《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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再び、「山ちゃん1952」さんへ。どうして「真実」を知っているのは自分だ!と言い切られるのか?まさか、その「真実」とやらは〝伝聞〟ではないでしょうね? (3713)
日時:2016年10月07日 (金) 12時55分
名前:破邪顕正

私が「谷口雅春先生を学ぶ会」に喧嘩を売ったも同然だと言ったことは決して誇張ではありません。

私なりに抑えた投稿をしていますが、私の周りは、本当に怒り心頭に達しています!

そして、またまた、今回のこの投稿です。

これは、『聖典』絶版をめぐる、重大な「真実」を明らかにする上で、とても重要だと思いますので、「山ちゃん1952」さんの投稿を全文、紹介させていただきます。

《2016年10月7日「破邪顕正さんに見る、真実喪失の危機」

私は今回敢えて、書こうとしたのは中島代表をあまりにも英雄しようとする破邪顕正さんの書き込みである。

それがなければ私も書いていない。もちろん何も知らない「学ぶ会」の人にはショックであろう。

あまり詳しい内容は書きたくない。このまま私の胸のなかに収めようと考えた時期もありました。その真実とは何かを疑問に感じないのはそうした真実を知らないからだ。

だから、破邪顕正さんの言葉に唯々諾々と従ってしまうのだ。
何故、谷口雅春先生新刊発行停止になったのか。既刊聖典32点重版停止処分になったのか?
そうした真実をいつまでも、発言しない中島代表、また現在別派にて活動されている人々とどうして話し合いをしないのか不思議である。

当時の皆様(理事)の発行停止という審議を阻止するために二回にわたる動議を免れた。なんとかこのまま発行停止にならなくて済むんだという安堵は日本教文社からのいきなりの発行停止という動議に驚かざるをえなかっただろう。

だからこそ、前回の文章での私の書き込みがあったのです。
それだからこそ、和解や話し合いをしないのか不思議だったのです。(雅宣氏とか教団との話し合いではありません)

もうこの話はこれ以上しません。嫌になるだけです。

また、個人的であるならばメ-ルにてその真実を話を致します。》


私の方こそ、本当に「嫌にな」っているのです!

教団側ならまだしも、どうして、こんなことを「本流」の側から投稿されなければならないのか?

「真実」と言われますが、教団から離れていた貴兄が、どうして「真実」を知っていると言われるのか?

その「真実」に触れる立場にあったのですか?

まず、指摘しておきたいことは、貴兄は重大な〝勇み足〟をしているということです。

それがこれです!

>そうした真実をいつまでも、発言しない中島代表

中島代表は、きちんと発言されていますよ!

これは、「谷口雅春先生を学ぶ会」のホームページにも紹介されていることですから、調べようとさえ思ったら、調べることができた筈です!

それでは、その箇所を全文、ひくことに致します。


《中島代表は、それについては、『谷口雅春先生を学ぶ』誌平成16年1月号に、「副総裁に問う 聖典重版保留の核心を衝く」と題して書いたから、それを見ていただければいい、という返事でありました。

その文章の中に、このような一節があります。

…教団創始者・谷口雅春先生の御本を、法燈継承を自認する者と言えども、ましてや谷口雅春先生の御意思で設立され、文書伝道の聖なる使命をもつ日本教文社が重版停止などできる道理はない。(中略)

「今の教え」なる論拠を中核に、自らの「大東亜戦争侵略説」に反する記述、日本の実相顕現や政治問題-生政連に関わる文章が数ページでもある聖典、さらには三点の『年史』(谷口雅春先生の尊い業績-光明化運動の足跡を巨細に、口絵とともに網羅された本)も同じく重版保留、教えは完全に断絶されている。

このままでは生長の家の中核(背骨)は骨抜き、立教の使命・宇宙的スケールは消失てしまう。(中略)

社長在任中、〝社〟の安泰を慮る余り、身を挺して断乎、抵抗し得なかった不明を改めて深く自省し、生長の家立教の重大使命を肝に銘じ、その実相顕現を祈りつつ、認めました。(以上、引用)

最後の締めの言葉、中島代表がなぜ今、教団と戦っていられるか、思い半ばに過ぎるものがあります。

(略)

中島代表は、これを認められたとき「関係者に累を及ぼさないよう配慮しつつ」とわざわざ断り書きをいれておられます。

それでは、まだまだ本当の所は明らかにされない憾みがあるというので、『谷口雅春先生を学ぶ』誌平成16年3月号では、「副総裁に問う 総裁も反対された谷口雅春先生新刊聖典出版停止の経緯」という題で、その背景にある深い闇が白日の下に晒されます。

