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<管理人のモラハラ離婚体験記>
家庭モラル・ハラスメント
<母から愛されなかった娘の話>「母を棄ててもいいですか?支配する母親、縛られる娘」


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No.4568 『生き延びるための思想』 投稿者:バーバラ   投稿日:2010年12月16日 (木) 00時13分 [返信]

図書館で、上野千鶴子さんの『生き延びるための思想』を目にして
借りてきました。思いがけず、DVのことがたくさん、書いてあって、
自分のDV離婚裁判の判決がどういう意味をもつのかが俯瞰できた
ような気がしました。

付箋を貼った箇所です。この本は、図書館にかえさなければならないので、
私のメモとして写しました。

p.23
国民国家の中には非犯罪化された暴力の行使の主体が二つある。
一つは国家であり、公的暴力の組織化されたエンジェントとしての軍隊である。
もう一つは、私領域で、そこにおける夫や父の暴力である。この私的暴力も
また非犯罪化されている。いや、つい最近まで非犯罪化されてきた。
公的暴力と私的暴力の二つは、市民社会の領域で犯されたなら犯罪と
なるはずの行為が、犯罪に問われずにすむ特権的な暴力である。

p.105
DV臨床カウンセラーたちのなかで、被害者に反撃をすすめたりする者は
いない。それができるようなら、彼女らは被害者になっていないだろうからで
ある。代わってかれらが被害者にすすめるのは、たったひとつ、逃げることで
ある。ソーシャルワーカーや相談員たちが努力するのは、逃げられない
被害者のために逃げる避難所の選択肢を提供することにある。
「逃げる」というのは、被害者にならない、ということを意味する。


DV臨床でわかっていることは、被害者が自ら被害者と「同定identeify」する
ことがむずかしい、という事実である。そして、当事者の被害者としての自己
同一化は、状況の変化を当事者みずからが望むための、最低限の必要条件で
ある。事態を変更したい(「治りたい」)と望まない当事者を、だれも援助することはできない。

p114
被害者になることを拒絶することをつうじて、加害者にもならないこと。
いま・ここでの女の闘いは、これしかない。それは不服従であるが、無抵抗では
ない。

逃げよ、生き延びよ。

p.123
「配偶者とは、あなたを殺す確率の最も高い他人である。」笑い事ではない。
犯罪の加害者と被害者とをつなぐ「動機の糸」がもはやなくなったといわれる
昨今のポストモダン型の犯罪とはちがって、古典的な動機のある殺人の
なかでは、配偶者間の犯罪がもっとも確率が高い、のである。

私的な領域で紳士的にふるまう夫や恋人とは、本人のきまぐれか恩情で、
たまたまそうふるまっているにすぎない専制君主のようなものだ。彼らがある日、
豹変しないとは限らない。事実、ドメスティック・バイオレンスをめぐる多くの事例
報告によれば、暴力をふるう夫は最初からそうだったのではなく、関係のある時点
から、なにかのきっかけで暴力的になったことがしられている。

そして、「暴力」とは、問答無用の権力関係の再確認でなくてなんであろうか。

「暴力をふるう夫」は「暴力依存」(「共依存」という心理障害があるなら、その
楯の裏面は暴力へのアディクションでなければならない)という病名をつけられる
こともなく、犯罪者として収監されることもなく、また自ら心理障害に悩む当事者
としてカウンセラーの前にあらわれることもない。「暴力」が男らしさの核心に
あるとすれば、「男という病」はその病識もない程度に深い、と言えそうだ。

p.126
家父長制の聖域を侵そうとする動きは、かならず手痛い反撃にあう。
とりわけ日本のように社会の変化の遅いところでは、新しい主張がじゅうぶん
に理解され根づく前に、その足をすくうような反動的な言説が先駆けてばっこ
する傾向がある。

====================================


裁判官は国家権力を行使している存在であり、私がモラルハラスメントの
被害者だという主張を「家父長制の聖域を侵そうとするもの」と考え、被害者の
私を切り捨てた、と考えると、私の裁判の歴史的な文脈がわかります。

私の主治医は、裁判で証言をしてくれることを承諾して準備してくれていましたが、
裁判所は、その機会でさえ却下したのでした。
証言のあとに、加害をないことにすることができないと判断したのでしょう。

