われて…

私もいつか皆さんとリアルでお会いしたいです。
きっと、いつか、会えるでしょう。

No.5785 seikoです。 投稿者:seiko   投稿日:2011年07月16日 (土) 18時22分

すこし元気になりました。
暖かく力強いメッセージありがとうございました。

今日検診にいき、順調に回復しているとのことで、あと一週間で職場復帰します。

辛くて孤独な四週間でしたが、また頑張れそうです。

実際一人きりで入院し、手術を受けるのは辛かったです。
でも少しでも辛いとか怖いとか寂しいとか惨めとか
そんなことを意識すると
精神のバランスを崩すと思って
無意識のうちに神経を張りつめていたようです。

大部屋では、
毎日夫と娘が来て世話をしてもらえる私くらいの女性がいました。
90歳の女性は朝ご飯だけは一人だけれど
昼も夜も、娘や孫や孫の婿やひ孫が
「おばあちゃんが寂しがるから」とお弁当持ちで入れ替わり立ち替わり来てくれていました。
夫に付き添って片時も離れない高齢の女性もいました。

そんな様子をみてほほえましく思うと同時に
「なぜ私は一人なんだろう」
と感じたのも事実です。
あんなに努力して尽くした夫、一生懸命育てた娘、
お世話させていただいたお姑さんとお舅さん
家族と呼べるはずの人々を
夫と別れて手に入れた自由と引き替えに
失ってしまった。
と感じたのです。

それでも結婚生活の渦中
阿修羅のような
恐ろしい恨みと憎しみと苦しみに灼け尽くされそうな
自分から
抜けられたのは幸いなことです。

「心の平安」
を強く願っているのですが
思えばあのころよりずっとずっと私の心は平安です。

「鬼になる」のではないかという
妄想で夜も眠れず、涙が止まらず、怖かった。

自分が「鬼婆になる。」「やまんばになる。」という妄想はとても私を苦しめました。

すくなくとも今
「鬼婆」「やまんば」と私の老後は結びつきません。

幸せそうな友人夫婦、弟夫婦をみても心はうずきません。
いまだ私の離婚を親戚や近所から秘密にしている
世間知らずの実家の母の
無神経な会話にも、聞いたふりして聞いてないという高等テクニックを使うことが出来るようになりました。
もちろん母と話したあと二・三日は精神エネルギーが落ちてしんどいですが。

素直に気持ちを書き込むことができました。

やさしいメッセージありがとうございました。

とてもとても救われました。
仕事に復帰したら
パソコンを開くことも少なくなりますが
あと一週間は
お世話になりますね。

本当に逢っておしゃべりできるといいですね。
いつか
年を取って
そんなこともあったね
なんて言える日がくることを願っています。


No.5786 バーバラさんへ 投稿者:とろろこんぶ   投稿日:2011年07月16日 (土) 19時27分

seikoさん、横レス失礼いたします。図々しくもこのスレッドを使わせてください。

バーバラさんから教えていただいた、
>ランディ・バンクロフト『DV・虐待 加害者の実体を知る』
を、先日、読み終えました!眼からウロコでした。この本の最後のほうに、エミネムがグラミー賞を取ったくだりがありましたね。私もパンクロックなどなど、破壊的な音楽が好きだったもので、そうした文化が虐待を生む、というのがショックでした。

>フェミニズムの思想や上野千鶴子さんを嫌う人がたくさんいるのも知っています。
>けれど、私は、女性学の進歩がなければ、自分がモラハラ被害者だと自覚することも難しかったのではないかと思っています。

十代のころ、自分が女性であることの苦しさから、フェミニズムの思想に触れたことがありました。救われた気がしたあの頃から、でも、段々に女としての媚態(?)を身につけるにつれ、フェミニズムは「モテない女のひがみ」という、一部(大多数かしら?)の理解のない男性の価値観に迎合するようになってしまいました。

でも、バーバラさんから教えていただいたバンクロフトの本で、また認識を新たにしました。この本にはさすがアメリカだけあって、ゲイやレズビアンのカップルについても言及していますよね。虐待というのは、だから、性別でなくジェンダーの問題、果ては社会全体の問題なんだと気づかされました。フェミニズムは気づきのきっかけを与えてくれるんだな、と思いました。

また、
>私は、かつて、モラハラとわからず、夫の言動に苦しんでいたとき、
>小林正観氏、斉藤一人氏、江原啓之氏、浅見帆帆子氏など、ありがとうと笑顔でなんでも乗り切れるというスピリチュアル系の本に救いを求めました。
のコメントを読んで、私もそうだったなぁ~、と思い出しました。私の場合はスピリチュアルはもちろん、彼との結婚生活をがんばらなくちゃ!と、せっせ、せっせと「賢い女は男を立てる」や、「ルールズ」や、「新・良妻賢母のすすめ」などを読んでいました。

私は今でもスピリチュアルや仏教系の本は、好きで読んでいます。でもそれは、自分を責める材料としてではなく、モラに遭遇してしまい、人を思いやれなくなり、不信感でいっぱいになってしまった自分を立て直すために利用しています。

こうした本と、バーバラさんからご紹介いただいたバンクロフトの本の内容と、私のなかでは矛盾することなく、エンパワーメント本として存在しています。(今日はずいぶんと不安になってしまってスレを立ててしまいましたが)