それを以下に転載させていただきます。

これを熟読せられたら、今の教団が如何に谷口雅宣先生の独裁支配の中で、変質を余儀なくされたか、誰しもが納得いくのではないでしょうか…?(以下、転載)

○谷口雅春先生の新刊聖典出版停止は、平成四年七月十五日の日本教文社取締役会において決定された。

東京渋谷の東急イン会議室で早朝に開かれ、出席者は、代表取締役・中島省治氏(社長)、常務取締役・鈴木卓郎氏(調整部長)、取締役・宮本三男氏(庶務・経理部長)、取締役・永井光延氏(第二編集部長)、取締役・辻信行氏(第一編集部長)、非常勤取締役・谷口雅宣氏(生長の家副総裁)、非常勤取締役・三浦晃太郎氏(生長の家本部理事)、非常勤取締役・磯部和男氏(生長の家本部理事)の八名であった。

冒頭、磯部和男氏から谷口雅春先生の新刊を今後停止したいとの提案があった。

その理由は以下の通りであった。

現在の生長の家は、会員信徒とそうでない信徒を明確に区別する両輪体制下にある。

谷口雅春先生のご文章は両輪体制以前の神誌時代のご文章である。

だから誰に読ませるご文章であるか分らないので現在の生長の家には相応しくない。

谷口雅春先生はすでに故人であり、ご本人の了承のない著書を第三者が勝手に出版し続けることはおかしい。

谷口雅春先生の教えは、現在谷口清超先生、谷口雅宣先生に継承されており、お二人に中心帰一しなければならないから、谷口雅春先生の新刊書を出版する必要はない。

この発言に対し、日本教文社サイドの取締役から種々反対意見が出され議論が紛糾した。

中島省治社長は事態の収拾を図るため、生長の家総裁・谷口清超先生にお伺いしてから決定してはどうかと発言した。

しかし、谷口雅宣副総裁は「その必要はない」とそれを制し、ただちに決を取るよう命令に近い提案を行った。

この鶴の一声の結果、磯部和男氏の提案が可決された。

この経緯から分るように、この決定は、谷口雅春先生の著作権継承者である谷口清超総裁、谷口恵美子白鳩会総裁に何らの事前のご承認もなかった。

そして生長の家理事長も知らず、ただ谷口雅宣氏と磯部和男氏、三浦晃太郎氏らの強要による日本教文社取締役会単独の決定であったことが分る。

この決定を知った生長の家理事長黒河内潤氏は、十九日後の八月三日、中島省治社長に、谷口雅春先生の新刊聖典出版停止の決定についての報告書を提出してほしいと要請した。

これを受けて日本教文社は、八月五日付で、取締役会での磯部和男氏の提案理由とまったく同じ趣旨の報告書を作成し、生長の家理事長黒河内潤氏に提出した。

この報告書に対し、平成四年八月七日付で、黒河内潤生長の家理事長名で中島省治社長宛「谷口雅春先生の新刊書発刊の方針について」と題する文書が届けられた。

以下全文を引用する。

「平成四年八月五日付にて報告された『平成四年七月十五目の取締役会における決定』を拝見しましたが、下記の点に疑義がありますのでお尋ねします。

文書にての御回答をお願い致します。



Ⅰ 貴報告において、谷口雅春先生の新刊書を発刊しない理由として挙げている「(イ)両軸体制以前の会員・未会員未分化時代のお原稿が元になっていること」について

1  運動の観点から、対象を会員と未会員に分けて出版するという考え方は、あってよいと思います。

しかし、“御教えを伝える(学ぶ)聖典”という観点に立てば、会員のみにしか通用しない、或いは未会員のみにしか通用しない真理の書などというものは現実にはあり得ません。

一ロに未会員と言っても、その中には、“生長の家を全く知らない人”と、“組織の会員ではないが、生長の家には触れている人”とがあり、普及誌の読者の大半は後者に属します。

谷口雅春先生のお原稿(又は御講話録音)は、後者のクラスに適したものが多いと思います。

また、会員クラスにふさわしい内容のものもあると思います。

従って、両軸体制に即した出版となし得るか否かは、編集次第にあると思いますが如何でしょうか。

2  会員・未会員未分化時代の谷口雅春先生のお原稿は不可と言う考え方を妥当とするならば、その考え方は当然既刊書にも及ぶと考えられますが、この点はどう考えているのでしょうか。

