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象徴天皇は私たちがつくった ― 米軍将校が書いた日本国憲法 (『WILL』 2016年11月号) (3696)
日時:2016年10月06日 (木) 00時23分
名前:童子

Japan In-depth 10月3日(月)23時0分配信
   (月刊雑誌 『WILL』 2016年11月号からの転載)

    古 森 義 久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)


 「天皇を 『国の象徴』 とか 『国民統合の象徴』 とする表現は実は私たちがふっと考えて、作り出したものなのです」 ――


 この衝撃的な言葉を聞いたときの自分自身の動揺はいまも忘れられない。 日本国憲法を書いた日本占領の連合国軍総司令部 (GHQ) の民政局次長で米陸軍大佐だった チャールズ・ケーディス氏 が直接、私に語った言葉だった。


 天皇陛下が生前退位の意向を示唆するビデオメッセージがこの2016年8月8日にテレビで流されて、いまの日本では天皇のあり方、天皇制のあるべき姿をめぐる議論が熱っぽく語られるようになった。 日本という国家、日本人という民族の精神的な支柱となってきた天皇はこれからどのような立場を保たれていくのか。


 いまの論議で皇室の2千数百年もの歴史にまでさかのぼっての国民的な考察がなされることも不自然ではない。 日本が近代国家として出発した明治時代からの天皇制のあり様を検証することも、いまの平成時代の天皇制論議には有益だろう。 世界でも冠たる日本の皇室の悠久の流れは日本の歴史そのものともいえる貴重な重みを持つことも言を俟たない。


 しかしその一方、いまある天皇制が第二次世界大戦での敗北後の日本で戦勝国アメリカの意を体した占領米軍によって形づくられたという歴史も否定できない。 その冷厳な事実もこの際、想起しなければならないと思う。


 いま現在、私たちの目前にある天皇陛下を頂点とする皇室のあり方は、その占領米軍が作った日本国憲法によって形成されたのである。 しかもそれまでの長い歳月の天皇のあり方を根幹から変える改造の手が戦勝国によって加えられたのだ。

 日本国の一員として天皇陛下への最大限の敬愛の意を表しながらあえて述べるならば、やはりいまの天皇制は日本を占領したアメリカによって改変された結果の産物であることを認識するべきだろう。


 
 これからの天皇制の形を考えるときに、いまの天皇制の出自といえる部分のそのアメリカによる改変作業の実態を改めて認知することも欠かせないだろう。 皇室に関して日本古来の伝統だとばかりにみえた特徴が実は占領米軍による加工の結果だったという側面もあるのである。



 天皇のあり方は日本国憲法第一章で規定されている。 その日本国憲法草案はアメリカ軍将校たちによって書かれた。 だからこそ現代の天皇制を未来に向かって考えるとき、その拠ってきたる出発点の憲法起草の実情を検証することも大切だろう。

 こうした考えを踏まえて、当時のアメリカ側の憲法起草者たちが日本の天皇制についてどんな指針に基づき、なにを根拠に、なにを考えて、その憲法第一章を書いたのか、その一端をある種の歴史の証人として報告しておきたい。


 私がここで 「歴史の証人」 などというおおげさな言葉を使うのは、日本国憲法草案作成の実務責任者だったチャールズ・ケーディス氏に直接に会って、一問一答の形でその作成の実情を尋ねた体験があるからである。 しかもたっぷり時間をかけてのインタビューだった。 ケーディス氏はもう故人であり、同氏にせよ、他の憲法作成参加者にせよ、アメリカ側の当事者に直接、話を聞いた日本人はいまやきわめて少ないことも付記しておこう。



 まず最初に日本占領時代に日本国憲法が米軍司令部により作成された歴史の経緯を簡単に述べよう。



 当時の日本の占領統治の当事者は 「連合国軍」と 公式には呼ばれても実際には米軍だった。 GHQも米軍の最高司令官、つまりダグラス・マッカーサー将軍の指揮下にあった。

 GHQは1946年 (昭和二十一年) 2月、急遽、日本の憲法案を作成した。 「急遽」 というのはマッカーサー司令官は当初、戦後の日本の新憲法を日本側に自主的に書かせることを指示していたが、その草案ができあがったのをみて、不満足と断じ、急にそれではアメリカ側が作るという決断を下したからだった。

 草案の実際の作成作業はGHQの民政局に下命された。 民政局の局長はコートニー・ホイットニー米陸軍准将だった。 そのすぐ下の次長がケーディス氏だったのである。 同氏を責任者とする憲法起草班がすぐ組織された。 法務体験者を中心とする20数人の米軍将校たちが主体だった。 日本人は一人もいなかった。


