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西村幸祐氏インタビュー「日本は「憲法」を必要としない国である!」 (3273)
日時:2016年08月17日 (水) 21時37分
名前:アクエリアン

バイデン副大統領の日本国憲法はアメリカが書いたのだ、という発言は、波紋を呼んでいますが、西村幸祐さんの憲法論は、なかなか考えさせられます。

KG Project@20160816
https://www.mixcloud.com/kennysuzuki18/kg-project20160816/
ゲストは先週に引き続き「日本人に憲法は要らない」をリリースされた西村幸祐 @kohyu1952 先生。
憲法の問題。
西村先生の「東京の壁」論。
China公船の尖閣諸島周辺での領海侵犯への日本の対応の問題、etc...


内容紹介
あなたは「護憲派」? それとも「改憲派」?
「近代憲法」誕生以前から、日本は民主的な国だった―
“憲法の常識"がわかる一冊!
ヨーロッパで最初に「憲法」を立てた国はイギリスだと言われているが、イギリスには一冊にまとまった「憲法」は存在しない。
実は、イギリス以上に歴史のある日本は、国家運営の基盤としての「憲法」を必要としない国なのである―。
憲法とは何か? 立憲主義とは何か? そして、日本とは何か?
憲法学者や政治家、マスコミが語らない、“憲法の常識"をわかりやすく解説。
【特別付録】「十七条憲法」「大日本帝国憲法」「日本国憲法」全文&現代語訳付き!
● 「憲法」で分断されている日本社会
● 三島由紀夫を理解できなかった、政治家とジャーナリスト
● 「聖職者」と化した、日本の憲法学者
● 「アメリカ独立戦争」と「フランス革命」から生まれた“近代憲法"
● 「日本国憲法」は“不平等条約"である
● “国防"のために作られた「大日本帝国憲法」
● 「十七条憲法」に見る“日本型民主主義" etc.

【目次より】
序 章 【憲法の基礎知識】憲法学者が教えない、「憲法」の“常識"
第1章 【改憲論の問題点】護憲派も改憲派も避けられない“真実"
第2章 【憲法の定義】改めて考える。「憲法」とは何か
第3章 【日本の近代憲法】「大日本帝国憲法」と「日本国憲法」はどう作られたのか

日本は「憲法」を必要としない国である!
インタビュー/『日本人に「憲法」は要らない』著者・西村幸祐
西村 幸祐

取材・文:上杉光太郎
2016年08月05日

イギリス以上に歴史のある日本は、国家運営の基盤としての「憲法」を必要としない国である。憲法学者や政治家、マスコミが語らない“憲法の常識”をわかりやすく解説した注目作がついに発売!(2016年8月9日全国書店等で販売開始!)。『日本人に「憲法」は要らない』の著者・西村幸祐先生に、「憲法とは何か」「立憲主義とは何か」そして「日本とは何か」について語ってもらった―。

Q1 まず、今、このテーマで本書『日本人に「憲法」は要らない』を執筆しようと思った動機をお聞かせください。

西村:去年(2015年)の安保法案審議のときに、「集団的自衛権は憲法違反だ」とか「立憲主義に反する」とか、憲法改正以前の段階でそんな話がいっぱい出てきました。だいぶ以前から感じていたことでもあるんですが、さすがにこのときは「これはおかしい。なにか根本的なところを間違えているな」と思った。そのうえ、そんな間違った議論がそのままテレビや新聞で大きく報道されている。もう聞くに堪えない状況でした。

「真実」が覆い隠されて、違った土俵で、上滑りの議論だけがどんどん進んでいくことになってしまった。これは本当に大きな問題だと思いました。とにかく、何かあると「憲法に違反してるか、否か」という話ばかりが報道されている。こんな状況ではますます日本人はバカになってしまうと思ったんです。

三島由紀夫は、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決(1970年)した際に、憲法改正を訴えていました。あれから46年、日本人はいったい何をやっていたのか。そういうことを改めて考えたときに、では「憲法っていったい何だろう」と考えざるを得なくなったわけです。

その根本的なところをはじめから考えて、それを読者の人たちにわかりやすく提示すれば、今のような誤解に基づく議論の組み立てとか、そういうものはなくなるのではないか。そういう気がしたんです。それがこの本を書こうと思ったいちばんの動機です。

Q2 「日本国憲法」が70年近く一度も改訂されなかったのは驚きというより異常に感じますが、そうなったいちばんの原因は何だと思われますか?

西村:かつて文芸評論家の江藤淳が書いた『一九四六憲法――その拘束』という本のタイトルにあるように、「拘束力」ですよね。やはり、福田恆存さんがいみじくも「当用憲法」と言ったけれども、今の憲法そのものにはそれだけの拘束力があるわけです。

それは占領基本法としての拘束力であり、日本を永久占領しておきたいというアメリカの国家意思がこの憲法にそのまま反映されているわけですからね。なかなかそれを撥ねつけることはできない。

それと、日本人がそういった「ぬるま湯」のような環境に漫然と浸かっている状態を良しとしてきた。それがいわゆる「戦後」という時代区分のいちばんの特徴なんです。

普通はどこの国でも、戦争終結後5年くらいで「戦後」は終わる。どんなに長くても10年も経てば「戦後」は終わるのですが、日本の場合は違った。去年で「戦後70年」と言われているわけですから。

