| [1] 獅子身中 |
三国志【真 三國無双4】 - 2012年10月04日 (木) 21時43分
──自覚は、あった。 それは漠然としたものだったが、確かにそうと感じていた。 只の漢ではない。 只の臣ではない。 あの男の中にはあの男にしか御し得ぬ程の、暗い業火にも似た強大な「モノ」が、ひしめいている。 鋭く神経を研ぎ澄まし、微塵の隙も与う事なく、「これには逆らわぬが賢明」と思わせておかねばならぬ。 僅かにでも綻べば―――後は只、骨の髄も残らぬ程に食い尽くされ忘れ去られ捨てられる、愚かな「元主君」の残骸が残るのみ。
言い当てたのは、父だった。 私が胸の内に秘めていた漠たる思いを、いとも易々と言ってのけた。 元々、人の才を見極め評するにおいても非凡な才を持たれていた方だ。 あの男が忠義の仮面の下に何を持っているかなど、登用したその瞬間から見定めていたのだろう。
何もわざわざ我が元へ寄越す事もあるまいに……。
人の口の端に上る程には、父とあの男との間に諍いめいた遣り取りも聞き知っている。 面白おかしく聞かせようとする役人もいたが──、私は全て遠ざけた。 誰の如何なるしがらみであろうと、私には何の関係もない。 私は、只あるがままに我が道を進むのみ。 父は、その望むままに覇道とやらを突き進んでいる。 その道行きにあの男が必要だったと言うのなら、私が口を出す必要などあろう筈もない。 だが。 あの男との遣り取りに何を感じたのか、父は自ら進んであの才を生かそうとはせず、やがて私にあの男を押し付けてきた。
―――文若の二の舞を恐れたか。
遣える謀臣はその理念が高ければ高いほど、揺るがねば揺るがぬほど、望む道と違えた時に取り返しの付かぬ事態を引き起こす。 父と文若の関係が正にそうだった。 かつては父の覇道を根底から支えた、曹孟徳になくてはならぬ懐刀であった筈の男が、自刃して果てたのは記憶にも新しい。 父が死を賜ったのだと──巷では専らの評判なのだそうだ。
……馬鹿らしい。 誰も彼も、恐らく父もが、文若という男を最後の最後で読み間違えている。 たおやかな、女子の様な見目と穏やかさを持って生まれた男ではあったが、あれもまた、私と、そしてあの男と同じ。 只己のあるがままに、その生を全うしたのだ。 遠回しの父の言葉になぞ、最早傾ける耳も持ってはいなかったろう。
初めてあの男を正面から見た時──。 両の目には空恐ろしい程に何の色も映ってはいなかった。 礼に適った所作。隙のない作法。落ち着いた声。 卑屈ではない。 倣岸ではない。 何とも言い得ぬ──その時点で、恐らく私も悟っていた筈だ。 明瞭な言葉には出来ずとも。
この男は、やがて曹家を滅ぼすだろう。
言い当てたのは、父だった。 「あれは必ず曹家にとって災いとなる」 「只臣従するのみでは飽き足らぬ、巨大な野心を胸に秘めている」 「ゆめゆめ気を付けよ、子桓。決してあれに力を与えてはならぬ」 聞けば、不吉な夢を見たのだという。 一つの飼葉桶に、三頭の馬が頭を突っ込んで飯を喰らっていたのだとか。 一つは父。 一つは父の後継たる私。 そして残るもう一つは──。 夢になど普段は決して惑わされぬ父が、たかが一夜の幻如きで私を呼び付け、あの男には気を許すなと言う。 可笑しな話だと、知らぬものは笑うだろう。 だが……悲しいかな父の予見は当たっているのだ。
只一つしかない天下。 覇道を極めようと走り続ける父、曹孟徳。 だが曹孟徳に残された時間はそれほど多くない。 三国鼎立などという詰まらない目論見が形を成している。酷く歪で、脆いはずのそれは、しかし走り続ける父の足に枷を嵌めた。動きを重くし、鈍くもした。 父の代では、天下は到底治まらぬ。道の半ばで、曹孟徳の姿は消える。 父が消えた後、治天の道を歩むのは私だ。曹孟徳の跡を継ぐのではない。私自身の、曹子桓の覇道を征く。そうして必ず天下を得る。 だが、私が倒れた後は──?
