白鬚神社 なんでも掲示板

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[379]  震災から早10年   Name:道開き   Date:2021/04/04 (日) 19:48
現在、震災から10年が過ぎ、当地におけるハード面での復興は、9割以上を終えていると思われます。これまでに当社ウェブサイトに記して来た、復興に関する書き込みを再度取り上げてみたいと思います。神社復興を御支援していただいている下谷神社の阿倍明徳宮司さんについても書いていました。


[184] ●土地柄こそを第一に Name:道開き Date:2014/02/20(木) 08:57 

酷く傷ついたこの被災地・野蒜の手当が本格的に始まろうとしています。3年が経過してようやく堤防や嵩上げ道路の工事が始まろうとしているのです。当地域では高台集団移転地の山土を利用して元地の諸工事のほとんどを押し進める計画なので、他の地区に比べて進捗状況がかなり遅れているようでもあります。

しかし、「今年が復興元年になるのだ」と思うと希望がふつふつと湧き上がって来るのも確かです。目に見えて復興が感じられる明るく輝いた年になるのが楽しみです。

とにかく「蝦夷地(えぞち・東北地方)」らしい、「奥松島」らしい景観に復興させていくことが第一だと考えます。何処の国のどういった地方なのか分からなくなるような地域作りだけはしてもらいたくないのです。観光客は「奥松島」の景観や風土を求めて来訪するからです。

被災したショックで、多くの方たちが郷土に対する自信を失い、地元の良さが見えなくなっている時でもあるので、バブル期に乱立した「オランダ村」だとか「ニュージーランド村」の様な奇をてらうだけの施設などは造ってもらいたくないです。千年先、万年先を見据えた「土地柄」を大切にした町作りをして行きたいものです。


●安倍(安部・阿部)一族 
自分が現在、興味を持っているものを取り上げてみると、先ずは「縄文」であり、縄文文化を引き継いできた「蝦夷(えみし)」であり、「奥州」、現在の「東北」であり、そして、正史から突如として姿を消した古代氏族「物部(もののべ)氏」の祭祀ということになるのでしょう。

母親が石巻の阿部姓の家の出身ということもあって、必然的に、岩手県出身の直木賞作家、高橋克彦氏の著作に行き着くことになります。

『火怨・北の燿星アテルイ』では、蝦夷の英雄・阿弖流為(アテルイ)と征夷大将軍・坂上田村麻呂を、『炎立つ』では安部貞任と源頼義・義家親子、そして、奥州・藤原氏と源頼朝・義経兄弟、物部氏の末裔たちを描いています。

氏は、奥州安倍氏のルーツを「大化の改新」直後に蝦夷地遠征を行った阿倍比羅夫(あべのひらふ)にあるとしている。遣唐使の阿部仲麻呂や陰陽師・安倍晴明なども、孝元天皇(第八代)の皇子・大彦命(おおびこのみこと)の流れを汲む阿部=安倍一族から出てきた人たちだとし、古四王(こしおう)神社など大彦命を祭神として祀った神社が秋田や岩手に多いのはそのためだとしている。

さらには、「国つ神」を祀っていた出雲地方をルーツに持つとされる、神武天皇の東征で征伐された大和(奈良)地方の土豪・登美能那賀須泥毗古(とみのながすねびこ、一般には長髄彦〈ながすねひこ〉)の姓が安日(あび)だったということだが・・・本当だろうか???

『古事記』『日本書紀』には書かれていないし、もしかしたら物部氏の伝承が記されている『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』だとか、一般的には偽書とされている、古代東北の歴史が記された『東日流外三郡史(つがるそとさんぐんし)』などに書かれている内容なのだろうか?????  氏の著書『炎立つ』等には、『東日流外三郡史』にのみ出で来る「アラハバキ」の神信仰が描かれている。

物部氏のルーツは、天つ神の御子・饒速日命(にぎはやひのみこと)と長髄彦の妹・登美毗女(とみびめ)の間に生まれた宇麻志麻遅命(うましまぢのみこと)にあることは間違いないようだ。


現在の安倍晋三総理の父・晋太郎氏は「うちのルーツは岩手にあって、厨川(くりやがわ)の戦いの後、伊予に流された安倍貞任の弟・宗任(むねとう)の末裔なんだよ」と、よく人に語っておられたということです。



ルーツ話はさて置き、とにかく蝦夷たちの戦闘能力は非常に高かったことだけは確かなようです。唐の歴史書『通典』には、日本からの遣唐使が一人の蝦夷を都の長安に連れて来て第三代皇帝・高宗に拝謁した際、その御前で約50メートル離れた的を射させたところ百発百中だったと記されているらしい。
平将門が、板東において無敵の強さを誇ったのは、蝦夷との戦いを繰り広げていたからだということだが、それならば、蝦夷はいかほどまでに強かったのかということになる。


自分の「縄文」「蝦夷」「東北」「物部」に対する思いは高橋克彦氏とかなり共通するところがあるとは思うのだが、しかし、何でもかんでも「天つ神」対「国つ神」、「大和朝廷」対「蝦夷」の構図で描いたり、常に中央から搾取され続けてきた東北といった捉え方も、一面では真実ではあるのだろうけれども、歴史的・地理的必然性みたいなものも勘案されるし、どこかの隣国の様に何でもかんでも「反日」、みたいなスタンスだけは取りたくない。

近世のドイツやイタリアのように、個々の都市の力が強すぎて、統一国家としての海外進出に出遅れてしまったという歴史もある。反中央、反権力だけでは国内がバラバラになってしまって、隣国を利するだけになると思われる。

長い間、自分たちの国家を持っていなかったユダヤ人がどれ程までに虐げられ続けて来たことか。クルド人、ウイグル人、チベット人の苦難を見ていてもそう思う。蝦夷をそれと同じ括(くく)りにしてしまうのもちょっと違うように思われる。

「地方主権」的な考え方ではなく「地方分権」がベストなのだと思われる。「中央集権」だと官僚組織ばかりを肥大化させてしまうのでそれも良くない。県や市は、単なる国の出先機関になってしまうからだ。



[107] ●谷根千(やねせん) Name:道開き Date:2016/01/26 (火) 15:48

文京区から台東区一帯の谷中(やなか)・根津(ねず)・千駄木(せんだぎ)周辺地域を指す総称で、谷根千(やねせん)とは、谷中・根津・千駄木の頭文字をつなげたもの。この地域は戦災の被害をあまり受けず、また山手線の内側にありながら大規模開発も免れたため、一昔前の街並みが残っている。

もしくは、その地域を扱った谷根千工房が発行している1984年創刊の地域雑誌を指す。新宿、渋谷、原宿のような若者が集まるところでもなく、開発が進むところでもない、ごくごく普通の3つの地域の歴史や文化などの話題や生活情報を掲載する。地域を新しい価値観で見直すことを提唱したものである。その後全国各地で誕生した同種のリトル・マガジンのお手本となった。


現在、その谷根千の地域内にある簡易宿泊施設「ゲストハウス」を多くの外国人旅行者が訪れているらしい。彼等はそこで、昔ながらの日本に直に触れられることに魅力を感じているということだ。
また、私も学生時代には足を運んだことのある、かなり怪しい感じがした新宿のゴールデン街に立ち並ぶ狭苦しいカウンターの飲み屋が、外国人旅行者の間では大人気なのだという。こういった飲み屋街は海外にはないらしく、非常に日本的なものに感じるらしい。


これらは東日本大震災後の、観光地としての再出発を迎える野蒜・奥松島地域の町作りにとって、非常に参考になる事例であるとも思われる。

とにかく、こざっぱりしていた方が良いとは思うのだけれども、不必要によそ行きの装いをしたモダンな町にすることはせず、その地域の歴史、風土、土地柄といったものを活かしていくことにより多くの力を注ぐべきだと思う。

キー・ポイントは、そこに住む人たちが普通に生活を営んでいる風景があることだと思われる。商店の前でお年寄りの方たちが立ち話をしていたり、田んぼで稲作の作業をしていたり、浜で漁業の網の修理をしていたり・・・・と。そういったコンセプトで町を再出発させていった方がよいのだろう。

そして、外国人に話しかけられたりしても逃げずに、フレンドリーな対応することだと思う。
更に加えるならば、独りよがりにならないよう、外部のプロの知見を取り込むことも肝心なことだと思われる。やはり「餅は餅屋」なのだろうから。




JR上野駅を挟んで西側が「谷根千」地域、東側が浅草方面に向かう地域です。今回の大震災後、チームを率いて多大なる支援活動をして下さっている阿倍明徳宮司さんの下谷神社がある辺りです。

