《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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両陛下、50年以上銀食器を大切に 新品交換提案をお断り (3979)
日時:2016年11月16日 (水) 09時31分
名前:童子

女性セブン2016年11月3日号

   質のよいものを長く大切に使い続けるのが皇室の伝統


 10月3日の放送開始以来、毎回、20%前後の視聴率を記録し、好調なスタートを切っているNHK連続テレビ小説 『べっぴんさん』。 ヒロインの坂東すみれ(芳根京子)は子供服専門店「ファミリア」の創業者・坂野惇子さんをモチーフにしている。

 ファミリアは皇后美智子さまが同社の製品を使用したことで、知名度が一気に上昇するなど皇室と縁が深く、ドラマでは美智子さま役を誰が演じるかにも注目が集まっている。


 1960年の浩宮さま (現・皇太子さま) ご誕生のおり、ファミリアは高島屋を通じて出産用品やベビー家具など80点以上を皇室に納めた。

 「海外のいいものを柔軟に取り入れていく」 一方で、「伝統を大事にする」 というファミリアの理念に共鳴された美智子さまは、礼宮さま (現・秋篠宮さま)、そして紀宮さま (現・黒田清子さん) にもファミリアの製品を愛用された。


 業者にとって最高の名誉といっても過言ではない 「皇室御用達」 の称号。 制度として始まったのは1891年 (明治24年) の 「宮内省御用達」 からだった。 皇室ジャーナリストの久能靖さんが語る。


「それより以前は禁裏御用といって、限られた業者だけが京都御所に出入りしていました。 しかし、明治維新が始まり洋風が重んじられるようになると、洋風化した商品の需要が増える一方で、いい加減な商品も多くなった。 御用達制度ができたのは、品質の向上を図ることが1つ。同時に、日本の伝統もなくしてはいけないと、宮内省がお墨付きを与えるようになったんです。 戦後、宮内省が宮内庁になって、特定の業者だけをひいきするわけにはいかないと、商業活動の平等化を図るために制度は廃止されました」


 ところが、制度がなくなった今でも 「皇室御用達」 の看板を掲げる店がある。いったいなぜ?


「昔の名残でしょう。宮内庁も黙認しています。 御用達だった業者は、非常に質の高いものを作ろうと励んできたし、誇りもある。 現在も皇室に商品を納め続けている業者もたくさんあります」 (久能さん)


 久能さんによれば、質のよいものを長く大切に使い続けるのが、皇室の伝統的な考え方だという。


「天皇陛下が初等科に上がられたとき、カメラが好きで、新しいものを欲しがられたそうです。 しかし昭和天皇は新しいものである必要はないと、お下がりのカメラをお渡しになった。 そのお心を受け継ぐように、皇太子さまも初等科の入学式には新品の制服を着用されましたが、翌日からは天皇陛下のお下がりを着用して通われたと聞いています」 (久能さん)


 御用達の 「逸品」 には、天皇家の “質素倹約” の精神が込められている。


 1959年、美智子さまの “嫁入り道具” として銀食器一式を納めたのは、明治13年創業の日本初の銀製品専門店・宮本商行だった。 御用達として宮内庁に出入りが許される一方、美智子さまのご実家である正田家とも深いおつきあいがあったという。


「ご結婚前に宮内庁からご用命があり、皇太子殿下とペアで銀食器をお納めいたしました。 その際に、美智子さまの食器にはお印として白樺を彫刻いたしました」 (宮本商行営業第一部課長・庄崎恵助さん)


 以来、両陛下は50年以上にわたって、その銀食器を大切に使い続けられたという。


 「銀は素材の性質上、長年お使いになっているとナイフの刃が抜けたりスプーンの柄が曲がったりします。 それでも両陛下は買い直しはせず、数年に1度、宮内庁からのご用命でお直しを承りました。

 白樺のお印もほとんど消えてしまわれていたので、『私どものほうで新品とお取り替えいたします』 とご提案したこともあるのですが、女官長を通じて美智子さまから 『この食器は、陛下と一緒になった時の大切な思い出の品ですので』 とのお返事がありました。 これほど年月をかけて使い込んでくださるかたは他にいらっしゃいません」 (庄崎さん)


 皇太子さまをはじめとする皇族のかたがたが学習院初等科へのご通学に使われたランドセルを製作した老舗鞄メーカー・大峽製鞄専務取締役の大峽宏造さんもまたこう語る。


「みなさま、とても大切に使ってくださって、卒業までの6年間、修理の依頼は一度もありませんでした。 皇太子さまがご入学の際には、『特別にあつらえますか?』 と尋ねたところ、先方から 『みなさんと平等に同じものを』 と返答があったと聞いています」 (大峽さん)


 愛子さまのランドセルは、大峽さんが雅子さまとご対面するきっかけにもなった。


 「愛子さまのランドセルは私が直接、東宮御所までお持ちして女官さんにお渡ししました。  後日、学習院初等科へ伺ったら、偶然、雅子さまもいらしていて。 お付きの女官さんが 『大峽さん』 とお声がけくださったので、そこで愛子さまのランドセルを作ったことをお伝えすると、笑顔で 『そうですか、ありがとうございます』 と、おっしゃってくださいました」 (大峽さん)





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