《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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《笑止なり!》〝背教総裁〟、そんなに頭にきたのであれば『新潮45』10月号の出版停止の訴訟を起こすべきです! (3534)
日時:2016年09月20日 (火) 11時04分
名前:破邪顕正

表題は、〝背教総裁〟のブログ『唐松模様』2016年9月18日 (日)付けの“『新潮45』のメチャクチャな記事”を読んでの感想です。

今回の記事は、〝背教総裁〟が如何に理性を失っているかを、はからずも露呈してしまいました。

なぜ、〝背教総裁〟はこんなにも理性を失ってしまったのでしょうか。

それは、『新潮45』10月号に書かれていたことが、図星だったからです!

〝背教総裁〟が、一番、触れられたくないところを、第三者である『新潮45』が抉り出したことに、思わず条件反射してしまった!

そういうことではないかと思います。

〝背教総裁〟がここまで感情を剥き出しにして理性を失った文章を書いたということで、これは歴史に残るものだと私は思っております。

後で、削除されないよう、心ある皆さまは、これを“歴史的文書”として保存しておかれたがいいとすら思っております。

前置きが長くなりました。

今回の〝背教総裁〟の記事のどこが問題なのか?

4点にわたって整理しておきます。


〈その(1)〉

〝背教総裁〟はこう書きます。

《私も短期間だがジャーナリストとして生活していた経験があるから言わせてもらうが、こんな記事は、私の時代にはデスクの段階でボツになるに決まっている。

「掲載に耐えない」と判断されるのだ。

理由は「客観性」「中立性」がないからだ。》

だったら、同様の理由で『日本会議の研究』もまた“ボツになるに決まっている”ものだったのではありませか。

だって、安東巖先生を黒幕と断じた箇所は、すべて伝聞でしかなかったのですからね。

そのどこに「客観性」「中立性」があるのですか。

『日本会議の研究』は「聖典」扱いにまでしておきながら、『新潮45』10月号はボツにすべきだと宣う。

何と言うダブルスタンダードであることか。

まさしく笑止千万なり!


〈その(2)〉

〝背教総裁〟はこうも書いています。

《私と父の第2代総裁、谷口清超先生との間に「親子対決」があったという事実無根の話だ。

それを言っているのは「犬塚博英」という生長の家の職員だったことのない人物である。》

〝背教総裁〟は、ここでもまた自ら墓穴を掘ってしまいましたね。

「犬塚博英」氏が生長の家の職員であったかどうかなんて、何でそれが問題になるのですか?

そんなことを言うならば、菅野完氏だって、生長の家の職員ではないわけです。

そんなことを問題にすること自体、実は、〝背教総裁〟にとっては、痛いところを突かれたからなのです。

よし、「犬塚博英」氏の指摘したのが「事実無根の話」として、だったら、以下のこと

①自らの退職金問題

②谷口清超先生のお通夜問題

③谷口恵美子先生の幽閉問題

これについてもまた「事実無根」として、はっきりと反論を書かなければ論旨が一貫しません。

果たして、それができますか?!

出来得ないからこそ、職員でもない人が…ということで逃げを打ったのではありませんか。

〝背教総裁〟は明らかに、この『新潮45』10月号にイラだっています。

そのイラ立ちこそが、〝背教総裁〟の弱点の証明になっていると思うものであります。


〈その(3)〉

〝背教総裁〟が如何に自分勝手な解釈をする人かというのが如実に示されているのが、この箇所です。

《冒頭で「日本のジャーナリズムは廃れた」という意味のことを書いたが、もっと正確に言えば、「大手ジャーナリズムは廃れた」と書くべきかもしれない。

なぜなら、『週刊 金曜日』という週刊誌は、日本会議と生長の家との関係について私にきちんと取材し、今年8月5日-12日合併号と同月19日号で公平な記事を書いてくれている。》

