No.5569 吐き出させてください。 投稿者:seiko 投稿日:2011年06月20日 (月) 12時16分 [返信] |
学生結婚してもう3年以上離れて暮らしている娘がこの3月に大学を卒業しました。 メールで、卒業式に私が一人で行くか、行かないかでささいなけんかをしました。 たぶんそれ事態は些細だったと思います。 でもそれをきっかけに私は娘にメールなどで言ってはいけないこと言ってしまいました。
「ママは幸せじゃなかった。パパはなにもしてくれなかった。 ママは結婚してたけど孤独で辛くて一人であなたを育てた。 あなたが大学に入ったときパパが一緒に喜びを共有してくれなかった時に、 自分のなかで、もうごまかしが効かなくなって、 ママは自分の結婚が不幸で、人生取り返しの付かない失敗をしたことを受け入れざるをえなくなって 苦しくて苦しくて鬱病を発症した。 6年たってママはあなたを育てた母親の権利としてあなたが嫌だと思っても、自分のために一人で卒業式に出席し、 入学式に感じた孤独でみじめな気持ちを再び感じるかどうかを試したい。 卒業を祝い、自分の人生を肯定し、夫婦仲良く式に列席している人を見ても惨めにならない自分を確認したい。 自分が鬱から脱し、健全になったことを確認したい。」
と言ってしまったのです。 娘はいろいろ言ってきました。 「パパの悪口は聞きたくない。一人で育てたなんてママの思い上がりだ。 ママは自己中心的で勝手だ。私はもう24で結婚もしてて一人前なのにいつまでもママの言うことをきく子供扱いしないで。 ママは自分で選んで離婚したのに寂しいからって私に依存しないで。 離婚のことも頭では理解してるけど、 本当言うと感情では許せてない。 私を支配しようとしないで。ママは嘘とごまかしばかりで信用出来ない。 私はずっと幸せで仲の良い家族だと思ってたのに。 ママが小さいとき私にきつくあたって殴ったことも許せない。 ママに優しくしたいのにこんなことを私に言わせるママが許せない。もう私に連絡しないで。娘はいないものだと思って。 私は4月から働くし旦那さんと仲良く暮らしたいし、ママに感情をかき回されるのはもううんざりだ。」
彼女の言うことは正しい。 私はどう言い訳しても嘘とごまかしで生活してたし、彼女を感情のはけ口にしたことがあったし、殴ってしまったこともあった。
反抗期がほとんどなかった彼女が 大学卒業直前に感情をだせたことは幸いだと思う。 全く連絡しなくなってまだたった3ヶ月だし、 祖父母には「やっと仕事になれたよ。元気だから心配しないでね。」とメールが来たし、 たぶん祖父母経由で私に伝わるとわかっているだろうし。 連絡がないことで、今一生懸命、自我を確立させ、職業人として頑張ろうとしているのもよくわかる。
確かにヒステリーをおこしたり、管理したり、支配したり、殴ったりしたこともあったけど その何百何千倍も、かわいがり、慈しみ、抱きしめ、食べさせ、看病し、育ててきた日常もあったから
「大丈夫。時がたって感情が溶け出せば、また彼女は戻ってくれる。」
と思うのですが…
今日 今から入院で明日手術です。 一人であることは幸いであり、同時にやはり寂しいです。
メールで事実だけ知らせましたが、返事はありません。 自分の心の中に甘えがあるのです。 連絡してほしいなという甘えです。
私は、まだ49で若くて、手術といってもガンなどではなくただ子宮を摘出するだけです。 経済的にも自分でまかなえます。 だから 娘は放っておいても大丈夫だと考えているのです。 それを寂しいと思うのはわがままです。
同時に、母親の入院手術ですら連絡してこないほどに、 まだ娘は感情的に波立って、苦しんでいるのです。 かわいそうなことをしてしまいました。 覆水盆に返らずです。
人生失敗ばかりです。
あんなに頑張って生きたのに、愚かな事を大事な大事な娘に言ってしまいました。
○○ちゃん許してね。愚かな母を許してね。 ○○ちゃん本当にごめんなさい。
どこかで醜い母は、あなたの幸せを喜びつつも うらやんでいたのです。
自分が手に入れられなかったものをあなたが手に入れているかのように錯覚し、 ママのおかげなんだからもっとママに優しくしてよ と思っていたんだと思います。
