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[346]  ●クリスマス(聖誕祭)   Name:道開き   Date:2019/12/14 (土) 10:32
自分の場合も子供の頃からそうだったのですが、北欧、ゲルマン民族と同様に、クリスマスには「冬至祭」的な捉え方で親しんできました。決して、キリストの誕生をお祝いしたわけではありませんでした。



ユール(冬至祭)〈北欧語〉は、古代ヨーロッパのゲルマン民族の間で、冬至の頃に行われた祭りのこと。のちにキリスト教との混交が行われたが、北欧諸国では現在でもクリスマスのことをユールと呼ぶ。北欧のユールには、キリスト教伝来以前の習慣と結びついた、独自の様々な習慣がみられる。

ユールは、元々は北欧を含むゲルマン民族の祭りだった。太陽が再び力強い生命を持つ日を新年とし、北欧神話の神々、それも豊穣と平和の神ヴァン神族ではなく、オーディン(北欧神話の主神にして戦争と死の神。詩文の神でもあり吟遊詩人のパトロンでもある。魔術に長け、知識に対し非常に貪欲な神)にビールや猪や豚などを捧げた。クリスマスの料理を並べたテーブルは、「ユール・ボード」といい、この日に現れる霊たちに特別に用意された。季節や農作業の変わり目、特に冬至は、死者の霊、悪魔、魔女などが大挙して現れるといわれ、夜は、ユールレイエン(ワイルドハント)が現れた。

中世には何日もかけて宴会をし、火を焚き、生贄をささげた。たき火(ボーンファイア)は暗闇や寒さと戦う太陽の象徴であった。人々は火の回りで歌ったり、飲み食いをしたりし、亡くなった人々の霊も宴席に参加するとされた。

ノルウェーではガンドライド(魂の騎乗)とも呼ばれ、過去1年間に亡くなった人々の魂が空を駆け抜け、駆け抜けた地域の土地は肥沃になると信じられた。



以下は、8年前の当掲示板への書き込みとなります。



●“グローバリゼーション”への対応 

アレキサンダー大王の大遠征によりヘレニズム文化が起こり、インドや中国西域にギリシア文化を伝え、ギリシア・ローマにはオリエンタル文化をもたらした。イスラム勢力が南ヨーロッパに広がったり、逆に、キリスト教勢力が北アフリカや中東に広がった。民族や宗教が広範な活動を始めると、様々な形で文化融合が起こり、グローバリゼーションが進展します。

クリスマスも近いので、以下に、北欧におけるキリスト教の伝搬にともなう宗教融合を表わす様々な祭りを取り上げてみます。日本に仏教が伝わり、神道的民俗信仰を取り込んでいった流れと全く同じ事が起きていました。日本古来の小正月行事や田植え前の様々な祭りと北欧の太陽信仰に関わる様々なお祭りは非常に類似しています。

仏教やキリスト教、イスラム教等の世界宗教と呼ばれるものは、土着の信仰を取り込んでグローバリゼーションを展開させようとします。それに対して、土着の信仰は、もたらされて来るものを取り込んで、グローバリゼーションに対応します。我が国古来の信仰を伝える神道(神ながら)は、長い歴史において、道教や陰陽道、仏教、キリスト教的なものを取り込みながら今日に至っています。

外来信仰が入り込む以前の古い信仰を追求していく国学的アブローチは、私的には、非常に興味深く、面白極まりないことではあるのですが、あまりそのことにこだわり過ぎると世の中のグローバリゼーションの動きに対応できなくなります。純粋培養ほど脆弱なものはないですから。「それはそれ、これはこれで、いいものはいいのだ」として、他宗教の良いところをどんどん取り込んでいけばよいのだと思われます。インドのウパニシャド哲学における「輪廻転生」「因果応報」などの思想は、仏教を仲介して、日本人の精神の奥深いところにシッカリと根付いています。おそらくは、もともとそのように考えられていたから定着したのかもしれません。私も経験的に信じています。「それは、古くから神道が説いて来たことではない」などと否定してしまったのなら、我々のような、様々な信仰が交錯した土壌に接する場所に身を置いている末端の神主などは、世の人たちとどの様に接していったらよいのでしょうか。


