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[366]  ●トランプ&バイデン〈 米国大統領選 〉   Name:道開き   Date:2020/11/06 (金) 10:57
両候補者を九星・干支術で観てみました。


■トランプ(1946.6.14生)

●《九紫火星》年「一白水星・午(うま)」月生まれの男性

・明石家さんま、野々村真、阿部寛、GACKT、伊東四朗、浅井慎平(写真家)、西川きよし、具志堅用高、鈴木ヒロミツ
・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・一見優しそうに見える上品な紳士のタイプといった人が多い。
・プライドは高く、勉強家でもあるが、交際は上手で派手に振る舞うところがある。
・デリケートな心の動きを示すが、割と苦労性な一面があるために自己反省をして努力する。
・情にもろいところがあるので相手の弱点を突くことはしない。
・金銭面に執着するところがあるので貯蓄に努め、家庭にあってもお金を大切にする人です。




■バイデン(1942.11.20生)

●《四緑木星》年「八白土星・亥(い)」月生まれの男性

・鶴田浩二、平幹二郎、長瀬智也、宍戸錠、高良健吾、松任谷正隆、大地康雄、堀内健(ネプチューン)、勝谷誠彦(ジャーナリスト)
・・・・といった方たちと同じ生まれです。

・誠実さと冷静さを持ち、大胆な面も持ち、個性的な性格を持った人である。
・変わったセンスを持っているので変わった人とみられがちであるが、好奇心と冒険心もあるので独特のアイデアを表現する。
・この人は勤め人には向かないので事業家として成功する。
・負けず嫌いで欲張りの所があるが、良い協力者を得れば、反発しながらも協力者の意見を取り入れる仁徳も持ち合わせている。
・短気で口べたであるため、直言的に物事を言うところがあるので損なところもみられる。
・ワンマン亭主であるので子どもからは好かれないが、慈愛のある妻の協力があれば成功する。




[365]  「お知らせ」   Name:道開き   Date:2020/10/01 (木) 11:13
拙著『暦の成り立ち』における訂正箇所のお知らせになります。校正時に訂正されなかったようです。


 P67  
◆還暦  3行目

「華甲」(この二字は六十一という字画から成り立つ)

           ↓

「華甲」(「華」の字が、六つの十≠ニ一≠ノ分解でき、「甲」は、干支の最初の甲子≠指す)



 P87
・臘日  5行目

十二月八日の臘日(ろうじつ)は年中行事の一つであって、

           ↓

十二月八日の臘八節(ろうはちせつ)〈臘八会(え)、臘八(ろうはち)〉は年中行事の一つであ              って、


[363]  過去ログA   Name:道開き   Date:2020/09/22 (火) 17:30
[125] ●「名言、名場面、名ゼリフ」 Name:道開き Date:2011/12/06(火) 10:10 

自分の場合、本を読んだり、映画を観たり、流行歌を聴いたりする目的のかなりの部分が、人生の後押しをしてくれる「こ・と・ば」と出会うことにあるとも言えそうです。今回の津波によって失った物の中で、最も惜しまれる物の一つに、ここ20年間に渡って拾い集めてきた「言葉のノート」があります。残念です。

「溝(みぞ)をば ずんと跳(と)べ  危うしと思はば 嵌(はま)るぞ」

記憶のノートには残ったままの、この言葉に出会ったのは高校時代の頃で、ちょっとした「名言集」に載っていました。物事の本質を単純明快に言い表しているのが印象的で、今日に至るまで数多くの導きを授けてもらっているように思われます。
大根の漬物の名として知られる、江戸時代初期の禅僧・沢庵(たくあん)の著書『不動智神妙録』の中の言葉です。禅師は、吉川英治の小説『宮本武蔵』の中では、剣豪・武蔵を導く心の師として登場しています。

最近、「海外メディアが今回の東日本大震災をどのように報じたか」を記した本を読む機会を得ました。非常に興味深いものがありました。
津波の2、3日後には、我が家の直ぐ側の野蒜小学校に、海外メディアのテレビ・クルーが大勢やってきていて、町内会の皆さんが一丸となって多岐だしする様を撮影していたのには大変驚かされました。

当時、アメリカのテレビでは、黒澤明監督の映画『七人の侍』のシーンが流され、一丸となって、冷静に、毅然とした姿で、困難に立ち向かう日本人の精神文化が解析されて報じられたそうです。

「離れ家は三つ、部落の家は二十だ・・・・・又、この部落を踏みにじられて離れ家の生きる道はない。いいか、戦とはそういうものだ。人を守ってこそ自分も守れる。己のことばかり考えるやつは己をも滅ぼすやつだ」

他にも、

「良い城にはきっと隙が一つある。その隙に敵を集めて勝負する。守るだけでは城はもたない」

「子どもは大人より働くぞ・・・もっともそれは、大人扱いしてやればの話だがな」

「いいか、敵は怖い。誰だって怖い・・・しかしな、向こうだってこっちが怖い」

「攻める時も 退く時も走る。 戦に出て走れなくなった時は死ぬ時だ」

以上が、映画『七人の侍』の中でも特に印象に残っているセリフになります。名画というのは、名セリフ、名シーンの積み重ねによって成り立っているようにも思われますが、『七人の侍』は、まさにその宝庫であるとも言えそうです。

「シェーン!・・・カムバック!」と叫ぶ少年の声が、ワイオミングの遙かなる山々に響き渡るラストシーンが余りにも有名な西部劇が『シェーン』です。映画の最大の山場とも言える、ガンマン・シェーンとシャイアンから招かれた殺し屋ウィルソンとの決闘シーンが印象に残ります。“プロ”同士の対決とはこういったものなのか。命をやり取りするに当たっても、表面的には実に平静であり、一転、水面下では、ありとあらゆる駆け引きが行われている。二人が交わす言葉、所作の一つ一つのせめぎ合いにぞくぞくさせられます。言葉のやり取りがそのまま命のやり取りになっているといった構成です。

もう一つ好きなのが、映画『マイ・フェア・レディ』の休憩に入る直前の第一幕の終わりのシーンです。イライザ(オードリー・ヘップバーンが演じる)が競馬場での失態を嘆く場面から、一瞬にして、舞踏会に向かうシーンに切り替わります。
これから出向く舞踏会に、どれほどの困難が待ち受けているのかは十分過ぎるほどに予想されながらも、その凜(りん)とした様、その覚悟のほど、内に秘めた自信 (失敗後の特訓のシーンが全く描かれていないにもかかわらず、それら一切を無言で現してしまっている演出の凄さ) といったものが、映画『シェーン』の決闘シーンと非常に重なるものがあるのです。前述した沢庵禅師の言葉とも重なります。

『マイ・フェア・レディ』は、ブロードウェイでロングラン上演を重ねた舞台劇の映画化ですから、ストーリー展開が洗練され尽くされていて、全く隙がありません。この点においても、まるで決闘を見ているかのような気持ちにさせられるのでしょう。