 憲法起草班は1946年2月3日からの10日間で一気に草案を書きあげた。 作業の場所は東京中心部、皇居に近い第一生命ビルだった。

 いまの天皇や天皇制の特徴づけもこのアメリカ製の憲法草案でできあがったというのが歴史の冷厳な事実なのである。



 ■ 日本憲法起草者が語った

 日本国憲法の草案作りでは中核となる起草運営委員会を構成した ケーディス陸軍大佐、 マイロ・ラウエル陸軍中佐、 アルフレッド・ハッシー海軍中佐 の3人が憲法前文を書いた。

 憲法全体でほぼ各章ごとに8つの小委員会を作り、法務経験のある米軍人がそれぞれの小委員会の責任者となり執筆した。 9条のある第二章はケーディス大佐自身が書いた。 とくに重要な天皇に関する第一章の作成にもケーディス大佐が加わったという。


 ケーディス氏は1906年、ニューヨーク生まれ、コーネル大学卒業後にハーバード大学法科大学院を修了して、1931年にはすでにアメリカの弁護士となっていた。 連邦政府の法律専門官として働く間に第二次大戦が起きて、陸軍に入った。 陸軍参謀本部に勤務後、フランス戦線に従軍した。

 そしてケーディス氏は1945年8月の日本の降伏後すぐに東京に赴任して、GHQ勤務となったわけだ。 だから日本憲法起草当時すでに39歳、法務一般でも十分に経験を積んだ法律家ではあった。

 ケーディス氏は日本には1949年まで滞在した。 帰国後は軍務を離れ、弁護士に戻った。 戦前にも働いたことのあるニューヨークのウォール街の 「ホーキンズ・デラフィールド・ウッド法律事務所」 にまた弁護士として加わった。 その後の職務では税務、証券、財政などの案件を扱ってきたという。



 私が彼にインタビューしたのは1981年4月だった。 彼は75歳となっていたが、週に二度ほど出勤して、実務をこなしているとのことだった。 日本憲法を書いた人物がウォール街の一角で地味な法律業務をしているというのも、いくら35年という歳月が過ぎたとはいえ日本人としては奇異な印象を受けた。 ケーディス氏は礼儀正しい白髪の紳士だった。 日本憲法作成に関する往時の資料までを用意して、私を丁寧に迎えてくれた。


 当時の私といえば、基本的には毎日新聞の記者だった。 だがその1981年にはワシントン特派員から転じて、一年間という期限でアメリカの研究機関 「カーネギー国際平和財団」 の上級研究員として日米安全保障関係についての調査や研究にあたっていた。 ケーディス氏のインタビューもその研究活動の一環だった。

 ただし私にケーディス氏との会見を強く勧めてくれたのは憲法の起源の研究でも知られた評論家の江藤淳氏だった。 当時、ワシントンの大手シンクタンクに招かれていた江藤氏は私に憲法起草の経緯を説明し、なお健在のその中心人物のケーディス氏から証言を得ることを提案してくれたのだった。

象徴天皇は私たちがつくった  (3697)
日時:2016年10月06日 (木) 00時31分
名前:童子

 ■ 日本の政治システムは保持しない

 さてチャールズ・ケーディス氏とのインタビューは4時間近くに及んだ。

 氏は憲法起草の作業をよく覚えていて、こちらの質問に 「もう守秘義務はないから」 とごく率直に答えてくれた。 この一問一答の記録を私は保管し、現在にいたっている。

 このインタビューでケーディス氏が天皇や天皇制の扱いについて語った部分を以下、紹介していこう。 長い会話の流れでの話題がいろいろ変わりながらのやりとりだったから、断片的な引用ともなる。 圧縮や省略も避けられない。 そしてその区切りの部分で私なりの解説をつけることとする。


 
古森
「アメリカ政府が日本の憲法改正について初めて公式に述べた文書が1945年10月16日付の、バーンズ国務長官から日本の米占領軍最高司令部の政治顧問ジョージ・アチソン氏あてに送られた書簡なわけですね。 そしてその書簡に基づいて日本の新憲法への指針を書いた例の1946年1月7日付の 『SWNCC228指令』 という文書が出てくるわけですね」


ケーディス
「バーンズ国務長官からのその書簡については私は知りません。 見たことがありません。 しかしSWNCC228については確かに知っていました。 国務省、陸軍省、海軍省の調整委員会だったSWNCCというのは、その三省の名称の頭文字を並べて、当時、われわれは 『スワンク』 と呼んだものです」



