白鬚神社 なんでも掲示板

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[363]  過去ログA   Name:道開き   Date:2020/09/22 (火) 17:30
[125] ●「名言、名場面、名ゼリフ」 Name:道開き Date:2011/12/06(火) 10:10 

自分の場合、本を読んだり、映画を観たり、流行歌を聴いたりする目的のかなりの部分が、人生の後押しをしてくれる「こ・と・ば」と出会うことにあるとも言えそうです。今回の津波によって失った物の中で、最も惜しまれる物の一つに、ここ20年間に渡って拾い集めてきた「言葉のノート」があります。残念です。

「溝(みぞ)をば ずんと跳(と)べ  危うしと思はば 嵌(はま)るぞ」

記憶のノートには残ったままの、この言葉に出会ったのは高校時代の頃で、ちょっとした「名言集」に載っていました。物事の本質を単純明快に言い表しているのが印象的で、今日に至るまで数多くの導きを授けてもらっているように思われます。
大根の漬物の名として知られる、江戸時代初期の禅僧・沢庵(たくあん)の著書『不動智神妙録』の中の言葉です。禅師は、吉川英治の小説『宮本武蔵』の中では、剣豪・武蔵を導く心の師として登場しています。

最近、「海外メディアが今回の東日本大震災をどのように報じたか」を記した本を読む機会を得ました。非常に興味深いものがありました。
津波の2、3日後には、我が家の直ぐ側の野蒜小学校に、海外メディアのテレビ・クルーが大勢やってきていて、町内会の皆さんが一丸となって多岐だしする様を撮影していたのには大変驚かされました。

当時、アメリカのテレビでは、黒澤明監督の映画『七人の侍』のシーンが流され、一丸となって、冷静に、毅然とした姿で、困難に立ち向かう日本人の精神文化が解析されて報じられたそうです。

「離れ家は三つ、部落の家は二十だ・・・・・又、この部落を踏みにじられて離れ家の生きる道はない。いいか、戦とはそういうものだ。人を守ってこそ自分も守れる。己のことばかり考えるやつは己をも滅ぼすやつだ」

他にも、

「良い城にはきっと隙が一つある。その隙に敵を集めて勝負する。守るだけでは城はもたない」

「子どもは大人より働くぞ・・・もっともそれは、大人扱いしてやればの話だがな」

「いいか、敵は怖い。誰だって怖い・・・しかしな、向こうだってこっちが怖い」

「攻める時も 退く時も走る。 戦に出て走れなくなった時は死ぬ時だ」

以上が、映画『七人の侍』の中でも特に印象に残っているセリフになります。名画というのは、名セリフ、名シーンの積み重ねによって成り立っているようにも思われますが、『七人の侍』は、まさにその宝庫であるとも言えそうです。

「シェーン!・・・カムバック!」と叫ぶ少年の声が、ワイオミングの遙かなる山々に響き渡るラストシーンが余りにも有名な西部劇が『シェーン』です。映画の最大の山場とも言える、ガンマン・シェーンとシャイアンから招かれた殺し屋ウィルソンとの決闘シーンが印象に残ります。“プロ”同士の対決とはこういったものなのか。命をやり取りするに当たっても、表面的には実に平静であり、一転、水面下では、ありとあらゆる駆け引きが行われている。二人が交わす言葉、所作の一つ一つのせめぎ合いにぞくぞくさせられます。言葉のやり取りがそのまま命のやり取りになっているといった構成です。

もう一つ好きなのが、映画『マイ・フェア・レディ』の休憩に入る直前の第一幕の終わりのシーンです。イライザ(オードリー・ヘップバーンが演じる)が競馬場での失態を嘆く場面から、一瞬にして、舞踏会に向かうシーンに切り替わります。
これから出向く舞踏会に、どれほどの困難が待ち受けているのかは十分過ぎるほどに予想されながらも、その凜(りん)とした様、その覚悟のほど、内に秘めた自信 (失敗後の特訓のシーンが全く描かれていないにもかかわらず、それら一切を無言で現してしまっている演出の凄さ) といったものが、映画『シェーン』の決闘シーンと非常に重なるものがあるのです。前述した沢庵禅師の言葉とも重なります。