でも違う。 あなたはあなたの持って生まれた素質と努力と忍耐で 今のあなたを築いたんです。 ママはほんの21年 身の回りの世話をしただけです。あなたの側で十分あなたの成長を楽しませてもらったのに 罰当たりなママは 女としての不幸まで、あなたになんとか埋めてもらおうとしてたのですね。
たぶんまだまだ人生は続きます。 いつか私を許してくれる日がくることを願っています。
ここしか吐き出すところがないのです。 みなさん読んででくださってありがとうございます。
子供にはたとえ大人になったように見えても、 夫婦のことを話すのはいけないことでした。 幸せ家族にみえるように頑張って来たのに、それを自分でうそだったと言うなんて、愚かでした。
入院いってきます。
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No.5573 辛いですね 投稿者:i-na 投稿日:2011年06月20日 (月) 23時30分 |
さあやを改めi-naとします。(旧姓にかえて) seikoさん、はじめまして。 別居三か月、結婚19年、47歳で、子どもは19・12・8歳で、男男女です。 本当にお辛いことと思います。 私も、たぶん子ども達を夫にとられそうです。 現在夫といるのに耐えられず、家を出て近くの実家にいます。 子ども達には「ママはわがままで勝手なことをして、お前たちの生活が変わってしまった。」「パパは苦しくてもご飯作ったり、やるべきことはやるよ」と洗脳しています。 婚姻費用の話を実家の両親も交えての4人での話し合いのときに出したら、その場ではなにも言えなかったのに、翌日、自宅に戻った時に「お前がどんなに金に汚い女か、子ども達はみんな知ってるからな!」 「おれの金はお前のためのものでない!年老いた両親と子ども達のためのものだ!」と怒鳴りつけました。 弁護士さんにボイスレコーダーでのそのときの録音を聞いてもらったら、「これでは、家に帰れないのは当たり前。怖くてやっていけないでしょう」と言われました。 ずっと、「私が悪いんだから私が頑張らないと」と思ってやってきたのですが、浮気されてることを知ってはっきりモラハラだと気づきました。 よくよく考えると結婚前から始まっていたモラハラでした。 夫は自分の世話をする人を欲しかったのだとやっとわかりました。遅すぎです。 自分の母親が欲しくて、妻である私にその母親像を押し付け、妻として我が子の母として支えるということをまったくしなかった。どうしてできないの?と非難ばかりだった。 徐々に追いつめられて、私は、子どもに厳しくなっていき、ときには手を上げることもありました。 さらに、夫は責める、子どもは夫につく、私は孤立して腹をたてて・・・の悪循環でした。 上の子はあまり、どちらにつくということはないのですが、下の二人は完全に夫の方、自宅にいきたがります。 現在下の二人は自宅と実家を行ったり来たりの生活で・・・ 夫が自宅にいるときは必ず家に帰りたがります。それでいて、近くで世話もできるので、夫がいないときは世話にいったりご飯を届けたり・・・。 あまりに家に帰りたがるときは「パパが好きなのね」などとくっだらない嫌味を言ったりして、情けないです。今年は母の日も子どもの日もずっと一人でした。 彼のいない人生しかもうない、と思って家を飛び出してしまったけれど、それにより、子どものことでこれほどのダメージがあるとは・・・と辛いです。 子どものことは一番の悩みのもとですが、同時に見てなさいよという気持ちにもなれました。あの家を出て元気になって、ちゃんとうつ病からも立ち直って友人もいて家族もいて職場でもちゃんと働ける、パパがいうように社会人失格や発達障害でないお母さんを見せてあげるという気持ちになってきています。 わかってくれるのは、たぶんず~っと先でしょうね。 子どもが生まれてからかもしれません。 ひどい夫婦関係を一番身近な両親に見てしまって、結婚できないかもしれません。 その点、娘さんは結婚して自分の人生を切り開いている。おじいちゃんおばあちゃんに連絡をとることでお母さんに安心してと伝えているんですね。 今は私にできることは子どもの幸せにはどうしたらいいのかということを考えることだし、それを一番に考えるべきなんでしょう。なのに、こどもを苦しめるようなことばかりいっています。 まだまだ、病気を克服するのには時間がかかるかもしれません。 