古森
「私がそのSWNCC228を読んだところでは 『天皇制は廃止されるように奨励されるか、あるいは民主的なラインに変革されるべきだ』 という趣旨が記述されています。 この点は実際に制定された憲法との差があるわけですが、そのへんの事情を記憶していますか」

ケーディス
 「SWNCCで 『天皇制の廃止』 といっているのはあくまで天皇制のシステムであり、天皇という地位、存在をなくしてしまうということでは決してなかった、と思います。 当時、アメリカ本国の統合参謀本部 (JCS) はマッカーサー元帥に対し、ワシントンからの新たな命令が届くまでは天皇に関して一切、なにもしないように、という指令をすでに出していたのです。 そしてその点での新しい命令は実際にきませんでした」



古森
 「では当時のアメリカの方針は天皇制をあくまで存続させる、保持する、ということだったのですか」

ケーディス
 「天皇制の政治システムは保持しないが、天皇そのものは保持する、ということでした。 しかし古森さん、いまあなたが読んだSWNCC文書のうちの 『天皇制の廃止』 の 『天皇制』 というのは、われわれが当時、『帝国主義的な制度』 と呼んでいたものを指すのではないでしょうか。 『民主主義的な制度』 に対しての 『帝国主義的な制度』 という意味で、それは廃止されねばならない。 しかし天皇そのものをどうこうするということではなかったのです。 とくに天皇自身の身柄についてどうこうするという考えはまったくなかった。 天皇の地位でさえ、それが政府の権限を含まない限り、アメリカ側としては廃止などということは現実には考えていなかったと思います」




 以上の一問一答で主題となったSWNCC文書は確かに天皇の扱いに何度も言及していたが、「これまでの天皇制は民主主義や国民の自由意思表明の原則とは整合していない」というような遠回しの記述が多かった。 「天皇制の廃止」 という表現を使いながらも、直接にその選択肢を求めてはいなかった。 「民主的なラインへの変革」 でもよいというのだ。 だがその 「民主的なライン」 が具体的になんなのかというところまでは踏み込んでいなかった。 要するに曖昧なのである。

              ~ つづく

象徴天皇は私たちがつくった  (3706)
日時:2016年10月06日 (木) 23時22分
名前:童子

 ■ ふっと思いついた天皇のあり方


 アメリカ政府は天皇制に関して現地のマッカーサー元帥らにごく大まかな基本方針を伝えていただけ、という感じなのだ。

 現地の責任者に与えられた裁量が大きかったということだろう。 そのマッカーサー元帥から憲法起草を命じられたケーディス氏ら実務担当者にはさらに驚くほど大きな裁量が与えられていたようなのだ。

 
 さてケーディス氏への質問では私は前述の引用部分の後、日本側の憲法起草案 「松本試案」 (米側が当時の幣原喜重郎内閣の松本烝治国務大臣に命じて作成させた憲法試案) などに触れ、しばらくやりとりをしてまた天皇についての問いへと戻っていった。



古森
 「また本題に戻りますが、当時の米軍統合参謀本部 (JCS) からの一連の指令のなかにも天皇制廃止とか、天皇の廃位を求めるような提案、指導はまったくなかったわけですね」

ケーディス
 「天皇の身柄、あるいは天皇の在位に関する限り、そうした提案はまったくありませんでした。ただ天皇が国家や政府の大権を行使しないようにするという点は明白にされていたと思います」


古森
 「ということは天皇をどう扱うかについては統合参謀本部の指令が初めて言及した時から、あなた方が憲法草案を実際に書き終えるまで、アメリカ側の方針には重要な変化はなにもなかった、といえるわけですか」

ケーディス
 「さあ、その質問にはどう答えたらよいか ・・・ というのはSWNCC文書に書かれていた天皇についての方針はきわめて一般的なものだったため、それが実際、具体的になにを意味するのかは、私たちが推測しなければならなかったからです。

 たとえば天皇は政治的権限を行使することができないのなら、一体どんな存在となるのか。 『国の象徴』 とか 『国民統合の象徴』 といった表現は実は私たちがその起草の段階でふっと考えついて、つくり出したものなのです。

 さらに私の記憶では、天皇はほかに種々の儀礼的な機能を果たすとか、外国からの賓客に面接するということになっていますが、これらも私たちがその段階で思いついて考え出したのです。

 憲法づくりの土台となるべき統合参謀本部の指令書には天皇がなにをするべきか、どんな機能を果たすべきか、ということは一切、なにも書かれていませんでした。 それら指令書は天皇がしてはいけないこと ―― 政治上の権限は一切、持たない、などということ ―― だけを定めてあったのです。 だから起草グループの私たちが天皇のすることを考え出さねばならなかったのです」

