| 「聖使命菩薩会」の略称を〝菩薩会〟というのに倣い、「谷口雅春先生を学ぶ会」の略称は〝雅春先生の会〟がいいのでは… (4054) |
- 日時:2016年11月28日 (月) 12時12分
名前:破邪顕正
表題は、ある会員の方の話を聞いていて、フト思いついたことです。
その方がこう言われました。
《『栄える生活365章』の224頁に、このようなご文章があります。
…放蕩息子に金を与えたら、その金は放蕩の程度を増大するように循環して、そのとばしりが自分に循環して還って来るのである。
…私たちは、人を救うために与えるならば、その救われた人の悦びが自分に還って来て、自分の生活が霊的に楽しくなって来るのである。
更に、神様の人類救済事業とか人類光明化事業とかに与える(献金する)ならば、それは最も神聖な、最も価値ある形となって自分に還って来るのである。
この箇所を拝読して、現教団の「聖使命会」から抜けることにしました。
だって、どんなに取り繕おうとも、「聖使命会費」は、結局は、谷口雅宣総裁の〝放蕩〟にしか使われませんからね。
で、神様の人類救済事業、人類光明化事業に献金したいので、「谷口雅春先生を学ぶ会」の〝菩薩会〟に入ることにしました。》
本当に有り難い、嬉しいお話でした。
それを聞きながら、〝菩薩会〟という表現が私の中で実にピタッときたのです。
そうだ、これからは、「谷口雅春先生を学ぶ会」の「聖使命菩薩会」のことを略するときは〝菩薩会〟という言い方にしよう、そう思いました。
教団の「聖使命会」に対して、「谷口雅春先生を学ぶ会」は〝菩薩会〟という名称でいこう!
そこから派生して、「谷口雅春先生を学ぶ会」も、略称するときは〝雅春先生の会〟でいこうと思ったのです。
ご存じのように、これまでの略称は〝学ぶ会〟でした。
しかし、今、「谷口雅春先生を学ぶ会」が実際にやっていることは、谷口雅春先生の教えを、ただ単に〝学ぶ〟だけには留まっていません。
今の教団が、ここまで変質し、あろうことか、日本共産党とも手を組んで「占領憲法の擁護」を謳うにいたっては、もはや〝学ぶ〟だけではいけない。
谷口雅春先生のお志の実現に向けて、「占領憲法」の改正に向けた署名活動だって展開しています。
であれば、如何に略称といえども〝学ぶ会〟は相応しくないと思うのです。
そのままズバリ、〝雅春先生の会〟がいいと私は思いました。
何でも、ある教区では、「谷口雅宣先生を学ぶ会」というのがあるそうです。
尊師・谷口雅春先生についていくのか、それとも谷口雅宣総裁についていくのか。
この違いをハッキリとさせていくためにも、私は、今後、「谷口雅春先生を学ぶ会」を略して言うときには、〝雅春先生の会〟でいきたいと思った次第です。
だって、これまで教団信徒は、よく“「学ぶ会」にはいかないように”と言ってきました。
しかし、もし、それが〝雅春先生の会〟となればどうでしょう。
“「雅春先生の会」にはいかないように”
それを言う度に、教団信徒は、何か谷口雅春先生に刃向かっているのではないのか、ということを意識せざるを得なくなると思うのです。
教団に残るということは、取りも直さず、谷口雅春先生に反逆することなのだと潜在意識に植え付けるためにも、私は、この〝雅春先生の会〟という略称を広めていきたいと思った次第です。
願わくば、この略称が多くの方に受け容れられ、大きく広がらんことを。
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