でも、夫と離れる一歩は進んだから、元気になっていけると思います。 誰かが、我慢してなりたっている家庭なんておかしい。幸せで仲の良い家庭だと思えていたのはママが自分を生きていなかったからなのに・・・。 私も、同じようになるかもしれません。 パパの悪口はやめようと思いながら、そういう話をしそうになると8歳の末娘が耳をふさぎます。「そういう話はききたくないの」と。 そうだよね、ごめんね、と思う一方、なんで本当のこともいえないまま私が悪者にされて我慢しなきゃならないの?とも思ってしまう・・・。 私も、最悪子どもはいないものとして、でも、元気に生きててくれて、自分の人生を再構築しなきゃならないと思います。できることは、子どもとの仲を少しでもよくするようにして・・・。 経済的にも自立して、手術して元気になったらきっともっと前向きになれるかと思います。 どうぞお大事に。 自分の幸せのために人生を生きてください。 私は、もうだめだと思った時に、別れて両親に心配かけることを申し訳ないと妹に言ったら「だいじょうぶ!幸せになるためにわかれるんだから、そうしたら、おとうさんもお母さんもわかってくれるよ!」と励ましてくれました。 幸せの形はいろいろあるし、人生はまだまだ続きそうだし、身体は健康にむかいつつあるし。理解してくれる人もいる。 今は辛くとも、なんとか生き延びましょう。 そして、元気になってきたら、幸せを掴めるように頑張っていきましょう。 娘さんは今、人生を切り開いていこうとしている。そのことはあなたの子育てがなかったらありえないわけですから。 幸せになることが夫へのリベンジだと思っています。
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No.5574 分かる日が来ます 投稿者:ラッパ水仙 投稿日:2011年06月21日 (火) 00時20分 |
こんにちは、お辛い思いをされてしまいましたね。
お嬢さんは、大人になって、結婚もされていますが、まだ24歳です。 これから、もっともっといろんな経験をして成長を続けます。
私は、かつて、お嬢さんの立場にいました。 私の母は、実に感情的な発言で私を攻撃する人でしたが、 私は母に本音を言ったことはない、と思います。 それは私が母に同情していた、というか、 母を見下している気持ちがあった、というか。 (お母さん、ごめんなさい。)
私に彼氏ができると、母は電話の会話を聞いていたり、 私のバッグの中を調べたり、私の服の匂いを嗅いだりしました。 「娘を奪われる」という気持ちではなく、 「この女は男性に愛されている」ということへの嫉妬だったと思います。 一女性として、人生に不満があったのでしょう。
父と結婚したのは母、私を産んだのも母で、私が頼んだわけではありません。 浮気者の父と離婚しなかったのも母で、 「子供がいるから離婚できなかった」なんて言われても困りました。
でも、そういう「自分が子供のときの心理」を覚えていながら、 自分が大人の女性になり、母親になり、年を取ると、 母のことも「母は母なりに大変だったんだろうな」と思います。
子育てをして、子供に感情的にならない人、なんていないでしょう。
いずれ、自分が経験して分かってくれる日が来ます。 まずは、元気にならないと。
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No.5575 seikoさんへ 投稿者:バーバラ 投稿日:2011年06月21日 (火) 01時18分 |
バーバラです。
seikoさんの書き込みには、心がざわざわと 反応しました。私にも近いことがおきているからです。
私は、離婚裁判で、娘が父親側の証人として 陳述書を出してきました。手をあげたことは ないし、父親のことをモラだといったことも ないし、自分の人生の愚痴もいったことは ないですが、私が、友人にSOSを出したときから、 連絡がとれなくなり、もう、会えなくなって3年半になります。
裁判のあいだ、モラ夫は、娘に 「多額の使途不明金がある、男に貢いでいたかもしれない、」などとも言っていたようです。 (娘の友達が教えてくれました。)この話を したら私の弁護士は、本気で怒ってくれていましたよ。ひどすぎると。
