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GHQと日本共産党が 「作った言葉」 と 「消した言葉」。  「天皇制」 は共産党用語だ (3919)
日時:2016年11月01日 (火) 21時56分
名前:童子

月刊誌 『WiLL』 12月号

  GHQと日本共産党が「作った言葉」と「消した言葉」
          「天皇制」は共産党用語だ

              溝 口  郁 夫



『GHQ焚書図書開封』 シリーズ刊行にあたり、西尾幹二先生からお話があって、私も何編か論稿を掲載させていただきました。

 それに関連して戦後GHQが没収し、焚書とした7千7百点余の図書の名称、著者、発行者、発行年月日、覚書番号などをパソコンに入力し、データベース化したことにより、没収本の種類や性格などを短時間で定量的・多面的に分析することが可能になったのですが、その過程で面白い発見がありました。


 戦前・戦中には題名にも文中にも出てこない言葉が、戦後には一般的に使われるようになったり、逆に、戦後はほとんど使われなくなったりした言葉があるということです。

 皇室、国体、天皇、皇道、神道、日本精神といった言葉が表題になっている多くの書物は没収されました。 

 その中で、書名に 「国体」 とある没収本は、重複と判断したものを除いて合計142点あります。 

 昭和12年の支那事変、昭和16年の大東亜戦争の勃発など、国家の存亡が社会の大きな関心事となった期間に 「国体」 に関する本が急増したため、結果として没収数も多くなったと思われます。 それほど頻繁に使われた 「国体」 という言葉が、いまはほとんど使われなくなりました。

 逆に、いま普通に使われている 「天皇制」 という言葉は、戦前・戦中の本にはいっさい出てきません。 

 これは戦後一般的に使われるようになった言葉だということです。

 同じく、「侵略戦争」 という言葉が表題になっている本も、一冊も没収リストにない。

 これは日本を誹謗するために戦後作られた言葉である証拠です。

 「侵略」 という言葉自体は戦前・戦中にもよく使われました。 『英国の世界侵略史』 『印度侵略序幕』 『南洋侵略史』 『米英の東亜侵略年譜』 など、欧米による 「アジア侵略」 をテーマにした本はいくらでもありますが、日本を「侵略」する側に置いている例は一つもありません。 つまり、「日本の侵略戦争」 という言い方は戦後の歴史観によって作られたのです。


 戦後広まった呼称である 「日中戦争」 を使った例もない。 「日支事変」 「日支戦争」 という呼称が没収図書の書名にわずかながら見られますが、当時は 「支那事変」 という言い方が一般的でした。

 孫文らが建てた 「中華民国」 はあっても、シナを 「中国」 と呼ぶことはそもそもあり得なかった。 ただし、中国共産党の盟友だった日本共産党は 「革命中国」 というような使い方をしていました。


 ■ 流行語となった「天皇制」

「天皇制」 は戦後一般的に使われるようになった言葉だと言いました。 しかし、日本共産党の機関紙 『赤旗』 には、戦前から頻繁に登場しています。


 もともと 「天皇制」 とは、1932年にコミンテルンが 「日本における情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」、いわゆる 「32年テーゼ」 で打倒を命じた 「君主制」 という言葉を、日本共産党が日本流に 「天皇制」 と翻訳したものです。

 彼らはコミンテルンの命令にしたがって、同年 (昭和7年) 7月5日の 『赤旗』 号外にはっきり 「警察的軍事的天皇制を倒せ!」 と大きな見出しを掲げました。

 ちなみに、『赤旗』 の題字の下には 「国際共産党日本支部 日本共産党中央機関紙」 と堂々と謳ってありますから、ソ連共産党がロシア皇帝を滅ぼしたように、その子分である彼らが 「天皇制転覆」 を目指すのは当然です。

 これは今も変わらぬ党是であって、それを外したら日本共産党の存在する意味がありません。 彼らがコミンテルンの日本支部だったことを国民は広く知らなければならない。


 「天皇制」 という言葉はもともと戦前の共産党用語だったわけですが、当時、日本共産党は非合法で、『赤旗』 も地下出版でしたから、普通の人々の目に触れることは少なく、したがって一般社会では 「天皇制」 などという言葉はなく、単に 「皇室」 と言っていました。

 それに対して、『赤旗』 はいろいろな言葉に 「天皇制」 を付けています。 その一部を 『赤旗』 復刻版から拾ってみると、以下のとおりです。


 天皇制政府 / 天皇制国家 / 天皇制帝国主義 / 天皇制反動支配 / 天皇制テロル / 天皇制戦争議会 / 天皇制政府官僚 / 天皇制官憲 / 天皇制警察軍隊暴力団 / 天皇制好戦主義者 / 反動的天皇制 / 警察的天皇制 / 軍事的警察的天皇制 / 軍事的帝国主義的天皇制 / ブルジョア地主的天皇制 ……