昭和30年代の初期に日本の通産官僚が<もはや「戦後」ではない>と言っています。それは、「経済的に自立できた」という意味で言ったのだけれども、そのときは日本のジャーナリズムも「もはや戦後ではない」ということを盛んに言って、これは流行語にまでなった。

それなのに、いつからかそれが全部上書きされちゃって、戦後30年、40年、50年、60年……って、ずぅ~と来ているわけです。

そんなことになったのは、「いつまでも敗戦国の占領下における状態でいい。そのほうが面倒臭くなくていい」という、奴隷根性みたいなものが日本人の身についてしまった。言い換えればそういう状態に慣らされてしまったからではないでしょうか。

だから、「戦後〇年」とずっと言われ続けているということこそが、「日本国憲法」が一度も改正されなかった理由とも言えるでしょう。

Q3 では、「日本国憲法」を、オリジナルの「日本の憲法」に変えるチャンスはなかったのでしょうか? 

西村:何回かあるんですね。いちばん大きなチャンスは占領が解けた昭和27(1952)年の4月28日ですね(この日、サンフランシスコ平和条約が発効された)。日本が独立をし、主権を回復したこのときです。このときに占領憲法を破棄すればよかったんです。破棄して、昭和21(1946)年にやったように、大日本帝国憲法を改正条項で改正すればよかった。破棄しちゃえば、今の憲法にある96条なんて関係ないですから。あの時点でそれができていれば、戦後のあの混乱というのはなかったと思います。

その次のチャンスは、昭和44(1969)年から45年にかけての、いわゆる「70年安保」のときですね。佐藤栄作内閣のもと、日米安保条約の自動延長が決まるかどうかということで大騒ぎになりました。「70年安保」が叫ばれ、それが反日左翼勢力の大きな闘争目標になっていた。世界的にも60年代末期から、一種の高度資本主義社会のなかでの反乱ということで学生運動が起こった。マルキストたちを非常に勇気づけた出来事が世界各地で起こったのです。

そういう風潮のときが、実は憲法改正のチャンスだったんです。沖縄返還が日米両政府の間で着々と進められて、昭和47(1972)年、ついに沖縄返還が決まったのですが、そのときの「佐藤-ニクソン会談」で、実はニクソン大統領は日本の独立を促していたんですね。

ニクソンは、この70年安保の自動延長の切れ目と同時に日本に核武装を奨め、それで沖縄を完全返還するという提案を日本にしたのです。でも、佐藤首相は日本の世論やメディア、左翼勢力の反発を恐れて、この提案を断った。そして「核抜き本土なみ」という言葉をこしらえて、沖縄返還を行ったんですね。

当然、ニクソンは激怒します。また、大統領補佐官のキッシンジャーは、その経過を見て「日本はパートナーとしてはちょっと信用出来ない」と判断したという話もあるくらいです。

要するに、アメリカがアジア支配をどうやっていくかというとき、日本とアメリカの太平洋における「G2」のようなものは当然構想されるわけですよ。大西洋におけるイギリスと同じ位置を日本が占めるようになれば、アメリカの世界戦略にとって非常に有利な状況になるんです。

でも、この会談で日本にはその気概がないということがはっきりわかった。

それでキッシンジャーは、毛沢東の元へ飛んで行ったわけです。それはもちろん、ソ連を抑えるための地政学的な外交手段だったわけです。だからこの安保条約自動延長のときが憲法改正の2度目のチャンスだったんです。

憲法改正をすべきときにしなかった。それを三島由紀夫は全部見抜いていてあの行動を起こしたと僕は思っています。

Q4 2回も大チャンスがあったのにやらなかったというのは、先ほどおっしゃった「ぬるま湯」というところに繋がりそうです。当時の自民党がだらしなかったんですかね。

西村:そこまで突き放しちゃうとちょっと可哀相だから、肯定的な面をさぐってみると、むしろ「アメリカを利用して、したたかに生きてやろう」という日本側の策略もあったのではないかという評価もできると思います。佐藤栄作については当然そういうことになるだろうし、その前の首相の池田勇人もそうだったと思いますよ。なにせ、二人とも吉田茂学校の門下生ですからね。

軍門にくだって、占領状態を続けさせながら、実はアメリカの衣を利用する。実際に経済的にはそういう方向にいったわけですからね。しかしそれがよかったかどうかというのはわからない。というのは、それに対するひとつの結論が、すでに1980年代に出ているわけですからね。

80年代はヨーロッパ全土が不況になった。アメリカも同じく不況、好況なのは日本だけ、一人勝ち状態だったんです。そこで当然のように日本バッシングが出てきた。その最初の表れが1985年のプラザ合意でした。だから、プラザ合意のころまでは日本が世界を席捲していたわけで、ほんとに当時の日本は「G2」だったわけです。

平成元(1989)年に、石原慎太郎とSONYの盛田昭夫が『NOと言える日本』という対談本を出して翌年にかけて大ベストセラーになりました。「NOと言える日本」というのが当時の日本の、実は明確な意思表示だったんですね。

この間その本を読み直してすごく面白いと思ったのは、当時から「G2」という言葉が使われていたことです。使われてはいたんだけど、それは今の「G2」じゃない。当時は日本とアメリカを「G2」と言っていた。だからその頃にも3回目のチャンスがありました。「戦後体制」を脱却出来るチャンスがね。

憲法改正のチャンスはこれまでに少なくとも3回はあった。3回目が見送られた後は、ご存知のように今に続く「失われた20年」になってしまった。だから、それに対する日本のパワーの逆バネとして、平成24年(2012)12月の第二次安倍政権の誕生は歴史的必然と言ってもいいでしょう。

Q5 「日本国憲法」の文章がおかしいという議論があります。これについてはどう思われますか?