『マイ・フェア・レディ』は、ブロードウェイでロングラン上演を重ねた舞台劇の映画化ですから、ストーリー展開が洗練され尽くされていて、全く隙がありません。この点においても、まるで決闘を見ているかのような気持ちにさせられるのでしょう。

方や邦画の時代劇、方や洋画の西部劇、ミュージカルといった、全く異なるジャンルの映画のこれらの名シーンは、何十回見ても飽きないし、見る度にパワーをもらえるのです。有り難いものです。


[362]  過去ログ@   Name:道開き   Date:2020/08/27 (木) 13:00
[124] ●「人生の意味」 Name:道開き Date:2011/11/22(火) 13:33 

大震災から8ヶ月が過ぎ、被災地では自殺や精神疾患に苦しむ人が急増しています。
家や家族を失い、仕事も失って、先の見通しが立たず、「人生に意味」を見出せなくなっている人たちが増えているのです。

以下に、十年ほど前にベストセラーとなった養老孟司著『バカの壁』の中に記載されていた、「人生の意味」に関する記述を抜粋して取りあげてみます。

◆◆◆
(国家、地域社会、会社、家族などの)共同体がバラバラであることそのものが自由の表れであるかのような風潮に対し、一つのヒントとなる考え方がある。それは「人生には意味がある」という考え方だ。

アウシュビッツの強制収容所に収容されていた経験を持つV・E・フランクルという心理学者がいます (収容所での体験を書いた『夜と霧』や、『意味への意志』『〈生きる意味〉を求めて』など、多数の著作を残している) 。

彼は、一貫して「人生の意味」について論じました。そして、「意味は外部にある」と言っています。「自己実現」などといいますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しません。つまり、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる、ということです。とすれば、日常生活において、意味を見いだせる場はまさに共同体でしかない。

フランクル自身も、強制収容所といういつ殺されるかもわからない状況下で、「生きるとはどういうことか」という意味について考え、「他人が人生の意味を考える手伝いをする」ことに行き着いたという。

フランクルが七〇年代にウィーンの大学で教鞭を執っていた際、ヨーロッパの学生たちが「人生は無意味だ」と考えていたのは25パーセントだったのに対し、アメリカからの留学生の60パーセントが「無意味だ」と考えていた。特にアメリカ型の思考を持つ人にこういう考え方が多いことがわかった。さらに当時の統計で、若い麻薬患者の100パーセントが「人生は無意味だ」と考えていた。

人生の意味を考えることはそう簡単なことではないかもしれません。なかなか答えが出るわけではなく、正解が用意されているわけでもない。「人生は無意味だ」と割り切った方が、当世的で楽にも思えます。しかし、それを真面目に考えないことが、共同体はもちろんのこと、結局のところ自分自身の不幸を招いている。
◆◆◆

自殺者が増えているということは、突き詰めれば「人生に意味を見出せなくなっている」人が増えていることに他なりません。昨日、待ちに待った3次補正予算案がようやく国会を通過したようです。国会議員の皆様方には、もっとスピード感を持って、他人事ではなく自分たちの事として(同じ共同体を構成する者として)、被災地の「共同体の再生」に取り組んでもらいたいものです。

[361]  ●“口寄せ”神事   Name:道開き   Date:2020/08/23 (日) 12:54
◆不可思議なお祓いの始まり・        〈H19年7月〜H20年3月〉            

かなり摩訶不思議な内容の話になります。『現代版 耳なし芳一』とでも言ったらいいのか、私自身が社会的信用を失ってしまいそうな、訳の解らない絵空事を書き並べていると揶揄されそうな内容であることは十分に承知した上で、敢えて書き記すことに致しました。