私が学生の頃は、東北新幹線がまだ開業しておらず、帰省は東北本線を使っていました。発着駅が上野でしたので、待ち時間を利用して、アメ横や駅周辺をぶらついたりしたものでした。グラシェラ・スサ−ナのカセットテープを買ったのも駅前のデパートでした。そういったこともあって上野には特別な愛着があります。現在、その地域の氏神・下谷神社さんから、しかも「阿部」姓の宮司さんから御支援を戴いているということに、何か深い神縁のようなものを感じてなりません。




[374]  ●東日本大震災時の神社“御神体”のリレーの話   Name:道開き   Date:2021/02/06 (土) 11:16
震災からまる十年になりますので、当時の事を記したいと思います。


●東日本大震災直後の白鬚神社

大津波襲来から10日ほどが過ぎ、海水も引き、規制も解かれたので、どうにか歩いて鳴瀬川河口の白鬚神社まで行くことができました。津波の高さが10メートルにまで及んだ地域なので、社殿は流失して何も無くなっているに違いないとは思いながらも、一縷の望みは持ち続けていました。しかし、その望みはすぐに現実を前に打ち砕かれてしまいました。

暫くの間、社殿の建っていた場所に呆然と立ち尽くしていましたところ、ふと、ガレキと化した社殿の残骸の下にある、見覚えのある緑の錦(にしき)の布が目に止まりました。それは神社の「御神体」が収まっていた箱を覆っていたものでした。毎年、春と秋の例大祭前日と、お正月を迎えるための年末の大掃除の日に限って、神社の御本殿の中にまで入って清掃をしていたので記憶がありました。

ガレキの中をくぐり抜け、その場所まで行って確認したところ、「御神体」は無事に箱の中に収まっていました。おそらくは、神社の建物全体が津波によって後ろの白鬚山に押しつけられ続けたから流失しなかったのでしょう。白鬚山は、丁度、人が両腕を広げて受け入れるような形状をしていましたので。更には、神社の前には鳴瀬川の河川堤防がありましたので、津波の引き波で海まで持って行かれることもなく、境内地に留まり続けることができたようでした。他の境内末社の「御神体」の無事も確認できました。当日は一人でどうすることもできなかったので、無事を確認しただけで避難先の名取市の姉の家に戻りました。

翌日の事、どういう訳か胸騒ぎがして仕方なく、居ても立ってもいられなくなりました。車を借りて神社まで来て見たところ、「御神体」のあった辺りのガレキがどういった訳か撤去されていて、そのすぐ側に一台の重機が横付けされていました。慌てて「御神体」を探したところ、収まっていた箱は壊されてしまっていましたが、「御神体」そのものは無事でした。どうやら、津波で傷んだ堤防を補修するための重機らしく、国土交通省の河川局で用意したもののようでした。取り急ぎ各「御神体」を車に積み込み、津波被害は受けていたものの比較的無事だった宮司宅の神殿にお遷し致しました。又、被災地では携帯が使用できない状態になっていましたので、姉の家に戻ってからすぐに県の神社庁に連絡を入れて事態の詳細を説明し、被災神社に重機などが入らないように手配してくれるようにと御願いしました。



●他の神社の被災状況

山神社、針生稲荷神社の本殿は流出せずにその地に留まっていましたが、御神体が見つからずにおりました。その状況から見て、近くに住んでいた氏子のいずれかの方かが戻って来て、一時的に何処かに保管して下さっているようにも思われました。しかし、氏子の方たちとは全く連絡が取れずにいました。

海津見神社の御神体は、神社の裏に住む氏子の方が保管して下さっていて、この目で確認することができました。大きな毘沙門天像なので運び出すことが出来ず、そのまま預かっていてもらいましたが、後日、多賀城市にある東北歴史資料博物館の文化財レスキュー隊が来て、博物館まで運んで下さいました。

昨日(4月12日)、父の持病の薬をもらいに掛かりつけの真壁病院まで足を運んだ際に、壊滅的な被害を受けた新町地区の氏子Aさんから声をかけられました。

「 山神社の隣に住んでいたT屋さんから、山の神様(木之花咲耶姫命〈このはなのさくやひめのみこと〉)の御神体を、比較的、津波の被害が少なかった中下地区に住む親戚のOさんに預けていると聞いていたが、今、待合室にそのOさんがいるので会って欲しい」ということでした。

Aさんは現在、車で30分ほど離れた場所に集団避難しているということでした。

「本当だったらこの病院に来ることもなかったのだが、この為に呼ばれたのだな〜」と語っておられました。この様な惨憺たる状況下でも信仰の灯は消すことなく、点し続けておられるようでした。

詳細を伺った後、そのままOさん宅に向かい、T屋さんからリレーされた御神体を受け取り、宮司宅神殿にお遷しすることができました。


[372]  ●運 勢  2021   Name:道開き   Date:2021/01/01 (金) 09:30
今年の立春は、2月4日の00:06頃が「節入り」となります。
旧暦の「節切り」(二十四節気の)では、この日が一年の始めとされ、“年変わりの節気”と呼ばれています。 立春は雑節の基準日でもあり、八十八夜、土用、二百十日などは立春から起算されます。
“運勢学”上の「九星」も、この時刻を境に【運勢盤】上を遁甲(とんこう・・移動)します。つまり、「年回り」が変わります。

今年は《六白金星》の年なので、今回も又、「干支・九星術」で《六白金星》年生まれの方の月ごとの特徴を少しばかり挙げてみます。


●《六白金星》年「五黄土星・寅(とら)」月生まれの女性
〔今年は、2月4日の00:06〜3月5日の17:50までに生まれる女性)

・外見的に四つのタイプに分けてみます
【Aタイプ】松下奈緒、坂井泉水、小川彩佳(女子アナ)
【Bタイプ】デヴィ夫人、山本モナ(女子アナ)、藤本美貴
【Cタイプ】堀ちえみ、川島海荷、岸谷(奥居)香、JUJU
【Dタイプ】かとうかずこ、松原千明、高山一実
・・・・といった方たちがいます。

・従順ではあるが、プライドが高く融通性のない潔癖な人が多いようである。
・向上心は強く、物事を頼まれると綿密に責任を持ってやるので信頼度は高い。
・教育者、看護師、保母などには向いている。
・経済面の関心はやや低いきらいはあるが、交際は如才なくやる。
・警戒心が強く、簡単に人を信用しない面を持っている。
・自分のペースで物事を進めやすい面がある為、人に嫌われたり失敗することがあるので注意した方が良い。
・家庭の主婦ともなれば、計画性を持って上手に家計をやりくりし、家庭内の雰囲気も上手に作り上げていく。



●《六白金星》年「三碧木星・辰(たつ)」月生まれの女性
〔今年は、4月4日の22:35〜5月5日の15:37までに生まれる女性)

・桜田淳子、坪内ミキ子、萬田久子、酒井和歌子、木村佳乃、朝日奈央、小宮悦子(女子アナ)、坂下千里子、中川翔子、倉沢淳美、加藤綾子(女子アナ)・・・・といった方たちがいます。

・明朗活発で男勝りの強い気性を持っている人が多く、物事に対して一途に歩む心が強いのでちょっとの間違いも許せない潔癖症を持っている。
・自分の尺度に合わないと理屈っぽくなり、感情をそのまま現すので気難しい人に見られやすいが、人に頼まれると正義感を持って世話をするので頼れる人にも見られる。
・物事器用にやり遂げるので上司の受けもよく信用度も高い反面、熱しやすく冷めやすい所もあり、恋愛には盲目的になることがあるので注意が必要です。
・家庭の主婦ともなれば夫に尽くし、家庭第一主義を考え、蓄財にも努めて、良き妻女ぶりを発揮する。



●《六白金星》年「一白水星・午(うま)」月生まれの男性
〔今年は、6月5日の19:41〜7月7日の05:48までに生まれる男性)

・外見的に二つのタイプに分けてみます
【Aタイプ】辰巳琢郎、張本勲(野球)、崔洋一(映画)、門田隆将(ジャーナリストor作家de委員会)
【Bタイプ】山本圭、中村中、大谷翔平(野球)
・・・・といった方たちがいます。

・正義感に満ち、人情にもろい性格を持った人である。
・派手な行動をするが、家にいるときは口やかましく神経質な人と、不平不満を常に持っていて、泣き言や小言の多い人とがいる。
・一つの事に熱中しやすいが飽きやすく、新しいものを次々と追っていく粘りのない面を持つ人、常に苦労を背に負っているように見える人もいる。
・口達者な方ではあるが実行力が伴わないところも見られる。
・家庭を大切にする愛妻家の人が多い。



●《六白金星》年「一白水星・午(うま)」月生まれの女性
〔今年は、6月5日の19:41〜7月7日の05:48までに生まれる女性)