西村:まず、なにより翻訳がおかしい。ただ、原文の英語の文章もたいした英語ではありません。なぜなら、この本にも書きましたが憲法を書くような人でない、GHQ民生局の人間がなかば勝手に書いていたんだから。どう見ても格式のあるまともな英語ではありません。

好意的に解釈すれば、その英文の憲法を翻訳した人は「変な憲法だと思わせるために、わざとおかしな日本語に翻訳したのではないか」、そんなふうに考えたくなるくらいにひどい文章ですね。こんな恥ずかしいものは早く別のものに替えて欲しいと思わせるために、あんな日本語にしたのではないかと、好意的に考えれば、そんな気もしますね。

Q6 問題が多いとされるアメリカ製「日本国憲法」ですが、日本に良い結果をもたらしたと思われることはありますか?

西村:メリットですか。良かった点は、さっき言った経済面のことしかないですよね。これまではアメリカを利用してやってきたんだけれども、そんなことはいつまでも続くわけない。アメリカも日本を利用しているわけですが、そういう時代がいつまでも続くわけがないことは、今のアメリカの大統領選挙報道を見ていても明らかです。

Q7 本書の終わりの方に「憲法などは技術として使いこなせばいい」とあります。これについてもう少し具体的にお話しください。

西村:前にも言ったように、「立憲主義」とかいう言葉のまやかしが横行している。それから、それと付随して出てくる「平和主義」だとか「民主主義」という言葉自体も、政治家もメディアも教育でも普通に使っているけど、言葉の実体が全然わからない。なにせ、これらの言葉はいつも教科書に書いてあるようなレベルでしか使われていないことが問題なのです。

そういう様々な嘘を、憲法を考えることによって明らかにできると思うんです。この本の中でも書いているように、「日本は憲法などなくても済むような歴史と文化を持っている」わけだから、憲法なんて「そんなもの」として使えばいいという意味も込めています。

だから「そんなもの」を破棄しようが、改正しようが、なくそうがどうでもいい。もし「憲法」があるのなら、使いこなせばいいというだけの話です。そういう意味で、それはイギリスを見ればわかることです。

Q8 そのイギリスに関連することですが、護憲論、改憲論の他にイギリスのように憲法を持たないという議論が、もっとあってもいいと思うのですが? 

西村:この議論が本当は非常に重要で、必要なんです。だから、この本が投げかけているいちばんの目的はそこです。憲法改正が何をどう改正するかでなく、護憲か改憲かという非常にくだらないレベルで議論されている。ごく狭いイデオロギー上での議論になっている。9条改正が人を「殺す」とか「殺さない」とか、そんなレベルの話で憲法が論じられている。そんな状況自体が滑稽で幼稚なわけですよ。

戦後の学校教育で学んだこと、あるいは教師が言っていたようなこと、それから朝日新聞やNHKが言っていることしか聞いていないと、そういう思考しかできなくなっちゃうんです。だから、そういう狭い思考の枠を壊し、取り払ったうえで「憲法は必要か、必要でないか」を考えて欲しいわけです。そういう議論をするための第一歩になってもらいたい。そういう思いでこの本を書きました。

読んでもらえれば、それはよくわかると思います。もちろん、読んだ後でどう考えるかは本人の自由ですが、ともかく、そういう「考える材料」を与えたかったということです。

それとこの本には「五箇条の御誓文」も全部載っているし、巻末付録には「十七条憲法」と「大日本帝国憲法」と「日本国憲法」の全文が入っています。だから、それらをよく読んで、憲法のことを考えてみてくださいということです。

Q9  それでは最後に、読者に向けてひとことメッセージをお願いします。

西村:繰り返しになりますが、とにかくいま流通している言説とか、テレビや新聞、あるいは雑誌で目にする耳慣れた言葉には疑いを持って欲しい。そして今までの思考の枠組みをまず壊して、それからこの本に接していただきたいということですね。それが著者の願いであり、同時に希望でもあります。

「日本人に『憲法』は要らない」目次

「憲法」をもっと身近なものへ―まえがきにかえて

序章【憲法の基礎知識】
憲法学者が教えない、「憲法」の"常識"
 「憲法」の常識、非常識
 イギリスに「憲法」はない!?  
 「十七条憲法」は世界に誇る知的財産
 「憲法は権力を縛るもの」という定義は、日本ではナンセンス

