| 『古事記』 を読む前に万葉集 / 山 口 悌 治 先生 (3785) |
- 日時:2016年10月13日 (木) 13時32分
名前:童子
私は、『万葉集』 の研究家でもなけれ、古代史を専攻している学者でもない。 いうところの「専門家」ではないのだから、つまりは「素人」である。 素人である私が、なぜ 「万葉の世界」 に取組み、その精神を明かにしようと発願したのか。
そのきっかけとなったのは、谷口雅春先生の 『古事記』 の御講義であった。
記紀の神話をテキストとされた日本国家の理念の解明であった。 何がなにやらさっぱりわからず、取りつく島もなく、ただ途方に暮れるばかりであった。
3回5回10回と真剣に受講を重ねたのであるが、講義を聞けば語義にひっかかり、その象徴するものをうかがえば、まるで雲を掴むが如くでとりとめがなく、右往左往、惑いを深めるばかりであった。
せめて手がかりなりと、どうしても見つけださねば ―― と、自分なりの手探りを続け、ようやく手がかりと思えるものに行き当ったのは最初の受講から8年目の、昭和17年の春先きであった。 ・・・・
『古事記』が撰述されたのもこの時代、万葉もまたこの時代の人々の歌の集であること。 日本民族の歴史にとって、「飛鳥・奈良時代」というものが、どんなに重大な、容易ならぬ時代であるかにはじめて気がついた。
そしてわたくしは、自分が日本国民でありながら、日本の歴史を、文化を、伝統を、そしてそれらのものの底を流れて、それらのものをあらしめて来た精神の実体について、まるで無知であったことが今更のごとく省みられた。
谷口雅春先生の御講義を繰返し聴聞しながらも、とりつく島もなく途方に暮れるほかはなかったのは当然であった。
『万葉の世界と精神』 前篇 あとがき
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あの山口先生でさえ、谷口雅春先生の『古事記』御講義に難儀されていた
ただ、それで安心を覚えました。
『万葉の世界と精神』 では 聖徳太子、大化の改新 等が解明されていて
み中の理念 天津日嗣の御本質 がよくわかります。
谷口雅春先生は 同書の推薦文で
「日本人で文字の読める人ならば、
日本人全部に是非読んで貰いたいと切に思う」
と書かれています。
書棚に眠っている同書の再読を!
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