・浅丘ルリ子、中原理恵、井川遥、とよた真帆、渡辺真理(女子アナ)、大林素子(バレーボール)、南野陽子、相武紗季、加藤ローサ
・・・・といった方たちがいます。

・自己本位で取り越し苦労性の人で、秘密の持てない性でもあり、何でも話してしまって後で悔やんだりするところがある。
・明朗で威勢のよいのが取り得で、人の世話や面倒もよくみる。
・気の小さいところがあるため、いろいろ気を使いすぎる気苦労する面があり、また気が早く、人の話を途中で自分勝手に解釈するそそっかしい面もある。
・家庭の主婦ともなれば、夫をリードし、家庭を大事にしてやりくりも上手にやってのける人です。



●《六白金星》年「九紫火星・未(ひつじ)」月生まれの男性
〔今年は、7月7日の05:48〜8月7日の15:38までに生まれる男性)

・丹波哲郎、勝野洋、原辰徳(野球)、沢村一樹、スガシカオ、松本隆、布施博、間寛平、中山秀征
・・・・といった方たちがいます。

・見識高く好き嫌いが激しい上に、気の強い面と弱い面の二面がある。
・思慮深く計画を立てる能力を持っているが行動が伴わない場合も多く見られる。
・良い協力者を得ることが大切で、これに恵まれる時は計画も実行され成功するが、恵まれない時は不成功に終わる。
・人の意見を聞き入れることが少ないことがこの人の欠点となるので、この点が反省され改められれば事の成就をみることが出来る。
・思考力には富んでおり、人とのつき合いがよくなり、目標に向かっての努力が着実になれば、多少の苦労はあるが成功できる人である。
・独自のセンスを生かしていく工夫をするとよい。



●《六白金星》年「九紫火星・未(ひつじ)」月生まれの女性
〔今年は、7月7日の05:48〜8月7日の15:38までに生まれる女性)

・沢田雅美、土田早苗、百田夏菜子(モモクロ)、本田美奈子、家田荘子(作家)、江川紹子(ジャーナリスト)
・・・・といった方たちがいます。

・美的感覚に優れ派手好みで気位の高い人が多く、頑固な面も見られる。
・他人の身なりや持ち物を批判したり批評する反面、自分のことに対してとやかく言われると腹を立て、勝手な振る舞いをするところがある。
・おだてに乗るところがあって、頼まれると何でも引き受けてやる面もあるので人に好かれやすい。
・家庭の主婦ともなると、恵まれた家庭を築くことに努力していくが、親馬鹿とみられるほどの子煩悩な面も持っている。



●《六白金星》年「七赤金星・酉(とり)」月生まれの女性
〔今年は、9月7日の18:45〜10月8日の10:36までに生まれる女性)

・外見的に二つのタイプに分けてみます
【Aタイプ】欧陽菲菲、二階堂ふみ、田中美奈子
【Bタイプ】上戸彩、一青窈、後藤真希、青田典子
・・・・といった方たちがいます。

・純情なところがあるが、うぬぼれ強く、計算高い面もあって、チヤッカリ屋でもある。
・自分本位の考え方で事を運ばないと気が済まないところがあるが、交際は上手で親切心もある。
・如才なく積極的に動くのでこの人の周囲に人が集まり、中心になって話をすすめる。
・情感に優れ、恋愛も何度かするが、家庭の主婦ともなれば家庭を大切にし、夫に貞淑な人です。



●《六白金星》年「六白金星・戌(いぬ)」月生まれの女性
〔今年は、10月8日の10:36〜11月7日の13:57までに生まれる女性)

【Aタイプ】森昌子、益若つばさ、小林明子
【Bタイプ】神津カンナ
・・・・といった方たちがいます。

・外見的には、頬のふっくらした人が多いように見受けられます。
・温和で正直で愛嬌はあるが、多少気苦労する。
・人から頼まれると慎重にやってのけるので信用度が高く、仕事もきちんとやる。
・自分に有利な解釈をするチャッカリ屋でもある。
・商売上のかけ引きは上手にやるし、蓄財にも努力する。
・楽しいことに好奇心も強く、金銭面にも恵まれているので、家庭人となれば家庭を大切にし、財産つくりに努めます。



●《六白金星》年「五黄土星・亥(い)」月生まれの男性
〔今年は、11月7日の13:57〜12月7日の06:56までに生まれる男性)

・勝新太郎、松崎しげる、小室哲哉・・・・といった方たちがいます。

・曲がったことが嫌いで向っ気が強く、常に正義感に燃える実行型の人が多い。
・気の優しい面もあり、目下の者の面倒は見るが、目上の人には反抗するところがある。
・家族の面倒はよくみるが、周囲の人を自分の意のままにリードしないと満足しないタイプです。
・働くけれども金使いも荒い方であるので、にぎり屋を妻女にすると蓄財もできる。



●《六白金星》年「五黄土星・亥(い)」月生まれの女性
〔今年は、11月7日の13:57〜12月7日の06:56までに生まれる女性)

・外見的に三つのタイプに分けてみます。
【Aタイプ】宮崎あおい、原田知世、安藤優子(キャスター)、蓮舫、岩崎ひろみ(女優)
【Bタイプ】香川京子、杉浦圭子(NHK女子アナ)、満島ひかり
【Cタイプ】岩崎宏美(歌手)、観月ありさ
・・・・といった方たちです。

・勝ち気で剛情で、自尊心も高く、男まさりのところを持った人です。
・曲がったことは大嫌いな反骨精神を持っているが、情にはもろい面を持っている。
・金銭面では中々の締まり屋で、働くことは嫌がらず忠実に仕事をする。
・家庭の主婦となれば夫に貞淑に仕え、家庭を大事にして家計のやりくりを上手にする。



●《六白金星》年「四禄木星・子(ね)」月生まれの女性
〔今年は、12月7日の06:56〜来年1月5日の18:12までに生まれる女性)

・外見的に三つのタイプに分けてみます。
【Aタイプ】岩下志麻、樋口可南子、原田美枝子、音無美紀子、宮崎美子、山本潤子
【Bタイプ】貫地谷しほり、有森也実、辺見エミリ、瀬戸朝香、高見恭子
【Cタイプ】小雪、家入レオ
・・・・といった方たちがいます。

・負けず嫌いであるが如才なく交際は上手にやるが、短気なところがある。
・几帳面で忠実に仕事に励むので可愛がられ重宝がられる。
・人の好き嫌いがあり、自分の好きな人の頼み事はこころよく引き受けて世話事もよくやるが、干渉されたりそしられたりすると逆上することもある。中には気難しい人もいる。
・家庭の主婦ともなればマメに働き、家庭を大事にし、蓄財にも努めます。



●《六白金星》年「三碧木星・丑(うし)」月生まれの男性
〔来年1月5日の18:12〜2月4日の05:56までに生まれる男性)

・外見的に二つのタイプに分けてみます。
【Aタイプ】三國連太郎、佐々木蔵之介、松岡昌宏、中田英寿(サッカー)、香取慎吾、京本政樹
【Bタイプ】太川陽介、劇団ひとり、吉田鋼太郎、山崎育三郎、山本譲二、雨上がり蛍原
・・・・といった方たちがいます。

・楽天的で純情な面があり、お世辞や体裁を飾るのは嫌いなタイプで、冗談は苦手である。
・世間話でも真っ正直に聞く方であるが、反面野心家で自尊心高く、金儲けのためなら骨身を惜しまずに働くところがある。
・人に頭を下げるのが嫌いな面があり、物事自己本位にやりたがるところがある。
・粘り強さはあるが、家庭的に恵まれないところも見られるので、よい協力者を得ることが大事です。



●《六白金星》年「三碧木星・丑(うし)」月生まれの女性
〔来年1月5日の18:12〜2月4日の05:56までに生まれる女性)

・外見的に三つのタイプに分けてみます。
【Aタイプ】ジュディ・オング、柴田理恵、CHARA
【Bタイプ】山下久美子、土屋太鳳、イモト・アヤコ、
【Cタイプ】山口百恵、松居直美、長山洋子、江口ともみ、石原詢子、池上季実子
・・・・といった方たちがいます。

・外見的には、艶のある黒髪の方が多いように思われます。
・従順で素直さがあり、如才なく人つき合いするが、真っ正直な為に相手の本心がつかめず、要領の良い人に欺されやすいところがある。
・意志の弱い面がみられるが、やるべき自分の仕事に対しては熱心に励むしっかり所もみられる。
・人の好き嫌いもあるが上手に世渡りしていく人である。
・冗談は苦手な方で理屈っぽいが、家庭の主婦ともなれば家族を大切にし、夫に忠実に仕え、幸せな家庭を築きます。




