| [10] HTE(HayateTheEnd)1、エピローグ |
- rarayan - 2006年04月29日 (土) 21時28分
綾崎ハヤテにとって生きるという行為は不幸と隣合わせであった・・・。
もちろん今でもそうである、しかしソレを本人がどう思っているかは別である。
人の固定的観念でハヤテという少年は一般的な人の生活が出来ていない、それだけである。
すなわちそれは当の本人が普通と思えば何の問題もないわけである、環境は人の成形を大きく変えると言うがこの少年はまさにソレの代名詞とでもいえそうな生活をしてきたのである。
彼の両親はもっとも人らしく、もっとも人らしくない・・・それは種族的なことではなく、むしろ本能や理性と言った感情性のものであった、彼らはどちらかと言うと本能的部分又は本性的部分がよほど強かったのだろうか、全く働くと言う事をしなかった、いうなれば生きていく為の手段を行わなかったのだ、その理由は本人たちにしかわからないものでもあるのか、もしくは働きたくないだけだったのだろうかそれは第三者であるものには到底わかるものではない。
要するにハヤテと言う少年はこのような家庭環境で育ってきたのである、これを不幸と呼べるなら不幸であるのだろうが、それを決めてしまうのは難しいものである「不幸があれば次には幸せが待っている」等と人はよく言う、つまりこの少年には今まで不幸であったぶん、大きな幸運がめぐってくる可能性があるわけである。
しかし、神様もなにを思ったのであろうか、結局その少年には16年間の間これと言った幸運はめぐってこなかったのである、ココまで来るともう笑い話にもならない、それでもその少年はひたむきに努力していた、彼には夢があったからである、そこはまぁ16歳の少年ならば人並みに夢もあるものである、彼いわくそれはとてつもなく大きな夢らしい、しかし彼はあまり人にそれを話さなかった、そこは彼なりに思ったのであろう、あまり人に話すと自らの夢を軽くするのではないかと。
少年の夢は「3LDK」である。
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