母子関係の破壊については、 ランディ・バンクロフト氏の著作が一番 詳しいです。ご自分の罪悪感を取り払うために 読まれるといいと思います。
私は、もう、娘のことはなるべく忘れることに しています。裁判が娘の陳述書で、ひっくりかえり、慰謝料のゼロだったし、被害も認められなかった。でも、この残酷な真実を娘につきつけてももう しかたのないことですしね。
私の母親は、幼い私に自分の夫の愚痴を垂れ流しにし、 「聞きたくない」というと、 「あんたは父親ににて優しくない子だねぇ」と言っていました。 それがいやでいやで、ずっとそのことが許せなかった。 自分がDVで離婚をして、母親のつらさも理解して優しくしようと努力しましたが 、実家に戻って、「なんで、この家に戻ってきた。」「この家は私の家だ、 すぐに出て行け」などと、むごいことばかりいわれて、 母親にも愛情がもてません。実家に逃げたのですが、いまは、母親の気配さえ嫌悪感を覚えます。
seikoさんのつらさ、切なさ、本当によくわかりますよ。 でも、母親である私たちができるのは、わたしたちが、 いやな人間にならないでいることしかないのだと思います。 自分が一人で、ちゃんと生きていく後ろ姿を みせるしかないですよね。 友達を作り、生き甲斐をもち、毅然と生きていく。 私は、そういうふうにこれからを生きていこうと思います。
手術をうけるとき、どうか、この掲示板で、 名前も顔もしらない人たちが心配して心にかけていることを思い出してください。 手術が無事になるべく痛くなく終わりますように。快癒を お祈りしています。
私はしばらく、子どもを産んで育てたことも 忘れて生きようと思っています。
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No.5576 横レスです。バーバラさんへ 投稿者:ラッパ水仙 投稿日:2011年06月21日 (火) 03時01分 |
全然関係ないかもしれませんが、 バーバラさんのコメントを読んで、思い出した話があります。
私の知人で、彼女が小さいとき、ご両親が離婚され、 お母さまは出て行って、お父様と暮らした人がいます。
お父さまは立派な方で、大きな家もお持ちで、 お母さまが出て行かれてほどなく、別の女性と再婚され、弟さんが生まれたそうです。
彼女は幼稚園か小学校低学年だったと思いますが、 ご両親に何があったのか、実のお母さまがどこへ行かれたのか、聞いてはいけない空気があり、 後妻の方を「お母さま」と呼び、 ご両親に従順に生活することが義務付けられたそうです。
その彼女が、お父さまの反対を押し切って結婚した後、 実のお母さまから「会いたい」と連絡があったそうです。 彼女の祖父母だか、親族のどなたかが、 彼女の成長を実のお母さまに報告していて、 でも、お父様の家に彼女が住んでいるときには、 連絡ができなかったそうで。
彼女は、「私に会いたい、と言ってくれて嬉しい」と、 それからは時々、実のお母さまと一緒にお食事に行ったりしていました。
お互いに、当時の事情については特に話さないらしいですが、 お母さまが彼女を置いていったのではなく、 一緒に連れて行かれなかった事情があったらしいこと、 彼女のことを忘れたことがなく、成長を楽しみにしていたこと、が 確認できただけで、彼女は満足していました。
そういうこともあると思うんです。
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No.5577 seikoさんへ 投稿者:るーふぁん 投稿日:2011年06月21日 (火) 07時45分 |
seikoさん
はじめまして。 21の娘と、未成年の息子がいます。結婚20数年、この春別居して調停不調になりましたが、離婚はまだできていません。
seikoさん、これを読まれる頃は、退院された頃でしょうか。。 何度も、書き込みを読ませていただき、涙が出ました。 私の勝手な気持ちですが、お話したいこと、たくさんあります。。。ほんの少しだけ、書かせてください。
私は弱い母親で、良い家庭を最後まで演じることが出来ませんでした。
娘は4人家族の中で最もバランスが取れて、客観的にまともな判断をしてくれていました。 家庭内別居状態にあるとき、私は精神的に弱すぎ、娘に頼りすぎてしまいました。夫婦の問題はもうどうしたって、隠しようのないところまで来てしまっていたのです。