[366]  ●トランプ&バイデン〈 米国大統領選 〉   Name:道開き   Date:2020/11/06 (金) 10:57
両候補者を九星・干支術で観てみました。


■トランプ(1946.6.14生)

●《九紫火星》年「一白水星・午(うま)」月生まれの男性

・明石家さんま、野々村真、阿部寛、GACKT、伊東四朗、浅井慎平(写真家)、西川きよし、具志堅用高、鈴木ヒロミツ
・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・一見優しそうに見える上品な紳士のタイプといった人が多い。
・プライドは高く、勉強家でもあるが、交際は上手で派手に振る舞うところがある。
・デリケートな心の動きを示すが、割と苦労性な一面があるために自己反省をして努力する。
・情にもろいところがあるので相手の弱点を突くことはしない。
・金銭面に執着するところがあるので貯蓄に努め、家庭にあってもお金を大切にする人です。




■バイデン(1942.11.20生)

●《四緑木星》年「八白土星・亥(い)」月生まれの男性

・鶴田浩二、平幹二郎、長瀬智也、宍戸錠、高良健吾、松任谷正隆、大地康雄、堀内健(ネプチューン)、勝谷誠彦(ジャーナリスト)
・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・誠実さと冷静さを持ち、大胆な面も持ち、個性的な性格を持った人である。
・変わったセンスを持っているので変わった人とみられがちであるが、好奇心と冒険心もあるので独特のアイデアを表現する。
・この人は勤め人には向かないので事業家として成功する。
・負けず嫌いで欲張りの所があるが、良い協力者を得れば、反発しながらも協力者の意見を取り入れる仁徳も持ち合わせている。
・短気で口べたであるため、直言的に物事を言うところがあるので損なところもみられる。
・ワンマン亭主であるので子どもからは好かれないが、慈愛のある妻の協力があれば成功する。




[365]  「お知らせ」   Name:道開き   Date:2020/10/01 (木) 11:13
拙著『暦の成り立ち』における訂正箇所のお知らせになります。校正時に訂正されなかったようです。


 P67  
◆還暦  3行目

「華甲」(この二字は六十一という字画から成り立つ)

           ↓

「華甲」(「華」の字が、六つの十≠ニ一≠ノ分解でき、「甲」は、干支の最初の甲子≠指す)



 P87
・臘日  5行目

十二月八日の臘日(ろうじつ)は年中行事の一つであって、

           ↓

十二月八日の臘八節(ろうはちせつ)〈臘八会(え)、臘八(ろうはち)〉は年中行事の一つであ              って、


[363]  過去ログA   Name:道開き   Date:2020/09/22 (火) 17:30
[125] ●「名言、名場面、名ゼリフ」 Name:道開き Date:2011/12/06(火) 10:10 

自分の場合、本を読んだり、映画を観たり、流行歌を聴いたりする目的のかなりの部分が、人生の後押しをしてくれる「こ・と・ば」と出会うことにあるとも言えそうです。今回の津波によって失った物の中で、最も惜しまれる物の一つに、ここ20年間に渡って拾い集めてきた「言葉のノート」があります。残念です。

「溝(みぞ)をば ずんと跳(と)べ  危うしと思はば 嵌(はま)るぞ」

記憶のノートには残ったままの、この言葉に出会ったのは高校時代の頃で、ちょっとした「名言集」に載っていました。物事の本質を単純明快に言い表しているのが印象的で、今日に至るまで数多くの導きを授けてもらっているように思われます。
大根の漬物の名として知られる、江戸時代初期の禅僧・沢庵(たくあん)の著書『不動智神妙録』の中の言葉です。禅師は、吉川英治の小説『宮本武蔵』の中では、剣豪・武蔵を導く心の師として登場しています。

最近、「海外メディアが今回の東日本大震災をどのように報じたか」を記した本を読む機会を得ました。非常に興味深いものがありました。
津波の2、3日後には、我が家の直ぐ側の野蒜小学校に、海外メディアのテレビ・クルーが大勢やってきていて、町内会の皆さんが一丸となって多岐だしする様を撮影していたのには大変驚かされました。

当時、アメリカのテレビでは、黒澤明監督の映画『七人の侍』のシーンが流され、一丸となって、冷静に、毅然とした姿で、困難に立ち向かう日本人の精神文化が解析されて報じられたそうです。

「離れ家は三つ、部落の家は二十だ・・・・・又、この部落を踏みにじられて離れ家の生きる道はない。いいか、戦とはそういうものだ。人を守ってこそ自分も守れる。己のことばかり考えるやつは己をも滅ぼすやつだ」

他にも、

「良い城にはきっと隙が一つある。その隙に敵を集めて勝負する。守るだけでは城はもたない」

「子どもは大人より働くぞ・・・もっともそれは、大人扱いしてやればの話だがな」

「いいか、敵は怖い。誰だって怖い・・・しかしな、向こうだってこっちが怖い」

「攻める時も 退く時も走る。 戦に出て走れなくなった時は死ぬ時だ」

以上が、映画『七人の侍』の中でも特に印象に残っているセリフになります。名画というのは、名セリフ、名シーンの積み重ねによって成り立っているようにも思われますが、『七人の侍』は、まさにその宝庫であるとも言えそうです。

「シェーン!・・・カムバック!」と叫ぶ少年の声が、ワイオミングの遙かなる山々に響き渡るラストシーンが余りにも有名な西部劇が『シェーン』です。映画の最大の山場とも言える、ガンマン・シェーンとシャイアンから招かれた殺し屋ウィルソンとの決闘シーンが印象に残ります。“プロ”同士の対決とはこういったものなのか。命をやり取りするに当たっても、表面的には実に平静であり、一転、水面下では、ありとあらゆる駆け引きが行われている。二人が交わす言葉、所作の一つ一つのせめぎ合いにぞくぞくさせられます。言葉のやり取りがそのまま命のやり取りになっているといった構成です。

もう一つ好きなのが、映画『マイ・フェア・レディ』の休憩に入る直前の第一幕の終わりのシーンです。イライザ(オードリー・ヘップバーンが演じる)が競馬場での失態を嘆く場面から、一瞬にして、舞踏会に向かうシーンに切り替わります。
これから出向く舞踏会に、どれほどの困難が待ち受けているのかは十分過ぎるほどに予想されながらも、その凜(りん)とした様、その覚悟のほど、内に秘めた自信 (失敗後の特訓のシーンが全く描かれていないにもかかわらず、それら一切を無言で現してしまっている演出の凄さ) といったものが、映画『シェーン』の決闘シーンと非常に重なるものがあるのです。前述した沢庵禅師の言葉とも重なります。

『マイ・フェア・レディ』は、ブロードウェイでロングラン上演を重ねた舞台劇の映画化ですから、ストーリー展開が洗練され尽くされていて、全く隙がありません。この点においても、まるで決闘を見ているかのような気持ちにさせられるのでしょう。

方や邦画の時代劇、方や洋画の西部劇、ミュージカルといった、全く異なるジャンルの映画のこれらの名シーンは、何十回見ても飽きないし、見る度にパワーをもらえるのです。有り難いものです。


[362]  過去ログ@   Name:道開き   Date:2020/08/27 (木) 13:00
[124] ●「人生の意味」 Name:道開き Date:2011/11/22(火) 13:33 

大震災から8ヶ月が過ぎ、被災地では自殺や精神疾患に苦しむ人が急増しています。
家や家族を失い、仕事も失って、先の見通しが立たず、「人生に意味」を見出せなくなっている人たちが増えているのです。

以下に、十年ほど前にベストセラーとなった養老孟司著『バカの壁』の中に記載されていた、「人生の意味」に関する記述を抜粋して取りあげてみます。

◆◆◆
(国家、地域社会、会社、家族などの)共同体がバラバラであることそのものが自由の表れであるかのような風潮に対し、一つのヒントとなる考え方がある。それは「人生には意味がある」という考え方だ。

アウシュビッツの強制収容所に収容されていた経験を持つV・E・フランクルという心理学者がいます (収容所での体験を書いた『夜と霧』や、『意味への意志』『〈生きる意味〉を求めて』など、多数の著作を残している) 。

彼は、一貫して「人生の意味」について論じました。そして、「意味は外部にある」と言っています。「自己実現」などといいますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しません。つまり、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる、ということです。とすれば、日常生活において、意味を見いだせる場はまさに共同体でしかない。

フランクル自身も、強制収容所といういつ殺されるかもわからない状況下で、「生きるとはどういうことか」という意味について考え、「他人が人生の意味を考える手伝いをする」ことに行き着いたという。