第一章【改憲論の問題点】
改憲派も護憲派も避けられない"真実"
 Ⅰ 憲法問題による<東京の壁>
    「憲法」で分断されている日本  
    「民主主義」対「社会主義」の対立が残る東アジア 
    三島由紀夫を理解できなかった、政治家とジャーナリスト 
    「安保法制」狂想曲 
    アメリカの弱体化と中国の拡張
 Ⅱ 憲法学者、政治家、マスコミの欺瞞
    3種の呪文「平和主義」「民主主義」「立憲主義」 
    憲法学者の意見は参考程度に
    「聖職者」と化した、日本の憲法学者 
    「社民党」「民進党」の憲法観 
    「共産党」の憲法観 
    「国連憲章」への過剰な賛美 
    「国連憲章」と「日本国憲法」の矛盾 
 Ⅲ アメリカ製の「日本国憲法」
    「日本国憲法」は「ハーグ陸戦条約違反」!? 
    なぜケネディ駐日米国大使は「日本国憲法は米国製」とツイートしたのか
    実は「日本国憲法」の改正を期待しているアメリカ 
    核のボタンを横に置き「平和スピーチ」をするオバマ大統領 
    「日本国憲法」は "不平等条約"である 
 Ⅳ 「八月革命」というプロパガンダ 
    「革命」にすり替えられた「敗戦」
    「自虐史観」を下支えしている「八月革命説」  

第二章【憲法の定義】
改めて考える。「憲法」とは何か
 Ⅰ 日本古来の「憲法」と欧米のNEW「憲法」
    「憲法」とは何か 
    幕末期の国際法『万国公法』と「いろは丸事件」 
    「五箇条の御誓文」とジョン万次郎 
    「Constitution」の和訳は「律令」?「国憲」? 「建国法」? それとも「憲法」?
    「憲法」を定着させた伊藤博文
 Ⅱ 「アメリカ合州国憲法」と「大政奉還建白書」
    「アメリカ独立戦争」と「フランス革命」から生まれた"近代憲法"  
    アメリカは「憲法」によって建国された"人工国家"  
    日本の夜明け「大政奉還建白書」 
    「明治維新」は"革命"ではなく"政権交代"
    外交を意識した、龍馬の「新政府綱領八策」 
    "国防"のために作られた「大日本帝国憲法」 
 Ⅲ 誤解だらけの「平和主義」
    「平和」とは何か  
    「日本国憲法」にある「平和主義」 
    各国の「不戦」規定 
 Ⅳ 誤解だらけの「民主主義」
    「民主主義」とは何か 
    噓に塗れた民主主義  
    「アメリカ合衆国憲法」の本質は"民主主義の暴走"を制御すること 
    「十七条憲法」に見る"日本型民主主義"  
 Ⅲ 誤解だらけの「立憲主義」
    「立憲主義」とは何か 
    憲法は改正するのが当たり前 
    「日本国憲法」の改正手続きの困難さ
    憲法を自由自在に変更することが、本来の「立憲主義」 

第三章【日本の近代憲法】
「大日本帝国憲法」と「日本国憲法」はどう作られたのか
比較のはじめに   
 Ⅰ 成立過程―「大日本帝国憲法」
    明治天皇の「立憲政体の詔書」 
    「藩閥体制」から「議会政治」へ 
    民間からの「私擬憲法」 
    「東洋大日本国国憲按」と「五日市憲法」 
    追放された大隈重信 
    日本の近代憲法の生みの親・井上毅 
    伊藤博文の海外憲法調査 
    井上毅が重要視したのは"日本の伝統"
    時間をかけ練り上げた「大日本帝国憲法」起草  
    日本とは「天皇がシラス」国である  
 Ⅱ 成立過程―日本国憲法
    日本国憲法の制定理由
    GHQの占領下で作られた憲法 
    日本政府の「憲法改正案」
    戦争国側に与した、宮澤俊義の「憲法改正要綱」
    毎日新聞にスクープされた、GHQの関与
    日本人を蔑視した作業期間"10日間"の憲法草案

 あとがき  

 主要参考文献  

 <巻末付録>
「十七条憲法」全文&現代語訳   
「大日本帝国憲法」全文&現代語訳   
 「日本国憲法」全文




志士連合の帝国憲法復元改正論 ーー占領憲法が無効である理由は暗記しませうーー (3282)
日時:2016年08月19日 (金) 20時29分
名前:アクエリアン

占領憲法が無効である理由は、生長の家の憲法論を支持する人は、スパッと、述べられなければならないと思いますので、下記の無効理由などは、暗記すべきですね。
占領憲法無効廃棄・明治憲法復元改正運動の記録写真
http://blogs.yahoo.co.jp/inosisi650/53151172.html


http://shishi.kokutaigoji.com/?page_id=49

7.占領憲法が無効である理由を教えてください。

無効の理由は多くあり、これまでも多くの無効論者が主張してきたものも総合しますと、全部で次の13項目があります。これは後でも述べますが、①から⑪までは、占領典範の無効理由と共通した無効理由です。(なお、典憲というのは、典範と憲法のこと。)
① 改正限界超越による無効
② 「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」違反
③ 軍事占領下における典憲改正の無効
④ 帝国憲法第75条違反
⑤ 典憲の改正義務の不存在
⑥ 法的連続性の保障声明違反
⑦ 根本規範堅持の宣明
⑧ 改正発議大権の侵害(帝国憲法第73条違反)
⑨ 詔勅違反
⑩ 改正条項の不明確性
⑪ 典憲としての妥当性及び実効性の不存在
⑫ 政治的意志形成の瑕疵
⑬ 帝国議会審議手続の重大な瑕疵