※参考

●聖ヨハネ祭
夏至祭では、町や村の広場に横たえられた柱に、樹木の葉や花の飾りがつけられ、若者たちが中心になって柱を立てる。この祭は、ドイツやイギリスで行われる五月祭の柱(メイポール)と類似しているが、北欧(スウェーデン、フィンランド、で)では5月初旬には花が乏しいため、夏至の時期に祭を行うようになった。人々はその周りを一晩中踊り明かし、たき火をたいて、その上を飛び越える。これには恋占いや、縁起かつぎの意味が込められている。民族衣装姿の人、花の冠をかぶる女性も多い。

祭りは、洗礼者ヨハネの祝日に行われる。ヨハネはイエス・キリストより半年早く生まれたという言伝えから、クリスマスが12月25日と決められた後に、ヨハネの祝日が設置された。つまり、現在の夏至祭は、キリスト教の聖人の日と北欧伝統の季節の祝祭が一緒になった社会的文化的現象である。

また、この日の前夜に摘む薬草には、特に効果があると信じられている。特に、セント・ジョンズ・ワート(セイヨウオトギリソウ)を、イブの夜に枕の下にしいて寝ると、夢に現れる聖人のご加護があるとも、また、未婚の女性の場合、未来の夫が夢枕に立つともいわれる。 全体的な特徴としては、

・聖ヨハネの日のあたりに行われる
・薬草や朝露の神聖視
・花や葉で冠を作る(1年間の健康が約束される)
・男女の縁結びや占い
・たき火をたく
・祭りの後、川に冠を流し、それで将来を占う



●ハロウィン
ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねてくると信じられていたが、時期を同じくして出てくる有害な精霊や魔女から身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていた。31日の夜、カボチャ(本来はカブ。スコットランドではカブの一種の「スウィード」を用いる)をくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタン」を作り、魔女やお化けに仮装した子供達が近くの家を1軒ずつ訪ねては「トリック・オア・トリート(ご馳走をくれないと悪戯するよ)」と唱える。家庭では、カボチャの菓子を作り、子供たちは貰ったお菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりする。お菓子がもらえなかった場合は報復の悪戯をしてもよい。

「ハロウィン」の語源は、カトリック教会で11月1日に祝われる「諸聖人の日」(古くは「万聖節」とも)の前晩にあたることから、諸聖人の日の英語での旧称"All Hallows"のeve(前夜)、"Hallows eve"が訛って、"Halloween"と呼ばれるようになったとされている。

諸聖人の日は、7世紀頃までは5月13日に祝われていたが、ケルト人が自然崇拝からケルト系キリスト教を経てカトリックへと改宗する過程でケルトの収穫祭に合わせてカトリック教会が諸聖人の日を11月1日に設定したとされている。カトリック教会では諸聖人の祝日は祭日としているが、10月31日のハロウィンは祭日ではなく典礼暦(教会暦)にも入っておらず、教会の宗教行事・公式行事として行われることはない。カトリック教会を含めキリスト教の多くの教派・教会では、信徒が民間行事として楽しむことを容認しているが、プロテスタントでは多様な見解があり、いくつかの福音派は否定的である。



◎ハロウィンのために魔女やお化けに仮装した子供たち
アイルランドや英国の古代ケルトの信仰では、新年の始まりは冬の季節の始まりである11月1日のサウィン祭にあり、ちょうど短い日が新しい年の始まりを示していたように、日没は新しい日の始まりを意味していた。

ドルイド祭司たちは、火をつけ、作物と動物の犠牲を捧げた。また、ドルイド祭司たちが火のまわりで踊るとともに、太陽の季節が過ぎ去り、暗闇の季節が始まった。11月1日の朝が来ると、ドルイド祭司は、各家庭にこの火から燃えさしを与えた。各家族は、この火を家に持ち帰り、かまどの火を新しくつけて家を暖め、「妖精」(「シー」と呼ばれる。女の妖精は「バンシー」と呼ばれた)などの悪霊が入らないようにする。というのも、1年のこの時期には、この世と霊界との間に目に見えない「門」が開き、この両方の世界の間で自由に行き来が可能となると信じられていたからである。