方や邦画の時代劇、方や洋画の西部劇、ミュージカルといった、全く異なるジャンルの映画のこれらの名シーンは、何十回見ても飽きないし、見る度にパワーをもらえるのです。有り難いものです。


[362]  過去ログ@   Name:道開き   Date:2020/08/27 (木) 13:00
[124] ●「人生の意味」 Name:道開き Date:2011/11/22(火) 13:33 

大震災から8ヶ月が過ぎ、被災地では自殺や精神疾患に苦しむ人が急増しています。
家や家族を失い、仕事も失って、先の見通しが立たず、「人生に意味」を見出せなくなっている人たちが増えているのです。

以下に、十年ほど前にベストセラーとなった養老孟司著『バカの壁』の中に記載されていた、「人生の意味」に関する記述を抜粋して取りあげてみます。

◆◆◆
(国家、地域社会、会社、家族などの)共同体がバラバラであることそのものが自由の表れであるかのような風潮に対し、一つのヒントとなる考え方がある。それは「人生には意味がある」という考え方だ。

アウシュビッツの強制収容所に収容されていた経験を持つV・E・フランクルという心理学者がいます (収容所での体験を書いた『夜と霧』や、『意味への意志』『〈生きる意味〉を求めて』など、多数の著作を残している) 。

彼は、一貫して「人生の意味」について論じました。そして、「意味は外部にある」と言っています。「自己実現」などといいますが、自分が何かを実現する場は外部にしか存在しません。つまり、人生の意味は自分だけで完結するものではなく、常に周囲の人、社会との関係から生まれる、ということです。とすれば、日常生活において、意味を見いだせる場はまさに共同体でしかない。

フランクル自身も、強制収容所といういつ殺されるかもわからない状況下で、「生きるとはどういうことか」という意味について考え、「他人が人生の意味を考える手伝いをする」ことに行き着いたという。

フランクルが七〇年代にウィーンの大学で教鞭を執っていた際、ヨーロッパの学生たちが「人生は無意味だ」と考えていたのは25パーセントだったのに対し、アメリカからの留学生の60パーセントが「無意味だ」と考えていた。特にアメリカ型の思考を持つ人にこういう考え方が多いことがわかった。さらに当時の統計で、若い麻薬患者の100パーセントが「人生は無意味だ」と考えていた。

人生の意味を考えることはそう簡単なことではないかもしれません。なかなか答えが出るわけではなく、正解が用意されているわけでもない。「人生は無意味だ」と割り切った方が、当世的で楽にも思えます。しかし、それを真面目に考えないことが、共同体はもちろんのこと、結局のところ自分自身の不幸を招いている。
◆◆◆

自殺者が増えているということは、突き詰めれば「人生に意味を見出せなくなっている」人が増えていることに他なりません。昨日、待ちに待った3次補正予算案がようやく国会を通過したようです。国会議員の皆様方には、もっとスピード感を持って、他人事ではなく自分たちの事として(同じ共同体を構成する者として)、被災地の「共同体の再生」に取り組んでもらいたいものです。

[361]  ●“口寄せ”神事   Name:道開き   Date:2020/08/23 (日) 12:54
◆不可思議なお祓いの始まり・        〈H19年7月〜H20年3月〉            

かなり摩訶不思議な内容の話になります。『現代版 耳なし芳一』とでも言ったらいいのか、私自身が社会的信用を失ってしまいそうな、訳の解らない絵空事を書き並べていると揶揄されそうな内容であることは十分に承知した上で、敢えて書き記すことに致しました。

昨年の夏から秋にかけて、二人の不思議な若い女性が、当白鬚神社を何度か訪ねて来られました。

先ずはHさんですが、県内の某有名大社からの紹介を受けていらっしゃいました。彼女のお話では、友人でもある女性霊能者のTさんから「あまり善くない霊が憑いているので、どこかでお祓いしてもらった方がよい」と言われたので、お祓いを受けに来たということでした。


●たまたま受付をしている時に、「例えば、こうして指をさして“トホカミエミタメ”と祓詞を唱えただけでも・・・」といった説明をしていたところ、突然、Hさんが神憑り状態になり、彼女に憑いていた霊が自らの思いを語り出しました。おそらくは、私の指先から憑依している霊に“神気”が放射されてしまったことにより起こった憑霊現象だったのでしょう。

「自分は子どもを残したまま自殺してしまった女である」「回りから愛されているこの女が羨ましい。家庭内をメチャクチャにしてやろうと考えている」「残してきた子どもたちのことが心配でならない・・・・」

当方としましては即座に、その迷える霊に対して考えの誤りを正し、「いつまでもこの世に留まって居ないで神さまの元へと向かわなければいけません。あの世でしっかりと修行して、再びこの世に生まれ返ってくるようにしなさい」と諭し聞かせた後、「白鬚神社の大神たち、この障りの一切を正しき方へと導き給え」と唱えて、そっとあの世へと送り導いてやりました。

そのHさんは、かなりの“霊媒体質”の方らしく、その後、幾度となく同様のことを繰り返すこととなりました。後に解ったことなのですが、前世では“口寄せ”の仕事をなさっていた方のようでした。


●その数日後、霊能者のTさんもご一緒に神社を訪ねて来られて、お祓いを行う際の様子を見てみたいということで共に参列されました。ご祈祷後のTさんのお話では、「亀廼井さんを、普段、二人の行者さんの様なお姿の方たちが守護して居られるようなのですが、ご祈祷を始めようとして装束(狩衣)を身に着けられた途端に、神社の殿内が、数え切れない程のそういった装束姿の方たちでいっぱいになりました。これまでに経験したことのない光景でした」ということでした。

そのTさんは、現在“時の人”となられて、テレビで活躍中の“スピリッチャル・カウンセラー”江原さんのことをひたすら尊敬されておられるということでした。私が、10年程前に江原さんと偶々お会いする機会を得て、二人きりでお話をしたことがあり、私の守護霊の行者さんからのメッセージを伝えてもらった事をお話したところ、とても驚かれていました。

その後、この様な神事を幾度となく繰り返すこととなりましたが、Hさんの“憑き物”のお祓いを行う際には、Tさんの存在とその霊能はとても有用で、非常に助かりました。と言うのも、迷える霊たちは、とにかく自分の思いを聞いてもらいたがるのです。どういった亡くなり方をして、今どのような気持ちでいるのかといったことを聞き出すのには、どうしても時間がかかってしまいます。ですから、Tさんが瞬時に霊の思いや、亡くなったときの状況を感じ取ってこちらに伝えてくれると、非常に時間的に早められるのです。Tさんには、その時の状況が霊眼に見え、空襲でなくなった人の場合などには、爆撃音や逃げ惑う人たちの叫び声といったものも聞こえ、家を焼く猛火の熱さまで感じられるそうです。


