《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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死去により〝菩薩会〟を退会された方には「霊牌供養」をおすすめしています… (4072)
日時:2016年12月01日 (木) 19時27分
名前:破邪顕正


「雅春先生の会」には教団のような「霊宮聖使命会員」にあたるものはありません。

そこで、表題にありますように、「聖使命菩薩会員」の方がお亡くなりになられたら、そのまま「退会」という手続きで終わりとせずに、ぜひ、霊牌供養をしていただくよう、お願いさせていただいております。

「雅春先生の会」が今、最も力を入れておりますのが、先祖供養であり、この霊牌供養であります。

現に、この先祖供養により、素晴らしい体験がどんどん生まれております。

先祖供養の大切さを物語る、いい話がありますので、ご紹介させていただきます。

水上勉さんの『足もと提灯』という著書にある話です。

わずか三十戸足らずの漁師村に、その村にはおよそ不似合いな大きな寺があります。

なぜ、そんな立派な寺があるのか。

この寺の和尚さんは、もう70に手が届くという年齢(昭和50年代当時)。

25歳のときに、この漁村にやってきました。

来てみてびっくり、ものすごい破れ寺だったからです。

聞くところによると前の住職は、とてもこんなところではやりきれないと、逃げるようにして寺を去ったということです。

とんだところに来てしまったと後悔しきりでしたが、25歳という若さがそれを跳ね返しました。

和尚さんの勤めといったら、村の仏を供養することです。

そこで、お寺にあった過去帳から、村で亡くなった仏の命日を調べて、その仏を供養することを思い立ちました。

その翌日から、まだ村人が漁に出ない朝早くから村へ下りて行って、その日の物故者の霊にお経を回向(えこう)して廻りました。

村人たちはびっくりしました。

「和尚さん、何しにおいでた。うちは、なんも、仏はおらんがのう」

「寛永何年に、お宅の先祖のおばあさんが死んでおられますよ。このお寺の過去帳にのっております。今日はその命日で、御供養さして頂きにまいりました……」

こんな破れ寺に辛抱できるものかと初めは馬鹿にしていた村人たちもそれが五年十年も続くと、すっかり家族同様になってしまいました。

三十戸のむらがお寺を中心に、みんな仲良くなっていきました。
 
そんなある日のこと、この村の漁師がしかけた鰤網に、どっぷりと、まるで網が破れんばかりに、鰤の群れがはいってきました。

よその村の鰤網には一尾もかからず、不漁が永く続いているのに、鰤はまるで、網が銀行の窓口であるかのように集まって来て、一日で巨万の札束が舞い込んできました。

貧乏村はいっぺんに豊かな村となりました。

村人たちは、どうしてこんなことが起こったのかと不思議がりましたがさっぱり分りません。

その時一人の漁師がポツリと言いました。

「ひょっとしたら、あの和尚さんがおらが御先祖の命日にお経を読んでくれているせいかも知れんぞ。仏が幸運の矢を向けてくれたのかも知れんのう」

こうして、おらが村が豊かになったのは、お寺の和尚さんに先祖供養してもらっているお蔭だと、村人たちがお寺へのお礼にと、お金を出し材木を供出し、勤労奉仕して、立派なお寺を建ててくれたということでした。

以上が、この話のあらすじなのですが、私はこれを読んで最も感激したのは、もちろん、先祖供養すると繁栄の道が開かれるというのもありますが、この箇所にこそ心打たれました。

「三十戸のむらがお寺を中心に、みんな仲良くなっていきました。」

それというのも、現代は、個人主義が蔓延し、他との絆を失ったために、その孤独感、不安感等が様々な精神的疾患を引き起こしているように思えてならないからです。

つまり、ぬくもりのある家族、共同体がいまほど求められているときはないように思うのです。

その意味で、御先祖様とのいのちのつながり、縦の命の自覚を深める先祖供養が、もっともっと見直されるべきであると思うのです。

「雅春先生の会」では、この青年僧のように、各会員の皆さんの家を訪ね、御先祖様に聖経読誦して回ることによって、会員相互のいのちが通い合う。

そんな共同体づくりを目指して、会員の御先祖様の月命日・祥月命日などの供養を行っております。

そのために、どなたでもご家庭で先祖供養が実修できるように、その式次第や祝詞等を記した「家庭における先祖供養-顕浄土成仏経」を作成させていただきました。

家庭の再建から、日本国家の再建へ。

そんな大いなる願いをもって「雅春先生の会」は先祖供養に力を入れていることを申し上げておきたいと思います。


先祖供養。 (4073)
日時:2016年12月02日 (金) 00時40分
名前:そーれ!!

先祖供養の素晴らしさ、有難さは皆様勿論、周知のこと

ではありますが、「雅春先生の会」では、聖経で供養し、

また、供養いただけるのが大変有り難いですね。

裁判で負ける事が分かっていたから私が作ったとか、

聖経を補強する為に、私が作ったとか言うあの、賛歌

では、ご先祖様に、とてもとても顔向け出来ません。

「雅春先生の会」があって、本当によかった!!

本当に、感謝感激です!!!

“自分の家にはものはいっぱいあるが祈りがない” (4080)
日時:2016年12月02日 (金) 20時02分
名前:破邪顕正


表題は、草柳大蔵氏のエッセイに書かれていたものです。

要約して、ご紹介します。

不登校のうえに家庭内暴力をふるう14歳の少年。

両親はいわゆる勝ち組で、子供に何不自由ない生活をさせているのに、どうして?

その理由が、この両親には皆目、見当がつかなかった。

しかし、この少年はカウンセラーにこう言ったのでした。

《父親は会社を創設し、成功したことが自慢で、『能力さえあればこの世に怖いものはない』というのが口癖です。

母親も何不自由のない生活に満足しています。

しかし、両親には何か大事なものがすっぽり抜け落ちていると思っていました。

自分の両親には人間の能力だけを信じ、人間の能力を超えた偉大なるものを信じる心がないことがはっきりしました。

その証拠に自分は今まで一度も両親が祈っている姿を見たことがありません。

僕は傲慢で横暴な態度をとりつづけている両親を許せなかったのです。

自分の家にはものはいっぱいあるが、ないものがある、それは祈りです。》

今、いろんなところで、家族・家庭の崩壊が問題視されています。

物質的には恵まれていても、何かが欠落している。

この少年は、それが「祈り」だと言うのです。

実に正鵠を射ていると思います。

家庭に祈りを復権させる!

先祖供養を本当に大切にしていきたいと思います。

「雅春先生の会」は政治的な主張ばかりしていると指摘する向きがありますが、決してそんなことはありません。

勿論、それはそれとして大事なことですが、谷口雅春先生はどんなときでも「救い」を忘れた運動ではいけないとご指導下さっておられました。

「雅春先生の会」は、その尊師のお心を受け継いでまいります。

その意味で、先祖供養を実修している方から悦びの報告をいただけるのは本当に有り難いことです。

先祖供養の実修を通して、救いの渦を巻き起こしていく!

これが「雅春先生の会」の真骨頂であると自負している次第です。




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