ハロウィンがアメリカの年鑑に祝祭日として記録されたのは19世紀初頭以降のことである。ニューイングランドのピューリタンなどはハロウィンに強く反対する立場であり、19世紀になりアイルランドおよびスコットランドからの大量の移民があるまでは、これが本格的にもたらされることはなかった。ハロウィンは19世紀半ばまで特定の移民コミュニティ内部のイベントとして行われていたが、徐々に主流社会に受け容れられ、20世紀初頭には、社会的、人種的、宗教的背景に関係なく、あらゆる人々によって東海岸から西海岸へ、そして全世界へと広められていった。



●イースター(復活祭)    
十字架にかけられて死んだイエス・キリストが三日目に復活したことを記念・記憶する、キリスト教において最も重要な祭。

復活祭を表す英語「イースター」およびドイツ語「オーステルン」は、ゲルマン神話の春の女神「エオストレ」の名前、あるいはゲルマン人の用いた春の月名「エオストレモナト」に由来しているともいわれる。つまり、ゲルマン人の春の到来を祝う祭りに起源があるということです。



●カーニバル(謝肉祭)
語源は、一つに13世紀のイタリア語(ラテン語)のカルネ・ウァレ(「肉よ、お別れじゃ」)に由来するといわれる。「断食の前夜」の意で、四旬節の断食(大斎)の前に行われる祭りであることをも意味している。

もともとカトリックなど西方教会の文化圏で見られる通俗的な節期で、四旬節の前に行われる。仮装したパレードが行なわれたり、菓子を投げる行事などが行なわれてきたことから、現代では宗教的な背景のない単なる祝祭をもカーニバルと称することが少なくない。

謝肉祭は古いゲルマン人の春の到来を喜ぶ祭りに由来し、キリスト教の中に入って、一週間教会の内外で羽目を外した祝祭を繰り返し、その最後に自分たちの狼藉ぶりの責任を大きな藁人形に転嫁して、それを火あぶりにして祭りは閉幕するというのがその原初的なかたちであったという説もある。



[345]  ●アニミズム   Name:道開き   Date:2019/12/05 (木) 16:21
日本は古来、“言霊(ことだま)の幸(さきわ)う国”とされて来ました。
神道とはそもそもが、原初的なアニミズム (この世の総ての物に魂が宿っているという信仰)なので、山、海、川、土、石、木、日、月、火・・・・といった自然は勿論、森羅万象を神と仰ぎ〈実際に大和言葉(古語)による神名を付けて〉、祝詞(のりと)を唱え、お祭りを執り行ってきました。

神様としての名まで付けてもらい、山も、川も、木々も、さぞかしや嬉しかったことでしょう。そこに音楽や舞が加えられれば、更なることは言うまでもありません。そういった心に答える為に、神として姿を現すことだって当然あったわけです。

[344]  ●「践祚大嘗祭(せんそだいじょうさい)」   Name:道開き   Date:2019/11/11 (月) 11:04
新天皇が即位の後に、最初に行う新嘗祭(にいなめさい)のことです。
「嘗(なめ)」という漢字には、「口に含んだものを舌で味わう」という意味があります。


◆「まつり」の基本構造
「まつり」の基本構造はというと、「神を迎え−饗応し−送る」というもの。そうして共同体の活力を再生・更新させるものである。「まつり」とは本来、厳格な「物忌(い)み」により清まった、神事に携わる資格のある者だけが参加して、深夜などにひっそりと行われるものでした。


◆「神人共食」(しんじんきょうしょく)
その中で最も本質的で重要な儀礼は「相嘗(あいなめ)」、つまり、神と人とが共に食事をすることにある。それは国家を挙げて行ってきた最高の祭りから、村の鎮守の小社の祭り、そして、盆・正月、節句、月見の宴・・などの家庭の祭りに至るまで共通している。


◆祈年祭(きねんさい・としごいのまつり)
これから農作業が始まる二月に、宮中や日本全国の神社では、年穀の豊穣を祈るお祭りをおこなった。民家の宅神祭の「春祭り」も同じもの。                


◆新嘗祭(にいなめさい)
天皇が、皇祖神(=日神)の恵みを受けて生育した新穀をいただき、自らの霊性の更新をはかられる祭。全国の神社、民家の宅神祭の「秋祭り」も同様の意味がある。 
               