さらに、この時から二年ほど経過してから知ったことなのですが、Tさんは以前から霊の姿が見えたり、霊の語る言葉が聞こえたりしていたのではなく、何となく感じ取れる程度だったということでした。この日にHさんと初めて白鬚神社に来て、境内で私が来るのを待っていた際に、車でやってきた私が駐車場に車を止めて降りる姿を見て、「何で三人で来たのだろう?」と、私の周りにいた二人の守護霊の行者さんの姿まで見えたのが総ての始まりだったということでした。神社という空間そのものに、霊感を覚醒させる何らかの力があるということなのでしょう。


●Tさんが「今、リストラにあって苦しんでいる時に交通事故で亡くなった方がHさんに憑いています。その男性には、奥さんと高校生の娘さんがいて、二人の今後について心配しているようです。娘さんはお父さんのことが大好きでした」と話されると、Hさんは別人格となり、顔つきも男性に変わり、そういった内容のことを話し始めます。それを私の方で諭して、あの世へと送り導いてやります。

「次は、受験を苦にして自殺した少年が入りました」というと、同様の事が起き、またまたあの世へと導いてやるといった事を繰り返しました。彼は、親から「勉強しろ、勉強しろ」とうるさく言われ続け、二浪してもう後がないと自分を追い込んで、思い詰めてしまったことにより死を選択したようでした。


★お迎えの霊たち

迷える霊が、あの世へと向かう気持ちになってくると、必ずといってよいほどに、あの世から使わされたお迎えの霊が姿を現します。懐かしい先祖の方たちだったり、親しかった友人だったり、可愛がっていた動物だったり・・・
神さまが、霊たちが恐れないようにと、そういった取り計らいをして下さっている様なのです。
彼の場合、只一人自分を理解して可愛がってくれたお婆ちゃんが迎えに来たようでした。彼は、祖母の霊に泣きすがりながら、あの世へと赴いて行ったとのことでした。


●「隣村同士の、百姓の土地争いで亡くなった霊が入りました。この霊は一方のリーダーだった人のようです」とTさんが話された時も、Hさんの口からは「自分は、鍬で片腕を傷つけられ、首に縄をまかれて、馬で田畑を引きずり回されて死んだ者だ」と、亡くなった時の状況が語られました。

この霊は、大部以前からHさんの母親に憑いていたその土地の因縁霊らしく、三ヶ月ほど前にHさんの実家にお祓いに伺った際にはあの世へとは向かわずに、今回、お祓いに同席したお母さんに憑いたままの状態で神社までやって来て、自らの身の上話を聞いてもらいたかった様なのです。お母さんは、7年ほど前から首と左腕に痛みを覚え、何ヶ所かの病院回りをしてきましたが、どの医者からも「何の異常もない、気のせいだ」と言われ続けてきたということでした。

当方からは「相手側だって生きる為だったのだから、決して恨んではいけない。あなたは、態度も、語り口も、立派な人格を備えている方のように見受けられるから、今はそういった時代ではないので、神さまの元でさらに学んで、生まれ変わって、世の中の為に尽くしてください」と申し上げますと、その霊は「この女の人(Hさんのお母さん)の優しさに甘えてしまい、誠に申し訳ないことをしてしまった」と語り、丁寧に深々とお辞儀をしました。
やがて、昔飼っていた愛犬の霊が迎えに来ている姿が見えるようになったらしく、その犬の霊が彼の腕にじゃれつき、やがて、一緒にあの世へと向かって行く姿がTさんの霊眼には見えていたということでした。

もう一つ、この霊について非常に印象に残ったことがあります。それは、生前の名前を問うた際に、その霊が「アベ・シンゾウ」と答えたことでした。第一次安倍内閣が成立して、何ヶ月か過ぎたばかりの頃のことでした。

キツネ憑きなどではよく、歴史上の人物モドキの名を名乗ったりすることは知っていました。例えば、徳川家康左右衛門だとか、豊臣信長だとかいった様に。実際に私が応対した霊狐などは「自分は白笹(しらざさ)大明神である」と、神名を名乗っていました。一瞬、「こいつはキツネか?」とも考えましたが、態度は非常に立派で、元人間であることは間違いないと思われる振る舞いでした。当時の私には、何度かの狐憑きのお祓いをした経験があり、霊狐には繊細な人間の情みたいなものが感じられず、まるでアニメのキャラクタ−の様な話し方をしてくるので、人間でないということがすぐに解りましたので。

つまり、憑依霊というのは、憑いている人がテレビで観たり聴いたりしている知識を、ある程度までは共有できているのだということが分かりました。ただただ亡くなった当時の思いを抱いたまま、藻掻き苦しんでいるだけではないのだと。こういったお祓いをすると、私もいろいろと学ばせられます。


●Tさんが「首のない甲冑姿の武者が入りました。この辺で亡くなられた方のようです」と話すと、Hさんの口からは「どこに行けば、わしの首が見つかるのか」と語られました。私の方からは「あの世へと向かいなさい。ちゃんと首が見つかるから」と諭しましたところ、その霊は実に素直に御礼を言い、あの世へと向かって行きました。
(リストラに合って悩んでいる内に交通事故で亡くなった霊に対して、「会社に首を切られたのですね・・・・・」といった話をした直後のお祓いだったので、その「首を切られた」という言葉に感応してやって来た霊のようでした)

その日は、続けざまに6体の霊をあの世へと導くことになりました。
Hさんは、女の霊が憑くと女性の表情で語り、男の霊が入ると男性の表情、口調で語り始めます。子どもの霊が入ると、子どもの仕草をしながら語ります。

言うことを聞かずに大暴れする霊には、仕方なくある言霊を用いたお祓いで、しっかりと一撃を加えてから言うことを聞かせるようにしました。その様にすると素直になってこちらの諭しを聞き入れ、あの世へと向かって行くのでした。


●さらに、何度かHさんのお祓いを繰り返している内に、見えない世界では、白鬚神社で話を聞いてもらい、あの世へ送ってもらいたいという霊が大勢になり、Hさんの周りには更に不幸な霊たちが集まり続けました。Tさんからは「これではHさんの身がもたない。どうしたらいいものでしょうか」という連絡を受けました。

Tさんから連絡が入り、「昨夜、白鬚神社の神さまのお使いだと語られる、頭に葉の冠を差し、十二単の様なお召し物と赤い袴(はかま)を身に着けられた、巫女さんのような姿の女神さまが現れ、Hさんをこのようにして守ってあげ、迷える霊たちもまとめて私が神社に連れて行ってさしあげるから安心しなさい」というお告げがあったということでした。

そして、Tさんが、Hさんと共に神社に来てみると、その時の女神さまが拝殿の中で待っておられ、二人を出迎えてくださったということでした。当方としましては、その日も、いつもと同様にご祈祷を行い、多くの霊たちを神さまの元へと送ってやるだけでした。

その日、私が祝詞を奏上している際には、本殿の方から、おしりを出し、背中に翼をつけた天使たちが大勢あらわれて、Hさんの周囲を飛び回る姿が見えたそうです。
(私は神主なので、神社の本殿からエンジェルが飛んできたというお話は、何とも複雑な心境で聞いていましたが)後になって考えてみると、この頃がHさん懐妊された時期だったのかもしれません。