私が夫からのひどいメールを受け取り「なぜこんなひどいことを言われなければならないの・・」と娘の前でも耐え切れず泣き崩れていた朝、「何でこんなの見るの!おかしいでしょ!」と私から携帯を取り上げて、迷惑メール設定をしてくれたのも娘です。(自分で、できなかった・・・^^)
娘は両親の間で、中立的な立場を取ろうとしていることは、私にはよくわかりました。夫に対しても何も意見をすることはありませんでした。
それでもたった一度だけ、私の前で夫に反抗的な態度をとりました。夫が「私が家庭を壊している」と言ったとき、「そうしているのはあんただ!」と怒鳴ったのです。
娘は見えないところで泣いていることは、知っていました。どんなにか辛かっただろうと思います。 娘は「いったい今うちはどうなってるの!?」と苛立ち、「もう私に言わないで!」といいました。
本当に悪い母親でした。人間的に弱すぎました。 今はせめて、こんな母親を、両親の結婚を、反面教師にしてもらうことだと思っています。。
4人で暮らしていた頃、娘は一人暮らしを強く希望していましたが、いろいろな問題が生じて私が混乱していたので、もう少し待ってとがまんしてもらっていました。
最初の調停を終え、もう家を出るしかないと思うと打ち明けると、「じゃあまず私が(一人暮らしの)家を探さないとね!」と、明るく言って、アパートを見つけてくるのも、引越しも、全部自分でやったのです。
もともとタフな娘ですが、正直舌を巻きました。もう娘はとっくに私を超えていてくれたのだ、と思います。
私は今、人生を振り返る作業をしていますが、途中で辛くなって、手が止まってしまっています。娘が小学生~中学生の頃、私は娘に酷く辛くあたることがありました。手を挙げることもありました。
どうにもならなかったのです。それが夫との関係のストレスから来るものであることは、そのときも感じていたのだけれど、そのときは言葉に出来ず、誰にも相談できなかった。
私はその頃のことを一昨年、娘が成人する前に話して、謝罪しました。
少しだけ、書くつもりが長くなってしまいました。でもまだ、いくら書いても書ききれない程の、たくさんの娘への思いがあります。子離れしなくちゃいけないのは、私のほうかもしれませんね。
seikoさん、 > 確かにヒステリーをおこしたり、管理したり、支配したり、殴ったりしたこともあったけど > その何百何千倍も、かわいがり、慈しみ、抱きしめ、食べさせ、看病し、育ててきた日常もあったから
> 「大丈夫。時がたって感情が溶け出せば、また彼女は戻ってくれる。」
そうだと思いますよ。大丈夫、きっと戻ってきてくれる。私も、そう思ってます。
i-naさん、ラッパ水仙さん、バーバラさんのお話にも、とても近い思いがするところがあります。
seikoさん、私も同じ様な手術を10年ほど前にしました。 そのときの夫の言動が、私を大きく揺り動かすきっかけだったかもしれません。それまでのたくさんの積み重ねの中の、ちょっと大きな出来事に過ぎなかったのかもしれませんが、私はそのときから、夫と二人で年を取ることに、完全に希望がなくなりました。
私はseikoさんよりほんの少し年上ですが、まだ自分の人生を取り戻す入り口にやっとたどりついたところです。 手術が無事に、終わりますように
また、書かせてくださいね。
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No.5580 ラッパ水仙さんへ 投稿者:バーバラ 投稿日:2011年06月21日 (火) 18時34分 |
暖かいレスをありがとうございました。
娘に嫉妬する母親、、、これも醜い。 私の母もそういうところありますよ。
ここにくるたび、そして、DVやACなどの 本を読むたびに、家族という密室の闇を 思いますね。
完璧な人間、欠点のない人間がいないように、 完璧にいい母親も存在しないと思うのです。
でも、限度がある。これはひどいだろう。 これは許せない、という。
母子関係の破壊のある、seikoさん、i-naさん がその限度を超えているとは思えないです。
家庭を壊した責任は、どこにあるのか、それは モラ夫でしょう。
