《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

本流宣言掲示板」「光明掲示板・第一」「光明掲示板・第二」「光明掲示板・第三

谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
この掲示板の目的
この掲示板のルール
本掲示板への書込法
必ずお読みください
管理人への連絡
重要リンク
TOP PAGE

コピペで文字に色や下線をつけて太字にする方法
 

 

「日本の皇室は昔から国民の信頼によって万世一系を保っていたのであります」 (3400)
日時:2016年09月07日 (水) 10時09分
名前:童子


 昭和52年8月23日 那須御用邸宮内記者会にて

 昭和天皇様は 

 『日本の皇室は昔から国民の信頼によって万世一系を保っていたのであります』

 と述べられました。

 
 「国民の信頼」 の 「国民」 とは

 1億3千万の国民ではなく、2千年以上にわたる国民の全てを意味します。

 現在に生きる私たちにも、万世一系を守る一層の努力が求められているのです。


 小泉内閣、野田内閣(民主党)時代に

 女系天皇、女性宮家の創設 等の話題がのぼり、悠仁親王殿下の御誕生で一時論議が中断していましたが

 今上陛下のお言葉、また国連機関によって男女平等の原則に反する 等あり、

 再び皇位継承をめぐっての議論が出てまいりました。


 難しい問題ではありますが ・・・・・ 。



 ■ 重い使命に基く万世一系
        中西輝政 (京都大学教授)

 日本の皇室の「万世一系」という独特の表現は、文字通り掛け値なしにそれが実践されてきたことを示している。

 なぜそこまで厳密にこだわったのか。

 それは、その万世一系の系譜が神武天皇、ひいては天孫降臨のニニギノミコト、天照大御神という神話の神につながるからです。

 つまり万世一系の系譜のご自覚が即、神のご子孫、即ち神の末裔であられるとのご自覚につながっているのです。

 万世一系とはそのような重い使命感に支えられていたのです。
           (『日本の息吹』 平成18年2月号)



 ■ 男系継承は伝統的で神聖な制度の下で尊重される
      ベン・アミ・シロニー (イスラエル/ ヘブライ大学教授)

 女系の皇統は日本に存在したことがなく、これは天皇制の根本原理に矛盾する。

 男性が皇統を独占する制度は男女平等の原則に反するが、伝統的で神聖な制度の場合にはこれは受け入れられ、尊重されることもある。

 カソリック世界は、ローマ教皇が男性に限定されていることに対して議を唱えることはない。

 ダライ・ラマは自由と正義の擁護者だが、この地位につけるのは男性だけだ。

 ユダヤ教の神父は、父から息子へと継承される。

 女性のローマ教皇、女性のダライ・ラマ、女性の神父を要求することなど考えられない。
      (平成18年3月 「皇室の伝統を守る1万人大会」)
 


 つづく
 
 

作為的、恣意的に論点整理 - 「女性宮家」こそ違憲の疑い濃厚 (3402)
日時:2016年09月07日 (水) 20時08分
名前:童子

平成24年10月10日 『産経新聞』正論      

           日本大学教授  百 地  章

 いわゆる 「女性宮家」 の創設については、2月以来、6回にわたって行われた有識者ヒアリングでも賛否両論が拮抗(きっこう)しており、新聞各紙でも 「2案併記」、落とし所は 「尊称案」 などといった報道が繰り返されてきた。

 事実、ヒアリングに呼ばれた12人のうち、「女性宮家」 賛成は8人で反対が4人、一方、「尊称案」 は筆者を含め賛成が7人で反対はわずか1人であった。


 ■ 作為的、恣意的に論点整理

 ところが10月5日、内閣官房は突然 「尊称案」 を否定し、「女性宮家案」 を中心に検討を進めるべきだとする 「論点整理」 を発表した。 背景に何があったのか。


 推測の域を出ないが、「女性宮家」 を支持してきた羽毛田信吾前宮内庁長官や風岡典之現長官ら宮内庁幹部、それに園部逸夫内閣官房参与ら女系天皇推進派と、内容はともあれ、成果を挙げたい官僚らとの結託の結果であることは、まず間違いあるまい。