 「天皇制」が共産党用語だったことがよくわかります。


 歴史学者・津田左右吉は、戦前に 『古事記』 や 『日本書紀』 の事実性を批判したため著書を発禁処分にされたり、戦後に皇国史観を否定したりしたため、左翼から評価されることもありますが、彼自身は大の共産党嫌いでした。

 戦後の昭和23年に刊行した 『ニホン人の思想的態度』 という本のなかで、彼は急に広まった 「天皇制」 という “流行語” は二つの意味を混同して使われていると言っています。

 つまり、天皇を 「君主」 とする 「軍事上、政治上、経済上の制度」 という左翼的な意味と、古代からつづく 「天皇の存在すること」 をいう意味の混乱です。  彼は次のように記しています。


 
 〈天皇制ということばは、だれがいいはじめたのか知りませんが、最近にいわゆる天皇制の廃止を主張する人たちの間に盛に用いられていることは、明かであります。 多分そういう方面から出たものでありましょう。 (中略) 何かにつけて古来の天皇を民衆の敵であるように見ようとし、そういう見かたをするために少しでも役に立ちそうだと彼等が思うことがらを、いろいろのものからさがし出して来て、それに恣な憶測を加え、(中略) 階級闘争の思想を強いてあてはめようとしたもののあることは、勿論であります。 (中略) 天皇制ということばの使われているのは、やはり流行に従ったものでありましょう。 廃止論者の作りだしたことばを護持論者がまねているのであります〉 (傍点、引用者)


 津田は、共産党が幅を利かせているのがよほど腹に据えかねたのでしょう。 同書の後半では共産党だけでなく、「進歩的」 とか 「革新」 などという言葉を多用する左翼文化人を痛烈に批判しています。

 ちなみに、右の引用文で津田が使っている 「階級闘争」 という共産党用語も、戦後社会において広まったものです。

 日本の自立した農民社会にはロシアと違って 「農奴」 はいなかったし、「農民階級」 などというものも存在しなかった。 労働者は勤勉で、それが現在の技術立国・日本の基礎となっているのはご承知のとおりです。

 しかし、当時の 『赤旗』 を読むと、わが国は戦時の生産体制にあったにもかかわらず、ストライキとサボタージュを煽る記事に満ち満ちています。 全国各地の工場に行って邪魔ばかりしている(笑)。 日本共産党の歴史は日本の産業をいかに攪乱し、弱体化させるかの歴史です。 戦場でいえばゲリラのようなものでした。


 津田は、「階級闘争」 というのは日本の農民や労働者を見下す言葉だと切り捨てています。 それもこれも、「天皇制」 批判と同じく、左翼の連中は日本の歴史を知らず、勉強もせず、すべてを彼らの唯物史観にあてはめようとしているからだと批判しているのです。

 70年代前半までは左翼学生がよく 「階級闘争」 と口にしていましたが、幸い、この言葉は現代では死語になったようです。


 ■ 「革命的国際法」 と 「侵略戦争」

 先ほど言ったとおり、「侵略」 は戦前・戦中にはアジアに対する欧米諸国の行為とみなされていました。 ところが、『赤旗』 にはたとえば 「中国に対する強盗的侵略戦争」 といったように、「侵略戦争」 という言葉が使われていますが、何しろ非合法の地下発行紙ですから、一般にはなじみのないものだったはずです。


 それでは 「侵略戦争」 は戦後のいつ頃から、誰が言い始め、多くの人が使うようになったのでしょうか。


 終戦から約4カ月たった昭和20年12月8日に、GHQ民間情報教育局が全国の各新聞に一斉に掲載させ、翌年4月に単行本としても出版した悪名高い 「太平洋戦争史」 という記事があります。 これは連合国側から日本を一方的に断罪したものですが、ここにも 「日本の侵略」 という言葉はあっても 「侵略戦争」 は出てきません。

 初出は昭和21年4月29日にGHQが公表し、翌日の全国の新聞にその内容を子細に掲載させた 「A級戦犯起訴状」 でした。

「満洲侵略を口火に世界制覇を企む」 という見出しが掲げられ、本文には 「日本国民の輿論を精神的に侵略戦争へ ……」 「侵略戦争の計画準備開始 ……」 などとあります。

 この時点で、一般の国民も 「侵略戦争」 という言葉に初めて触れることになりました。 それから数日後の5月3日から開始された極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判が 「日本の侵略戦争」 を不当に裁くものであったことはご存じのとおりです。

 
 この年の1月1日発行の 「再建第一号」 と銘打たれた 『中央公論』 には、東京大学教授の横田喜三郎が 「戦争犯罪と国際法の革命」 という文章を寄稿しています。

 この横田という国際法学者は、戦争直後は天皇制廃止を提唱していましたが、後にその事実をひたすら隠そうとし、ついには最高裁長官となり、文化勲章を授与された男です。

 横田は、その 「戦争犯罪と国際法の革命」 のなかで、誰の指図か知りませんが、早くも 「侵略的戦争」 という言葉を使っています。 「的」 がついているところが微妙です(笑)。 彼は、こう書いています。