ともあれ、バーバラさん、本をご紹介くださいましてありがとうございました!ご紹介いただかなければ、モラハラとDVはまた別ものと思っている自分が居たので・・・

最後に、ここのみなさまには大変にお世話になっています。seikoさん、スレを利用させてくださいまして、ありがとうございます。

No.5787 とろろこんぶさんへ 投稿者:seiko   投稿日:2011年07月16日 (土) 21時54分

とろろこんぶさん
そうなんです。
そうなんです。

> 私は今でもスピリチュアルや仏教系の本は、好きで読んでいます。でもそれは、自分を責める材料としてではなく、モラに遭遇してしまい、人を思いやれなくなり、不信感でいっぱいになってしまった自分を立て直すために利用しています。

> こうした本と、バーバラさんからご紹介いただいたバンクロフトの本の内容と、私のなかでは矛盾することなく、エンパワーメント本として存在しています。

そうなんです。
うまく表現できませんが、

夫の理不尽さを認識し、
自分がハラスメントをうけていた被害者であるということを認めること
子供を守って育てること
様々な差別や偏見や社会通念と戦うこと
働き続けること
自分の尊厳を守って自分らしく生きること

それはもちろん当然なんです。(すごく困難だけど)

でもその中で自分の心に沸いてくる
ねたみ  そねみ  うらみ  にくしみ  (ああ語彙が不足です。)
ありとあらゆる醜い感情をなんとか浄化したいのです。

だから
ある段階では
自分が悪かったのではないか
自分が変われば何とかなったんではないか
と被害者である私を追いつめる言葉も
ある段階まで進めば
自分を救う言葉になるような気がするのです。

ハラスメントを受けているということが漠としていて
意識上に言語化できないときに必要で、力を与えてくれるのがフェミニズムなんです。

そして反省もこめて思うのですが
被害をうける前のまだ若い子供の間に
女性という子供を産む性に生まれたことのすばらしさと困難さ
社会がいかに不平等で、理不尽で、
善意が存在するのと同時に、それより多くの悪意か存在するか
また
男性が見聞きしているSEX情報がいかに女性蔑視で
女性の人権を無視しているか
女性も自分の身体のこと、SEXのことをきちんと自己主張できないと自分を守れないこと
この複雑で高度に情報化された現代社会で
シンデレラストーリーなどないこと
お菓子の家には住めないこと
などを系統だって、理論的に教えることが大切だと思うのです。

大学生のとき
お菓子の家に住みたいという乙女チックな夢をみつつも
自分に経済力を手に入れたい
と思っていた私は
お菓子の家に住みたいという乙女チックな夢のせいで
モラルハラスメントをするような夫に惹かれて結婚したんだと思います。
でも
自分に経済力を手に入れたいという希望があったから
とりあえず貧しくとも一人食べていけるんだと思うのです。

だから絶対にフェミニズムは必要です。

そこにはなんの疑いもありません。

でも心のドロドロとした、混沌とした状況からも脱却したいのです。


「表面的には優秀だったり才能があったりしても 自らの感情をコントロールしようとしない人と一緒に暮らすのは、
あたかも嫌な敵と一緒に住むようなもの。それは君にとってずっと苦しみであり続けるだろう。」
「君の人生の道のりで、性格の良い人に出会えないなら、いっそのこときっぱり独り歩むのがいい」

独り入院する事になっても、独りで死を迎えることになってもいいんだ。
我慢しないで、別れて良かったんだ。
本当に夫との生活は苦しみの連続だったんだ。

って。今更ながらですが再度確認することで
少し、うらみと憎しみが薄らぐような気持ちになります。

ああ
私って小さな人間です。

No.5793 seikoさんへ 投稿者:とろろこんぶ   投稿日:2011年07月17日 (日) 11時19分

seikoさん、はじめまして。
レス、ありがとうございます。

>大部屋では、毎日夫と娘が来て世話をしてもらえる私くらいの女性がいました。
>90歳の女性は朝ご飯だけは一人だけれど昼も夜も、娘や孫や孫の婿やひ孫が「おばあちゃんが寂しがるから」とお弁当持ちで入れ替わり立ち替わり来てくれていました。

>そんな様子をみてほほえましく思うと同時に
>「なぜ私は一人なんだろう」と感じたのも事実です。

sikoさんとはまた状況も違うかも知れませんが、私も母親学級などに参加するたびに、「ご主人の協力を得て」とか、妻の検診に献身的に(笑)つきそう旦那さんの姿なんかを見ると、「なぜ私は一人なんだろう」と感じます。
しかも時代はイクメンブーム!うらやましいと思うと同時に、「ああやって外面良くイクメンやってる男のなかにも、モラが潜んでいるに違いない。」などと勘ぐってしまう自分が居ます。

>でも心のドロドロとした、混沌とした状況からも脱却したいのです。

本当にそうです。使用前・使用後ではありませんが、モラ以前とモラ以後では、価値観から物の見方まで180度違ってしまいました。真実を見る勇気を与えられたのは嬉しいことですが、人を疑い、自分を疑い、誰も信用できなくなったのが悔しいのです。ここから脱却したい。
だから、仏教やキリスト教、スピリチュアルなどの知恵に触れ、心を磨きたいと思うのです。モラに汚染された心を取り戻したい!あいつらと同じ、人を疑い踏みにじる魔界人(by美輪明宏造語)にはなりたくないのです。

seikoさん、私も「ブッダにならう苦しまない練習」、読んでみますね(^^)
本題とはズレますが、著者の小池さんを時々見かけることがありました。相当な変わり者、という感じでしたよ(笑)。深夜、裸足で線路を歩いていたり、大声で唄いながら裸足で自転車を漕いでいたり・・・
自分の自由を認め、固定観念や常識から解き放たれたとき、人は変人に見えるのかも知れませんね。




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