私は、カウンセラーに「DVは犯罪ですから。 被害者の責任はゼロです。そこを間違えないように しましょうね。加害者の責任が100。ゼロ100の世界ですよ。」と繰り返し言われてきました。 それで、ようやく、裁判の日々を生きてこられた のです。
物事が理解できるようになっているのなら、 思春期の子どもに、「おかあさんは、DVにあっていた。苦しかった。だから、離婚した。あなたたちのことはとても大切に思っている」と 説明していいと思っています。
けれど、私は、この説明をしていませんし、説明できる機会がありません。そのうちに、どんどん、父親に洗脳されています。私に今、なすすべはありません。
私のように自分がモラハラを受けていることに長年 気づかずに、なんとか家族の形を維持しようと 努力しても、結局、ダメだったなんて、悲惨ですが、
でも、離婚したこと、離婚しようとしていることは とても大切なことなのではないかと思います。 自分をいじめる人、尊重しない人と、わかっていながら、今後20年も30年も生きるなんて、 地獄です。娘なら、母親のそんな姿は同性の親として、耐えられないのじゃないですか。
せめて、離婚したこと、離婚しようとしていること で自尊心を保ちたいと思います。
明らかに心理的虐待と思われるモラルハラスメントという概念をしってしまった今、とにかく、自分が 人にそういうことをしない、 また餌食にもならないでいきる、という決意みたいなものをもっていたいと思います。
いろいろやってみても、深い絶望と悲しみは 心の奥底にありますね。これは死ぬまで続くのでは ないかなぁ。再会できたとしても、この3年半、あえるまでどれくらいかかりませんが、その時間は 取り戻すことができません。
知人の方とそのお嬢さんの時間が再会はできても とりもどせないように。生きていく、って大変ですね。
明るい話題でなく、申し訳ない。m(_ _)m
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No.5582 seikoさんへ 投稿者:じゃすみん 投稿日:2011年06月21日 (火) 21時38分 |
seikoさん、はじめまして。 私もどちらの立場も味わっています。
たくさんの方がすでにレスをくださっていて出る幕でもないのですが ひとことお伝えしたくて。
あなたは立派で素晴らしいお嬢さんを育てられました。 お嬢さんがしっかりとした考えを持った、大人の女性に育ったのは 身の回りの世話だけでなく、seikoさんとの暮らしのなかで、 母親の姿を見て感じ、学ぶことがあったからです。
そして、きちんと巣立ちの儀式ができたのだと思います。 ご自分のなさってきたことに誇りを持ってください。 あなたは立派なお母さんです。
seikoさんは、ご自分の過ちもしっかりわかっていらっしゃる。 そんなお母さんのことをお嬢さんも心の中ではわかっていると思います。 お嬢さんの発言はショックだったと思いますが、反抗期を(母のために)抑えて、 母一人子一人の生活をしてこられたので、巣立ちの儀式にも強烈なものが 必要だったのでしょう。
私は未亡人となった母に、ヒステリックに脅されるように育ちました。優秀な兄がいます。 「外に出す」「お小遣いをやらないてから、果ては「大学の学費を出さない」と言われました。 言葉に出さず憎みました。いつか仕返しするつもりでいました。 今でも仲がよいとは言えません。母にひどいことを言うこともあります。
しかし、自分が親となった今、仕事と家事を両立させ、大学まで出してくれ、 愚痴もこぼさなかった母の苦労とすごさがわかりました。
また、私は長女に数回、次女に一回、窒息の恐怖を味合わせる ほど口を押さえたことがあります。泣くと夫が怒鳴るので。 してはならないことをしてしまったので、長女とは、 感情的な言い合いをよくします。許さないと言われます。
しかし親子の感情の激突はざらにあることで、これを経て 子供が親から自立を果たすのでしょう。
いつか娘が私たちの年になったらわかってくれるでしょう。 もし完全な和解がならなくても、お嬢さんの心の中での変化は 必ずおきて来ると思います。
子離れはつらいものですね。 しかし、素晴らしいお嬢さんを育てたのはまぎれもなくseikoさんであることを 誇りに思ってください。
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