Ⅱ 「(ロ)著者の承認を経ない新刊が延々と発行され続ける矛盾」について

一般社会においては、相続によって著作権を継承しても、それは単なる財産権の継承にすぎないものでしょう。

しかし、谷口清超先生が谷口雅春先生から法燈を継承されたということは、著作権の相続は、即ち、財産権の相続のみならず、著作物の内容についても谷口雅春先生と同一のお立場に立たれたということではないでしょうか。

従って、谷口清超先生の御指示あるいは御承認ある新刊を、「著者の承認を経ない新刊」と見ることは誤りであると思います。

Ⅲ 総裁先生と日本教文社の立場について

貴社は、昭和九年十一月二十五日、谷口雅春先生によって貴社の前身である株式会社光明思想普及会が設立され、谷口雅春先生の御著書の出版を主軸として成長し、今日に到っていることは御存知の通りです。

そして今日は、谷日清超先生が法燈を継承され、貴社の新刊及び重版に対しては、生長の家常任理事会に、その企画を審議せしめ、可否の承認を与えておられます。

このような立場にある貴社として、取締役会において、いきなり、このような方針変更を決議されたことを遺憾に思います。

以上

今日の黒河内氏からは考えられないことだが、この文書は明らかに「新刊聖典出版中止」決定に反対する強い意思表示の文書である。

この文書に対して、その三日後の八月十日、黒河内潤生長の家理事長宛回答書を中島省治社長名で、中島省治氏みずから黒河内氏を訪ね、直接黒河内氏に手渡した。

この文書は、先の質問にまったく何も触れず、答えられないとの意思表示が言外に込められていると受けとれる文書であり、ただ取締役会で決定されたことを重ねて伝えるだけのものであった。

そして、黒河内氏は中島省治氏に次のように語った。

「谷口清超先生は、自分に『このまま報告書(平成四年八月五日付『谷口雅春先生新刊書出版停止決定』の報告書)を受理すれば、これを了承したことになる。

問題や疑問はないのか、もしあれば日本教文杜に問いただす必要がある』とご発言になったので、平成四年八月七日の文書(「谷口雅春先生の新刊書発刊の方針について」)を作成した。

そして、この文書を総裁先生にお見せしたところ、『この通りである、僕もサインしようか』と発言された。

その上で日本教文社に届けたのである。」

以上の経緯をもって、谷口清超総裁の明確な反対の意思表示はまったく無視される形で、谷口雅春先生の新刊聖典は出版停止が確定され、実行に移されたのである。

何という悲しい事実であろうか。

創始者谷口雅春先生をこれほど疎んじ、かつ教団最高位の谷口清超総裁をも裏切るという、この驚くべき宗教的大罪。

一体、如何なる宗教団体がこのような大罪を犯し得るであろうか。

以後今日に至るまで谷口雅春先生の新刊書は一つの例外を除きまったく出版されていない。

その例外とは、『大聖師御講義『続々甘露の法雨』であるが、この聖典は平成五年に新刊聖典として出版されている。

これは谷口清超総裁と当時の副理事長・谷口貴康講師部長の強い働きかけで出版されたものであるが、明らかに谷口雅春先生の単独のご著書であるにもかかわらず、「谷口雅春著」とせず「谷口清超編纂」としたのは、上記決定に対する苦肉の策であったからである。
 
この一連の事実経過は何を意味するか。
 
明らかに谷口雅春先生に反逆し、生長の家総裁・谷口清超先生の反対を平然と無視する谷口雅宣氏の独断専行であったということである。

そして谷口雅宣氏、磯部和男氏、三浦晃太郎氏三氏は事前の共同謀議を経て日本教文社取締役会に臨み、谷口雅宣氏の強権をもって日本教文社を谷口雅春先生新刊聖典出版停止に追い込んだのである。

これは極めて狡猾にして陰険な「計画的犯行」であったということである。

そして、この事実から推して、谷口雅春先生の聖典重版保留問題も、蔡焜燦氏著『台湾人と日本精神』販売中止問題も、「新出版方針」(谷口雅春先生の聖典を出版しないことや愛国的書籍を出版しないことを明記している)の策定、その他の日本教文社を巡る問題もすべて谷口雅宣氏、磯部和男氏、三浦晃太郎氏三氏によって主導されていたことが窺える。

