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[Name] tecona [Title] 『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』
[92]

『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』

 「ウェーブ産経」の活動で一冊の本が復刊されることになった。『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』(扶桑社、六月上旬刊)。前回のウェーブ特集「私の周りの勇気ある人・勇気づけられた話」(四月十一日付朝刊)への投稿、「母への感謝を綴った詩に涙」がきっかけだった。「あの書だけは読んで」とすすめた障害をもつ少年の詩に、女子高生が涙を流したという愛読者の体験談。反響が大きく“波”が動いたのである。四半世紀も前の詩が、今なぜ人の心に響くのか? 著者の向野幾世さんや、関係者らの話を聞いた。(「ウェーブ産経」事務局)


2002.05.17
■女子高生が涙した詩に広がる感動
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 『お母さん−』は、今から二十七年前の昭和五十年に、十五歳で亡くなった重い脳性まひの少年「やっちゃん」を中心とした障害をもつ子供と家族の記録。奈良県の養護学校で担任だった向野幾世さんが著し、五十三年にサンケイ出版(現・扶桑社)から出た。その後、絶版になったが、一部修正して復刊、六月上旬に扶桑社から発売される。
 本の中で象徴的に紹介されているのが、お母さんへの感謝の詩。話すことができないやっちゃんは、向野先生があげる無数の言葉と伝えたい言葉が一致すれば、イエスのウインク、違っていれば舌を出してノーのサインを送る方法で詩を作った。出だしの「ごめんなさいね おかあさん」だけで一カ月かかったという。

 五十年四月、障害者の詩をメロディーにのせて歌う「第一回わたぼうしコンサート」で披露され、やっちゃんは車椅子でステージに。それから約二か月後に亡くなった。

 この詩に胸を打たれた石川県七尾市の主婦、高崎千賀子さんが「ウェーブ産経」事務局にこんなエピソードを送ってくれたのである。

 高崎さんは約二年前、ボランティア監視員をしていた市内の美術展で、「書道なんてつまらない」と話す女子高生グループに「お母さんのことを書いた書があるの。お願いだから、あの作品だけは読んでいって」と言った。日展の書道家でもあるお寺の住職が筆をとった作品で、それを読んだ生徒全員が耐え切れずに泣き出した。「今の健康と幸福を忘れていました」と女子高生たちはいい、付き添いの先生も高崎さんに感謝してくれた、という体験談だ。

 高崎さんの投稿が掲載されると「女子高生を涙させた詩って、どんな内容ですか。子供たちにも読ませたい」という兵庫県尼崎市の主婦をはじめ、多くの読者からの問い合わせが寄せられた。

 ウェーブ事務局では、こうした声に応えようと、読者とのキャッチボールのページ「双方向プラザ」(四月二十一日付朝刊)で、詩とともにやっちゃんのことを紹介。扶桑社では、この詩が伝える母と子の絆(きずな)の大切さは現代にも通じ、当時の障害者や家族の体験が今の福祉を考えるうえでも原点の一つになるとして、復刊を決めた。

 この詩に作曲家の遠藤実さんが曲をつけ、人気歌手の森昌子さんが歌うという企画もあった。やっちゃんが亡くなって三年後の昭和五十三年三月十日のフジテレビ「小川宏ショー」である。
 名司会者の小川宏さんは「フロアディレクターまでが号泣しながら放送したのはおそらくこれが最初で最後だったでしょう。先輩から『司会者はどんな場合も泣いてはいけない』と言われていたわたしは決して泣くまいと思い、ずっと足の股をつねりながら進行しました」と振り返る。