                             
つまり、 十一月の新嘗(ニイナメ)の夜に、稲魂(いなだま)を身に体することは祖霊神を迎えることに他ならなかったのです。
         

[343]  ●「易」という文字   Name:道開き   Date:2019/11/11 (月) 10:24
下の書き込み〔342〕に続きます。

「易」とは、陰・陽の変化の具合を観て、あらゆる事象を占っていくという占術である。
その漢字は「トカゲ」の象形文字であり、トカゲは光の具合によって色が“変化”“変わる”ように見えることに由来している。

秦の始皇帝は、「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」と呼ばれる儒教弾圧を行ったが、五経のの中でも『易経』だけは大切に保護したという。それ程に内容が優れているからである。陰陽の変化で、政治経済は勿論のこと、森羅万象の総てを説いているからだ。

文化大革命当時の中国共産党一党独裁体制は、それすらも許さなかったのである。つくづく、ろくでもない時代だったのだと思う。

[342]  ●「易占」の方法論   Name:道開き   Date:2019/11/01 (金) 15:14
下の書き込み〔341〕「乾坤一擲(けんこんいってき)」に続きます。

日本で「易」と言えば、スポンジケーキのパン生地の形をした帽子(利休帽、宗匠帽、茶人帽、和尚帽、易者帽等と呼ばれるらしい)を被った松尾芭蕉風の格好をした易者さんが、筮竹(ぜいちく)をジャラジャラ鳴らしたり、割ったりしながら得卦(とっか)しているイメージが強い。

実際は、一枚のコインがあれば易占は可能である。表が「陽」、裏が「陰」と決めて投じればよいだけで、三つの爻(こう)の陰陽の組み合わせが八卦(はっけ)であり、それを2回繰り返せば六十四卦が得られる。

中国では八面賽〈はちめんさい〉を投じて易占が行われて来たらしい。その後は文化大革命により一切が抹消されてしまい、今では何のノウハウも残っていないのだろうが、筮竹をジャラジャラさせて数えたり、コインを何度も投じたりする手間を考えたら、雑念が入りにくく、一瞬で得卦できる八面賽が優れていると考える。2個の八面賽を投じればよいだけなのである。爻辞(こうじ)も得たければ、一個の六面賽(サイコロ)を加えて投じればよいだけだ。

「梅花心易(ばいかしんえき)」といって、一切の道具を使用せず、占う瞬間に目に入った事物を六十四卦に判じて行う「易」もあるのだが、八面賽を投じて得られる易断が一番間違い無いと考えられるのだ。

[341]  ●「乾坤一擲(けんこんいってき)」   Name:道開き   Date:2019/09/26 (木) 15:37
「乾坤(けんこん)」の「乾」は天、「坤」は地を意味する易(えき)の八卦(はっけ)である。「一擲(いってき)」は、サイコロを一回だけ投じて勝負すること。つまり、天下を賭けるような、のるかそるかの大勝負をすることをいう。


これはまさに易占(えきせん)が行われ、八面賽〈はちめんさい・それぞれの面に易の八卦が書かれているサイコロ〉を投じて命運を賭けた大勝負に臨んだという、「易断」が投影されている故事成語、ということにもなるのだろう、おそらくは・・・

※参考
【易の八卦(はっけ) 】
乾(けん)・兌(だ)・離(り)・震(しん)・巽(そん)・坎(かん)・艮(ごん)・坤(こん)


前漢の初代皇帝・劉邦(りゅうほう)と項羽(こうう)の戦いを謳った韓愈(かんゆ)の漢詩『鴻溝を過ぎるの詩』の中に、由来となった一文がある。

力を合わせて秦(しん)王朝を倒した後、劉邦と項羽は相譲らずに対峙するも、鴻溝を境界に西を漢(かん)、東を楚(そ)と定めて、一端は戦を終結する。
しかし、漢へ帰ろうとしていた劉邦が、「今こそ項羽の楚を滅ぼすとき」と馬首を東に向ける決断を促されたことが描かれている。