 「皇室制度に関する有識者ヒアリングを踏まえた論点整理」 と題する全文81ページの報告書は、極めて作為的・恣意(しい)的なものである。

 報道関係者向けに配布された 「論点整理 (概要)」 では、A4判のわずか2ページの取りまとめの中で、「尊称案」 は 「付与は困難」 「実施困難」 と、理由も示されないまま重ねて否定されている。 それに代わって突然、「国家公務員案」 なるものが登場した。


 他方、「女性宮家案」 に対しては、ヒアリングの中で 「男系で継承されてきた皇統の危機に備えるのが宮家であって、『女性宮家』 など意味がない」、「歴史上一度も存在したことがなく、女性皇族の結婚を機に、皇室の中に突然、民間人男性が入り込んでくる危険極まりない制度である」 などといった厳しい批判があった。


 さらに 「女性宮家案」 のうち、「民間人男子配偶者と子にまで皇族の身分を付与する案(I-A案)」 には、「女系皇族を容認するもので、憲法違反の女系天皇に繋がる危険がある」 との批判が、「男子配偶者や子には皇族の身分を付与しない案 (I-B案)」 に対しては、「1つの家族でありながら、夫婦や親子の間で、『姓』 も 『戸籍』 も 『家計費』 も異なる奇妙な家族となってしまうことへの疑問」 などの重大な欠陥が指摘された。 

 にもかかわらず、「論点整理」 では 「更なる検討が必要」 と述べただけである。


 「論点整理」 では、旧皇室典範44条に倣い、女子皇族が結婚して民間人となられた後も 「内親王」 「女王」 などの尊称を保持する 「尊称案」 について、一種の身分制度であり、そのような特別待遇を施すことは、法の下の平等を定めた憲法14条との関係において疑義を生じかねないとしている。


 ■ 伊藤博文の 『皇室典範義解』


 しかしながら、「尊称」 はあくまで 「称号」 であって、身分を示すものではない。 このことは 伊藤博文著 『皇室典範義解』 の中で述べられており、筆者もヒアリングではっきり指摘した。

 にもかかわらず、論点整理では強引に違憲と決めつけたわけだが、それを言うなら、歴史上まったく例のない 「女性宮家」 こそ、新たな 「身分制度」 の創設に当たり、はるかに憲法違反の疑いが濃厚となる。


 実は、このほど、筆者の尊敬する元最高裁長官の方から 「メモ」 を頂戴した。 旅先からの走り書きであったが、「男子皇族が宮家として特別扱いされるのは、皇位継承にかかわるからであって、皇位継承と無関係な女性宮家は法の下の平等に反する」 「尊称すら許されないというのに、なぜ女性宮家が許されるのか」 とあった。


 けだし至言である。 憲法第2条の 「皇位の世襲」 が 「男系継承」 を意味することは、憲法制定以来の政府見解であり、皇位継承権者たる男子皇族に対し、「宮家」 という特別の身分を付与することは憲法の予定するところである。

 しかし、皇位継承権を持たない女子皇族に対して、結婚後も 「女性宮家」 なる特別の身分を与えることは、「華族その他の貴族の制度」 を禁止した憲法14条2項に違反するといえよう。


 ■ 旧宮家の男系男子孫を皇族に

 ヒアリングでは、「皇族数の減少にいかに対処すべきか」 「皇室のご活動をいかにして維持すべきか」 の2点のみが問われ、「皇位継承権者をいかに確保すべきか」 という最も肝心な点については敢えて触れないものとされた。 露骨な 「旧宮家」 外しである。