フランクルが七〇年代にウィーンの大学で教鞭を執っていた際、ヨーロッパの学生たちが「人生は無意味だ」と考えていたのは25パーセントだったのに対し、アメリカからの留学生の60パーセントが「無意味だ」と考えていた。特にアメリカ型の思考を持つ人にこういう考え方が多いことがわかった。さらに当時の統計で、若い麻薬患者の100パーセントが「人生は無意味だ」と考えていた。

人生の意味を考えることはそう簡単なことではないかもしれません。なかなか答えが出るわけではなく、正解が用意されているわけでもない。「人生は無意味だ」と割り切った方が、当世的で楽にも思えます。しかし、それを真面目に考えないことが、共同体はもちろんのこと、結局のところ自分自身の不幸を招いている。
◆◆◆

自殺者が増えているということは、突き詰めれば「人生に意味を見出せなくなっている」人が増えていることに他なりません。昨日、待ちに待った3次補正予算案がようやく国会を通過したようです。国会議員の皆様方には、もっとスピード感を持って、他人事ではなく自分たちの事として(同じ共同体を構成する者として)、被災地の「共同体の再生」に取り組んでもらいたいものです。

[361]  ●“口寄せ”神事   Name:道開き   Date:2020/08/23 (日) 12:54
◆不可思議なお祓いの始まり・        〈H19年7月〜H20年3月〉            

かなり摩訶不思議な内容の話になります。『現代版 耳なし芳一』とでも言ったらいいのか、私自身が社会的信用を失ってしまいそうな、訳の解らない絵空事を書き並べていると揶揄されそうな内容であることは十分に承知した上で、敢えて書き記すことに致しました。

昨年の夏から秋にかけて、二人の不思議な若い女性が、当白鬚神社を何度か訪ねて来られました。

先ずはHさんですが、県内の某有名大社からの紹介を受けていらっしゃいました。彼女のお話では、友人でもある女性霊能者のTさんから「あまり善くない霊が憑いているので、どこかでお祓いしてもらった方がよい」と言われたので、お祓いを受けに来たということでした。


●たまたま受付をしている時に、「例えば、こうして指をさして“トホカミエミタメ”と祓詞を唱えただけでも・・・」といった説明をしていたところ、突然、Hさんが神憑り状態になり、彼女に憑いていた霊が自らの思いを語り出しました。おそらくは、私の指先から憑依している霊に“神気”が放射されてしまったことにより起こった憑霊現象だったのでしょう。

「自分は子どもを残したまま自殺してしまった女である」「回りから愛されているこの女が羨ましい。家庭内をメチャクチャにしてやろうと考えている」「残してきた子どもたちのことが心配でならない・・・・」

当方としましては即座に、その迷える霊に対して考えの誤りを正し、「いつまでもこの世に留まって居ないで神さまの元へと向かわなければいけません。あの世でしっかりと修行して、再びこの世に生まれ返ってくるようにしなさい」と諭し聞かせた後、「白鬚神社の大神たち、この障りの一切を正しき方へと導き給え」と唱えて、そっとあの世へと送り導いてやりました。

そのHさんは、かなりの“霊媒体質”の方らしく、その後、幾度となく同様のことを繰り返すこととなりました。後に解ったことなのですが、前世では“口寄せ”の仕事をなさっていた方のようでした。


●その数日後、霊能者のTさんもご一緒に神社を訪ねて来られて、お祓いを行う際の様子を見てみたいということで共に参列されました。ご祈祷後のTさんのお話では、「亀廼井さんを、普段、二人の行者さんの様なお姿の方たちが守護して居られるようなのですが、ご祈祷を始めようとして装束(狩衣)を身に着けられた途端に、神社の殿内が、数え切れない程のそういった装束姿の方たちでいっぱいになりました。これまでに経験したことのない光景でした」ということでした。

そのTさんは、現在“時の人”となられて、テレビで活躍中の“スピリッチャル・カウンセラー”江原さんのことをひたすら尊敬されておられるということでした。私が、10年程前に江原さんと偶々お会いする機会を得て、二人きりでお話をしたことがあり、私の守護霊の行者さんからのメッセージを伝えてもらった事をお話したところ、とても驚かれていました。

その後、この様な神事を幾度となく繰り返すこととなりましたが、Hさんの“憑き物”のお祓いを行う際には、Tさんの存在とその霊能はとても有用で、非常に助かりました。と言うのも、迷える霊たちは、とにかく自分の思いを聞いてもらいたがるのです。どういった亡くなり方をして、今どのような気持ちでいるのかといったことを聞き出すのには、どうしても時間がかかってしまいます。ですから、Tさんが瞬時に霊の思いや、亡くなったときの状況を感じ取ってこちらに伝えてくれると、非常に時間的に早められるのです。Tさんには、その時の状況が霊眼に見え、空襲でなくなった人の場合などには、爆撃音や逃げ惑う人たちの叫び声といったものも聞こえ、家を焼く猛火の熱さまで感じられるそうです。


さらに、この時から二年ほど経過してから知ったことなのですが、Tさんは以前から霊の姿が見えたり、霊の語る言葉が聞こえたりしていたのではなく、何となく感じ取れる程度だったということでした。この日にHさんと初めて白鬚神社に来て、境内で私が来るのを待っていた際に、車でやってきた私が駐車場に車を止めて降りる姿を見て、「何で三人で来たのだろう?」と、私の周りにいた二人の守護霊の行者さんの姿まで見えたのが総ての始まりだったということでした。神社という空間そのものに、霊感を覚醒させる何らかの力があるということなのでしょう。


●Tさんが「今、リストラにあって苦しんでいる時に交通事故で亡くなった方がHさんに憑いています。その男性には、奥さんと高校生の娘さんがいて、二人の今後について心配しているようです。娘さんはお父さんのことが大好きでした」と話されると、Hさんは別人格となり、顔つきも男性に変わり、そういった内容のことを話し始めます。それを私の方で諭して、あの世へと送り導いてやります。

「次は、受験を苦にして自殺した少年が入りました」というと、同様の事が起き、またまたあの世へと導いてやるといった事を繰り返しました。彼は、親から「勉強しろ、勉強しろ」とうるさく言われ続け、二浪してもう後がないと自分を追い込んで、思い詰めてしまったことにより死を選択したようでした。


★お迎えの霊たち

迷える霊が、あの世へと向かう気持ちになってくると、必ずといってよいほどに、あの世から使わされたお迎えの霊が姿を現します。懐かしい先祖の方たちだったり、親しかった友人だったり、可愛がっていた動物だったり・・・
神さまが、霊たちが恐れないようにと、そういった取り計らいをして下さっている様なのです。
彼の場合、只一人自分を理解して可愛がってくれたお婆ちゃんが迎えに来たようでした。彼は、祖母の霊に泣きすがりながら、あの世へと赴いて行ったとのことでした。


●「隣村同士の、百姓の土地争いで亡くなった霊が入りました。この霊は一方のリーダーだった人のようです」とTさんが話された時も、Hさんの口からは「自分は、鍬で片腕を傷つけられ、首に縄をまかれて、馬で田畑を引きずり回されて死んだ者だ」と、亡くなった時の状況が語られました。

この霊は、大部以前からHさんの母親に憑いていたその土地の因縁霊らしく、三ヶ月ほど前にHさんの実家にお祓いに伺った際にはあの世へとは向かわずに、今回、お祓いに同席したお母さんに憑いたままの状態で神社までやって来て、自らの身の上話を聞いてもらいたかった様なのです。お母さんは、7年ほど前から首と左腕に痛みを覚え、何ヶ所かの病院回りをしてきましたが、どの医者からも「何の異常もない、気のせいだ」と言われ続けてきたということでした。

当方からは「相手側だって生きる為だったのだから、決して恨んではいけない。あなたは、態度も、語り口も、立派な人格を備えている方のように見受けられるから、今はそういった時代ではないので、神さまの元でさらに学んで、生まれ変わって、世の中の為に尽くしてください」と申し上げますと、その霊は「この女の人(Hさんのお母さん)の優しさに甘えてしまい、誠に申し訳ないことをしてしまった」と語り、丁寧に深々とお辞儀をしました。
やがて、昔飼っていた愛犬の霊が迎えに来ている姿が見えるようになったらしく、その犬の霊が彼の腕にじゃれつき、やがて、一緒にあの世へと向かって行く姿がTさんの霊眼には見えていたということでした。

もう一つ、この霊について非常に印象に残ったことがあります。それは、生前の名前を問うた際に、その霊が「アベ・シンゾウ」と答えたことでした。第一次安倍内閣が成立して、何ヶ月か過ぎたばかりの頃のことでした。