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『乾(けん) 』

○象意    天・白・充実・完全・太陽・上等・高級品・強硬・堅固・円・車・多忙・ボランティア

○方位    北西〈戌(いぬ)・亥(い) 〉

○人物   父・聖人・天皇・高貴な人・総理大臣・社長・主人・僧侶

○人体   頭・肋骨・左肺・肋膜・骨・汗・はれもの

○場所   御殿・神社仏閣・教会・ビル・市場・競技場・雑踏・山岳


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『坤(こん) 』

○象意    大地・迷い・鈍重・心労・温厚・従順・受ける・従う・頑固・慎重・労働・貯蔵
               
○方位    南西〈未(ひつじ)・申(さる) 〉

○人物    母・老婆・主婦・妻・副社長・助役・次官・労働者

○人体    脾臓・腹部・腸・臍・胃・腹膜・にきび・しみ

○場所    地球・平地・野原・公園・田畑・倉庫・工場・埋め立て地




[340]  ●「世界の始まり」   Name:道開き   Date:2019/08/18 (日) 10:31
人気グループSEKAI NO OWARIは、曲調も良いし、歌声も良い。そして“似合わな格好良い”感じの金髪の女性メンバーに象徴されるスタイリッシュさも良いと思う。

ただ、グループ名だけが良くないと思われます。何で「世界の終わり」なのか、キリスト教の“終末思想”“最後の審判”の影響を受け、「神の世界の始まり」といったニュアンスを含んでいるのだろうか。

陰陽五行・八卦(はっけ)・九星の世界観に於いては、森羅万象、この世のあらゆる事象を、二、五、八、九の数で分類する。

よって、易(えき)の「八卦」でみた場合、艮(ごん)の象意「始めであって終わりである」から説明でき、終わりと始まりは同一線上にあるということになります。スクラップ&ビルドはセットなのです。

『艮(ごん) 』

○象意  山・変化・変わり目・結び目・止まる・始めであって終わりである・終始混合・接続
       ・節目・親戚・知己・相続

○方位  北東〈丑(うし)・寅(とら) 〉

○季節  一年の結び目となる立春前日の「節分」

○人物  少男・幼児・相続人・兄弟・親子・強欲の人・不動産業者

○場所  家屋・物置・ホテル・駐車場・土手・高台・門・交差点


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以下の[104]は東日本大震災の一月前の書き込みで、[242]はその書き込みを振り返って書いた3年半前の書き込みになります。「始めであって終わりである」という艮(ごん)の象意がそのまま現れた出来事でした。


[242] ●新しい野蒜の町の“黎明期”を迎えて Date:2016/01/18(月) 11:43 

東日本大震災から早5年、被災地となったこの野蒜の町もすっかりリニューアルが進んでいます。
昨年5月のJR仙石線の全線開通は、真っ暗闇の中での「七つ立ち」。そして現在はというと、辺りの景色が薄っすらと見え始めてきている状態の「明け六つ」、まさに町の“黎明期”を迎えています。この5月からは、分譲された土地に家々が建ち始めます。

震災が起こる一月ほど前に、岩崎宏美さんのチェコのプラハでのコンサートを扱った番組をBSで見ていて、その中で歌われていた『始まりの詩(うた)、あなたへ』という曲が、やたら心の中に染み入って来てどうすることもできず、震災当日までの間に5、60回も繰り返し聴くことになってしまいました。

その曲が、新潟県中越地震の被災者を励ます為に大江千里さんが作った歌だということを知ったのは、東日本大震災後数ヶ月が経ってからの事でした。そして、この曲の題名の中の「あなた」というのは「私(自分)」のことで、つまり、「神さまからのメッセージとして受信していた」のだと考えるようになったのは更に後のことでした。

この春からは、新たなる境内地に白鬚神社新社殿の建築が始まります。BSで曲を聴いたあの日以来、『始まりの詩』が流れ続けている中での着工です。自分は、大震災後の神社の再建事業を成し遂げる為に、この野蒜の地の神主の家に生まれて来たのだとも考えています。


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※参考

[104] ●名曲は時代も超えるし、国境も越えていく  Date:2011/02/01(火) 17:47 

つい数日前、チェコ共和国の親善大使に任命されているという歌手の岩崎宏美さんとチェコ・フィルハーモニー管弦楽団との、プラハのドボルザーク・ホールにおけるコラボレーションと異文化交流を描いた『 岩崎宏美 プラハに歌う 〜35年目の挑戦 』という番組を見る機会を得ました。BSは、こういったレアな映像を提供して下さるので本当に有り難いです。   