 皇族数の減少に対処し、将来、悠仁親王が即位される頃にお支えできる宮家を創設して皇室のご活動を維持するとともに、皇位の安定的継承を確保する方法は1つしかない。


 いうまでもなく、連合国軍総司令部 (GHQ) の圧力で無理矢理、臣籍降下させられた旧宮家の男系男子孫のうち相応(ふさわ)しい方々を 「皇族」 として迎えることである。

 にもかかわらず、敢えてその選択肢を排除し、強引に 「女性宮家」 を創設しようとする女系天皇推進派の皇室破壊の企てを何としても阻止しなければならない。


 まさに 「皇室の危機」 である。

井上毅の 「永世皇族主義」 に学べ (3405)
日時:2016年09月07日 (水) 20時55分
名前:童子

『明日への選択』 平成24年2月号

      日本政策研究センター代表 伊 藤 哲 夫 

 
 これは最近聞いた話だが、この女性宮家創設の動きの仕掛け人といってもいいある官僚OBが、ある会合で、女性宮家は安定的な皇位継承を考えてのことだ。

 元皇族の皇籍復帰 (正確には元皇族男子子孫の皇籍取得) などという馬鹿げたことを主張する向きもあるが、そんなことは断じて認められない。 女性宮家創設 (すなわち女系の容認) しか選択肢はあり得ない、と断言したとのことである。

 「衣の下から鎧」 どころか、ご公務分担だけを考えての女性宮家創設などという主張は、要は国民説得のための一時的な方便でしかない、というまさに開けっぴろげな告白なのである。

 とすれば、やはり女系容認となっても近親の女性宮家の創設か、あるいは血筋は遠くなっても男系維持か、の問題に立ち戻って考える他ない。


 ところで、かく考える時、ここでどうしても紹介しておきたいのが、男系皇統の維持のために 「永世皇族主義」 の必要を唱えた井上毅の主張である。

 彼が旧皇室典範の原案起草に携わった時、実は当時の関係者の中にも明治天皇の血筋から遠い世襲親王家に由来する皇族を可能な限り排除していきたいとする動きがあった。しかし井上はかかる主張を断固非とし、「王位継承法は親属の親疎よりも、寧ろ系統を取ること」 が重要であるとし、血筋の遠くなった皇族を順次臣籍降下させていくべきとする主張に、強く反論しているのである。  以下は井上の言葉だ。


 「五世以下皇族にあらずとすれば、忽ち御先代に差し支えを生ずべし。 継体天皇の如きは六代の孫を以て入れて大統を継ぎ玉へり。 不幸にして皇統の微(かすかなこと)、継体天皇の如きあらば、五世六世は申す迄もなし。 百世の御裔孫に至る迄も皇族にて在はさんことを希望せざるべからず」


 だからこそ、血筋が遠くなったからだの、皇族の数が増えれば財政的に大変だの、という単純な理由で皇族を減らすようなことをしてはならず、またただ直系が好ましいとの感情的な理由で無闇に皇族の数を減らそうとすれば、いつか必ず男系皇統の維持にとって危機となる時がやってくるというのである。  井上は続けていう。


「継体天皇、宇多天皇の御場合の如きは大に不祥の事と云はざるべからず。 然らば仮令多少の支障はあらんとも、成るべく皇族の区域を拡張すること、誠に皇室将来の御利益と云ふべし」


 継体天皇は越前まで探しにいってようやく皇位を継承してもらうという例であったし、宇多天皇は一度臣籍に下った後、再び皇籍に復帰され、即位されるという例になった。 しかし、それは結果はともかく、二度とそのような異例を繰り返さないための平時からの備えが必要だという教訓なのだ。