キツネ憑きなどではよく、歴史上の人物モドキの名を名乗ったりすることは知っていました。例えば、徳川家康左右衛門だとか、豊臣信長だとかいった様に。実際に私が応対した霊狐などは「自分は白笹(しらざさ)大明神である」と、神名を名乗っていました。一瞬、「こいつはキツネか?」とも考えましたが、態度は非常に立派で、元人間であることは間違いないと思われる振る舞いでした。当時の私には、何度かの狐憑きのお祓いをした経験があり、霊狐には繊細な人間の情みたいなものが感じられず、まるでアニメのキャラクタ−の様な話し方をしてくるので、人間でないということがすぐに解りましたので。

つまり、憑依霊というのは、憑いている人がテレビで観たり聴いたりしている知識を、ある程度までは共有できているのだということが分かりました。ただただ亡くなった当時の思いを抱いたまま、藻掻き苦しんでいるだけではないのだと。こういったお祓いをすると、私もいろいろと学ばせられます。


●Tさんが「首のない甲冑姿の武者が入りました。この辺で亡くなられた方のようです」と話すと、Hさんの口からは「どこに行けば、わしの首が見つかるのか」と語られました。私の方からは「あの世へと向かいなさい。ちゃんと首が見つかるから」と諭しましたところ、その霊は実に素直に御礼を言い、あの世へと向かって行きました。
(リストラに合って悩んでいる内に交通事故で亡くなった霊に対して、「会社に首を切られたのですね・・・・・」といった話をした直後のお祓いだったので、その「首を切られた」という言葉に感応してやって来た霊のようでした)

その日は、続けざまに6体の霊をあの世へと導くことになりました。
Hさんは、女の霊が憑くと女性の表情で語り、男の霊が入ると男性の表情、口調で語り始めます。子どもの霊が入ると、子どもの仕草をしながら語ります。

言うことを聞かずに大暴れする霊には、仕方なくある言霊を用いたお祓いで、しっかりと一撃を加えてから言うことを聞かせるようにしました。その様にすると素直になってこちらの諭しを聞き入れ、あの世へと向かって行くのでした。


●さらに、何度かHさんのお祓いを繰り返している内に、見えない世界では、白鬚神社で話を聞いてもらい、あの世へ送ってもらいたいという霊が大勢になり、Hさんの周りには更に不幸な霊たちが集まり続けました。Tさんからは「これではHさんの身がもたない。どうしたらいいものでしょうか」という連絡を受けました。

Tさんから連絡が入り、「昨夜、白鬚神社の神さまのお使いだと語られる、頭に葉の冠を差し、十二単の様なお召し物と赤い袴(はかま)を身に着けられた、巫女さんのような姿の女神さまが現れ、Hさんをこのようにして守ってあげ、迷える霊たちもまとめて私が神社に連れて行ってさしあげるから安心しなさい」というお告げがあったということでした。

そして、Tさんが、Hさんと共に神社に来てみると、その時の女神さまが拝殿の中で待っておられ、二人を出迎えてくださったということでした。当方としましては、その日も、いつもと同様にご祈祷を行い、多くの霊たちを神さまの元へと送ってやるだけでした。

その日、私が祝詞を奏上している際には、本殿の方から、おしりを出し、背中に翼をつけた天使たちが大勢あらわれて、Hさんの周囲を飛び回る姿が見えたそうです。
(私は神主なので、神社の本殿からエンジェルが飛んできたというお話は、何とも複雑な心境で聞いていましたが)後になって考えてみると、この頃がHさん懐妊された時期だったのかもしれません。

更に、迷える霊たちの間で話が広まり続けたようで、Hさんの回りにはさらに大勢の霊たちがつめかけました。その際にも、白鬚神社からのお使いの神さまたちが、大勢の霊たちを雲のような乗り物にのせて連れてきたとのことでした。


●ある日の夕刻には、いつものようにHさんに対してお祓いを行っていると、ハッキリとした記憶はないのですかが、30〜40体の霊が次々とHさんの体に入って語り出しました。当方としては、短期間の内に、次々に霊たちを諭し、あの世へと導き送ってやりましたが、正直なところ、ほとほと疲れ果ててしまいました。

やがて、Hさんの霊魂はそれらの霊たちに押しのけられて、自分の身体に戻ることができなくなってしまいました。Hさんの霊魂は悲観してしまい、神社からぬけだして、神社前の鳴瀬川に自らを投げだそうと考えたようでした。そのことを察知したTさんは「Hさんがいない、あれ、Hさんがいない」と慌てだしました(Hさんの身体は眼前に在るのですが)。その直後に、Tさんの守護霊が機転を利かしてTさんの身体に入ったらしく、Tさんは急いでHさんの霊魂を連れ戻しに神社の外へと出て行きました。

それから暫くして、無事に連れ帰って来たということなのですが、やはりHさんの霊魂は自分の身体には戻れない状態でいるらしく、Hさんの身体に入ろうと並んでいる霊たちの列の後方に泣きながら並んでいる状態でいるらしく、再び神社から抜け出してしまいました。

Hさんの身に入り込んだ霊たちの中には、Hさんの身を心配してくれる霊もいて、その中でも力を持った霊に対し、Tさんが「あなた達、今すぐにHさんの霊魂を連れ戻して来て」と言い付けると、瞬時に連れ戻しに行ってくれたようでした。その行動は非常に迅速でした。さすがそこは霊の仕業です。空間的な距離は関係ないようでした。そして、その霊たちが他の霊を追い払い、Hさんの霊魂を身体に戻してくれました。



★注連縄(しめなわ)の威力

そのような事もあって、今後、Hさんをどのようにして守っていったらいいのかを、私なりに熟考してみました。
この際、Hさんの住むアパートの各部屋に注連縄を張り巡らし、“お宮”と同様の「神々の領域」にしてしまえばいいのではないかとの思いに至り、すぐに注連縄を準備し、Hさんに渡しました。
(「注連縄の内は、神さまの領域となる」ということは、絶対的“神霊界の掟”なのだということは、多くの関連図書を読んで知っていましたので)
他にも、細部に渡り、Hさんに「邪霊に波長が合わなくなる為の自身の霊格の高め方」等を指導しました。

その後、Tさんから連絡があり、注連縄を巡らしてからは、迷える霊たちは家の中に入れなくなったようです。しかし、死神は入れるようなのです。その際には、白鬚神社のお使いの女神様が突然現れて、「お主も神であろう。この領域で、そなたが企むことをしようものなら済まぬぞ。この者を守る神の姿を凝らして見ろ。この内には、入ってはならぬ」と強く叱責し、死神を追い出したということでした。これはHさんとの電話越しに聞こえた、神さま同士のやり取りの言葉だったといいます。

この後、この注連縄の持つ不思議な力が、様々な場面でHさんを守り続けることになりました(出産時には、注連縄をブレスレット状にして臨まれました)。


(Tさんによると、Hさんの場合、首の裏側、右の肩胛骨、腰の三カ所に「霊の出入り口」があるらしい)



★『トホカミエミタメ  トホカミエミタメ  トホカミエミタメ (三回)
祓い給い  清め給ふ 』
 
と唱えると、“神気”が神主(私)に集まってくるのが見えるとTさんは言います。それを指先から、憑霊状態にある人に向けて放射すると、余り善くない霊が憑いている場合は霊が藻掻き苦しみます。Hさん、Tさんによると、“金銀の光”が、まるでホースの口から水が放たれて人に激しく浴びせられているように見え、浴びている悪霊は強い衝撃を受けている状態になるらしい。

この“言霊の力”により、反抗してくる悪霊に対して一撃を加えてこちら側の言うことを聞かせる。善霊が、怒りから大声を出したりしている場合には、この言霊による押さえは全く効かないので、誠意を持ってじっくりと話を聞いた方がよい。

以前、神さまのお使いの「おキツネさん」に邪(よこしま)な野狐(やこ)と勘違いして施術したことがあったが、苦しむどころか、気持ちよさそうに寝入ってしまいそうになった。

憑依している霊が、善なるモノか悪なるモノかを審神者(サニワ)する際には、これが私にとっては非常に有効な手段となっている。





[360]  ●会津藩士のミタマを送る   Name:道開き   Date:2020/07/24 (金) 11:04
◆Hさんの妹さんの転居先アパートでの出来事 〈平成20年8月23日〉

この度、Hさんの妹さんがアパート暮らしを始めることになり、新居となるアパートの部屋のお祓いと、神殿を奉斎するための神事を執り行なうこととなった。その3日前に、Hさんから別件で電話がありました。

(Hさん)「Tさんが、子ども連れの夏休みということで会津に行った際に、白虎隊のような方達の霊からコンタクトを受けたらしいです。どうやら、神社で三人で行っている神事のことを知っているようで、自分たちも神社で神事を執り行ってもらいたいと、憑いて来たそうです。その後、電話している内に私の所まで来てしまいました」