重厚な東ヨーロッパの音楽文化の中にあるチェコの人たちには、日本の歌謡曲は全くと言っていいほどに馴染みの薄いものらしく、岩崎さんがアイドル時代に培った日本独自の芸能タレントの身振り、手振りなどは(本人は意識して押さえぎみにしていたようですが・・・)、初めて目にする不思議で魅力的なものに映ったようです。さらには、トークの際についつい滲み出てしまう、チャキチャキの江戸っ子の下町娘ぶりなども、親しみやすい人柄として受け取られていた様でした。

現在、日本独特の“アイドル文化”はアニメと一緒になって、アジアからアメリカへ、そしてヨーロッパへと広がりつつあるようですが、保守的で、伝統色の強い東ヨーロッパ方面にも次第に伝播していくことは間違いないでしょうし、インターネットが普及している今日では、おそらく若い人たちほど簡単に飛びつくことになるでしょう。 戦後の日本に、ジャズやポップスが入って来た時のように。

選曲も良かったです。オープニングに使われた小坂明子さんの名曲『あなた』も良かったし、岩崎さんの代表曲の一つになるであろう『始まりの詩、あなたへ』も感動的でした。作者の大江千里さんが、こういった曲を書ける方だとは想像もしておりませんでした。(「 失礼 ! 」) おそらくは、高位の音楽の神様が降りてきた状態で作られた曲なのでしょう。
欲を言ったならば、『竹田の子守歌』のような日本独特の古い旋律の曲なども披露して欲しかったです。

聴衆の中には、“東京オリンピックの華”と謳われた女子体操のチャスラフスカさんなどもいらっしゃって、涙ながらにコンサートでの感動を語られていたのも印象的でした。


年末、やはりBSで、『今夜よみがえる! 夢の紅白名歌手たち 名勝負・名対決』という特番が放映されたようです。録画して、年が明けて時間に余裕が出来た頃に見てみましたが、田端義夫さんの『島育ち』、三沢あけみさんの『島のブルース』にハマってしまい、繰り返し、古い白黒画像に見入っています。どちらも、自分が3、4才の頃に流行っていた曲のようなのですが、島唄系の曲ということもあってか、やたら懐かしさを感じます。

去年の『紅白歌合戦』も録画したものを見ましたが、朝ドラ『ゲゲゲの女房』の数々の名シーンがスライドされて映し出されたのには甚く感動しました。NHKもシャレた試みをして下さるものだと感服した次第です。


[339]  ● 赤道(緯度0)地域の“お彼岸”の太陽   Name:道開き   Date:2019/07/15 (月) 16:28
地球の地軸(自転軸)が23.4度傾いていることにより、1年かかって太陽を回る地球の公転がそれぞれの地域に季節をもたらすようになる。つまり、「地軸が傾いているから季節(春夏秋冬)がある」のだ。このことについては中学校の地理の教科で学習している。

彼岸(秋分・春分)には、太陽が真東から昇って真西に沈んでいくため、昼と夜の長さが同じになる。それは太陽の周囲を公転している地球の、23.4度傾いている自転軸が、太陽に垂直になるからだ。


◎「春分・秋分」における南中高度  90度−その地点の緯度

◎「夏至」における南中高度     90度−その地点の緯度+23.4度

◎「冬至」における南中高度     90度−その地点の緯度−23.4度



つまり、赤道(緯度0)地域の“お彼岸”の太陽は、そこで暮らす人々の頭上(90度)を通過することになります。


「太陽と地球と月」の関係は本当に不思議で面白い。単なる偶然なのか、神様がその様に創ったのかは分かりませんが、お陰で暦学が発達しました。「暦」とは、「太陽と地球と月」の関係を詳細に記したものなのです。一家に一冊は「暦」を常備しておきましょう。折に触れて、暦に目を通してみることはとても楽しいものです。


[338]  ●北欧の「夏至祭」(げしさい・げしまつり)   Name:道開き   Date:2019/06/21 (金) 09:11
古代からの人類の信仰形態といえば、“太陽崇拝”と“祖先崇拝”が主となる。
そして“太陽崇拝”の中心にあるのが、「夏至」と「冬至」の祭りです。