8.この無効理由のうち、重要なものはどれですか。

もちろん、どれも重要な無効理由です。しかし、これらの無効理由はそれぞれ関連し合っているため、ここでは、主要な点を次の4つにまとめて説明します。イ.憲法改正には限界があること。ロ.占領下での憲法改正は許されないこと。ハ.改正手続きに問題があったこと。ニ.憲法改正がまともに審議されなかったと。

イ 憲法改正には限界があること

まず、憲法改正に限界があるか否かですが、占領憲法の解釈においては、占領憲法の基本原理については改正ができないとされています。つまり、改正限界説です。ですから、帝国憲法についても改正限界説でなければ二重基準になってしまいます。現に、帝国憲法の解釈においても、改正限界説が定説でした。そうすると、占領憲法は、改正ができない國體の変更にまでに及び、国民主権主義を取り入れたので、このことを理由に占領憲法は、帝国憲法の改正としては無効なのです。

ロ 占領下での憲法改正は許されないこと

GHQが、占領憲法の制定を強制したことは、占領下で占領軍が占領地の法律を「絶対の支障」がないにもかかわらず改変することを禁じた「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」の条約附属書「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」第43条に違反しますし、ポツダム宣言は、「民主主義的傾向の復活強化に對する一切の障礙を除去すべし。」(第10項)とするだけで、憲法改正まで要求していないのに、その改正を強制したことは、ポツダム宣言にも違反しています。このようなことは、「フランス1946年憲法」第94条にも、「本土の全部もしくは一部が外国軍隊によって占領されている場合は、いかなる改正手続も、着手され、または遂行されることはできない。」と規定されています。
さらに、このことは、帝国憲法第75条の類推からしても当然に導かれます。同条には「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」とあり、(摂政が置かれている間は憲法と皇室典範の改正は認められないということです。)天皇がご病気になられるなどの事態が生じたときは摂政が置かれますが、この趣旨は、摂政が置かれるという事態は、予測しうる国家の「変局時」であるという意味です。天皇がご病気であるというのは、天皇が御叡意により判断されることが困難な状態を例示したものです。ですから、ご病気ではないとしても、GHQ占領下のように、天皇の権限を全く停止され、自由で制約のない判断ができない時期において、憲法改正、典範改正ができないのは当然のことなのです。このことは、昭和31年に清瀬一郎が国会で指摘しています。

ハ 改正手続に問題があったこと

そして、さらに重要なことは、占領憲法は、(憲法改正が天皇の一身専属権であることを規定する)帝国憲法第73条に違反していることです。そもそも、マッカーサーノートに基づくマッカーサー草案によって改正命令がなされたことは、同条で定められている天皇の改正発議権を侵害しています。さらに、それを翻訳した憲法改正案(政府案)は、衆議院と貴族院において修正されていますが、帝国議会には修正権がないことは当時の定説でした。議会に修正権を与えると、換骨奪胎の修正に歯止めがかからないことになり、議会に発議権を認めたのと同じとなって、天皇のみに帰属する改正発議権を侵害することが理由とされていました。このことについて、なんと、共産党の野坂参三が帝国議会で指摘したのです。
また、共産党の志賀義雄や徳田球一は、憲法改正案が国民に周知徹底されていないことを指摘しており、志賀義雄は、そのことを理由に、改正の時期は熟していないとして議事の延期を求める緊急動議を出しましたが、あっさりと否決されて改正審議が進んだのです。すべてはマッカーサーの意向と指示命令に迎合した結果だったのです。このころの共産党は、二段階革命論という政治意図があったにせよ、憲法感覚は、今の政治家よりも格段に優れていたと言えます。

ニ 憲法改正が真面目に審議されなかったこと

憲法改正手続の時期は、国民がは憲法改正よりも食糧確保に最大の関心があったときであり、しかも、プレスコード指令や神神道指令などによる完全な言論統制と厳格な検閲がなされ、大量の公職追放がなされた状況での形式的で極めて短い本会議審議、さらに、マッカーサー草案の英文表記を翻訳することに終始した委員会審議であったことが明らかになったことからして、自由な政治的意志の実現とは程遠いものがありました。しかも、これらは、すべてGHQの強制と指示によるもので、こんな不十分極まりない形式審議によって暴力的に生まれた占領憲法が憲法であると強弁する人は、本当に日本人なのでしょうか。

9.占領憲法が有効だとする説にはどのようなものがあるのですか。

占領憲法が憲法として有効であるとする憲法有効論は、大きく分けて二つあります。一つは、始源的有効説です。これは、占領憲法ができた当初から憲法として有効に成立したとする見解です。これには、①改正無限界説、②革命有効説、③条約優位説、④正当性説、⑤承詔必謹説などがあります。そして、もう一つは、後発的有効説です。これは、初めは無効だったが、後になってから、ある事情で有効になったとする見解です。これには、①追認有効説、②法定追認有効説、③既成事実有効説、④定着有效説、⑤時効有効説などがあります。占領憲法が有効だとするこれら全ての論は憲法学的に見て大きな誤りなのです。

10.では占領憲法有効論のうち、始原的有効説から順番に説明してください。

①の改正無限界説ですが、当時も今も少数説です。改正に限界がなく、これまでの憲法の内容と全く異なったものでも許されるとするものです。これが誤っていることについては、國體論に関わる説明をしなければなりませんので、ここでは省略しますが、次の二つのことだけを説明しておきます。一つ目は、帝国憲法の上諭には、憲法改正について「敢テ之カ紛更ヲ試ミルコト得サルヘシ」とあることから、改正無限界説は帝国憲法においては成り立たないことです。二つ目は、仮に、この説に立ったとしても、それは国家が正常な時期に適用されるのであり、占領下の非独立時代という異常な時期には、この見解であっても適用されない点です。