(私)「会津藩士の皆さんは、それは立派な方々で、藩を守るために壮絶な戦いをなされて亡くなられた方たちです。しっかりとした道徳教育を受け、厚い道義心を持たれた方々だから、先日、生霊が送り込んでよこしたようなチンピラ霊たちから、そのまま暫く守っていただいていれば良いかと思われます」と話しましたところ、

(Hさん)「亀廼井さんの今のお話を聞かれて、皆さん、涙を流されてます」と言う。


その後、23日に神事を執り行う。会津の皆さんは、本日は自分たちと関係のない事と思われてか、アパートの外にいて部屋の中には入ってこられなかったらしい。
そして驚いたことに、この日のHさんは、いつもの神社における霊能とは全く異なり、まるでTさんのような霊能が働いて、神事の際の霊的光景の一切が見えたと言います。

大麻(おおぬさ)でお祓いをしている際には、金粉のようなものがキラキラと光り輝いている様子が見え、祭壇の両脇には、男神と女神がお立ちになられているお姿が見えたといいます。そして神事が始まるや、何事が始まったのかと、窓やベランダの所に多くの迷える霊たちが集まってきているのも見え、土地に関係した古い邪霊たちが、神殿の上にポッカリと開いた穴のようなものの中に吸い込まれていく様子も見えたそうです。

神社に行きたいと言っている迷える霊たちは、私の後に付いて行こうとして、ドアに向かってバス待ちをしているように一列に並び、会津の方たちは、自分たちは次回でよいと語っているという。

神社に戻り、神事を終えた後に、Tさんに電話をしてみました。

(Tさん)「本当は、新潟の水族館に行くのが目的の旅行でした。たまたま途中の会津に一泊しただけなのに、宿泊先のホテルの風呂場で、ソフトでやさしい金縛りに遭い、それが始まりでした。もしかしたら今回の旅は、この方たちに呼ばれていたのかもしれません」と語る。




◆会津藩士のミタマを送る  〈9月20日〉

Hさんが懐妊中で、どうしても体調が今一つ良くないということもあって、今回はTさんと私の、二人での神事となりました。涌谷のBさんのお祓いもおこない、Hさんの子ども達の世話をする為に、境内にもう一人の方もいらしていました。今回はいつもと異なり、Hさんの“口寄せ”がないので、始めにこれまでの経緯をTさんに詳しく話してもらい、Tさんに語られた会津藩士の霊たちの思いを十分に伺い、その後に祈祷を行うといった形式を取りました。


★今日までの経緯
「夏休みなので子ども達を連れて水族館に行こう」と、Tさんの旦那さんから話しが出た。Tさんの故郷・青森の、浅虫の水族館に行こうと希望するが、どういう訳か、旦那さんは新潟を言い張るので、そちらに決まった。8月16日と17日の二日間の予定を組む。

これも旦那さんの希望で、途中の会津に寄りたいと言うので、16日には飯盛山の白虎隊記念館などを見学し、宿泊には東山温泉の“くつろぎの宿”を取った。当日はキャンセルがあって、一部屋だけが空いていたという。今になって思うと、何らかの見えない力の働き掛けがあって、始めから段取りされていたような事ばかりであったという。

当日の夜は、温泉街の祭りがおこなわれており(おそらくは「送り盆」)、各々の宿泊施設にはそれぞれに祠(ほこら)が祀ってあったという。
夜中の12時を過ぎた頃、Tさんは二度目の入浴をしようと子ども達を連れて浴場に向かい、自分一人は露天風呂に浸っていた。すると、湯女や、ふんどし姿の三助の霊たちが見え始め、その奥の方には、血の付いた装束姿の15、6人の侍たちの霊も姿を現わした。侍たちは、白鬚神社において三人で執り行っている神事のことを知っていると語ったという。

もう既に、かなり浄化している霊たちの様で、会津であった戦が負け戦であったこと、家族や親族の者達が葬儀をあげて、弔ってくれたことも知っていた。
侍たちの多くは成仏しているが、女、子ども、田、畑、河川などで亡くなった民百姓たちで成仏できないでいる者たちも多く、それら未浄化の霊たちを自分らが集めるので、一つのケジメとして、白鬚神社できちんとした形でもう一度、会津戦争で亡くなった者達の為の神事を執り行ってもらいたいと語ったという。
その中の、15才位に見える若者(白虎隊?)の一人は、かなり、何かを語りたい様子だったのが特に印象に残ったらしい。

就寝し、午前2時30分頃に目が覚めた。すると、昔風の家の中の様子が見え、刀の手入れをする侍の霊と、ひたすら夫の旅支度をする女性の霊の姿が見えた。どうやらこの侍は北の戦場に向かったらしい。その戦場で亡くなった時の光景も見えた。

翌日、佐渡島を見て、喜多方経由で帰る。これも旦那さんが言い出した事らしく、そこでも多くの侍たちの霊を拾い集めて来る事になったという。

帰宅後は、それら会津藩士の霊たちとの共同生活みたいな状態になったが、彼等の崇敬心の篤さには驚かされることばかりで、Tさんが神棚を拝むと、一緒になって全員揃って手を合わせた。すると、それを不思議に思ってか、多くの迷える霊たちも集まりだし、Tさんにとっては霊的にかなり苦しい状態となり、家の中が煤けだし、やたらとホコリが溜まり始めた。
Tさんが苦しくなって、「近々、お寺に足を運ぶので、仏式でおこなってはどうか」と伝えると、「もっとよく勉強しなさい」と勿(しゃく)の様な物で強く叩かれ、激しく叱責されたという。


白鬚神社での神事の当日、「Hさん抜きで神事を執り行いますので、ひとまずあの世へと赴いていただき、Hさんの体調が整ったら、“口寄せ”の為に降りて来てもらい、自らの言葉で語ってはいかがか」とこちらから申したところ、即座に承諾していただいたらしい。

神事が始まるや、会津藩士の霊たちは、他の集まって来ていた行儀の悪い迷える霊たちにも正座をさせ、自分たちは最前列に整然と並んでお祓いと祈祷を受け、そして神事が終わるや否や、あの世へと赴いて行ったということでした。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

◆この一年間に渡る神事の総括  〈平成20年〉

★映画『コンタクト』と“言霊(ことだま)”

自分なりにこの一年を振り返ってみた。沖縄戦の犠牲者たち、中国ウイグル自治区の弾圧で亡くなった方たち、会津戦争で亡くなった方たちの霊の集団が、何故に、遥か遠くに位置する当神社までやってこられたのかをよくよく考えてみました。

SF映画に『コンタクト』という作品があります。宇宙の生命体からの通信を得ようと研究に取り組むジョディー・フォスター演じる女性科学者が、ある日突然、宇宙からの通信をキャッチします。それは人類初のテレビ放映電波、つまり、ヒットラーが国威宣伝(プロパガンダ)の為に行ったベルリン・オリンピック開会式のテレビ映像でした。ここから映画のストーリーは急展開していくのですが、私が最も興味を引かれたのは、我々が日々使用している様々な電波は宇宙の果てまでも波及し続けるという事でした。

「言葉」を“光透波(ことば)”と解釈されている古神道家、言霊研究者も居られるようですが、こういった“言霊”信仰というものは、決して日本だけのものではありません。『聖書』のヨハネ伝には「太初にコトバあり、コトバは神とともにあり。コトバは即ち神なりき、万のものこれよりてなる」と書かれています。インドのウパニシャド哲学の奥義書『リグ・ベェ−ダ』においても、創造主は“言葉の主”となっています。

今年の1月の20日は、暦の二十四節気の「大寒」でした。今年も例年通り、大寒禊(みそぎ)に参加しました。褌(フンドシ)一つになって、気温が氷点下6、7度以下にまで下がった日の出直前の海に入ります。「神事」の時間は20〜30分ほどです。

今年はどういう訳か、一番最後まで「斎場」に残っていたからなのか分かりませんが、4社のテレビ局からのインタビューを受けることになってしまいました。それも1社ずつ個別にでした。各テレビ局とも「どういった気持ちで禊をされましたか?」といった内容のものでした。

こちらは寒さで意識を失う寸前の朦朧とした状態だったので、それどころではなかったのですが、あまり深く考えずに思いつくままに「おのれのミタマを清め、世の中を清め、世界中が平和であることを願って禊を行いました」と答えました。後でテレビを見ましたら、かなりドデカい事を口にしてしまったな〜とも思えました。

どう考えを廻らせてみても、この出来事以外に、白鬚神社で偶然に行われ続けることになった“口寄せ”神事に、沖縄戦の犠牲者たち、中国のウイグル自治区の拷問でなくなった方たち、会津戦争で亡くなった方たちの霊の集団が、突然、“コンタクト”してきた理由が思いつかないのです。