更に、迷える霊たちの間で話が広まり続けたようで、Hさんの回りにはさらに大勢の霊たちがつめかけました。その際にも、白鬚神社からのお使いの神さまたちが、大勢の霊たちを雲のような乗り物にのせて連れてきたとのことでした。


●ある日の夕刻には、いつものようにHさんに対してお祓いを行っていると、ハッキリとした記憶はないのですかが、30〜40体の霊が次々とHさんの体に入って語り出しました。当方としては、短期間の内に、次々に霊たちを諭し、あの世へと導き送ってやりましたが、正直なところ、ほとほと疲れ果ててしまいました。

やがて、Hさんの霊魂はそれらの霊たちに押しのけられて、自分の身体に戻ることができなくなってしまいました。Hさんの霊魂は悲観してしまい、神社からぬけだして、神社前の鳴瀬川に自らを投げだそうと考えたようでした。そのことを察知したTさんは「Hさんがいない、あれ、Hさんがいない」と慌てだしました(Hさんの身体は眼前に在るのですが)。その直後に、Tさんの守護霊が機転を利かしてTさんの身体に入ったらしく、Tさんは急いでHさんの霊魂を連れ戻しに神社の外へと出て行きました。

それから暫くして、無事に連れ帰って来たということなのですが、やはりHさんの霊魂は自分の身体には戻れない状態でいるらしく、Hさんの身体に入ろうと並んでいる霊たちの列の後方に泣きながら並んでいる状態でいるらしく、再び神社から抜け出してしまいました。

Hさんの身に入り込んだ霊たちの中には、Hさんの身を心配してくれる霊もいて、その中でも力を持った霊に対し、Tさんが「あなた達、今すぐにHさんの霊魂を連れ戻して来て」と言い付けると、瞬時に連れ戻しに行ってくれたようでした。その行動は非常に迅速でした。さすがそこは霊の仕業です。空間的な距離は関係ないようでした。そして、その霊たちが他の霊を追い払い、Hさんの霊魂を身体に戻してくれました。



★注連縄(しめなわ)の威力

そのような事もあって、今後、Hさんをどのようにして守っていったらいいのかを、私なりに熟考してみました。
この際、Hさんの住むアパートの各部屋に注連縄を張り巡らし、“お宮”と同様の「神々の領域」にしてしまえばいいのではないかとの思いに至り、すぐに注連縄を準備し、Hさんに渡しました。
(「注連縄の内は、神さまの領域となる」ということは、絶対的“神霊界の掟”なのだということは、多くの関連図書を読んで知っていましたので)
他にも、細部に渡り、Hさんに「邪霊に波長が合わなくなる為の自身の霊格の高め方」等を指導しました。

その後、Tさんから連絡があり、注連縄を巡らしてからは、迷える霊たちは家の中に入れなくなったようです。しかし、死神は入れるようなのです。その際には、白鬚神社のお使いの女神様が突然現れて、「お主も神であろう。この領域で、そなたが企むことをしようものなら済まぬぞ。この者を守る神の姿を凝らして見ろ。この内には、入ってはならぬ」と強く叱責し、死神を追い出したということでした。これはHさんとの電話越しに聞こえた、神さま同士のやり取りの言葉だったといいます。

この後、この注連縄の持つ不思議な力が、様々な場面でHさんを守り続けることになりました(出産時には、注連縄をブレスレット状にして臨まれました)。


(Tさんによると、Hさんの場合、首の裏側、右の肩胛骨、腰の三カ所に「霊の出入り口」があるらしい)



★『トホカミエミタメ  トホカミエミタメ  トホカミエミタメ (三回)
祓い給い  清め給ふ 』
 
と唱えると、“神気”が神主(私)に集まってくるのが見えるとTさんは言います。それを指先から、憑霊状態にある人に向けて放射すると、余り善くない霊が憑いている場合は霊が藻掻き苦しみます。Hさん、Tさんによると、“金銀の光”が、まるでホースの口から水が放たれて人に激しく浴びせられているように見え、浴びている悪霊は強い衝撃を受けている状態になるらしい。

この“言霊の力”により、反抗してくる悪霊に対して一撃を加えてこちら側の言うことを聞かせる。善霊が、怒りから大声を出したりしている場合には、この言霊による押さえは全く効かないので、誠意を持ってじっくりと話を聞いた方がよい。

以前、神さまのお使いの「おキツネさん」に邪(よこしま)な野狐(やこ)と勘違いして施術したことがあったが、苦しむどころか、気持ちよさそうに寝入ってしまいそうになった。

憑依している霊が、善なるモノか悪なるモノかを審神者(サニワ)する際には、これが私にとっては非常に有効な手段となっている。





[360]  ●会津藩士のミタマを送る   Name:道開き   Date:2020/07/24 (金) 11:04
◆Hさんの妹さんの転居先アパートでの出来事 〈平成20年8月23日〉

この度、Hさんの妹さんがアパート暮らしを始めることになり、新居となるアパートの部屋のお祓いと、神殿を奉斎するための神事を執り行なうこととなった。その3日前に、Hさんから別件で電話がありました。

(Hさん)「Tさんが、子ども連れの夏休みということで会津に行った際に、白虎隊のような方達の霊からコンタクトを受けたらしいです。どうやら、神社で三人で行っている神事のことを知っているようで、自分たちも神社で神事を執り行ってもらいたいと、憑いて来たそうです。その後、電話している内に私の所まで来てしまいました」

(私)「会津藩士の皆さんは、それは立派な方々で、藩を守るために壮絶な戦いをなされて亡くなられた方たちです。しっかりとした道徳教育を受け、厚い道義心を持たれた方々だから、先日、生霊が送り込んでよこしたようなチンピラ霊たちから、そのまま暫く守っていただいていれば良いかと思われます」と話しましたところ、

(Hさん)「亀廼井さんの今のお話を聞かれて、皆さん、涙を流されてます」と言う。


その後、23日に神事を執り行う。会津の皆さんは、本日は自分たちと関係のない事と思われてか、アパートの外にいて部屋の中には入ってこられなかったらしい。
そして驚いたことに、この日のHさんは、いつもの神社における霊能とは全く異なり、まるでTさんのような霊能が働いて、神事の際の霊的光景の一切が見えたと言います。

大麻(おおぬさ)でお祓いをしている際には、金粉のようなものがキラキラと光り輝いている様子が見え、祭壇の両脇には、男神と女神がお立ちになられているお姿が見えたといいます。そして神事が始まるや、何事が始まったのかと、窓やベランダの所に多くの迷える霊たちが集まってきているのも見え、土地に関係した古い邪霊たちが、神殿の上にポッカリと開いた穴のようなものの中に吸い込まれていく様子も見えたそうです。