 〈つまり、満洲事変から始まって、日本の軍事行動はすべて領土の拡大、資源の獲得、勢力の増大を目的として行われたものである。 / 自衛のためではない。 (中略) このような戦争を侵略的戦争というのである。 侵略的戦争は国際法上で禁止されている。 したがって不当であり、不法であり、犯罪を構成する。 それをあえて惹起した日本の戦争責任者は国際的犯罪を犯したものとして処罰されなくてはならぬ〉


 ここで 「国際法上で禁止されている」 と言っているのは1928年 (昭和3年) の 「パリ不戦条約」 のことです。

 この条約では 「自衛戦争は認められる」 ことになっているのですが、横田は、日本の戦争は 「自衛のためではない」 と、何の検証もなく断言しているのですから、どうしようもありません。 しかもこの不戦条約を 「国際法そのものの革命」 と絶賛しています。 そして、最後にこう記しています。



〈国際社会そのものが革命的に変化しているということを、徹底的に体得しておかなくてはならぬ。 これらのことに充分の注意を払わず、あえて戦争を惹起したために、戦争犯罪人として処罰されようとしている不幸な人々を前にして、このことをひとしお痛感せざるを得ない。 新しい日本の建設のためにも、それは出発の第一歩でなくてはならぬ〉 (傍点、引用者)


 「革命的」 というのはもちろん共産党用語です。 一方、「新しい日本の建設」 というニュアンスの言葉は、戦時体制下でよく使われましたが、ここではそれとは正反対の意味になっています(笑)。 戦争犯罪人の処罰が、その 「出発の第一歩」、というわけです。

 昭和24年には 「青い山脈」 という歌が大ヒットしました。 「古い上着よ、さようなら」 の歌詞とともに、国民は徐々にGHQと日本共産党の意のままの歴史に染まっていったのかもしれません。


 ■ “アジア太平洋戦争”


「大東亜戦争」 も、いまでは一般的には使われません。 アメリカ側の 「太平洋戦争」 という呼称をGHQが日本に強要したからです。

 没収図書の中に 「大東亜戦争」 の表題の本は54点ありますが、「太平洋戦争」 は4点しかなく、「太平洋戦略」 という書名を入れても8点くらいです。

 日本側の正式な呼称は 「大東亜戦争」 ですが、アメリカだけでなく日本も 「太平洋戦争」 という言葉は使っていたわけです。 もっとも、これは 「支那戦線」 や 「ビルマ戦線」 のように戦闘地域を指していると考えられますから、そういう意味では 「太平洋戦」 と呼ぶのが適当かもしれません。

 
 心ある人は 「太平洋戦争 (大東亜戦争)」 あるいは 「大東亜戦争 (太平洋戦争)」 と併記しています。 それがアジアまで含むあの戦争の歴史的な定義ですから。

 実際、日本海軍は南東シナ海やインド洋でイギリス東洋艦隊に大勝利しています。 マレーシア、シンガポール、ビルマ (ミャンマー) でも連合軍と激しく戦っていたのであって、決してアメリカと太平洋だけで戦ったわけではない。

 没収本のデータでわかるように、「大東亜戦争」 と呼ぶほうが、あの戦争の実相をより正確にとらえられるのではないでしょうか。

 左翼陣営の人たちも 「太平洋戦争」 では中途半端だということはわかっている。 しかし、「大東亜」 という言葉は使いたくない。 その一心から 「アジア太平洋戦争」 という言い方が増えてきています。 

 日本が東南アジアの国々を “侵略” し、“多大な迷惑” をかけたというニュアンスを込めているのかもしれません (笑)。


 「15年戦争」 という言葉もある時期からよく耳にするようになりました。

 一説には “進歩的文化人” の鶴見俊輔が終戦から10年余も経った昭和31年 (1956) に使ったのが最初とされています。

 これは満洲事変 (1931) から終戦 (1945) の年までを日本による一連の 「侵略戦争」 とみる考え方です。

 蒋介石の次男、蒋緯国は 『抗日戦争八年』 という本を出していますが、第二次上海事変の起きた昭和12年からは日本も軍を大々的に投入せざるを得ず、シナと全面戦争状態になりますから、蒋緯国の言う 「8年戦争」 ならある程度うなづけます。


 GHQの没収図書のデータベースからはいろいろなことが浮かび上がってきます。 近代史を研究するうえで、GHQが消した言葉、日本共産党が作った言葉を自覚し、鳥瞰的な視点から昭和史をとらえなおすことがいま求められているのではないでしょうか。







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