②は、革命有効説です。「八月革命説」と呼ばれるもので、昭和20年8月に法律学的な意味での「革命」が起こったというフィクションを打ち立てる見解です。当時は、一斉を風靡しましたが、今ではこれを支持する学者は少ないのです。革命とは、国内勢力による政治的な自律的変革の現象であって、外国勢力による征服下での他律的変革を意味しないからです。
③の条約優位説というのは、帝国憲法よりもポツダム宣言の受諾や降伏文書の調印という講和条約の方が優位にあり、上位の法的効力も持つというものです。しかし、帝国憲法第13条に基づいて締結されたポツダム宣言の受諾や降伏文書の調印という講和条約が、その存在根拠である帝国憲法よりも優位であるとすることは矛盾です。親から子が生まれると、今度は子が親になるということはあり得ないのです。
④の正当性説というのは、内容が正しいものであれば有効であるとする見解です。何でも結果次第だというのです。何が正しいか否かの価値判断は、誰が決めるのでしょうか。貧しい人が北朝鮮に拉致されて、以前より裕福な生活ができていたとすれば、それが正しいのであって、北朝鮮に感謝こそすれ、批判してはならないということを認めるのがこの見解です。こんなものを「正当性説」と名付けること自体が間違いなのです。
⑤の承詔必謹説というのは、日本書紀にある聖徳太子の憲法十七条の「三に曰はく、詔を承りては必ず謹め。」(承詔必謹)を根拠とし、昭和天皇が占領憲法を上諭を以て公布されたことによって占領憲法は帝国憲法の改正法として有効だとする見解です。しかし、「天皇と雖も國體の下にある。」という「國體の支配」の法理からすると、「詔(みことのり)」の性質は、國體護持のためのもので、決して國體を破壊するものとして解釈してはなりません。真正護憲論は、占領憲法を講和条約の限度で有効と認めるのですから、天皇の公布自体を無効とするものではありません。また、形式的行為である公布行為が有効か無効かという問題と、公布された法令が実質的に有効か無効かという問題とは区別しなければなりません。また、後でも述べますが、公布という形式行為によって、違憲違法な法令が有効になるとすれば、それは天皇主権をみとめなければなりません。しかし、後で述べるとおり、昭和天皇も帝国憲法は天皇主権の憲法でないとされているのであって、帝国憲法が天皇主権の憲法でないことは、その条規からしても当然のことなのです。

11.続いて、占領憲法有効論のうち、後発的有効説について順番に説明してください。

①の追認有効説と②の法定追認有効説は、いずれも、無効の憲法が事後において追認がなされ、あるいは追認とみなされる事実があれば有効になるとする見解です。この見解は、追認に関する民法理論を借用してくるのですが、そうであれば、公序良俗に反することによって無効な行為を追認することはできないとする民法理論も借用しなければなりません。民法第90条には、「公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。」とあります。もし、公序良俗に反する行為、たとえば、人を殺した上、その遺族に対し、その殺人行為が正しかったと認めさせ、逆に、その遺族に詫び証文を書かせるという行為(占領憲法制定過程)は公序良俗に違反して無効ですが、もし、この無効であるはずの行為を事後に追認すれば有効になって犯罪とならなくなるとするのであれば、この行為を無効とした制度趣旨が否定されてしまうからです。
また、仮に、追認が可能であるとしても、追認の主体、方法、時期などに関して大きな問題があります。
また、③の既成事実有効説、④の定着有効效説、⑤の時効有効説も、①追認有効説や②法定追認有効説と類似した見解です。③の既成事実有効説は、仮に、占領憲法が無効であっても、その後に占領憲法に基づいて法律が制定されてきたという「既成事実」が形成され、その事実を以て有効となったことの根拠とする見解です。また、④の定着説は、世論調査などからして占領憲法が国民の意識の中に国民の憲法として「定着」したことを有効となった根拠とする見解です。そして、⑤の時効有効説は、時間の経過が有効となる根拠であるとする見解です。しかし、これらは、簡単に言えば、革命有効説のような、急激な革命としては認められないが、じわじわと長い時間が経過して事実を積み上げて行けば、事後的に革命を認めるということなのです。一度に致死量の毒で殺してしまうのは犯罪だが、少しずつ毒を与えて判らないうちに殺してしまうのは犯罪でないということと同じです。
しかも、⑤の時効有効説は、そもそも時効の意味が解っていません。特に、物質(モノ)の権利の得喪に関する時効と、規範(ノリ)の得喪に関する時効との区別、公法の時効と私法の時効との区別、消滅時効と取得時効との区別などを全く無視して、私法の取得時効に関する規定をそのまま適用しようとするのは余りにも乱暴な議論です。