神社に行きたいと言っている迷える霊たちは、私の後に付いて行こうとして、ドアに向かってバス待ちをしているように一列に並び、会津の方たちは、自分たちは次回でよいと語っているという。

神社に戻り、神事を終えた後に、Tさんに電話をしてみました。

(Tさん)「本当は、新潟の水族館に行くのが目的の旅行でした。たまたま途中の会津に一泊しただけなのに、宿泊先のホテルの風呂場で、ソフトでやさしい金縛りに遭い、それが始まりでした。もしかしたら今回の旅は、この方たちに呼ばれていたのかもしれません」と語る。




◆会津藩士のミタマを送る  〈9月20日〉

Hさんが懐妊中で、どうしても体調が今一つ良くないということもあって、今回はTさんと私の、二人での神事となりました。涌谷のBさんのお祓いもおこない、Hさんの子ども達の世話をする為に、境内にもう一人の方もいらしていました。今回はいつもと異なり、Hさんの“口寄せ”がないので、始めにこれまでの経緯をTさんに詳しく話してもらい、Tさんに語られた会津藩士の霊たちの思いを十分に伺い、その後に祈祷を行うといった形式を取りました。


★今日までの経緯
「夏休みなので子ども達を連れて水族館に行こう」と、Tさんの旦那さんから話しが出た。Tさんの故郷・青森の、浅虫の水族館に行こうと希望するが、どういう訳か、旦那さんは新潟を言い張るので、そちらに決まった。8月16日と17日の二日間の予定を組む。

これも旦那さんの希望で、途中の会津に寄りたいと言うので、16日には飯盛山の白虎隊記念館などを見学し、宿泊には東山温泉の“くつろぎの宿”を取った。当日はキャンセルがあって、一部屋だけが空いていたという。今になって思うと、何らかの見えない力の働き掛けがあって、始めから段取りされていたような事ばかりであったという。

当日の夜は、温泉街の祭りがおこなわれており(おそらくは「送り盆」)、各々の宿泊施設にはそれぞれに祠(ほこら)が祀ってあったという。
夜中の12時を過ぎた頃、Tさんは二度目の入浴をしようと子ども達を連れて浴場に向かい、自分一人は露天風呂に浸っていた。すると、湯女や、ふんどし姿の三助の霊たちが見え始め、その奥の方には、血の付いた装束姿の15、6人の侍たちの霊も姿を現わした。侍たちは、白鬚神社において三人で執り行っている神事のことを知っていると語ったという。

もう既に、かなり浄化している霊たちの様で、会津であった戦が負け戦であったこと、家族や親族の者達が葬儀をあげて、弔ってくれたことも知っていた。
侍たちの多くは成仏しているが、女、子ども、田、畑、河川などで亡くなった民百姓たちで成仏できないでいる者たちも多く、それら未浄化の霊たちを自分らが集めるので、一つのケジメとして、白鬚神社できちんとした形でもう一度、会津戦争で亡くなった者達の為の神事を執り行ってもらいたいと語ったという。
その中の、15才位に見える若者(白虎隊?)の一人は、かなり、何かを語りたい様子だったのが特に印象に残ったらしい。

就寝し、午前2時30分頃に目が覚めた。すると、昔風の家の中の様子が見え、刀の手入れをする侍の霊と、ひたすら夫の旅支度をする女性の霊の姿が見えた。どうやらこの侍は北の戦場に向かったらしい。その戦場で亡くなった時の光景も見えた。

翌日、佐渡島を見て、喜多方経由で帰る。これも旦那さんが言い出した事らしく、そこでも多くの侍たちの霊を拾い集めて来る事になったという。

帰宅後は、それら会津藩士の霊たちとの共同生活みたいな状態になったが、彼等の崇敬心の篤さには驚かされることばかりで、Tさんが神棚を拝むと、一緒になって全員揃って手を合わせた。すると、それを不思議に思ってか、多くの迷える霊たちも集まりだし、Tさんにとっては霊的にかなり苦しい状態となり、家の中が煤けだし、やたらとホコリが溜まり始めた。
Tさんが苦しくなって、「近々、お寺に足を運ぶので、仏式でおこなってはどうか」と伝えると、「もっとよく勉強しなさい」と勿(しゃく)の様な物で強く叩かれ、激しく叱責されたという。


白鬚神社での神事の当日、「Hさん抜きで神事を執り行いますので、ひとまずあの世へと赴いていただき、Hさんの体調が整ったら、“口寄せ”の為に降りて来てもらい、自らの言葉で語ってはいかがか」とこちらから申したところ、即座に承諾していただいたらしい。

神事が始まるや、会津藩士の霊たちは、他の集まって来ていた行儀の悪い迷える霊たちにも正座をさせ、自分たちは最前列に整然と並んでお祓いと祈祷を受け、そして神事が終わるや否や、あの世へと赴いて行ったということでした。



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◆この一年間に渡る神事の総括  〈平成20年〉

★映画『コンタクト』と“言霊(ことだま)”

自分なりにこの一年を振り返ってみた。沖縄戦の犠牲者たち、中国ウイグル自治区の弾圧で亡くなった方たち、会津戦争で亡くなった方たちの霊の集団が、何故に、遥か遠くに位置する当神社までやってこられたのかをよくよく考えてみました。

SF映画に『コンタクト』という作品があります。宇宙の生命体からの通信を得ようと研究に取り組むジョディー・フォスター演じる女性科学者が、ある日突然、宇宙からの通信をキャッチします。それは人類初のテレビ放映電波、つまり、ヒットラーが国威宣伝(プロパガンダ)の為に行ったベルリン・オリンピック開会式のテレビ映像でした。ここから映画のストーリーは急展開していくのですが、私が最も興味を引かれたのは、我々が日々使用している様々な電波は宇宙の果てまでも波及し続けるという事でした。

「言葉」を“光透波(ことば)”と解釈されている古神道家、言霊研究者も居られるようですが、こういった“言霊”信仰というものは、決して日本だけのものではありません。『聖書』のヨハネ伝には「太初にコトバあり、コトバは神とともにあり。コトバは即ち神なりき、万のものこれよりてなる」と書かれています。インドのウパニシャド哲学の奥義書『リグ・ベェ−ダ』においても、創造主は“言葉の主”となっています。

今年の1月の20日は、暦の二十四節気の「大寒」でした。今年も例年通り、大寒禊(みそぎ)に参加しました。褌(フンドシ)一つになって、気温が氷点下6、7度以下にまで下がった日の出直前の海に入ります。「神事」の時間は20〜30分ほどです。

今年はどういう訳か、一番最後まで「斎場」に残っていたからなのか分かりませんが、4社のテレビ局からのインタビューを受けることになってしまいました。それも1社ずつ個別にでした。各テレビ局とも「どういった気持ちで禊をされましたか?」といった内容のものでした。

こちらは寒さで意識を失う寸前の朦朧とした状態だったので、それどころではなかったのですが、あまり深く考えずに思いつくままに「おのれのミタマを清め、世の中を清め、世界中が平和であることを願って禊を行いました」と答えました。後でテレビを見ましたら、かなりドデカい事を口にしてしまったな〜とも思えました。