〝背教総裁〟にとって「公平な記事」というのは、まるで、自分のいいたいことを全部、掲載してくれることを指しているようです。

そういうのは、一般的には、「ヨイショ記事」というのであって、決して「公平」とは申しません。

〝背教総裁〟は、以前、こういうことを言っていましたよね。

ジャーナリズムというのは、ときとして、取材相手を怒らせるんだ。

怒ったときに、相手のホンネがでるからね。

その点、『週刊 金曜日』はどうですか。

〝背教総裁〟を怒らしていますか。

ただ、〝背教総裁〟と意気投合して、ヨイショ、ヨイショに徹しているだけではありませんか。

そんなヨイショ記事をさして、〝背教総裁〟は「公平」という判定を下すのかと、それにも正直、ビックリした次第です。

自分をヨイショしないものは「公平」と見なさないなんて、それこそ、〝背教総裁〟が嫌いな“カルト”精神構造そのものではありませんか。

他人のことはよく見えても、こと自分のことになると全く見えなくなるのかと、〝背教総裁〟を見ていてそう思ったのは決して私一人ではないのではないでしょうか。


〈その(4)〉

〝背教総裁〟が悔し紛れにこう言っているのも、実に興味深いものがあります。

《このように、藤倉氏のトンデモ記事について私の言いたいことはいくらでもあるが、時間のムダ遣いはしたくない。

読者にはとにかく「読む価値のない記事」であることを知っていただき、間違っても「880円」をムダにしないでいただきたい。》

ということは、『日本会議の研究』や『週刊金曜日』を読むのは、どうも「時間のムダ遣い」ということではないということのようです。

それはともかくとして、そんなに「トンデモ記事」というのであれば、〝背教総裁〟が大好きな訴訟に持ち込むべきではありませんか。

だって、「トンデモ記事」で生長の家総裁並びに“SNI教団”は、その名誉を甚だしく“毀損”せられているわけですからね。

現に『日本会議の研究』は名誉毀損で訴えられ、裁判沙汰にもなっているわけです。

本当に「トンデモ記事」「メチャクチャな記事」というのであれば、〝背教総裁〟、ぜひ、ここは裁判に訴えるべきです。

そして、何が真実であるのか、それを裁判という場で明らかにしていただきたいと思うものであります。

ともあれ、この『新潮45』10月号が投じた一石は、今後、大きな波紋を呼ぶと思われます。

否、波紋を呼ぶよう、その波紋が更に広がるよう、私たち自身の力で大きなうねりになるようしていきたいと思っております。

微力ながら、私もその一翼を担いたいと決意しているところです。


確か”背教総裁”は・・・。 (3535)
日時:2016年09月20日 (火) 13時17分
名前:そーれ!!


メチャメチャな記事に反論しなければ、認めた事になる。

と、おっしゃた様ですが・・・

ご自身のブログや、講習会で、メチャメチャな記事全てに

反論出来るのでしょうか?

考えてみれば、”背教総裁”の講習会・・・・

  初期  一応は真理の話もちらほら。

  中期  エコの話が中心。

  現在  エコの話と、まるで共産党の党大会。

  そして今後は・・・・

      そのメチャメチャな記事全てに反論して

      行かれるのでしょうか?

地方の、講習会推進者の皆様、大変でしょうが、愛する

総裁先生の応援、頑張ってくださいね。


  

“歴史的文書”?より (3536)
日時:2016年09月20日 (火) 16時02分
名前:月見草

雅宣氏の文書で面白かったことは、

>・・・・読者にはとにかく「読む価値のない記事」であることを知っていただき、間違っても「880円」をムダにしないでいただきたい。<

笑いが止まりません。

自分のことを棚に上げて、どうしてこんなことが言えるのかしら?

どうして読む価値がないと言えますか? ←読んでみないと判りません。

880円が無駄? ←環境や負ける裁判に使われる献資、聖使命会費の方がもっと無駄でしょう。

自分が間違っていなければ、信徒に自由に読んでもらって判断して頂けば良いことです。

面目まるつぶれ (3538)
日時:2016年09月20日 (火) 16時41分
名前:童子

 絶賛推奨した 『日本会議の研究』 著者の 菅野某氏 の発言


 ● 聞くところによると、今次の『新潮45』の記事に、三代目総裁はお冠だそうだが、実に情けない。そして、今の生長の家にとっても「左翼」という言葉はスティグマなんだなぁということが浮き彫りになって、本当に色々滑稽で面白い。


 ● いや、実際そうでしょ。雅春さんの本を絶版にして取次さえやめた世界聖典普及協会が、僕の『日本会議の研究』を売るとかさ、普通の一般常識から考えたら「忘恩」とか詰られて当然じゃん。三代目路線も安東巌路線も陰湿なのよ。


 ● 谷口雅春の本を絶版にし、谷口雅春の本の在庫さえ売らず、谷口雅春を否定するのならば、「生長の家」と名乗らずに、自分で違う宗教をやればいいだけの話。何にも難しく無い。個人的な恨みを血統を傘にきて晴らそうとするのは、カッコ悪い。




 味方だと思ってた菅野某氏にここまで言われる

コメント (3539)
日時:2016年09月20日 (火) 16時47分
名前:童子

 既に周知かとは思いますが、

 ブログコメントは実名表記の講師・幹部で

  管理人と波長があったモノしか公開されません。




「立ち読みで十分」の行は、雑誌を買う価値が無いことの例えの表現であると、私は理解しますが、やや語弊があると思います。文章の本筋と関係ないところですが、「立ち読みは迷惑行為だ。」と、批判を始める人もあるかもしれません。
 ところで、雑誌の記事に興味はありません。
 営利目的で他人を中傷して恥じない人間のところまで降りていって、議論しなくてはならないとは、悲しいことです。

投稿: 片山一洋 | 2016年9月19日 (月) 01時57分



合掌 色んな方がいますね!人の噂ネタにして、金儲けしてるのかもしれません。特に有名になればなるほど言われるのだとおもいます。先生負けないでください!言いたい人は言えばいい、悔しいけど、、。でもわかってくれる人が本当の生長の家だとおもいます。今日の母親教室出講がんばります!再拝