人は一本の「アンテナ」だというのが私の持論です。禊(みそぎ)によってアンテナの感度が高まると、“受信”のみならず、“発信”の性能も高まるようです。禊をしたことにより増幅された“光透波(ことば)”が、更にテレビ電波に乗って発信されたことにより、遥か遠くまで伝播して起こった出来事だったように思われるのです。


とにかく、「言葉」−“光透波(ことば)”の持つ力によって、世の中を祓い清めていきたいと思っています。見えない世界から改善していかないと、この日本はどうにもならない所まで来ているようにも思われます。


※「行」について
「行(ぎょう)」というものは必要ないものだと語られる宗教者もおられます。ここ数年、よくテレビでお見かけする“青森の神さま”こと、木村藤子さんの本なんかを読んでみても、全くそのように書かれていました。

しかし、人々の願い事を神さまにお伝えする「祝詞(のりと)」を奏する(発信する)ことを生業(なりわい)としている私ども神職にとりましては、“禊”や“鎮魂”といった「行」は大切なもののようにも思えてなりません。そういった、意味のあるものだからこそ長い歴史を経て、現在にも受け継がれているのだと考えています。しかし、必要としない方については、それはそれで良いのだとも思います。天才肌の方にとっては、それで十分に間に合っているということなのでしょうから。

今から12年ほど前(平成8年頃)の話になりますが、当時、興味を持っていましたスピリチャリズムに関連した「サイキック・フォーラム21」という集会に参加した際に、今をときめく『オーラの泉』の江原さんと、東京は目黒駅のすぐ近くにある目黒会館でたまたまお会いする機会を得ました。これも今思うと、かなり不思議な異人との“コンタクト”だったとも言えるのですが、ベランダに出て目黒の街を眺めながら二人きりでお話をすることができ、私の守護霊である行者さんからのメッセージを伝えていただきました。

「頸椎がズレかかっているので治療した方がよい。・・・これまでも、たびたび繋がってきてはいるのだけれども、もっと、しっかりとした繋がりを得たいので、“行”を積んでくれるように」といった内容でした。

その時は、話の内容をあまり信じておりませんでしたが、2、3年後には本当に頸椎がズレてしまい、首が回らなくなり、ようやく伝えられたメッセージを信じられるようになったのでした。

そういった経緯もあってのことか、特に大寒禊の前夜から当日の朝にかけて、私の守護霊の行者さんからも“コンタクト”を受けているみたいなのです。
数年前、危うく寝過ごしてしまいそうになった際には、誰かに太股の辺りを揺すられ、「はい、わかりました」と、その存在と会話を交わしている自分の言葉で目を覚ましました。「あれ、私は今、誰と話をしていたのだろうか?」と不思議に思ったものでした。
今年も、前夜、灯りを消して布団に入ると、枕元でしばらくの間、“衣擦れ(きぬづれ)”の様な音がしていました。「はい、わかりました」と心の中で返答しましたところ、直ぐに治まりました。



[358]  ●全くもって意外な氏神様の“お使い”   Name:道開き   Date:2020/06/21 (日) 08:48
Name:道開き Date:2010/04/29(木) 18:06

〈平成22年4月23日〉

21日の朝、S町のOさんという方から、当方宛に下記内容のメールが届きました。

「御祓いの依頼なのですが。昨晩、霊感の強い娘に二人の霊が憑依し、その一人が申しますには、我が屋敷裏の柿の木付近に三本の尾を持った白狐のような、犬のような悪霊がおり、日々成長しているのでその内に禍が起きるとの事でした。すでに私は、5年前からうつ病で治療中、三年前に父も柿取りをしていて倒れ、くも膜下出血で急逝。娘も2年前より病気がちな状態でいます。それで、憑依霊が強調して申しますには、1週間以内に御祓いをしていただくようにと、御神職様をご指名でありました。何卒お引き受け賜りますようお願い申し上げます」というものでした。

その後すぐに連絡を取り、翌々日の23日にお祓いに出向する運びとなりました。

当社から車で40分ほどの距離の所に在るそのお宅近くまで来たとき、ふと、「あれ、ちょうど1年前に他家の地鎮祭に向かう途中、この家の前を通ったな」ということが思い出されました。そして、神事を執り行う前に、その家の方たちから事の詳細を訊いてみるや、更に驚かされることとなりました。

20日の夕刻、父親と娘さんが居間でくつろいでいると、突然、娘さんに憑霊現象が起こり始めたらしく、憑(かか)ってきたその霊は、初めの内はうまく話せないようでしたが、いくらかの宗教知識を持っていた父親が話を少しずつ誘導してみると、次第にシッカリと普通に話せるようになったと言います。

その霊は男の霊で、2年ほど前に病で亡くなった自動車関係の仕事をしていたご近所のTさんという方でした。「この娘さんは、この辺りで一番の霊能を持っている生まれなのだが、今の状態は非常に心配される。屋敷裏の柿の木付近に、三本の尾を持った白狐のようなモノが住みついており、日々成長しているのでその内に禍が起きる。この娘にも見えるはずだ。決して側に近づいては行けない。とにかく1週間以内に御祓いをしていただくように」と語り、そのモノの絵まで描いて見せました。

「お寺に頼めばいいのですか、神社ですか、それとも祈祷師さんですか」と尋ねると、そのTさん霊は「この鳴瀬川の下流、河口地域の野蒜にある神社の神主さんに連絡を取りなさい」とハッキリと語ったということでした。
(※注意 ― 当方の宣伝用にホラ話を創作しているのでは決してありません)

そして、自分の生前の頃の話をしたり、少しだけお酒を飲ましてくれなどと語ったりし、その時点で家に不在だったOさんのお母さんが帰宅するのを待ち、挨拶してからあの世に戻って行ったそうです。
おかしなもので、Tさんの家族の現況については全く知らない様子で、Oさんとお母さんが、ご家族の皆さんが無事に暮らしている話をしてやると、非常に喜んでいたとのことでした。

さらに、そのTさん霊の憑依の合間、合間に、幾度か娘さんに入り込んで話そうとする、もう一人の別人格の霊がいたそうです。娘さんと同じくらいの年齢の女性の霊らしく、名前は名乗りませんでしたが、「私がこの人の側に憑いているから病気がちなのではないかしら」と語ったとのこと。
その憑霊現象は、時間にしてまる2時間くらいの出来事だったといいます。

さらに詳しく話を伺ってみると、Oさんの娘さんの体調がおかしくなりだしたのは、2年ほど前に車の追突事故を起こした頃からだということでした。それ程の大きな事故ではなかったのですが、精神的なショックが非常に大きく、当時は、かなりの落ち込みだったそうです。おそらくは、精神的に弱っていた状態の時に、迷える女性の浮遊霊に憑依されてしまったのではなかろうかとも考えられました。又、その際にお世話になったのが、自動車関係の仕事をしていたご近所のTさんでした。


そして、一月ほど前に、近くの神社の神主さんにお願いして、屋敷内にある邸内社(氏神社)を新しくお祀(まつ)りしたとのこと。その頃から娘さんの方も、インターネットで自動書記などのスピリチュアルな事柄を調べ始めるようになったということでした。

おそらくは、O家の“霊系の集合体そのもの”をお祀りする邸内社を新しくしたことにより、今回のように事態が大きく動きだし、憑霊現象の準備が整えられ始めたのではなかろうかとも考えられました。

「有名な大社の神さまや、当社の白鬚神社の神さまに手を合わせる以前に、先ずはお宅の邸内社の神さまを第一にお祀りした方がよいです」と話して聞かせました。

また、その娘さんが、ネットの関連サイトにアクセスした或る夜には、何者かの霊に首を絞められたこともあったということでしたので、「ネット上を移動している霊もいるようなので、あまりその種のサイトでチャットなんかしないほうが良いです」と話して聞かせました。「ホラー映画まがいの事を語るな」と叱られそうですが、実際にそうなのです。

それにしても、氏神さまのお使いが先祖霊などではなく、近くの車屋さんの霊であったというのは全くもって意外な展開でした。とにかく、こういった時にいつも感じられることなのですが、「“あの世の存在”(神さま、先祖霊、他の霊たち、神使の動物霊・・・)と“この世の存在”(人、動物、植物・・・・)は、別個に存在しているようでいて、まるでインターネットのように総てのものが繋がりあっている」ということです。


★西洋のキリスト教社会の場合、こういったTさんのようなお使い霊は、「天使」として扱われているようです。
そういった内容を描いた映画には、『素晴らしき哉、人生!』『オールウェィズ』『シティ・オブ・エンジェル』などがあります。




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