どう考えを廻らせてみても、この出来事以外に、白鬚神社で偶然に行われ続けることになった“口寄せ”神事に、沖縄戦の犠牲者たち、中国のウイグル自治区の拷問でなくなった方たち、会津戦争で亡くなった方たちの霊の集団が、突然、“コンタクト”してきた理由が思いつかないのです。

人は一本の「アンテナ」だというのが私の持論です。禊(みそぎ)によってアンテナの感度が高まると、“受信”のみならず、“発信”の性能も高まるようです。禊をしたことにより増幅された“光透波(ことば)”が、更にテレビ電波に乗って発信されたことにより、遥か遠くまで伝播して起こった出来事だったように思われるのです。


とにかく、「言葉」−“光透波(ことば)”の持つ力によって、世の中を祓い清めていきたいと思っています。見えない世界から改善していかないと、この日本はどうにもならない所まで来ているようにも思われます。


※「行」について
「行(ぎょう)」というものは必要ないものだと語られる宗教者もおられます。ここ数年、よくテレビでお見かけする“青森の神さま”こと、木村藤子さんの本なんかを読んでみても、全くそのように書かれていました。

しかし、人々の願い事を神さまにお伝えする「祝詞(のりと)」を奏する(発信する)ことを生業(なりわい)としている私ども神職にとりましては、“禊”や“鎮魂”といった「行」は大切なもののようにも思えてなりません。そういった、意味のあるものだからこそ長い歴史を経て、現在にも受け継がれているのだと考えています。しかし、必要としない方については、それはそれで良いのだとも思います。天才肌の方にとっては、それで十分に間に合っているということなのでしょうから。

今から12年ほど前(平成8年頃)の話になりますが、当時、興味を持っていましたスピリチャリズムに関連した「サイキック・フォーラム21」という集会に参加した際に、今をときめく『オーラの泉』の江原さんと、東京は目黒駅のすぐ近くにある目黒会館でたまたまお会いする機会を得ました。これも今思うと、かなり不思議な異人との“コンタクト”だったとも言えるのですが、ベランダに出て目黒の街を眺めながら二人きりでお話をすることができ、私の守護霊である行者さんからのメッセージを伝えていただきました。

「頸椎がズレかかっているので治療した方がよい。・・・これまでも、たびたび繋がってきてはいるのだけれども、もっと、しっかりとした繋がりを得たいので、“行”を積んでくれるように」といった内容でした。

その時は、話の内容をあまり信じておりませんでしたが、2、3年後には本当に頸椎がズレてしまい、首が回らなくなり、ようやく伝えられたメッセージを信じられるようになったのでした。

そういった経緯もあってのことか、特に大寒禊の前夜から当日の朝にかけて、私の守護霊の行者さんからも“コンタクト”を受けているみたいなのです。
数年前、危うく寝過ごしてしまいそうになった際には、誰かに太股の辺りを揺すられ、「はい、わかりました」と、その存在と会話を交わしている自分の言葉で目を覚ましました。「あれ、私は今、誰と話をしていたのだろうか?」と不思議に思ったものでした。
今年も、前夜、灯りを消して布団に入ると、枕元でしばらくの間、“衣擦れ(きぬづれ)”の様な音がしていました。「はい、わかりました」と心の中で返答しましたところ、直ぐに治まりました。



[358]  ●全くもって意外な氏神様の“お使い”   Name:道開き   Date:2020/06/21 (日) 08:48
Name:道開き Date:2010/04/29(木) 18:06

〈平成22年4月23日〉

21日の朝、S町のOさんという方から、当方宛に下記内容のメールが届きました。

「御祓いの依頼なのですが。昨晩、霊感の強い娘に二人の霊が憑依し、その一人が申しますには、我が屋敷裏の柿の木付近に三本の尾を持った白狐のような、犬のような悪霊がおり、日々成長しているのでその内に禍が起きるとの事でした。すでに私は、5年前からうつ病で治療中、三年前に父も柿取りをしていて倒れ、くも膜下出血で急逝。娘も2年前より病気がちな状態でいます。それで、憑依霊が強調して申しますには、1週間以内に御祓いをしていただくようにと、御神職様をご指名でありました。何卒お引き受け賜りますようお願い申し上げます」というものでした。

その後すぐに連絡を取り、翌々日の23日にお祓いに出向する運びとなりました。

当社から車で40分ほどの距離の所に在るそのお宅近くまで来たとき、ふと、「あれ、ちょうど1年前に他家の地鎮祭に向かう途中、この家の前を通ったな」ということが思い出されました。そして、神事を執り行う前に、その家の方たちから事の詳細を訊いてみるや、更に驚かされることとなりました。

20日の夕刻、父親と娘さんが居間でくつろいでいると、突然、娘さんに憑霊現象が起こり始めたらしく、憑(かか)ってきたその霊は、初めの内はうまく話せないようでしたが、いくらかの宗教知識を持っていた父親が話を少しずつ誘導してみると、次第にシッカリと普通に話せるようになったと言います。

その霊は男の霊で、2年ほど前に病で亡くなった自動車関係の仕事をしていたご近所のTさんという方でした。「この娘さんは、この辺りで一番の霊能を持っている生まれなのだが、今の状態は非常に心配される。屋敷裏の柿の木付近に、三本の尾を持った白狐のようなモノが住みついており、日々成長しているのでその内に禍が起きる。この娘にも見えるはずだ。決して側に近づいては行けない。とにかく1週間以内に御祓いをしていただくように」と語り、そのモノの絵まで描いて見せました。

「お寺に頼めばいいのですか、神社ですか、それとも祈祷師さんですか」と尋ねると、そのTさん霊は「この鳴瀬川の下流、河口地域の野蒜にある神社の神主さんに連絡を取りなさい」とハッキリと語ったということでした。
(※注意 ― 当方の宣伝用にホラ話を創作しているのでは決してありません)

そして、自分の生前の頃の話をしたり、少しだけお酒を飲ましてくれなどと語ったりし、その時点で家に不在だったOさんのお母さんが帰宅するのを待ち、挨拶してからあの世に戻って行ったそうです。
おかしなもので、Tさんの家族の現況については全く知らない様子で、Oさんとお母さんが、ご家族の皆さんが無事に暮らしている話をしてやると、非常に喜んでいたとのことでした。

さらに、そのTさん霊の憑依の合間、合間に、幾度か娘さんに入り込んで話そうとする、もう一人の別人格の霊がいたそうです。娘さんと同じくらいの年齢の女性の霊らしく、名前は名乗りませんでしたが、「私がこの人の側に憑いているから病気がちなのではないかしら」と語ったとのこと。
その憑霊現象は、時間にしてまる2時間くらいの出来事だったといいます。