いや日本教文社だけでなく、現在の生長の家教団の様々な問題の首謀者が誰であるかがはっきりと浮かび上がってくるのである。
 
何が「総裁先生・副総裁先生への中心帰一」か。

自らは平気で「中心帰一」を無視しておきながら、信徒には徹底的な「総裁先生・副総裁先生への中心帰一」を説く。

ここまで生長の家の教えを弄び、谷口雅春先生を、谷口清超先生を、そして信徒を愚弄しているのである。

そして、こうした策謀を徹底した秘密主義で信徒の眼から覆い隠し、最早隠し切れなくなったら他人(部下)に責任を押し付ける(例えば、聖典重版保留の責任を最早隠し切れなくなった段階で教修会での資料(年表)で当時の日本教文社社長にその責任が押し付けられている。

また『台湾人と日本精神』販売中止問題では、取締役会に責任を押し付け自分は責任がないと言っている)。

秘密主義、言論弾圧、そして権力で人を動かし、気に入らない人間は左遷し、責任を部下に押し付ける。

これは典型的な独裁者の姿ではないか。(以上、転載)

谷口雅宣先生のこのような姿勢そのものが、今日の教団をおかしくしてしまった元凶とは言えないでしょうか…?》


私は、これこそが「真実」なのだと判断いたします。

これとは違う「真実」を貴兄はお持ちのようです。

個人メールは不要です!

はっきりと、その「真実」を明らかにしてください。

その結果、「谷口雅春先生を学ぶ会」並びに中島省治代表の名誉が傷つこうとも、それはそれで致し方ありません。

それが「真実」てあれば、ですけど…。

貴兄は、前の投稿でこう書いています。

《だからその元理事は今もなお「学ぶ会」には入信されない。

また「総裁」の圧政下は理事は皆同じだった。

だからこそ抵抗して頑張ったのです。》

そうなのです!

みんな、〝背教総裁〟の圧制下にあったのです!

中島省治代表とて、全く同じです!

その圧制下にあったからこそ、悔しくも聖典絶版を阻止し得なかった!

さればこそ、中島代表は、こう言われているのです。

《社長在任中、〝社〟の安泰を慮る余り、身を挺して断乎、抵抗し得なかった不明を改めて深く自省し、生長の家立教の重大使命を肝に銘じ、その実相顕現を祈りつつ、認めました。》

中島代表が、「谷口雅春先生を学ぶ会」の〝顔〟になる重大な覚悟をなされたのも、この「不明」に対する申し訳なさ、慚愧の思いがあらればこそと私は拝しております。

最後に、これだけは言っておきます。

「本流」の相手すべきは、あくまでも〝背教総裁〟であり、“SNI教団”であるべきではないでしょうか。

何故、その矛先を「谷口雅春先生を学ぶ会」に向けられるのでしょうか?

それで誰が得するのですか?

私は何も中島代表を英雄視などしてはいません。

「谷口雅春先生を学ぶ会」はあくまでも尊師・谷口雅春先生を仰ぐのみであります。

その会員・信徒の代表として、中島先生が立って下さっているだけです。

そして、任意団体でありながら、対外的に、日本教文社の社長であられたことが、どれだけ社会的信用をもたらしているか。

いろんな場で、貴会の代表は誰ですか?

よく聞かれます。

そのときに、「日本教文社の社長でした」と答えると、それだけで、全然、相手の雰囲気が違ってくる、信頼感をもっていただけるのです。

そういう意味合いをも含めて、中島代表あっての「谷口雅春先生を学ぶ会」であると申し上げているのです。

谷口家に連なる人を代表にせずして、ここまでこれたのも、私は中島代表のおかげと思っております。

そして、こうして、〝背教総裁〟並びに“SNI教団”と思いっきり真っ向から対峙し得ているのも、谷口家の方がいないからこそだとも思っています。

それは、実際に運動してきての偽らざる実感なのだということを申し上げて擱筆することといたします。


誠意あるご回答を! (3715)
日時:2016年10月07日 (金) 21時14分
名前:聖地巡拝参加者

破邪顕正様の仰ることに、
いささかの疑念も差し挟む余地はありません。
「山ちゃん1952」様、
誠意あるご回答をお願いいたします。
「生長の家」本流派はこぞって、
貴方のご回答に注目しております。

素朴な疑問。 (3717)
日時:2016年10月07日 (金) 23時18分
名前:そーれ!!

山ちゃん様は、批判はされますが・・・

何をどうされたいのでしょうか?

批判するからには、ご自分のビジョンをはっきりと、示唆いただきたいと思います。

  中島省治先生に今、何を望むのか?