昨年の夏から秋にかけて、二人の不思議な若い女性が、当白鬚神社を何度か訪ねて来られました。

先ずはHさんですが、県内の某有名大社からの紹介を受けていらっしゃいました。彼女のお話では、友人でもある女性霊能者のTさんから「あまり善くない霊が憑いているので、どこかでお祓いしてもらった方がよい」と言われたので、お祓いを受けに来たということでした。


●たまたま受付をしている時に、「例えば、こうして指をさして“トホカミエミタメ”と祓詞を唱えただけでも・・・」といった説明をしていたところ、突然、Hさんが神憑り状態になり、彼女に憑いていた霊が自らの思いを語り出しました。おそらくは、私の指先から憑依している霊に“神気”が放射されてしまったことにより起こった憑霊現象だったのでしょう。

「自分は子どもを残したまま自殺してしまった女である」「回りから愛されているこの女が羨ましい。家庭内をメチャクチャにしてやろうと考えている」「残してきた子どもたちのことが心配でならない・・・・」

当方としましては即座に、その迷える霊に対して考えの誤りを正し、「いつまでもこの世に留まって居ないで神さまの元へと向かわなければいけません。あの世でしっかりと修行して、再びこの世に生まれ返ってくるようにしなさい」と諭し聞かせた後、「白鬚神社の大神たち、この障りの一切を正しき方へと導き給え」と唱えて、そっとあの世へと送り導いてやりました。

そのHさんは、かなりの“霊媒体質”の方らしく、その後、幾度となく同様のことを繰り返すこととなりました。後に解ったことなのですが、前世では“口寄せ”の仕事をなさっていた方のようでした。


●その数日後、霊能者のTさんもご一緒に神社を訪ねて来られて、お祓いを行う際の様子を見てみたいということで共に参列されました。ご祈祷後のTさんのお話では、「亀廼井さんを、普段、二人の行者さんの様なお姿の方たちが守護して居られるようなのですが、ご祈祷を始めようとして装束(狩衣)を身に着けられた途端に、神社の殿内が、数え切れない程のそういった装束姿の方たちでいっぱいになりました。これまでに経験したことのない光景でした」ということでした。

そのTさんは、現在“時の人”となられて、テレビで活躍中の“スピリッチャル・カウンセラー”江原さんのことをひたすら尊敬されておられるということでした。私が、10年程前に江原さんと偶々お会いする機会を得て、二人きりでお話をしたことがあり、私の守護霊の行者さんからのメッセージを伝えてもらった事をお話したところ、とても驚かれていました。

その後、この様な神事を幾度となく繰り返すこととなりましたが、Hさんの“憑き物”のお祓いを行う際には、Tさんの存在とその霊能はとても有用で、非常に助かりました。と言うのも、迷える霊たちは、とにかく自分の思いを聞いてもらいたがるのです。どういった亡くなり方をして、今どのような気持ちでいるのかといったことを聞き出すのには、どうしても時間がかかってしまいます。ですから、Tさんが瞬時に霊の思いや、亡くなったときの状況を感じ取ってこちらに伝えてくれると、非常に時間的に早められるのです。Tさんには、その時の状況が霊眼に見え、空襲でなくなった人の場合などには、爆撃音や逃げ惑う人たちの叫び声といったものも聞こえ、家を焼く猛火の熱さまで感じられるそうです。


さらに、この時から二年ほど経過してから知ったことなのですが、Tさんは以前から霊の姿が見えたり、霊の語る言葉が聞こえたりしていたのではなく、何となく感じ取れる程度だったということでした。この日にHさんと初めて白鬚神社に来て、境内で私が来るのを待っていた際に、車でやってきた私が駐車場に車を止めて降りる姿を見て、「何で三人で来たのだろう?」と、私の周りにいた二人の守護霊の行者さんの姿まで見えたのが総ての始まりだったということでした。神社という空間そのものに、霊感を覚醒させる何らかの力があるということなのでしょう。


