《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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「住吉大神のご神符はそのうちにお分けしますから、と言っておけと上の方から言われています…」 (4022)
日時:2016年11月23日 (水) 16時01分
名前:破邪顕正


ある信徒が、谷口雅春先大聖師ご生誕日記念式典に参列するために、生長の家総本山にお参りしました。

社務所で、住吉大神のご神符を求めました。

そのときの応対での言葉が表題です。

その信徒は、その一言で察したそうです。

総本山のご祭神から「住吉大神」は外されたのだと…。

だって、所謂、造化の三神のご神符はちゃんとお分けされていたのですから!

谷口雅宣総裁が、自らのブログで、こういうことを書いています。

>2016年11月22日 (火)

“背教者”はいない

今日は午前10時から、長崎県西海市にある生長の家総本山出龍宮顕斎殿において「谷口雅春大聖師御生誕日記念式典」が行われた。

前日には、午前中に「第36回龍宮住吉霊宮秋季大祭」、午後には「第39回龍宮住吉本宮秋季大祭」が執り行われたが、それに続くもので、近隣の教区から信徒・幹部約250人が参列した。<

えっ、250人!

あの千畳敷の顕斎殿に250人とは?!

谷口雅春先生の123回目のご生誕日をこんなにも淋しいものにしておいて、なにが「“背教者”はいない」だ!

>今日のこの日は、生長の家創始者、谷口雅春先生のお誕生日であるだけでなく、第二代総裁の谷口清超先生が生長の家総裁の法燈を継承された記念すべき日でもあり、二重の意味でおめでたい記念日です。<

そんなにおめでたいのであれば、〝背教総裁〟もこの11月22日を法燈継承記念日にすればいいではありませんか。

なぜ、それをしないで、〝背教総裁〟は法燈継承の日を3月1日に勝手に変更したのですか?

結局、谷口雅春先生のご生誕日をもって法燈継承の日にすることが嫌だったからではありませんか。

谷口雅春先生のご存在を消したくてたまらない〝背教総裁〟にとって、谷口雅春先生のご生誕日を信徒が祝うこと、そのこと自体も気に入らないことなのではありませんか。

以前は、この日、顕斎殿は全国の信徒で立錐の余地無きまで埋め尽くされていました。

それがだったの250名ですか?

〝背教総裁〟も内心、ほくそ笑んでいることでしょう。

ここまで、谷口雅春先生のご生誕日を祝う空気を壊してやったぞと…ね。

創始者のご生誕日をここまで貶めておいて、それでなおかつ、よくもまあ、どの口がこんなことを言うのかと私は思います。

「“背教者”はいない」

本当にいなかったら、尊師のご生誕日がこんなにも淋しいものになるとは絶対に有り得ないと思うものであります。




ああ、おめでたいのは”背教総裁”の、おつむの中だけ。 (4029)
日時:2016年11月24日 (木) 00時12分
名前:そーれ!!

あの方の おつむ(頭)の中はおめでたい。

そしてその おつむ(頭)の中は左巻き・・・。

「住吉大神」のご神符は、そのうちですか?

さてさて、いったい何時になるのでしょうか。

製造(印刷)はやはり、日本教文社で行うのだろうか?


ご神符。 (4030)
日時:2016年11月24日 (木) 08時03分
名前:そーれ!!

私達が神社にお参りした時、授与所で受け取ることの

出来るご神符は、神社へのお参りした時の、感謝や

喜び、そして神社のお力をいただきたいと言う方々が

受け取るものですね。

幽の幽なる造化の三神を、顕斎殿にお祭りすることは、

神様を冒涜することになるのでは・・・

だって、造化の三神が顕斎したら、その時点で、

幽の幽なる神が、幽の幽なる神ではなくなってしまう。

顕斎されないから、幽の幽なる神様なのに・・・。

誰だって解る、イロハのイでは・・・?