  破邪顕正様に今、何を望むのか?

  谷口雅春先生を学ぶ会に今、何を望むのか?

  そして、貴君の今なすべき事(運動)及びその具体的ビジョンは?

私は是非、知りたいと思います。  話はそれからだと思います。

素晴らしい代表です! (3719)
日時:2016年10月08日 (土) 01時26分
名前:ことは

投稿を読んで、また「谷口雅春先生を学ぶ会」を蹴落とそうとする輩だと思いスルーしましたが、「破邪顕正」さまがハッキリとお書き下さっているので、嬉しくて立ち止まりました。

>私は今回敢えて、書こうとしたのは中島代表をあまりにも英雄しようとする破邪顕正さんの書き込みである。

それがなければ私も書いていない。もちろん何も知らない「学ぶ会」の人にはショックであろう。<

余りにも偏った見方ですね。

私たちの中島代表はあなた様が言われるような方ではありません。失礼です!!

尊敬とか信頼ならわかりますが、英雄という表現は全く違うでしょう。

残念ながら、「谷口雅春先生を学ぶ会」の人は中島代表のお人柄もよく知っていますから、嫌がらせを真に受けてショックを受ける人はありません。

どなたか、「谷口雅春先生を学ぶ会」の発展が面白くない人の、入れ知恵か差し金か何かでしょうか?

色々な集まりには、いろいろな人が居られますものね。

本流派のみなさん、今は黙っているべき時ではありません! (3720)
日時:2016年10月08日 (土) 04時49分
名前:聖地巡拝参加者

「生長の家」本流派のみなさん、今黙ったままでいては、
せっかくここまで盛り上がった本流復活運動が腰砕けになってしまいます。
本流復活を願う全ての人々にとって、過去の理事会の経緯や、当時の理事各人の発言がどうのこうの、などということは取るに足らない、
捨て去るべき泡沫のような「現象」に過ぎません。
それよりも、そんな「現象」をあたかも「真実」であるかのように片隅で言い続ける者の言に左右されて、本流派の力を結集できないことになってしまっては、大変な痛手です。
「新潮45」のように世間の真っ当な見方は、本流派の動きを後押ししてくれています。今、この時、中島代表を信じ、他の本流諸団体の代表者を信じ、小異を捨てて大同に就く、といった気構えが必要です。
そのためにも、今、声を挙げましょう!
「そんな小さな、過去の現象的事実の細目などに興味はない。今目の前にある素晴らしい本流各派の代表や信徒と心から信じ合って、本格的な本流復活の潮流を創り上げていくんだ!」
といった気持ちで手を取り合おうではありませんか。

何で、黒河内元理事長は、「長老」になれないでいるのか? (3731)
日時:2016年10月08日 (土) 13時22分
名前:破邪顕正


表題は、一つの「余談」として聞いてください。

中島代表を「野狐禅」と軽侮し、『生命の實相』等の著作権裁判では、教団側として出廷し、「先の戦争は侵略戦争であった、というのが生長の家の公式見解です」とまで述べ、〝背教総裁〟への忠勤ぶりを遺憾なく発揮した黒河内元理事長。

だからこそ、先には、こう書かれているわけです。

《今日の黒河内氏からは考えられないことだが、この文書は明らかに「新刊聖典出版中止」決定に反対する強い意思表示の文書である。》

そこまで〝背教総裁〟に「ハイ」をしたのに、黒河内氏は今に到るも、所謂「長老」に列せられてはいないのです。

どうして、黒河内氏は、〝背教総裁〟からこんな仕打ちを受けなければならないのでしょうか?

「理事長」という要職を経験したこともないのに「長老」になっている人もいるわけですから、これは実に不思議なことであると言わざるを得ません。

で、その理由としてあげられているのが、実はこの『聖典』絶版事件ではないかと目されているのです。

このとき、黒河内氏は、明らかに〝背教総裁〟に楯突いた…。

その見せしめとして、黒河内氏を長老にはしない…。

そういうことなのではないかというのです。

もとより、これは噂に過ぎません。

噂に過ぎませんが、しかし、こう考えるのが最も合点がいくような気がしております。

その一方で、〝背教総裁〟とともに暗躍した磯部氏はその後、理事長に、三浦氏は参議長へと出世街道を上り詰めるわけですから、この『聖典』絶版事件というものは、その後の関係者の人生を変えた、いわば分水嶺であったと言い得るのかもしれません。

以上、余談でした。





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