 とはいえ戦後、宮家の臣籍降下が強要され、再び危機に直面しているのが現状でもある。 ここはやはり井上の主張に学ぶべきだ。


アメリカは戦争中から 『日本書紀』 への攻撃を企図していた (3408)
日時:2016年09月08日 (木) 09時35分
名前:童子

『祖国と青年』 平成18年04月号

 「万世一系」 は神話に繋がる系譜 
    - 皇室と国民の美しい絆を守るために

      京都大学教授  中 西  輝 政


 
 昭和三十年代、四十年代の最もひどい日教組教育を受け、あるいは百パーセント東京裁判史観に基づく歴史学、さらに丸山真男に代表されるようなマルクス主義的左派イデオロギーに影響を受けた 「反国家的な風潮」 が学園をずっと支配していた時代に青少年期の教育を受け、戦後の日本にあった諸々の負の側面を人一倍受け継いだ人物たちが、今日本の指導的な地位についています。

 日本のエリートは本当に情けない状態になっております。 同世代の一員として私はこのことを実感しております。 そして、その最大の欠点は皇室観の 「歪み」 というよりは、むしろもう 「欠如」 と言っていい。

 そして、その根幹にあるのは 「歴史認識の誤り」 であります。

 私は、これまで日本の外交の体たらくを正すにはどうすればいいのか散々考えてきました。本格的な対外情報機関が必要だとか、いろいろなことを提案もしてきました。

 しかし、詰まるところ、外務省を中心とする官僚の、大変に歪んだ歴史観の回復をやらなければ、どんな大改革をやってもだめだと思います。


 ■ 有識者会議の各委員の本音


 昨年の 『週間文春』 十二月八日号に、名前を引用しないという条件で、有識者会議の委員が報告書を出した後の気を許していた時期にかなり本音でしゃべっているインタビュー記事があります。

 委員の各氏にインタビューしても 「連綿として続いてきた万世一系の歴史の重みは、ほとんど顧みられなかった」 という記者の感想の後、ある委員の次のような発言が紹介されています。


 「皇室の歴史は、“何となく男系” でつながってきただけだと思います。

 明治以前は典範もなく、男系男子で繋がなくてはいけないという規則があったわけではありません。 側室が山ほどいて、たくさん男の子がいれば、当時の男性優位の社会では、男の子が継ぐと考えるのが当然ですから」 


 この程度の意識なのです。 テレビで街を歩いている若者の意見を流している程度の意識に過ぎない。 


 江戸時代後期の天明・寛政期、西暦で言えば一七八〇年代に先立つ時期に皇位継承の危機がございました。

 「側室が山ほどいて、たくさんの男の子がいる」 などとは、歴史を無視したとんでもない論議です。 近代医学が導入されるまで、乳児死亡率はとても高かったわけです。

 男系男子を続かせなければこの日本の皇室の道統は成り立たないというのが、千年、二千年にわたって連綿と続いてきた日本民族の 「文明としての意識」 でした。

 従って、あらゆる困難を乗り越えて男子継承を続けてきた。 それが傍系継承ということであります。 父方の血筋を何親等も辿り、場合によっては何百年も遡っていき、そこから男子継承を守り抜いた。 これは世界の王家の歴史に類例がありません。


 また、驚くべきことに、 「皇室がなくなっても日本はどうにもなりはしない。 戦争が終わって日本は百八十度まるきり変わったんです。 皇統の維持は文化財保存の問題と同じで、政治の問題ではありません」  などと言った委員もいる。  全くとんでもないメンバーです。


 さらに、彼らは 「男系維持派は勝手に言っていろという感じです。
男系男子にこだわれば皇太子で終わりです。 どこかから男系男子を持ってくるといっても、六百年前に分家した旧宮家しかないんですよ」 と言い、「六百年前に分家した旧宮家」 というキーワードを自分たちの論理の唯一の支えにしています。


 しかし、これは歴史的に見て大変不正確な言い方です。 第一、東久邇宮、竹田宮、朝香宮、北白川宮の四宮家には明治天皇のご息女が嫁いでおられ、昭和天皇のご息女も東久邇宮家に嫁いでおられます。

 また、「分家」 ということ自体、これは近代人の考え方です。 近代的な家族、つまり西洋的な 「ファミリー」 の単位の存在ではなく、何十という家族の系譜をまとめた、歴史学の言葉で言えば 「氏族」 というのが、皇室の本質であります。


