| [3] ガキのつかい |
ONE PIECE - 2012年10月04日 (木) 21時59分
自業自得だと、ナミに笑われた。 そりゃそうだろう。今となっては俺もそう思う。 普段は子ども扱いされるのを嫌がるくせにメシ時だけはガキっぽさを丸出しにして噛み付いてくる。それが面白くて──だからついつい、あいつの調子に合わせてしまっていたのは事実なのだ。 (……けどなァ) 幼い頃の記憶など、どれだけを覚えているもんなんだろう。 口約束は星の数ほどもしているはず。それをひとつも覚えていなくっても、不思議じゃない。覚えている方が寧ろ不思議だ。 デカくなるにつれ色んな新しいことが目の前に現れる。 沢山の新しいことで頭の中が一杯になるたび、昔のとりとめのない事などどこかに行ってしまうものなんじゃないのか。 忘れきってしまうとまではいかなくとも、ふとした時にも思い出しさえしないくらいには、遠くに仕舞い込まれるもんなんじゃないのか。
『甘い』
酒の席で不貞腐れた自分の額を、ナミは指をそろえて叩いてきた。 酔って鈍くなった感覚では、音高い痛みさえ痛みではなく。 代わりに残されたのは。
『アンタだって、子どもの頃のことでも忘れられない思い出とかあるでしょ?』 『まあそうだけどよ』 『サンジくんにとってはアンタとの約束がそうだったのよ』 『ガキのたわごとじゃねーかよ…』 『アンタにはそうでも、サンジくんにはそうじゃなかった。忘れないように大事にしながら大きくなってきた。……ねェ。ゾロ』 『──ンだよ』 『人の大切な気持ちを、タワゴトなんて言葉で片付けちゃうような男じゃないわよね、アンタは』
片付けたい。 片付けられるものならば是非ともそうしたい。 大体、そんな約束なんか自分はまるっきり忘れていたのだ。 晴れ上がった三月の空、今にも泣きそうな顔を無理にしかめて、クソデカイ保護者(アイツはよく『ジジイ』と呼んでいた)に半ば連行されるように出て行った様も。 ──ぜってェ、わすれんなよ! 怒鳴るように叫んだあの声も、忘れていた。だって本当に帰ってくるなんて思ってなかった。
『……だから、アンタは甘いのよ』
ナミの手の中で、きれいなブルーが揺れていた。澄んだ海の色。 なんだかアイツに似ている気がした。理由はよく分からないけれど。
『忘れてたのなら、そう言って跳ね除けちゃってもいいのに』
出来るならそうしたい。 けれど、今更どの面下げてそんなことを言えるだろう。 だってアイツは、俺が約束を忘れていたことも、それどころかアイツのことさえ記憶の彼方に放り投げていたのも、みんな知ってる。 ──ひっでェなあー。……ま、ンなこったろうとは思ってたけどよ 大仰な仕草で肩を竦めて、芝居がかった口ぶりで、そのくせ表情は穏やかだった。 そして、どこか懐かしい仕草で、三段重ねの重箱を机の上に置き、 ──オメエ、どうせアレだろ、またコッペパン生活してンだろ?
「う〜〜〜……」 ぽかぽかと暖かい日の光が差し込む部屋にいるのに、眠気がひとつもこないなんてどうなってるんだ。 ビョウキか。俺はビョウキなのか。 無理やりにでも眠っちまおうと目を閉じても、浮かんでくるのがヤツだけだなんてどうかしている。どうかしているっつか、意味が分からない。 そういやこないだ、何かの調子で感づいたらしいミホークにも、含み笑いとかされたんだった。 どいつもこいつも他人事だと思って面白がりやがって。いっぺん味わってみろっつーんだ。 なんて、どうしようもない事をぐだぐだ考えていると。 「よう!サンジさんが昼飯持ってきてやったぜ!」 遠慮もへったくれもなくガラス戸が開き、躊躇いなくまっすぐにこっちへ向かってくる足音と声。 っつーかここ、関係者以外立ち入り禁止なんじゃねーのかよ。 「さっき、そこでミホークとかいう濃ゆいオッサンに会ったんだけどよ。結構イイヤツだなアイツ」 あのバカ……責任者が堂々と非関係者を中に入れてどうするんだよ。アホか。アホかアイツは。 「さて、今日もこの俺が腕によりをかけたからな。ガンガン食って午後も頑張ろうぜ!」 「……あのな、いちいち持ってこなくてもいいっつってんだろうが」 コイツも別に極楽トンボやってるんじゃない。この街でも評判のレストラン「バラティエ」で副料理長を務めているという話だから、他の連中より時間の融通はついたとしても、忙しいのに変わりはないだろう。 そんな中、わざわざ店を抜け出して、一緒にメシを食うためだけに、コイツは。 「けどよ、オメエ」 俺の投げやりな口調にも視線にも動じないコイツは、ガタガタと音を立てながら近くの椅子を引っ張ってくる。 ああそう。今日も結局一緒にメシ食うわけね。そこは動かないわけね。 角を挟んだ隣に陣取って、三段重箱の包みを解く、何だかんだでコイツの作るメシが俺好みだっつーんがな…。喜びゃいいのか悲しむべきなのか分からんよなホント。 「俺が持ってこなかったら、永遠にコッペパン生活だろうがよ」 「コッペパンばっか食ってるワケじゃねえっつってるだろ!」 「オーケーオーケー、そう怒るなよ。折角のランチが台無しだぜ」 ほれ、と取り皿を渡される。続いて箸。湯のみ。 そうしてでっかい水筒からなみなみとお茶を注いで、 「言っただろ」 向き直った時に揺れた金色の髪が、光を受けて一層眩しくなる。直視しきれずに眉を寄せた俺を見つめてくる目の色は、そんなわけはないのに昔見たのとひとつも変わらない気がする。 「俺がテメエから、コッペパン生活を取り上げてやるって」 「……あのな」 「うまいモンを食う幸せを、俺がテメエに教えてやる」
再会してからはもう飽きるほどに聞かされた、はるか昔の約束事。 根負けの溜息を落とした俺の皿に、好物の出し巻卵ときんぴらごぼうを乗せて 「まだまだたっぷりあるからな。全部食えよ」 「へいへい。……んじゃ。イタダキマス」 「おう。召し上がりやがれ」 サンジは酷く嬉しそうに、笑った。

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