以前、「亀の子」様が、解りやすく説明されていましたね。

幽斎と顕斎 (4043)
日時:2016年11月26日 (土) 00時02分
名前:亀の子

何故、「幽」の神様を祭祀するのはおかしいのか?


合掌、ありがとうございます。


そーれ!!様からのラブコールを受けての登場ということになりますが、

そーれ!!様の

>幽の幽なる造化の三神を、顕斎殿にお祭りすることは、
神様を冒涜することになるのでは・・・<

は、正確ではありません。

教団が造化の三神をお祀りしていると言っているのは、
正しくは、「顕斎殿」ではなく、「龍宮住吉本宮」です。


最近の総本山の龍宮住吉本宮 大祓のチラシにも、

>『天之御中主大神・高御産巣日神・神産巣日神をご顕斎』
龍宮住吉本宮に、新たに天地創造の根源神なる天之御中主大神・高御産巣日 神・神産巣日神が住吉大神に加えてご顕斎されました。<

とありますが、「幽斎と顕斎」ということを判って書いているのか、頭の中を疑わずにはおれません。

自分は、造化の三神は総本山にはおられないと認識しています。


話しを元に戻しますが、あくまで「龍宮住吉本宮」が本殿であり、「顕斎殿」が拝殿となります。

本来「本殿」に住吉大神様を祭祀し、「拝殿」で信徒が住吉大神様の御出御をお願いするために顕斎の儀式を行うという趣旨で造営されたのです。


正式な名称も、「龍宮住吉本宮」であり、「鎭護國家出龍宮顯齋殿」です(厳密にわかりやすく言えば、「鎮」の字は、「金」偏に「眞」の「鎭」という字であり、「顕斎」の「顕」も「㬎」に「頁」の「顯」であり、「斎」も「齋」という字が正式な字です。


これは、昭和50年6月13日の本部最高首脳者会で、「龍宮住吉本宮」(本殿)「鎭護國家出龍宮顯齋殿」(拝殿)の正式名称が決定されています。

(『神の真義とその理解』P265からの 「龍宮住吉本宮 鎭護國家出龍宮顯齋殿 造営のあゆみ」参照)


このように正式名称が、「龍宮住吉本宮」「鎭護國家出龍宮顯齋殿」と決まっているのに、「鎭護國家」が無くなり、「顕斎殿」と略されてしまう。


雅宣氏のブログにおいても、

>2016年11月22日 (火)
“背教者”はいない<


でも、挨拶文は、何故か、「龍宮住吉本宮」を「本宮」と略されており、「生長の家社会事業団」を「社会事業団」と略していますが、「生長の家」をつけたくないのでしょう。本音は、谷口雅春先生のお誕生日はお祝いしたくないのでしょう。


谷口雅春先生のお誕生日の話しはせずに、谷口清超先生の話し、自分の書いた讃歌の読誦を勧める、こんな宗教家どう考えてもおかしいでしょう。


さて以下は、本来の質問は他の掲示板の質問に答えたものの一部です。

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>教えてください。なぜ「幽」の「3神」を祭祀するのはおかしいのですか。

私が端的に申し上げるとしたら 、

「幽」なる神様をお宮で祭祀(顕斎)すると、「幽」なる神様ではなくなるからです。


厳密に言えば、造化の三神は、「幽の幽」なる神様ですので、心にお祭りするのなら、問題はありません。その事は、谷口雅春先生がはっきりと書かれています。

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「生長の家の主斎神」
 さて、吾々生長の家の団体では、心に宇宙大生命(みおやのかみ)を祭るのであります。

その宇宙大生命と云う文字の下に括弧して、「(ソノ幽之幽ナル神トシテ天之御中主神、幽ナル神トシテ天照皇大神、現人神としての天皇)ヲ禮拝ス」と書いてありますが、

「幽」とは「幽玄」の意味であって、現象の幽(おく)の幽(おく)にましますところの 大実在として、日本の称名(よびな)を以てすれば天之御中主神と申上げる大神であります。