 当日はやっちゃんのお母さんと向野先生もスタジオに生出演したが、これらすべての出演交渉をしたのは、小林信正ディレクターだった。

 小林さんがこの詩を知ったのは五十二年暮れ。高校生の娘さんがボランティアをしていた関係で、東京での『わたぼうしコンサート』に初めて出掛けたときのこと。

 「やっちゃんの詩になるとシーンとした会場がやがて涙声になり、小林さんも心打たれたそうですが、どうしてこの詩にだけメロディーがついてないんだろうと…。当時、番組に『希望の詩』というコーナーがあり、多くの人に詩を伝えたいと思った彼が、遠藤さんのお宅に直接お邪魔して作曲をお願いしました。泣きながら詩を読んでいた遠藤さんは二つ返事でOK。森さんに関しては、やっちゃんが彼女の大ファンだったということで、森さんも『そういうことなら、ぜひ』と快諾してくださったそうです」といきさつを話す。

 小川さんのインタビューで、やっちゃんの生い立ちや、障害と闘った日々を紹介した後、遠藤さんのピアノ伴奏で森さんが熱唱。「放送後は『感動した、もう一度見たい』『ぜひ詩を教科書に載せたい』といった電話が鳴りっぱなし。翌日からは手紙が後を断ちませんでした」という。あまりの反響の多さに、生放送としては異例の再放送にふみきったという。(安藤明子)

         ◇

 おがわ・ひろし 大正15年東京都出身。早大卒業後NHKに入局。後にフリーとなり、17年間にわたって『小川宏ショー』を司会。著書に自らの闘病体験を綴った『病気は人生の挫折ではない』などがある。

2002.05.16
■読者の声
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親への真っ直ぐな気持ちに感動
障害者の思い伝えること難しい

 兵庫県・淡路島の三原郡青少年育成センターの所長、川渕泰司さん(六七)は「母への感謝を綴った詩に涙」を読んで、すぐに「どんな詩なのか教えてください」と、産経新聞社の読者サービス室に電話を入れた。
 「女子高生が涙を流した詩は、どんな詩か、知りたくて…。実際に読んでみて、一人でも多くのお母さん、子供に伝えたいと感じました。最近は親も子も、ともに人づきあいが不器用で、身近な人間関係を築くことができなくなっています」

 同センターでは、親が子育てについて学ぶ「かけはし塾」を開講している。家族の結びつきや親子関係について話し合い、考える機会を提供することが狙いだ。川渕さんは、「この詩を読んで、親子関係を見つめなおす一助になれば、とセンターのニュースレターに掲載することにしました」と語る。



 四月二十一日付朝刊の双方向プラザで、やっちゃんの詩が掲載された翌日、民放テレビもこの詩を紹介した。

 広島市東区の内藤泰枝さん(五五)は「出勤前、朝のテレビでこの詩が朗読されているのを聞き、思わず化粧をする手を止めました。障害をもち話すこともできない子が、『ごめんなさいね、おかあさん』『ありがとう、おかあさん』と親に対する真直ぐな気持ちを懸命に伝えようとするところに、胸が熱くなって…。今の元気な子は感謝をするどころか、何でも人のせいにします。あの感動は大きかったですね」と話す。



 東京・渋谷のファッションメーカー専務、鈴木浩史さん(四〇)は、「子どものころ、小児ぜんそくだった私を母はいつもおんぶして町医者まで通ってくれた。大雪の日、私を背負って何十分も歩いてくれた母…。やっちゃんの詩は、その時の記憶とオーバーラップして泣いちゃいましたよ」という。

 「高校生になるころ、健康になったのと引き換えに俗にいう『ワル』になり、二十歳を過ぎると家を出てしまい、随分母にはつらい思いをさせた。その母が二年前に病に倒れ看病していた時、『あんたがいてくれてよかった』と手を握られ、思わず廊下に出てワンワン泣きました」。忘れてかけていた何十年ぶりかの母の手の温もりだったという。



 茨城県笠間市の主婦、新井清江さん(四五)はこんな感想を述べる。

 「親であれば誰しも生まれてくる子が『五体満足』であることを一番に願うものです。一人息子は小学校にあがる時に強度の遠視と乱視と診断されてメガネをかけることになり、親として申し訳なく思いました。三十年も前、やっちゃんのお母さんはいわれなき世間の視線に、どれほど自分を責めたことでしょう。けれどその分、密接な親子関係があり、だからこそあんな詩ができたのでしょう」