 ■ アメリカは戦争中から日本書紀への攻撃を企図していた

 万世一系の皇室を表現するとき、「神武天皇以来」 という言い方がよくされます。 二千六百六十六年前の二月十一日、辛酉の旧暦元旦、大和の畝傍山の橿原の宮に神武天皇はご即位遊ばされました。

 まさに日本の始まりであり、千三百年前の日本書紀が明確にそのことを謳っています。 しかし、戦後の歴史学者は、この日本書紀に難癖をつけ、したり顔で論じてきました。


 近年、これまで極秘だったアメリカの日本占領政策を巡る文書が新しく公開されており、その中からアメリカ政府がミッドウェー海戦の一カ月前、昭和十七年五月に書いた諜報機関の文書が出てきたのですが、それを読むと、何と

  「日本の国家主義、皇国主義の根幹はどこにあるのか。 それは日本の皇室と国民との関係にある。 日本書紀という史書をいかにして日本人の教育や学問の研究の中から追い出していくかが大事だ」

 という趣旨のことが書いてある。 これはハーバードーノーマンというソ連・コミンテルンの工作員だった学者らの意見が、アメリカ政府に入り込んで影響を与えて書かせたものです。


 戦前の日本の歴史学界でも、例えば津田左右吉などが早い時期に日本書紀・古事記について批判的に書いていましたから、それを見てアメリカの学者は日本書紀を決定的に毀損してしまおうとしたのでしょう。

 日本書紀は全く信用できない書物だと思わせることが、日本人を立てなくし、日本をアメリカにとって脅威とならない国とするその大事な手立ての一つだと書いているわけです。

 こうした見方は戦時中の早い時期からあり、日本と戦争する前から 「日本を占領したらこのように変えてやろう」 という考えが既にアメリカ側にあったことを示唆しています。

 また、その文章の一つ前には 「客観的に見て、日本の皇室の伝統は、日本民族にとって紛れもなく大きな資産である」 と書いてあります。 この点では、彼らはよく分かっていたのです。

 よく分かっているからこそ、皇室は無くなってほしいということなのです。 そこで、日本書紀への信頼を失くし、日本の歴史学を変えてしまうという選択肢を思いついたわけです。

 これは、戦前日本に何年も住み、東大などで専門的な研究を重ねたような欧米人の日本史研究者なども大勢集めた占領政策の立案チームによって作成されました。


 ■ 十一宮家の臣籍降下に対する昭和天皇の御心


 戦争が終って占領が始まると、GHQは旧皇族に対して経済的に締め上げていく方策を出してきました。 この方策は戦時中の文書にも出ておりますが、

 戦後になって実際に 「皇室経済法」 という立法を日本政府に指令します。


 そして、焼け跡で食べ物もないようなときに、「この皇室経済法が施行されれば、宮家には九〇%もの財産税が課されることになる。 皇族であり続ける限りあなたたちは生きていけません」 という脅しをかけ、昭和二十二年の十一宮家の臣籍降下という方向に繋がっていくのです。


 われわれにとって本当に大切なことは、この六十年前の旧宮家の臣籍降下に繋がっていった歴史の流れを再認識し、その時占領軍は何を考えていたのか、そして当時の日本人はどのように感じたのかを受けとめることです。

 とりわけ、先帝陛下が臣籍降下という宮家の悲運をどのようにお考えになり、われわれ後の時代を生きる者にどのようなご遺志を残されたかに思いを致さなければなりません。


 昭和二十二年、昭和天皇は皇籍を離れられる宮家に対して、「私としては今までと少しも変わることなく、以前同様に思っております」 とお述べになり、併せて加藤進宮内府次長は、昭和天皇の意を体して 「万が一にも皇位を継ぐべきときが来るかもしれないとのご自覚の下で身をお慎しみになっていただきたい」 と述べました。