●Tさんが「今、リストラにあって苦しんでいる時に交通事故で亡くなった方がHさんに憑いています。その男性には、奥さんと高校生の娘さんがいて、二人の今後について心配しているようです。娘さんはお父さんのことが大好きでした」と話されると、Hさんは別人格となり、顔つきも男性に変わり、そういった内容のことを話し始めます。それを私の方で諭して、あの世へと送り導いてやります。

「次は、受験を苦にして自殺した少年が入りました」というと、同様の事が起き、またまたあの世へと導いてやるといった事を繰り返しました。彼は、親から「勉強しろ、勉強しろ」とうるさく言われ続け、二浪してもう後がないと自分を追い込んで、思い詰めてしまったことにより死を選択したようでした。


★お迎えの霊たち

迷える霊が、あの世へと向かう気持ちになってくると、必ずといってよいほどに、あの世から使わされたお迎えの霊が姿を現します。懐かしい先祖の方たちだったり、親しかった友人だったり、可愛がっていた動物だったり・・・
神さまが、霊たちが恐れないようにと、そういった取り計らいをして下さっている様なのです。
彼の場合、只一人自分を理解して可愛がってくれたお婆ちゃんが迎えに来たようでした。彼は、祖母の霊に泣きすがりながら、あの世へと赴いて行ったとのことでした。


●「隣村同士の、百姓の土地争いで亡くなった霊が入りました。この霊は一方のリーダーだった人のようです」とTさんが話された時も、Hさんの口からは「自分は、鍬で片腕を傷つけられ、首に縄をまかれて、馬で田畑を引きずり回されて死んだ者だ」と、亡くなった時の状況が語られました。

この霊は、大部以前からHさんの母親に憑いていたその土地の因縁霊らしく、三ヶ月ほど前にHさんの実家にお祓いに伺った際にはあの世へとは向かわずに、今回、お祓いに同席したお母さんに憑いたままの状態で神社までやって来て、自らの身の上話を聞いてもらいたかった様なのです。お母さんは、7年ほど前から首と左腕に痛みを覚え、何ヶ所かの病院回りをしてきましたが、どの医者からも「何の異常もない、気のせいだ」と言われ続けてきたということでした。

当方からは「相手側だって生きる為だったのだから、決して恨んではいけない。あなたは、態度も、語り口も、立派な人格を備えている方のように見受けられるから、今はそういった時代ではないので、神さまの元でさらに学んで、生まれ変わって、世の中の為に尽くしてください」と申し上げますと、その霊は「この女の人(Hさんのお母さん)の優しさに甘えてしまい、誠に申し訳ないことをしてしまった」と語り、丁寧に深々とお辞儀をしました。
やがて、昔飼っていた愛犬の霊が迎えに来ている姿が見えるようになったらしく、その犬の霊が彼の腕にじゃれつき、やがて、一緒にあの世へと向かって行く姿がTさんの霊眼には見えていたということでした。

もう一つ、この霊について非常に印象に残ったことがあります。それは、生前の名前を問うた際に、その霊が「アベ・シンゾウ」と答えたことでした。第一次安倍内閣が成立して、何ヶ月か過ぎたばかりの頃のことでした。

キツネ憑きなどではよく、歴史上の人物モドキの名を名乗ったりすることは知っていました。例えば、徳川家康左右衛門だとか、豊臣信長だとかいった様に。実際に私が応対した霊狐などは「自分は白笹(しらざさ)大明神である」と、神名を名乗っていました。一瞬、「こいつはキツネか?」とも考えましたが、態度は非常に立派で、元人間であることは間違いないと思われる振る舞いでした。当時の私には、何度かの狐憑きのお祓いをした経験があり、霊狐には繊細な人間の情みたいなものが感じられず、まるでアニメのキャラクタ−の様な話し方をしてくるので、人間でないということがすぐに解りましたので。