 新井さんの子供は、やっちゃんが亡くなった歳と同じ十五歳。

 「元気に青春を謳歌しておりますが、果たして彼ほどの感性を持ちうるのか…。悲しいかな、母親としてはかり知れないでいる毎日です」



 岸和田市立大芝小学校教諭、帖佐(ちょうさ)典子さん(四四)も、「小学校の養護学級を担当して三年。女子高生が涙した作品が小学生に通じるかどうかはわかりませんが、ぜひ読ませていただきたいと思います」と産経新聞社に手紙を送ってくれた。

2002.05.16
■向野幾世さんに聞く
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大切なのは人の愛
地位、名誉、財産…それだけではダメと気づき始めた証拠

 −−この本を書かれて約二十五年になります
 「障害をもって生まれてきた『やっちゃん』は、世の中をよりよくする使命をもっていたんやなあ、と思いますね。今も皆さんの心に呼びかけ、こうして多くの方に受け止められているんですものね。障害者は、世の中を変えていく原動力になっているんだ、と改めて感じています。

 あの詩は、『ごめんなさいね…』なんて、障害をもつ子がいわなくてもすむような世の中であってほしい、というメッセージ。そんな思いでこの本をまとめたんです」

 −−その意味で世の中はずいぶん変わった?

 「あの時代に比べ、よくなった面は多い。バリアフリーもすすみました。でも、おそるおそる障害者に応対している人が多いんじゃないですか。あの子たちをしっかり受け止め、『あ、僕らと一緒や』『彼らのほうが立派に生きているやん』と思えるのはまだ勇気のある方。

 今も、学校の先生やボランティアの中で、障害をもつ子に『ナニナニしてあげましょうか』という人がいます。そうじゃなくて『しましょう』でええねん。本当に対等な関係は『天気いいから、車押して外いこうよ』であって、『連れていってあげようか』じゃない。そんな関係が残っている以上、まだ発展途上です」

 −−障害をもつ子もやがて大人になり、親は高齢化がすすみます

 「老いるというのは実は、障害を後に引き延ばしているということなんです。歳をとると足腰に障害が出たり、目や耳が不自由になったり、アルツハイマーなどで知的障害になったり、みんないつか障害者になる。生まれながらの障害者は、私たちの先輩。世の中がよくなるよう切り開いてきたパイオニアですよ。

 いま、若い障害者たちが、一人暮らしのお年よりの家に食事を宅配するというふうに、力を合わせている例も多くなりましたね。大切なのは、地域のネットワークをいかにつくるかです」

 −−母と子、家族の愛といった、永遠のテーマをこの本に感じます

 「命をさらけ出し、“本音”で生きている障害者は、人間性を見抜きます。本当にいい人のところには、あの子たちは寄っていきますもん。逆に優しい言葉をかけても本心でないと、プイっと近づきません。障害者にとって暮らしやすくなりましたが、逆に『愛』は希薄になっているのかもしれません。人は地位や名誉、財産、美貎…を追い求めてきたんですが、それだけではダメだと気付きはじめている。大切なのは人の愛。家族の愛。それに飢えているからこそ、やっちゃんの詩に皆さんが感動してくれたのだろうと思いますね」 (聞き手・松原英夫)



 こうの・いくよ 昭和11年香川県生まれ。奈良女子大卒業。奈良県立明日香養護学校教諭、県立西の京養護学校校長などを歴任。現奈良大学講師。著書に『いいんですか、車椅子の花嫁でも

2004/11/29/(Mon) 17:05:14


[Name] 藤十郎 [Title] Re:『お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい』
[93]

teconaさん、こんばんわぁ♪
藤十郎も以前にこの記事見つけたことがあります。
きっと昌子さんは優しく温かい歌声で歌ったんでしょうねぇ。
藤十郎も聴いてみたかったです。

2004/11/29/(Mon) 19:35:20




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