私の離婚裁判は、相手から、無茶苦茶な理由をつけて起こされたものです。

裁判自体が加害の場になっていた、私の身体的な症状は、裁判の日程にあわせて悪化していました。

私は、自分を守るためにできることは全部してきました。


私のこの抵抗が将来的に意味のあるものであるように、祈らずにはいられません。


裁判で主張した多くの出来事が、極めて微妙というか抽象的で、具体的な攻撃的
言辞が少ない、、、けれど、母子関係の破壊も含めて、精神的な暴力はあったのです。

管理人さんの講演題目のように「パートナーの顔色をうかがって」
細心の注意と緊張感のなかで生活していました。
モラハラだと気づいてからは、本当に夫が怖かった。いまでも、一生、ニアミスもしたくない
相手です。


私は、逃げました。自分が被害者であると認めた。
そして、被害者であり続けること、奴隷でありつづけることは、拒否したのです。







No.4577 バーバラさんへ 投稿者:プチトマト   投稿日:2010年12月18日 (土) 11時16分

上野さんは、一般向けにわかりやすい本(おひとりさま・・・など)もたくさん書いてますが、この本は、難しそうです。さっそく、図書館に予約をいれました。

前に、紹介くださった、『女ぎらい』の本は、あのときには、まだ、図書館になかったので、すぐに、買いました。現在、図書館での『女ぎらい』の予約待ちは50人です。興味のある人は多いのですねえ。

その本も、一度、読んだだけでは、感想を書くことができないので、そのままになってます。

ただ、ミソジニーの考え方は、最近観た映画の中に描かれています。カトリーヌ・ドヌーブの『隠された日記』と、『レオニー』(松井久子監督)です。
『レオニー』で描かれているミソジニーについて、
レポートを書けば、りっぱな論文になると思います。私には書けませんが・・・

上野さんの『ミソジニー』を読んで、人間の根本的なところをとらえ、広い視野から論じられているように思いました。

私は、この問題とかかわるようになって、さまざまなことを考えるようになりました。人間と暴力、人間と宗教などです。

自分の好きでない映画も、観ました。暴力が描かれた映画です。『息もできない』(韓国映画)『キャタピラ』『浅間山荘への道???』(若松監督)。怖かったですよ。観たあと、きぶんが悪かったです。

人間ってこんなこともできるんだあ、と思うと同時に、加害者が持つ人間の弱さも、丸見えでした。

というわけで、人間は弱いから、暴力(差別やいじめも含めて)はなくならないと思います。だからこそ、暴力を見抜いて、とりあえずは、逃げる→『生き延びる』力を持つことが大事でしょうね。




No.4579 プチトマトさんへ 映画のことなど 投稿者:バーバラ   投稿日:2010年12月18日 (土) 14時16分

レスポンスありがとうございます。

世の中は、ミソジニー(女性嫌悪、女性蔑視、女性差別)
に満ちていると知ることは、つらいですよね。
それでも、『女ぎらい』という本を上野千鶴子さんが書いて、図書館で50人も予約がいると
いうのが、昔よりいいかもしれません。

>ミソジニーの考え方は、最近観た映画の中に描か
>れています。カトリーヌ・ドヌーブの『隠された
>日記』と、『レオニー』(松井久子監督)です。

私が裁判のことを投稿したウイメンズ アクション ネットワークにも↓

http://wan.or.jp/reading/?cat=13

にも『レオニー』のことが載っています。
見てみたいのですが、なかなか都心の映画館に
いくことができないでいます。

>人間ってこんなこともできるんだあ、と思うと同>時に、加害者が持つ人間の弱さも、丸見えで
>した。

そういう感想をお持ちになったのですね。
暴力の背景に何があるか、、、知りたいという気持ちともういいや、という気持ちと両方ありながら、
今を過ごすのがつらくて、意識を本の中にもっていこう、、、と努めています。

私は、脱出前半年から今まで、新聞やテレビがみられませんでした。人が死ぬ事件、暴力事件など、
心臓のバクバクがはじまり、涙がでてきます。
竜馬伝なども切腹シーンや戦闘シーンがあるので、見られません。

カウンセラーの先生に相談したら、心が弱っていると刺激に敏感になるのだそうです。

本当に悪いときは、本でさえも読めなかったので
少しは回復しているのでしょうか。

このサイトに書き込むのも、本を読むのも
フラッシュバックのつらさから、逃れる方便
なんです。3年前の12月のことを思い出すと
いまでも体が震えます。


『生き延びるための思想』も読んでいてつらく
なるところがたびたびありました。でも、
これは、自分のことが書いてある本だ、、、
そう思いました。

逃げよ、生き延びよ。

これは私に向かって言われていることば!そう
思いました。

逃げたあとは、生き延びることを考えねばなりません。







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