父の目の黒い内は、あの男は決して己が野心を人に語りはすまい。 誰にも気取られぬよう、細心の注意を払う筈だ。 気取られれば待ち受けるのは一族諸共の誅殺。 この大陸から、司馬の名門はその血一滴すら残す事を赦されなくなる。 そのような愚かな真似を、あの男がするわけもない。 小心と嘲笑われる程に、研ぎ澄まされた神経を持つ、あの男が。
父が倒れ、私が代を継いだ後も、恐らくあの男は然したる動きも見せぬだろう。 さも忠臣の仮面を被り、私が倒れるその時を今か今かと待ち受けながらそれでも、下手な策など打っては来ない筈だ。 これは何も私が自身の事を買い被っているという事ではない。 初めて我が臣となったあの男を見た時に、私も伝えているのだ。
―――お前の様な男が、この世に一人と思うな―――
口には出さずとも、我が目、我が気配で。 天を掴む野望を。 英雄と称えられ覇道を歩む男の後に追従して行くのではなく、己が手で。 只あるがままに掴み取る、一歩間違えば我が身をも喰らい尽くす程の野心を。 内に秘めて生きているのは、お前だけではないと。
父はあの男の正体を知り、己が元から遠ざけた。 賢明な事だ。 これ以上謀臣に思い煩わされる等、煩わしかったのに違いない。 あの男は文若の様には正論をかざしはしないだろうが──時折見せる目が、驚く程に似ている。 聞けば、心酔していたのだと言う。 天と地ほども心根の有様は違っていると言うのに、だが、それも面白い。
私はあの男の正体を知り、知っている事を言外にあの男に伝えた。 その上で、あの男に実に様々な権力を貸し与えている。 実質──あの男が我が軍を完全に掌握する日も、そう遠くはあるまい。 内治もまた──諸葛亮程ではないにせよ、あれも卓越した才を発揮している。 下手をすれば細かい所などはもう、私よりも余程詳しく掌握しているのやも知れぬ。 だが父よ、安心するがいい。 私の生きている内は、あの男はその牙を曹魏に向ける事はあるまい。 何故なら私があの男の野心を知っているからだ。 己のすぐ上に立つ者が、しかもそれは国を統べる者で、その者に自らの野心を全て見抜かれていて、それでも事を成せる程、あの男は愚か者ではない。 乾坤一擲の勝負に賭ける男ではないのだ。あれは。 緻密な計算の上に、万に一つの狂いもないと解ってからでなくば動くまい。
国を一つ転覆させるとは、それ程に大掛かりな事だ。 蜀や呉を打ち滅ぼすのとは訳が違う。
──だが。 私が倒れた後は、あの男は己が才を存分に発揮するだろう。 私の後継たる者が、我の次代を生きる者が、あの男に敵うとは到底思えぬ。 父よ。 貴方は曹家の御世が永遠なれ、などと願っているのか。 漢王室の命脈を断ち切るも同然の真似をした貴方が、同じ口で、曹家の永久の繁栄を望むか。 ……望むは勝手だ。この乱世を切り開き、まがりなりにも三つに別たれた天の一角を掌中に収めた者として、その願いに心を砕くもまた、有り得る事ではあるだろう。 だが、私は曹家の繁栄などどうでも良い。 血が弱まれば、新たな覇者の血に取って代わられるが必定。 かつて貴方が私に言った言葉だ。 曹家の血は、あの男が脈々と育み続けている野心という強き血に、対する事が敵うだろうか。 敵わねば──曹家も終わる。漢の王室が途絶えるように、何もかも。
真に曹家に忠節を誓う者にとってみれば、あの男は獅子身中の虫も同然。 いずれ曹家に仇なす大敵となるだろう。 そのようなものを曹家に齎したのは、父よ、貴方自身だ。 そして私はそうと知りながらあの男に大権を与え、まるで来るべき時にあの男が如何なく才を発揮出来るよう手助けをしている様でもある。 尤も、私があの男の上にいる間は、決して我が前には進ませない。 私の目の黒い内は、曹家の栄華は約束しよう。
だが、父よ。 貴方が死んだ後、今の世に何をする事も出来ぬ様に、私もまた、私の死後に何らかの責任を負わされるのは御免だ。
故に、今はまだ見えぬ乱世の果て、曹家が天下を──いや、私が天を掴んだその時には、あの男に告げてやるつもりでいる。
「私の目の届かぬ世となったら──お前の好きにするがいい」

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