つまり、憑依霊というのは、憑いている人がテレビで観たり聴いたりしている知識を、ある程度までは共有できているのだということが分かりました。ただただ亡くなった当時の思いを抱いたまま、藻掻き苦しんでいるだけではないのだと。こういったお祓いをすると、私もいろいろと学ばせられます。


●Tさんが「首のない甲冑姿の武者が入りました。この辺で亡くなられた方のようです」と話すと、Hさんの口からは「どこに行けば、わしの首が見つかるのか」と語られました。私の方からは「あの世へと向かいなさい。ちゃんと首が見つかるから」と諭しましたところ、その霊は実に素直に御礼を言い、あの世へと向かって行きました。
(リストラに合って悩んでいる内に交通事故で亡くなった霊に対して、「会社に首を切られたのですね・・・・・」といった話をした直後のお祓いだったので、その「首を切られた」という言葉に感応してやって来た霊のようでした)

その日は、続けざまに6体の霊をあの世へと導くことになりました。
Hさんは、女の霊が憑くと女性の表情で語り、男の霊が入ると男性の表情、口調で語り始めます。子どもの霊が入ると、子どもの仕草をしながら語ります。

言うことを聞かずに大暴れする霊には、仕方なくある言霊を用いたお祓いで、しっかりと一撃を加えてから言うことを聞かせるようにしました。その様にすると素直になってこちらの諭しを聞き入れ、あの世へと向かって行くのでした。


●さらに、何度かHさんのお祓いを繰り返している内に、見えない世界では、白鬚神社で話を聞いてもらい、あの世へ送ってもらいたいという霊が大勢になり、Hさんの周りには更に不幸な霊たちが集まり続けました。Tさんからは「これではHさんの身がもたない。どうしたらいいものでしょうか」という連絡を受けました。

Tさんから連絡が入り、「昨夜、白鬚神社の神さまのお使いだと語られる、頭に葉の冠を差し、十二単の様なお召し物と赤い袴(はかま)を身に着けられた、巫女さんのような姿の女神さまが現れ、Hさんをこのようにして守ってあげ、迷える霊たちもまとめて私が神社に連れて行ってさしあげるから安心しなさい」というお告げがあったということでした。

そして、Tさんが、Hさんと共に神社に来てみると、その時の女神さまが拝殿の中で待っておられ、二人を出迎えてくださったということでした。当方としましては、その日も、いつもと同様にご祈祷を行い、多くの霊たちを神さまの元へと送ってやるだけでした。

その日、私が祝詞を奏上している際には、本殿の方から、おしりを出し、背中に翼をつけた天使たちが大勢あらわれて、Hさんの周囲を飛び回る姿が見えたそうです。
(私は神主なので、神社の本殿からエンジェルが飛んできたというお話は、何とも複雑な心境で聞いていましたが)後になって考えてみると、この頃がHさん懐妊された時期だったのかもしれません。

更に、迷える霊たちの間で話が広まり続けたようで、Hさんの回りにはさらに大勢の霊たちがつめかけました。その際にも、白鬚神社からのお使いの神さまたちが、大勢の霊たちを雲のような乗り物にのせて連れてきたとのことでした。


●ある日の夕刻には、いつものようにHさんに対してお祓いを行っていると、ハッキリとした記憶はないのですかが、30〜40体の霊が次々とHさんの体に入って語り出しました。当方としては、短期間の内に、次々に霊たちを諭し、あの世へと導き送ってやりましたが、正直なところ、ほとほと疲れ果ててしまいました。