 この思いを今われわれはしっかりと受けとめ直さねばなりません。

 戦後、マッカーサーは占領政策に利用するために、確かにある面では皇室を存続させました。 連合国の中には即時に天皇制を廃止すべきだとか、東京裁判で昭和天皇の責任を問う訴追をさせるべきだという声までありましたから、マッカーサーは日本の国にとって、皇室にとっての 「恩人」 であったという見方は、その限りにおいてはそうであったかもしれません。

 しかし、数年前に公開された文書を見ますと、やはりアメリカは特に日本の皇室の皇位継承の問題を研究し、その問題についてもっと深刻に考えていたことが分かります。

 一九四六年、昭和二十一年当時、まだCIAができる前の政府情報機関の解説文書を見ると、これははっきりとは書いておりませんが、行間を読めば

 「日本の皇室には宮家が多すぎる。 皇室の藩とと言われた華族の廃止と一体になるかたちでこれを極限することにより、将来的に皇位継承は二世代、三世代後に難しくなるであろう」  という趣旨が明らかに見てとれます。


 宮家の 「極限」 という方向を示唆しているのですが、極端に減らして自然に立ち枯れに持っていくのが一番望ましい方向だというわけです。 占領軍の側にこういう長期的な戦略的思考があったということは是非知っておいていただきたいのです。



 ■ 神の系譜に繋がることが皇室のアイデンティティーの核心


 今日は建国記念の日、神武天皇の 「建国の偉業」 に思いを馳せる日ですが、神武天皇は何ゆえ尊いのかということを改めて考えてみたい。

 今日、多くの学者が、また面白いことに新しい世代の古代史学者がこの国の建国の礎を据えられた神武東征の事業を、その年代については異論があるにしても歴史的事実であると認め、受け入れるようになり始めております。


 しかし、それ以上にわれわれが今日のこの日に考えるべきことは、神武天皇の曾お祖父さまに当たられる瓊瓊杵尊が天孫降臨、すなわち高千穂の峰に天下られ、それに際しては天照大神から三種の神器を戴かれた。

 このような神話があって、神武天皇の建国という大事業があったということです。 つまり、日本の皇室は神武天皇に繋がるわけですが、その先は神の系譜に繋がる。 これが日本の皇室のアイデンティティーの一番核心となるものなのです。


 だからこそ、皇位継承に際しては、どんな苦労をしてでも何代も遡って男系男子を探してきたわけです。

 例えば六世紀の継体天皇のご継承では、十親等も遡っていき、そこから十親等降りていく。 そんな遠い遠い傍系から神武天皇のお血筋を引く継承者を探してこられた。

 また、古代には近親結婚の事例が多々あります。 それはなぜか。 

 外からの男系の血が入ってはいけないからです。 皇女をどこかに嫁がせられるときに、その嫁ぎ先との関係が蘇我氏の例のように政治問題になり、天皇家がその家系の連続性を失わさせられるような危機があったから、そういうかたちで継承の純粋性を守り抜いたわけです。

 そこまでして世界に類例のない継承の方法を二千年にわたって続けてきた最大の理由は、「神に直接に繋がる系譜」 だからです。 「神話にまで遡る系譜」 ということが、「万世一系」 に非常な重みを与えるわけです。 そして、これは昭和の敗戦においても、先帝陛下の一番大切にされた皇室の基軸でもありました。


 昭和二十一年元旦、「新日本建設の詔」 が発表されました。 戦後の歴史学者は 「天皇の人間宣言」 と言っていますが、この詔は冒頭に 「五箇条の御誓文」 が掲げられてあります。


 この点について、昭和天皇は後に 「それが実はあの時の詔勅の一番の目的なのです。 神格とかそういうことは二の問題であった」 「民主主義を採用したのは、明治天皇の思召しである。 しかも神に誓われた。 そうして 『五箇条御誓文』 を発して、それがもととなって明治憲法ができたので、民主主義というものは決して輸入のものではないということを示す必要が大いにあったと思います」  と自らお述べになっています。