投稿: 津田寿美 | 2016年9月19日 (月) 04時31分



売らんが為の下劣な記事ですね。こういうのは別派のサイトから適当に情報を仕入れて適当に書いてるのでしょうね。それと新潮というのはどちらかと言うと自民寄り、右派系なのではないですか?だから現在の自民党不支持を明確にしている生長の家を中傷する記事もスルーなのでは?と思います。

投稿: 堀 浩二 | 2016年9月20日 (火) 10時04分



合掌、ありがとうございます。常に、総裁先生に中心帰一して、三正行に徹して生長の家の御教えを布教伝道し、絶対善なる神への信仰を弘めて行かねばならない!と思っています。実相を現象に持ち来す運動をしている生長の家人として、三代目総裁谷口雅宣先生に御指導頂けることを幸甚に存じます。再拝

投稿: 大槻紀子 | 2016年9月20日 (火) 13時36分


Kさん、Tさん、Hさん、Oさんの文章を読んで。 (3540)
日時:2016年09月20日 (火) 18時11分
名前:そーれ!!

最悪の総裁を持ってしまった教団信徒様、心中お察し

申し上げます。でも、雅宣総裁は、ある意味、幸せかも

してませんね。何をやっても支持してくれるこんな

仲間達がいるのですから・・・。

  でも、この様な方々の人生を滅茶滅茶にする権利は、

  雅宣氏にはありません。

解る人には解る。でも、

解らない人には、解らない!!!

今こそ 神想観を実習し、内なる神の声を聴きましょう。

菅野某氏の正論 (3541)
日時:2016年09月20日 (火) 19時14分
名前:アクエリアン

>>」 ● 谷口雅春の本を絶版にし、谷口雅春の本の在庫さえ売らず、谷口雅春を否定するのならば、「生長の家」と名乗らずに、自分で違う宗教をやればいいだけの話。何にも難しく無い。個人的な恨みを血統を傘にきて晴らそうとするのは、カッコ悪い。<<

いやー、この言葉は、現教団(狂団?)以外の、普通の宗教団体だったら、抱く当たり前の感想ですよ。

いかに、現教団が、狂っているのか、ということ以外の何物でもないですね。






最悪の相続形態の見本 (3542)
日時:2016年09月20日 (火) 20時45分
名前:アクエリアン

法統継承に関して、今枝由郎著「ブータンから見た日本仏教」には次のように述べられています


_____________


二十世紀後半のアメリカでのチベット仏教の流布に大きな功績のあったデシュン・リンポチェは、仏教の継承、発展に必要な「師」の継承に関して、世襲制、化身制、学徳制の三つを挙げたうえで、
親子の血統による世襲制相続は最悪の相続形態であると断言している。


そして、自ら第三代化身としてデシュン化身系譜を継承しているが、この化身制も最上のものではなく、仏教として理想的なのは修行によって徳を身につけた僧侶による継承であると述べている。

事実、化身制のダライラマを擁するゲルク派も、宗派の最高の僧侶はガンデン・ティパ(ガンデン寺座主)であり、「たとえ乞食の子どもでも、徳さえあればガンデン・ティパになるのになんらの支障はない」というチベットのことわざを引用している。

チベット系仏教の高度な伝統は、こうして継承されてきているわけであり、そこには、修行・研鑽によって得られる徳という基盤がある。
_______________


「親子の血統による世襲制相続は最悪の相続形態」の格好の見本を、自称法統継承者谷口総裁は、世間に晒してくれているのですね。苦笑

「そーれ!!」さんへ (3547)
日時:2016年09月21日 (水) 09時10分
名前:破邪顕正


投稿、ありがとうございました。

>メチャメチャな記事に反論しなければ、認めた事になる。

ところが、それが「反論」にもなっていないことが実に痛々しい!

そればかりか、〝背教総裁〟は、ブログ記事に書いて、『新潮45』10月号に耳目を集めさせてしまったわけです。

これでまた〝背教総裁〟は自らボケツを掘ってしまいました。

〝背教総裁〟批判と言えば、これまでは、所謂「本流派」からのそれと相場は決まっていたわけです。

ところが、今回は『新潮45』ですからね。

大手出版社の月刊誌ですから、いくらなんでも、ネットのような〝ガセネタ〟で書くことはないだろう。

「何を言うか」も大事ですが「誰が言うか」はそれに輪を掛けて大事!

そういうことがよく言われます。

そういう意味で、今回の『新潮45』が投じた一石は本当に重要だと私は思っております。

これまでは、「どうせネットの話でしょ。信じられないわ」で無視してきた一般信徒も、こういう月刊誌となれば、全然、対応が違います。

無視しえなくなってきます。

だからこそ、〝背教総裁〟は恐れているのです!

まさしく、〝背教総裁〟にとって一番の弱点を突かれたわけです。

ここは、本当に勝負何処だと私は思っております。

今後とも、投稿支援、よろしくお願いします。

第一線の情報こそが生命線とも思っています。

この『新潮45』を一般信徒に、どれだけ紹介しえるか。

頑張っていきましょう!





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