『古事記』に、「天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原に成ませる神の名は、天之御中主神」とこう書かれてあるところの宇宙の大神であらせられます。

天之御中主大神は斯くの如く、幽(おく)の幽(おく)の大実在であられますが、この宇宙の大神が、依然として幽玄にましまして、吾等の思慮の及ぶところではございませんが、

幽之幽なる天之御中主大神よりも一段ハッキリと、『日本書紀』に録(しる)されたる通りの「光華明彩六合(ひかりうるわしくりくごう)に照徹れる」神として顕現あそばされたのが天照大御神であらせられ、

更にその天照大御神様が御肉体を以て現人神として現れ ていらせられる神様として天皇を礼拝する-これが生長の家誌友が心に主斎する神様でございまして、

御宮のような眼に見える形で御祭りするのではありませんから幽斎すると申すのであります。

(谷口雅春先生著『神の真義とその理解』P102よりー読みやすいように改行しました)



そもそも、谷口雅春先生が鎮護国家のために、住吉大神様を祭祀されので「龍宮住吉本宮」という名のお宮なのに、その住吉本宮に何故、幽の幽なる本源神である造化の三神を祭祀するのか?と違和感を感じないほうが、私には、理解出来ません。

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再拝



「亀の子」様へ。 (4044)
日時:2016年11月26日 (土) 09時03分
名前:そーれ!!

重ね重ね、丁寧で解りやすい解説を、

ありがとうございます。

これからも、色々と、教えていただきたいと、思います。

本日はこれから、「生長の家50年史」の13ページ

からを再再読、勉強したいと思います。

禁 です。 (4046)
日時:2016年11月26日 (土) 14時38分
名前:中仙堂

「“背教者”はいない」

と云う言葉の中に

どう考えても

ウシロメタサを感じるのは
小生だけでしょうか。

「住吉大神」のご神符は、そのうちに

此の言葉には

はっきりと 偽りが見えます。

信仰世界に ウシロメタサや
偽りは
禁 です。
宗教に携わる者の最も忌避すべき心であります。

そうとう悩んでお出でですね。 (4049)
日時:2016年11月27日 (日) 14時05分
名前:中仙堂

これらの讃歌は、人間にとって自然界がどれだけ貴重で素晴らしい存在であるかを、御教えにもとづいて讃美し讃嘆する内容です。

△全くの自画自賛です。尊師のオリジナルの聖経『甘露の法雨』をパクって、「聖経」を捏造した 後ろ暗さを隠蔽するには格好の言葉ですね。

聖経『甘露の法雨』も『天使の言葉』も、そういう視点からは教えを説いていないので、

△尊師の『聖経甘露の法雨』を言葉巧みに批判しています。

地球温暖化と気候変動が起こっている現在、これらの讃歌の役割はますます重要になっています。そういう自由詩を私に書かせ、またその経本を生長の家に発行させる役割を果たしたのが、一見“背教的”な“敵対行為”を行った人物だったのです。 

△一見“背教的”な“   この指摘は、恐らくご自分に付けられた「背教」というレッテルを他者に押し付ける事で、ご自分の疾しい心を隠そうとして居るのでは。

このようにして、善一元の実相(本当に善一元の世界をご存知なのか?)が現象界に現れる過程では、一見、“悪い”と思われる事象も出てくるけれども、その背後に真理を表現せずにはおかない“神の大愛”(此のここで云う神とは如何なる神なのか)があることを観通すことが大切だと教えられます。皆さんもぜひ、現象の表面的な“悪”に心を千々に乱すことなく、(反教団の声に心が千々に乱れていらっしゃる)神の世界の善一元を信じ、その表現に向かって明るく、力強く前進してください。生長の家が今日あるのも、現象悪によって動揺せず、教えを棄てる(教えを棄てたのは誰?:背教団組織を棄てたのです。)ことのなかった厚い信仰者(真実が見えなくなった集団では?)たちがあったればこそなのです。 
(唐草模様とかから引用)



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