古森
 「そういう事情だったのですか」




 やはりショッキングである。 日本人にとっていまの天皇制ではまず第一に念頭に浮かぶ 「象徴」 という表現でさえ、米陸軍大佐らのその場での産物だったというのである。 この点ではケーディス氏は 「わたしたちがつくり出した」 (We created) という表現をはっきり使っていた。 アメリカの役割はこれほど巨大だったわけである。


 以上のやりとりからは改めてケーディス氏ら現場の実務担当者たちの裁量権限がいかに大きかったかもわかる。 ただその実務担当者たちに与えられていた 「マッカーサー・ノート」 の役割について指摘しておかねばならない。 

象徴天皇は私たちがつくった  (3725)
日時:2016年10月08日 (土) 09時38分
名前:童子

 ■ 排除された日本側憲法案


 このノートはGHQの最高司令官としてのマッカーサー元帥がケーディス氏らに憲法草案づくりにあたって、これらの点だけは盛り込むようにと指示した簡単な書類だった。


 もちろん本国政府の方針の反映ではあったが、元帥自身の判断も入っていたといえる。 そのノートは 天皇 と 戦争放棄 と 封建制度 の三点について書かれていた。 天皇についての記述は以下のようだった。


「天皇は国の元首の地位にある。 皇位は世襲される。 天皇の職務と機能は憲法の定めるところに従って行使され、憲法に示された国民の基本的意思に応えるべきものとする」


 以上の指針にもかかわらず、ケーディス氏は憲法草案では天皇について 「元首」 という言葉は一切、使わず、「象徴」 という表現を打ち出したのである。



 ちなみに 戦争放棄 に関してもケーディス氏はマッカーサー・ノートに記されていた 「自国の安全を維持する手段としての戦争をも放棄する」 という一節を自分自身の判断で削ってしまった。 その結果、第九条での戦争放棄では 「自国の安全維持」 は対象外となったのだ。


 ケーディス氏は 「自国自身の安全を守るための戦争を放棄する国家は主権国家とはなりえない」 という自分自身の判断でその一節を抹消し、上司の了解を事後に得た、と私のインタビューでも語っていた。 同様に 「国や国民の象徴たる天皇」 という表現もケーディス氏らのその場での発想で生まれたともいうわけだ


 こうした形でアメリカ占領軍があわただしく日本の憲法を書き、天皇の地位までを決めたのは、一つには日本側の憲法草案 「松本試案」 への激しい反発が理由だった。 前述のように米側は当時の幣原内閣に日本独自の新憲法を書くことを当初は命じたのだ。



 「松本試案」 は甲案、乙案など複数あったが、天皇については大日本帝国憲法が 「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」 とあったのを 「天皇は至尊ニシテ侵スヘカラス」 と変えるという範囲だった。

 帝国憲法が 「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」 とあったのを 「日本国ハ万世一系ノ天皇統治権ヲ總攬シ此の憲法ノ條規ニ依リ此レヲ行フ」 と変えただけだった。


 さらに 「松本試案」 には 「天皇ハ軍ヲ統帥ス」 という一条もあった。 大日本帝国と死闘を繰り広げたアメリカがそんな日本の存続を許すはずがなかった。



 アメリカ側からすれば、「松本試案」 は大日本帝国憲法と主要な変わりはないということだった。 だからこそ即座に排除して、GHQによる独自の憲法草案の作成を急いだのだった。



 その結果、天皇は 「神聖にして侵すべからず」 から 「日本国の象徴」 へと変わった。 いや変えられた、というのが正確である。

 天皇の地位の歴史的な変革だった。 長い年月、保たれてきた地位や立場の喪失でもあった。 「神聖で不可侵な統治権」 を奪われたのだ。 外部からの巨大な力による強制的な変化でもあった。


 だがそれでも天皇制も皇室も、その変化の奔流を柔軟に受け入れ、新しい地位へと移行した。 そして新しい環境にふさわしい形で立派に存続することとなった。


 いまその是非が問われる天皇陛下の生前退位も従来の状況からすれば大きな変化ではあろう。 だがこの報告で伝えてきたような天皇や皇室の立場の歴史的な激変にくらべれば、枝葉の変容のようにもみえてくる。


 そもそもどんな制度でも慣行でも時代や環境に合わせて変わっていくのである。 日本の政府も国民もこの際、肩の力を抜いて、その変化を自然の流れとして進め、受け入れればよいのではないか。

 日本の天皇制が敗戦によりアメリカという荒波に翻弄された時代のそのアメリカ側の歴史の当事者が語った回顧をいま想起して、私が感じたのはこんな思いだった。

             (了)



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