さらに詳しく話を伺ってみると、Oさんの娘さんの体調がおかしくなりだしたのは、2年ほど前に車の追突事故を起こした頃からだということでした。それ程の大きな事故ではなかったのですが、精神的なショックが非常に大きく、当時は、かなりの落ち込みだったそうです。おそらくは、精神的に弱っていた状態の時に、迷える女性の浮遊霊に憑依されてしまったのではなかろうかとも考えられました。又、その際にお世話になったのが、自動車関係の仕事をしていたご近所のTさんでした。


そして、一月ほど前に、近くの神社の神主さんにお願いして、屋敷内にある邸内社(氏神社)を新しくお祀(まつ)りしたとのこと。その頃から娘さんの方も、インターネットで自動書記などのスピリチュアルな事柄を調べ始めるようになったということでした。

おそらくは、O家の“霊系の集合体そのもの”をお祀りする邸内社を新しくしたことにより、今回のように事態が大きく動きだし、憑霊現象の準備が整えられ始めたのではなかろうかとも考えられました。

「有名な大社の神さまや、当社の白鬚神社の神さまに手を合わせる以前に、先ずはお宅の邸内社の神さまを第一にお祀りした方がよいです」と話して聞かせました。

また、その娘さんが、ネットの関連サイトにアクセスした或る夜には、何者かの霊に首を絞められたこともあったということでしたので、「ネット上を移動している霊もいるようなので、あまりその種のサイトでチャットなんかしないほうが良いです」と話して聞かせました。「ホラー映画まがいの事を語るな」と叱られそうですが、実際にそうなのです。

それにしても、氏神さまのお使いが先祖霊などではなく、近くの車屋さんの霊であったというのは全くもって意外な展開でした。とにかく、こういった時にいつも感じられることなのですが、「“あの世の存在”(神さま、先祖霊、他の霊たち、神使の動物霊・・・)と“この世の存在”(人、動物、植物・・・・)は、別個に存在しているようでいて、まるでインターネットのように総てのものが繋がりあっている」ということです。


★西洋のキリスト教社会の場合、こういったTさんのようなお使い霊は、「天使」として扱われているようです。
そういった内容を描いた映画には、『素晴らしき哉、人生!』『オールウェィズ』『シティ・オブ・エンジェル』などがあります。



[357]  ●おキツネさんの タロ?・・・ or ジロ?   Name:道開き   Date:2020/06/19 (金) 16:01
投稿者:道開き   投稿日:2006/11/02(Thu) 19:48

ごく最近あった“キツネ憑き”に関する話になります。どうも、映画『南極物語』に対する、ここしばらくの私のこだわりの想念との間に、何らかの“リンク”なり、“シンクロ”なりが起こっていたのかなぁ〜、とも考えられる出来事でした。

ある氏子から電話があり、「親戚の娘が“キツネ憑き”になっているので、お祓いしてもらえないものか」という内容の相談を受けました。翌日、家族共々、神社に来てもらいましたところ、その娘さんの、口もとを動かしたり、時折、のけぞったりするその仕草は、うちの飼い犬の行う仕草とかなり似たものでした。

しかし、その様子が、それ程タチの悪そうなキツネにも見えなかったので、まずはご神前において御祈祷をしてからと考え、神事を執り行いました。その間、そのおキツネさんは、幾度となくのけぞったり、“雄叫び”をあげたりしながらも、ご神前にきちんと正座をし、合掌もしていました。

「御祈祷」を終えた後、いろいろと問い尋ねてみましたが、「帰りた〜い、帰りたい。帰りた〜〜〜い」と、涙を流しながら繰り返し訴え続けるだけでした。付き添って来た父親の話では、どうやら現在、その少女の父方の実家のある土地に、一家が40年ほど前に越してくる以前から、古びたお稲荷さんの祠(ほこら)が祀られていたようで、その土地を更地にする際に、祭祀を執り行わずに、ただ撤去してしまった事に原因があるようだと言います。

そのおキツネさんは、神様のお使いのキツネで、お使えしていた神様・宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ・通称「お稲荷さん」)の祠が無くなった状態になっており、今回、何らかの拍子に、たまたま霊媒体質だった孫娘さんに憑依することになり、自分のこれまでの思いをひたすらに語りだしたというのです。

その父方の実家の土地というのは、私がよくビデオを借りに行くレンタル・ショップのすぐ近くにありました。見えない世界においては、私のミタマとそのおキツネさんとの間で、何らかのシンクロが起きていたのでしょうか。その一週間ほど前に、やたら『南極物語』が観たくてどう仕様もなくなり、借りて来て観たばかりでした。

そのおキツネさんに、その場所にきちんと“お稲荷さんの祠”をお祀りしてあげることを約束したところ、「どうも、ありがとうございます」と大変嬉しそうにお礼を言ってきました。

その二日後、その家に稲荷さんの祠をお祀りしに出向しました。その家の氏神として、先祖代々の霊(ミタマ)も、共にお祀りしました。
その間、少女に憑いていたおキツネさんは、何度ものけぞりながら、“雄叫び”の様な、“呻り(うなり)”の様な声を繰り返し上げていました。

神事を終えてもまだ少女に憑いたままでいるので、離れ易くしてやろうかと考え、「十種の神寶(とくさのかんだから)の御名」と「神言(しんごん)」を唱えながら、“鎮魂(たまふり)”の業(わざ)を施してやりました。
すると、そのおキツネさんの、のけぞりながらの“雄叫び”の様な、“呻り”の様な仕草が、少しずつ、少しずつ、収束して来て、まるでマッサージやエステでも受けているような、今にも寝入ってしまいそうな、そんな気持ちの良さそうな様子に変わってきたのでした。

これは“神使のおキツネさん”と“野狐(やこ)”のような“魑魅魍魎(ちみもうりょう)”“モノノケ”の類との違いであって、“野狐”の場合は、「この野郎!そんなことはするな、お前を殺してやるぞ〜」などとこちらを罵倒しながら、苦しみ藻掻くものなのですが、“神使”の場合は、神言(しんごん)と“鎮魂(たまふり)”の業(わざ)を受けて、本当に気持ち良さそうにしています。そして、“神使のおキツネさん”は、イタズラっぽいところはまだまだ残っていても、本気で、お祀りする家を守ろうとします。

そうしている内に、突然違う人格に変わりました。数ヶ月前に他界したばかりの、その家の親戚が降りて来て、残された者たちのことを心配して様々なことを語り出したのでした。どうやら、親族同士の争いが絶えない家系らしい。その後また“おキツネさん”にもどりました。おそらくは、氏神、祖先神として、先祖代々のミタマも共にお祀りしたことによるものなのでしょう。

その日は、その“おキツネさん”がなかなか抜けて行かなかったので、途中でお祓いをやめました。しかし、私が帰った後に、家の人たちに、「“神使のキツネ”は二匹いて、一匹は、今回お祀りしたお宮を守るために少女の体から抜け出た。もう一匹は、そのまま少女の回りに残って、霊媒体質の少女の中に入ろうとする様々な魔(ま)から、彼女を守っているのだ」と語ったという。


