今晩は(^^)今仕事から帰宅。今18歳の娘と2人暮らしです。灯りのついた家は嬉しいです。もう1年一緒にいさせてねと言われています。まあ、何年でもいいのでが、普通に高校に行けなかった娘なりの目標なのでしょう。
8年前、我が家で怒った事は地獄模様です。夜中でも私が寝室にいないと見つけて罵声、暴力、家具の崩壊をしました。子供達はそんな中でも学校に行き、部活をし、塾に行き、頑張っていました。それは少しでも私を楽にしよう、安心させようという精一杯の努力だったと思います。
次男が「普通の家がいい・・・」とぽろっと吐いた事もあります。泣かない、くじけない子供たちがけなげ過ぎて辛かったです。でも何とか普通の家族になりたいと思ったのだと思います。
夫のストーカー行為や、暴力等で警察沙汰もあり、誓約書も交わし、しばらくして一見平穏な家族を装えていました。でも何かあると夫に対しては子供達はさんざんな批判をしていました。また冷静に私に対してもおかしいよと注意する事もありました。
私は子供達に教えられる事が多かったです。夫の仕事に対しても良く夫一代で会社を作り、事業も広げている姿に大学に行った長男は尊敬する用にもなりました。しかし、よそで働いて力をつけて、そうしたいと思ったら帰ってくると言っていました。
実は長男が国家試験に受かった時、夫の会社は資格のある従業員が辞めて行き、危機に立たされていたのです。夫の会社が倒れては下の弟や妹の学資も出せなくなる。俺がやるしかない。と思っての辛い選択だったのです。そしてそれは最悪の選択でした。母親の私は絶対一緒に働いて欲しくないと常々言っていたのに、止める事が出来ませんでした。
私の中で絶対あり得ない理想的な親子での会社経営がよぎってしまったのも事実です。申し訳ない悲しい選択でした。間もなく家でも会社でもモラハラ父は容赦なく長男を苦しめて行きました。責任と理想と現実の中で長男は病んで行きました。
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