12.真正護憲論は占領憲法を講和条約に転換するということですが、これはどのような法論理に基づいているのですか。

我が国の国内だけの手続で制定されたとする占領憲法が、我が国と連合国との間で締結される講和条約として評価されるということは奇妙なことと思われるかも知れません。しかし、法律学の世界では、たとえば、遺言のように当事者一方だけで成立する単独行為が無効であるとされても、具体的な事実関係を踏まえて、死因贈与、つまり、死んだときには相手に贈与するという当事者双方の契約に評価されることが認められています。これを「無効行為の転換」と言います。この「無効行為の転換」という理論は、一般的な明文の規定はないのですが、法論理として当然に認められています。

13.では、なぜ12の「無効行為の転換」という法論理が占領憲法にも適用されるのですか。

この無効行為の転換と同じように、憲法(単独行為)として無効なものが講和条約(契約)に転換することもありうるからです。これが「無効規範の転換」と呼ばれるものです。このことは一般的な法理論からも肯定できますが、帝国憲法の場合は、そのことを規定した第76条第1項があります。ここでは、「法律規則命令又ハ何等ノ名稱ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ總テ遵由ノ效力ヲ有ス」と規定しています。この規定は、本来は帝国憲法が制定される前の法令に関するものですが、制定前というのは帝国憲法の効力が生じていない場合のことを意味しますので、占領されて独立を奪われたGHQ占領時代には帝国憲法の効力が停止されていた場合と同じ状況なのです。ですから、憲法としては無効な占領憲法が「日本国憲法」という名称を用いられてはいますが、それが講和条約としての実質を持っていれば、帝国憲法第13条の講和大権に基づいて締結された講和条約として評価されることになります。講和条約は、帝国憲法に基づくものですから、帝国憲法に矛盾しない存在です。早稲田大学の有倉遼吉(法学部教授)も、占領憲法は「講和大権の特殊性」によって成立したものと述べているのも、このことを意味すると思われます。

14.なぜ、占領憲法は憲法としては無効なのに講和条約なら有効と認められるのですか。

国内だけの手続で制定される憲法としては無効なものが、帝国憲法の下位の法令である法律と評価することはできません。違憲の法律もまた無効だからです。これは、国内固有の法体系(国内系)の理解からして当然です。ところが、どうして講和条約なら有効なのかと言うと、それは、講和条約が国際系(国際関係における法体系)だからです。戦争は必ず勝つとは限りません。負けた場合、戦勝国の強制で講和条約を締結することもあり、それが国内系の憲法に抵触することもありえます。占領憲法はまさにそのような講和条約だったのです。講和条約は、そのまま国内法になるのではありません。国内法体系への受け入れがなされて初めて国内系の法令となるのです。いわば、国際系というバイパスを通って国内系に入ってくるのです。以上のことから、国内系の規範体系における段階的な階層構造を不等式で表示してみますと、次のとおりとなります(=は同等同列の意味です)。

規範國體(明治典範を含む正統典範と帝国憲法を含む正統憲法の根本規範部分)>講和大権≧講和条約群(ポツダム宣言、降伏文書、占領憲法、桑港条約)≧憲法改正権≧憲法的慣習法≧通常の憲法規定部分>条條約大権≧一般条約=条約慣習法>法律≧緊急勅令>政令その他の法令

15.占領憲法は現在、国内でどのように受け入れられているのですか。

国際系のバイパスを通して国内系に入ってくるとしても、占領憲法は表面上は「憲法」の顔をしており、「講和条約」の顔をしていません。ですから、講和条約であると評価するとしても、それを国内的に受け入れること(国内的受容)を義務付ける規定がありません。つまり、立法条約(国内的受容を義務付ける条約)ではありません。ですから、たとえバイパスを通して国内系に入ってきたとしても、改めて立法化されないまま、実際は占領憲法が慣習法的に運用されているのです。
ところで、占領憲法には、帝国憲法の本質部分(根本規範部分)に抵触する部分とそうでない部分とがあります。特に、帝国憲法の本質部分に抵触する部分(たとえば国民主権条項など)は、講和条約としても無効ですが、それが実際には運用されてきたことによって慣習化していることになります。慣習というのは、事実としての慣習(事実たる慣習)のことですが、それが慣習法(法たる慣習)に昇格するか否かには争いがあります。
一般的には、事実の集積とその反復継続が実効性を満たすことによって規範化することはあります。これを事実の規範力と言いますが、あくまでもそれは「法の妥当的な規範意識内容」(尾高朝雄)でなければならないのです。違憲違法な慣習が「慣習法」となることは原則としてありません。平易に言えば、賄賂や売春などの行為が頻繁に繰り返された場合、その社会において、これをあくまでも違法であるとする規範意識が維持されている限り、賄賂や売春などが恒久的に合法化されることはないということです。
ところが、純粋な国内法体系の場合においてはそのとおりなのですが、国際系の講和条約をパイパスとして経由した場合には、このことがそのまま適用できなくなります。講和大権の特殊性からして、国民主権条項など、帝国憲法の本質部分(規範國體)を改廃する内容(①)については当然に違憲無効ですが、帝国憲法の条項には触れるものの、本質部分以外の技術的規定などの帝国憲法の部分を改廃する内容(②)を含むことがあります。占領憲法は、まさにそのようなもので、この部分については、「違憲の慣習」(違憲状態)となります。これが「事実たる慣習」(慣習)から「法たる慣習」(慣習法)となるかについては見解が分かれると思いますが、慣習法として認められたとしても、それは「違憲の慣習法」という違憲状態が生まれるのです。これは「違憲合法論」という得体の知れない怪物を取り扱う法哲学の領域なのです。これに対し、地方自治制度など、帝国憲法に抵触しない部分を改廃する内容(③)は、そもそも憲法事項ではなく法律事項ですから、「合憲の慣習法」ということになります。
そして、この合憲の慣習法には矛盾はありませんが、違憲の慣習法というのは、二つの矛盾した側面があります。それは、違憲の講和条約でも講和条約として遵守すべきとする法治主義(悪法もまた法なり)の側面と、違憲の講和条約は無効であるとする法の支配(悪法は法にあらず)との側面とが相対立する相剋状態にあります。
以上を整理しますと、占領憲法の①の部分は違憲無効ですが、②の部分は違憲の慣習ないしは違憲の慣習法として違憲状態にあり、③の部分は合憲の慣習法として認識されるのです。
このうち、②の部分は、違憲状態が継続しますので、これを受容するか否かは、帝国憲法復元後の改正手続によらなければなりません。帝国憲法の改正は、正規の要件と手続を経てなされるものでなければ無効ですが、講和大権は、国家の滅亡を防ぐために、帝国憲法の根本部分を否定しない限度において、帝国憲法に抵触する内容を含む講和条約を締結する権限があります。このパイパスの存在が、帝国憲法体制と講和条約体制との相剋を生む原因となっているのです。
そして、帝国憲法下で締結されたものと評価される占領憲法が、独立後においても時際法的処理(帝国憲法第76条による独立前の法令の整備処理)がなされていないことから、国内法秩序には正式に編入されていないために、世界でも稀な法体系となっているのです。
これらは法哲学の本源的な議論ですので、少し難しくなってきましたが、要するに、このような異常な二律背反の相剋状態があるために、立法、行政、司法のすべての政治の領域で影響を受けることになります。法の支配(帝国憲法体制)と法治主義(講和条約体制)の間を振幅することが国政の混乱する原因を作っています。このような異常で不安定な法体系の状態を一日も早く解消して奇胎の占領憲法から生まれてくる「違憲の慣習法」という怪物を退治をするために、速やかに占領憲法が無効であると確認し、法の支配(國體の支配)を確立して祖国を再生しなければなりません。