その後、十日余りが過ぎ、再度、少女の父親から連絡が入りました。今度は、その少女の自宅の「お祓い」を、今すぐに来て、してもらえないかというものでした。

夕刻、準備を整えて、その家に向かい、話の詳細を伺いました。すると、その日の朝、父親が車の運転をしていると、ブレーキが壊れて効かなくなり、もう少しで命を落とすところだったとのことでした。直ぐに家まで戻って、家族にその事を話したところ、少女に例の“おキツネさん”が憑(かか)って来て、「すぐに、先日の神主さんに連絡を取って、この家を祓ってもらいなさい。良からぬモノがいる」と語ったらしい。

そのまま家族に揃ってもらい、「お祓い」を執り行いました。神事を終えると、それまでは自身の人格だった少女が、突然、“おキツネさん”の顔と仕草に変わりました。またまた、うちの飼い犬と同様の、斜め下を見るような目遣いで、初めて会った時と全く同じ様に、「どうも、ありがとうございました」と、丁重な御礼を申し述べてくれました。
その後、すぐに少女の人格に戻りましたので、家族共々に、今後のことをいろいろと指導し終えてから、帰路に就きました。

『マンガ日本昔話』に出てくる様な、まるでテレビアニメのキャラクターみたいな、トボケたキツネもいますが、今回の“おキツネさん”は、かなりシリアスな感じのする、非常に生真面目な性格のキツネだったというのが印象です。その分、「どうも、ありがとうございました」と御礼を申し述べられた時の顔が、何とも表現できない程に恐ろしくもありました。


[356]  ●太陽暦も「ナイルの賜物」???   Name:道開き   Date:2020/06/12 (金) 15:19
エジプト発の「太陽暦」も或る意味、「ナイルの賜物」でした。

[190] ●“ヘリアカル・ライジング”・・太陽暦も「ナイルの賜物」??? Name:道開き Date:2014/05/14(水) 10:11 

今日、世界的に普及しているグレゴリオ暦は、古代ローマ時代のジュリアス(ユリウス)・シーザーが制定したユリウス暦を改暦したものです。そのユリウス暦はというと、カエサルの遠征先のエジプトで使用されていた太陽暦を基にして策定されたものになります。

「エジプト文明はナイルの賜物」と云われますが、毎年同じ時期に起こるナイル川の氾濫は、古代エジプト人に穀物を生産するために必要な肥沃な土壌のみならず、1年を365日とする太陽暦をももたらしました。それは偶然の賜物でした。


◆ソティス(シリウス星)

古代エジプト人が何故、シリウス星を重要視したか。それは、全天で一番明るい星であったということもありますが、もう1つ、当時はシリウス星が太陽に近接していて、日の出直前に現われるようになると、程なくしてナイル川の増水が始まる現象が確認されていたからです。このシリウスの“ヘリアカル・ライジング”(太陽と共に出現)する日が、エジプト暦の元旦とされました。ユリウス暦でいうところの 7月19日頃です。

シリウスは、太陽神ラー(アテン)の娘で、エジプトのみならず古代地中海世界で最も信仰を集めた女神イシス(ソテイス、ソプデト)の化身ともされていました。


しかし、エジプト暦が生まれた当時はナイルの氾濫予測に有効であったシリウスの“ヘリアカル・ライジング”でしたが、シリウスは、エジプト文明の黎明期にたまたま偶然に洪水予測に適する位置にあったのでした。つまり、時代が少しでもずれていたならば、古代エジプト人は1年を365日とする太陽暦(正確に言えばシリウス暦〈恒星暦〉)を手に入れることはできなかったということになります。

実際にファラオが使用した公式の暦は、1年=365日で、4年毎に生ずる1日のずれは考慮されておらず、「閏(うるう)日」の概念はありませんでしたが、エジプトの神官達はそのことを知っていました。4年に一度の「うるう日」を入れるようになったのはBC. 238年のことです。

その後、元旦は、4年に一度の「うるう日」が考慮されていなかった為、シリウスの出現、及びナイルの増水からどんどんずれてしまいました。それが再び一致するまでの365×4 = 1,460年を「ソティス周期」(シリウス周期)といいます。「ソティス」とはエジプトでのシリウスの呼び名です。

なお、元旦の日の出とシリウスの出現がきちんと重なった記録としては、紀元139年があり、これの逆算により、太陽暦(ソティス暦)の発祥は、BC.1,321年、BC.2,781年、あるいはBC.4,241年頃ということになりますが、BC.4,241年頃という説が最も支持されています。


◆古代エジプト暦

古代のエジプト暦は、30日を一月とする12ヶ月と、最後の月に付け足される 5日間の余日をもって 1年としていました。(12ヶ月 × 30日 + 5 = 365日)
1年を12ヶ月に分けている点を見れば、もともとの原始エジプト暦も太陰(たいいん)暦であったことが推察出来ます。



※参考

★“聖母マリア”信仰

地中海世界が「ローマの平和」の中に統合されていくとき、各地域の“女神信仰”はエジプト伝来の“イシス信仰”に集約されていきます。キリスト教はそれをさらに“聖母マリア信仰”に読み替えていきます。マリアとイエスの「聖母子像」などはイシスとホルスの像の転用だとされています。これら女神たちがまつられていた神殿の場所に教会を建立することを奨励しました。

しかし、それは“女性原理”の受容としては不徹底であり、そこに一神教宗教の最大の課題が残されたとされているようです。
いく度かの宗教会議を経た後、マリア信仰を認めないネストリウス派(景教)が分離したりもしましたし、プロテスタント(新教)諸派も聖母崇拝の観念は薄いです。



[354]  ●「天地人」   Name:道開き   Date:2020/05/22 (金) 09:29
「天・人・地」は、易の少成卦(しょうせいか)でいうところの「三才」であり、『易経』にも、「天の時」「地の利」「人の和」の3要素がうまく組み合わされると大事が成就するとある。孟子は、「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」と、一番大事なのは「人の和」だとしている。

『天地人』という、上杉家の家老を務めた直江兼続が主人公のNHK大河ドラマの中に、極めて印象に残った台詞があった。「家臣とは枝葉であり、お家という幹を太らせて、やがて散っていくのがお役目だ・・・・」みたいな内容だったと記憶している。なぜ記憶に残ったのか?・・・「何よりもお家が大事」という封建社会を言い表していたからなのか?・・・・ハッキリとは分からなかった。

人生の後半期を迎えた今、やたら脳裏に浮かんで来る言葉になっている。若い頃には、巨万の富や高い地位、名声を求めて、その事に生き甲斐を感じていられる人がほとんどだと思う。が、人生のある所まで来ると、それだけでは生きる目的にはならなくなってくるのである。国・故郷・地域・家など、自分が死んでからも残っていくであろうものの為に、残りの、我が身、我が人生を活かし、捧げたいと考えるようになってくる。又、その様に考えると生きる意欲が湧き上がって来るから不思議だ。




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