キリスト教伝搬後のヨーロッパでは、夏至祭は「聖ヨハネ祭」と、冬至祭は「クリスマス(生誕祭)」と習合し、今日に至っていますが、その本質は“太陽崇拝”です。

町や村の広場に横たえられた「柱」に、ポプラや白樺の樹木の葉やスズラン、ナナカマド、ライラックなどの花の飾りがつけられ、若者たちが中心になって柱を立てる。この祭は、ドイツやイギリスで行われる五月祭の柱(メイポール)と類似しているが、北欧では5月初旬には花が乏しいため、夏至の時期に祭を行うようになった。

人々はその周りを一晩中踊り明かし、「焚き火」をたいて、その上を飛び越える。これには恋占いや、縁起かつぎの意味が込められている。 花や葉で「冠」を作り(1年間の健康が約束される)、祭りの後に川に冠を流し、それで将来を占う。また、この日の前夜には薬草を摘み、朝露を神聖視する。



◆ノルウェーとデンマーク

北極圏に位置する地方では、真夜中の太陽がみられ、この地域の人々は、暗い闇を切り裂く太陽を見るために一晩中起きている。「たき火」は暗闇を引き裂くシンボルであり、トロールのような「妖精」は祭りの主役である。「楽隊」による行列が行われることもある。また、たき火の回りで「ホットドック」や「ソーセージ」を食べる 

※デンマークによる東日本大震災後の支援が御縁となり、東松島市はオリンピックでのホストタウンになっています。



◆スウェーデン

ポールに飾るための、「つる草」のハートや輪の飾りを持ってボートに乗る。
町の広場で、「夏至柱」を立て、人々が手をつないで回りながら歌ったり、踊ったりする。「民族衣装」姿の人、花の「冠」をかぶる女性も多い。夏至はスウェーデンで最も大事な日で、この時期に合わせて「夏休み」を取る人もいる。緑が美しく、花が咲き乱れる中、家族で夏の「別荘」に向かう。花輪を作るための花を摘むため、近くの森に行き、また祭りの中心となるポールを据え付ける。

夏至祭りの宴には、「ニシンの酢漬け」「ジャガイモ」をゆでたものや「サーモン」や「スペアリブ」を食べ、食後には、この夏初めてとれた「イチゴとベリー」が登場する。



◆フィンランド

「乳製品」や「ソーセージ」や「ジャガイモ」が供され、「白樺」の葉と草花で町中が飾られる。そして一晩中野外での踊りが続く。

「スズラン、ナナカマド、ウワミズザクラ、ライラック」といった花が花瓶に挿して置かれる。これは今でも、祭りの間中は田舎や別荘でよく見られる。地域によっては、若い男性が、白樺の枝で「あずまや」を作る習慣がある。乳がよく出るようにと、牛にも木の葉やスズランで飾りつけがされる。白樺の小枝は、束ねて、サウナの時に体を叩く道具にも使う。

夏至の夜は、昔から神秘的かつ超自然的なものと結びついている。夏至を過ぎると、再び日が短くなり、夜が長くなっていくためで、悪霊がそのあたりを歩き回るとも信じられたり、また、財産や結婚を占う行事が行われたりした。


•ハーブや薬草を、露が下りる前の、活力のある時間帯に摘む。また、夏至の露には病気を治す力があると考えられていた。

•牛小屋の天井からナナカマドの枝を吊り下げると、牛が悪いものから守られる。

•夏至の夜、家の屋根の上で3回場所を変えて座る、または古いリンゴの木の下に座ると、未来が見える。

•夏至の夜、「鬼火」に目を凝らすと財宝がたまる。鬼火が、財宝のありかを教えてくれるのである。

[337]  ●「多チャンネル時代」   Name:道開き   Date:2019/06/20 (木) 10:31
地上波から、歌謡番組、時代劇、洋画劇場が姿を消し始めてから久しいです。それらの番組はBSに引っ越した観がありますが、ほぼ毎日放送されています。

うちの父親を見ていて思うのですが、世の高齢者にとって多チャンネル時代は、大いなる救いになっていると思われます。テレビのスイッチをONにさえすれば、人の姿も見られるし、歌や話も自由に聴けるのですから。テレビもラジオも無かった昔、高齢者達たちは何を思い日々を過ごしていたのでしょうか。それを思うと現代は、間違いなく幸せな時代だと思います。


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