 GHQもときの幣原内閣も、当初はこんな余計なものは外すようにと圧力を加えます。 しかし、昭和天皇は断固として、これが日本の民主主義の考えの原点だ、国民が自信を持って新しい日本をつくるために、日本の国に古来からある民主主義の精神をもう一度しっかり意識させることが大切だという思いで書かれたと、はっきりお述べになっているわけです。

 そしてもう一点忘れてならないのは、当時の侍従次長が述べていることですが、昭和天皇は占領軍が 「天皇は神ではない、人間と言え」 と圧力を加えてきたことに対し、生物学的には人間には違いないので 「人間であると言うことには吝(やぶさ)かではない」 と応えられました。


 占領軍はさらに 「自分は神の子孫ではないと言え」 とまで要求を加えましたが、しかし昭和天皇は 「皇室の系譜を遡れば神武天皇から瓊瓊杵尊、天照大神へと直接につながる。 私は、神の末裔であるというこの一点は絶対に譲ることができない」 とお述べになったのです。

 ですから、詔書では 「自分は神ではなく人間である」 とはおっしやられていますが、「自分は神の子孫でもない」 とは一言もおっしやられていません。


 この 「神の末裔」 という考えは、国民と皇室の絆の始まりでもあります。 「源平藤橘」 と言われます通り、先祖を遡ればみなご皇室に遠い遠い血縁のある親戚として、われわれ日本人はずっと裾野を広げてきました。 つまり、ご皇室が中心におられ、神々の系譜に連なっておられる。

 そして、われわれはそこから枝分かれし、遠い遠いところで血縁関係にあるーそういう国柄であります。

このような王室は世界に一つとして他にありません。 比較的歴史の古いイギリス王室やデンマーク王室にしても、王室と国民が血縁関係にあるなどということはどう逆立ちしても絶対に証明できません。


 各々の時代に合わせつつも、その国の 「文明の核心」 をしっかりと受け継いでいる国民が一番生命力に溢れ、一人一人が幸せに生きている。これが世界の現実です。

 世界にはキリスト教があり、イスラム教があり、いろいろな文明があります。

 しかし、その中で日本は、アジアの他の文明には包摂されることのない、「日本文明」 という独自の一大文明圏を成しているのです。 万世一系は何ゆえ大切なのか。 それは 「日本文明の核心」 であり、これが守られる限り必ずこの国はよくなるからであります。

 日本が 「一つの文明」 として在り続ける限りこの国は必ず甦る ー これが私の学問、私の志の核心であります。


谷口雅春先生のお教え (3470)
日時:2016年09月14日 (水) 10時02分
名前:童子


 生長の家が、天皇陛下を愛し且つ皇恩に感謝する事、そして家族の恩愛の調和ある実現の中にこそ本当の光明生活があることを、生長の家出現の当初から説いて来ている。

 
 祖国を自虐し、天皇を愛しない人は、天皇の歴史に傷つける結論を 「過去の記録」 から引出すのでありましょうし、

 天皇を愛し祖国を愛したい人は 「過去の記録」 から、天皇の歴史を日本を飾る光栄ある歴史の中心的流れとして結論づけようとすることになるでしょう。

 ハッキリ申して置きますが、私は後者に属するのであります。

 吾々の 「生命の實相哲学」 は、現象を実在とする現象主義でも実存主義でもありません。 吾々は神話的人生観をもっているのであります。

 神話は唯の夢でも空想でもありません。 それは、吾々の生命の奥深いところにあって現実を常により一層理想的に改変して行きつつある 「理想の模型」 であります。

 この 「理想の模型」 こそ、常に変化する無常なる現象よりも、より一層実在であるとするのであります。


 政治論から見たらどうか知りませんが、国家はやはり哲学的根拠からその理想形態にまで進展して行かねばならないと信ずるものであります。

 



名前
メールアドレス
スレッド名
本文
文字色
ファイル
URL
削除キー 項目の保存


Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板