やがて、Hさんの霊魂はそれらの霊たちに押しのけられて、自分の身体に戻ることができなくなってしまいました。Hさんの霊魂は悲観してしまい、神社からぬけだして、神社前の鳴瀬川に自らを投げだそうと考えたようでした。そのことを察知したTさんは「Hさんがいない、あれ、Hさんがいない」と慌てだしました(Hさんの身体は眼前に在るのですが)。その直後に、Tさんの守護霊が機転を利かしてTさんの身体に入ったらしく、Tさんは急いでHさんの霊魂を連れ戻しに神社の外へと出て行きました。

それから暫くして、無事に連れ帰って来たということなのですが、やはりHさんの霊魂は自分の身体には戻れない状態でいるらしく、Hさんの身体に入ろうと並んでいる霊たちの列の後方に泣きながら並んでいる状態でいるらしく、再び神社から抜け出してしまいました。

Hさんの身に入り込んだ霊たちの中には、Hさんの身を心配してくれる霊もいて、その中でも力を持った霊に対し、Tさんが「あなた達、今すぐにHさんの霊魂を連れ戻して来て」と言い付けると、瞬時に連れ戻しに行ってくれたようでした。その行動は非常に迅速でした。さすがそこは霊の仕業です。空間的な距離は関係ないようでした。そして、その霊たちが他の霊を追い払い、Hさんの霊魂を身体に戻してくれました。



★注連縄(しめなわ)の威力

そのような事もあって、今後、Hさんをどのようにして守っていったらいいのかを、私なりに熟考してみました。
この際、Hさんの住むアパートの各部屋に注連縄を張り巡らし、“お宮”と同様の「神々の領域」にしてしまえばいいのではないかとの思いに至り、すぐに注連縄を準備し、Hさんに渡しました。
(「注連縄の内は、神さまの領域となる」ということは、絶対的“神霊界の掟”なのだということは、多くの関連図書を読んで知っていましたので)
他にも、細部に渡り、Hさんに「邪霊に波長が合わなくなる為の自身の霊格の高め方」等を指導しました。

その後、Tさんから連絡があり、注連縄を巡らしてからは、迷える霊たちは家の中に入れなくなったようです。しかし、死神は入れるようなのです。その際には、白鬚神社のお使いの女神様が突然現れて、「お主も神であろう。この領域で、そなたが企むことをしようものなら済まぬぞ。この者を守る神の姿を凝らして見ろ。この内には、入ってはならぬ」と強く叱責し、死神を追い出したということでした。これはHさんとの電話越しに聞こえた、神さま同士のやり取りの言葉だったといいます。

この後、この注連縄の持つ不思議な力が、様々な場面でHさんを守り続けることになりました(出産時には、注連縄をブレスレット状にして臨まれました)。


(Tさんによると、Hさんの場合、首の裏側、右の肩胛骨、腰の三カ所に「霊の出入り口」があるらしい)



★『トホカミエミタメ  トホカミエミタメ  トホカミエミタメ (三回)
祓い給い  清め給ふ 』
 
と唱えると、“神気”が神主(私)に集まってくるのが見えるとTさんは言います。それを指先から、憑霊状態にある人に向けて放射すると、余り善くない霊が憑いている場合は霊が藻掻き苦しみます。Hさん、Tさんによると、“金銀の光”が、まるでホースの口から水が放たれて人に激しく浴びせられているように見え、浴びている悪霊は強い衝撃を受けている状態になるらしい。

この“言霊の力”により、反抗してくる悪霊に対して一撃を加えてこちら側の言うことを聞かせる。善霊が、怒りから大声を出したりしている場合には、この言霊による押さえは全く効かないので、誠意を持ってじっくりと話を聞いた方がよい。

以前、神さまのお使いの「おキツネさん」に邪(よこしま)な野狐(やこ)と勘違いして施術したことがあったが、苦しむどころか、気持ちよさそうに寝入ってしまいそうになった。

憑依している霊が、善なるモノか悪なるモノかを審神者(サニワ)する際には、これが私にとっては非常に有効な手段となっている。






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