【痛快!テキサス親父】バイデン米副大統領の演説「日本国憲法はわれわれが書いた」は重要だぜ (3284)
日時:2016年08月20日 (土) 07時17分
名前:アクエリアン

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160819/dms1608191140009-n1.htm

ハ~イ! みなさん。

 バイデン米副大統領が、日本の「終戦の日」にあたる15日、ペンシルベニア州で、注目すべき演説をしたぜ。敵対する共和党の大統領候補、ドナルド・トランプ氏を批判する文脈で、「(日本が)核保有国になり得ないとする日本国憲法を、私たちが書いたことを彼(トランプ氏)は知らないのか!」と発言したんだ。

 民主党の大統領候補、ヒラリー・クリントン元国務長官を応援する意図だろうが、これには重大な問題が含まれている。日本でも知られつつあるが、日本国憲法は占領下の1946年、GHQ(連合国軍総司令部)スタッフがわずか1週間で原案を作成し、日本側に押し付けたとも言われている。

 これは、占領者が占領地の法律を尊重することを定めたハーグ条約(1907年)に違反すると考えられているんだ。敗戦国には、戦勝国に抵抗する力はない。「快く受け入れた」と言っても、説得力に乏しい。特に「第9条」は、戦勝国が「二度と俺たちに逆らうな」と敗戦国に与えた懲罰という指摘まであるぜ。

 俺は以前から、「憲法第9条では、日本は国を守ることができない。国を守ることができる憲法に改正すべきだ」と言い続けている。国家は、国民の生命や財産を守るのが当たり前だからだ。

 日本には「憲法第9条が日本の平和を守ってきた」と主張する人々がいるが、事実はまったく違うと思うぜ。第9条があっても、島根県・竹島では日本人の命が奪われ、韓国に不法占拠された。バイデン演説があった15日、韓国の超党派の国会議員10人が竹島に強行上陸したぜ。第9条があっても、沖縄県・尖閣諸島周辺海域に、中国の公船や漁船が連日侵入しているじゃないか。このままでは、竹島同様に尖閣も強奪されるぜ。

静かに生活していても、泥棒や強盗に入られることはある。それを防ぐために、家のカギを厳重にして、防犯システムを強化するのは当然だ。日本の現状をみると、自宅の一部をすでに泥棒に奪われ、玄関先に強盗が出入りしているように思えるぜ。泥棒や強盗とは、交渉などできないことを肝に銘じるべきだ。

 米国を含めて、日本を取り巻く世界情勢は極めて不安定になっている。今こそ、日本人には「自分の国は自分で守る」という強い意志が必要だ。戦後71年もたった。いつまで、戦勝国の懲罰を守り続けているんだ? バイデン演説を聞いて、誇り高き日本人は何か感じないのか?

 親愛なるみなさんと、日本と米国に神のご加護がありますように。あとは、外国人がとやかく言う問題ではない。日本人が自分たちで決めることだ。

 では、また会おう!

 ■トニー・マラーノ 評論家。1949年生まれ。テキサス州在住のイタリア系米国人。サラリーマンを定年退職後、動画サイト「ユーチューブ」などで連日、評論活動を行っている。世界のあらゆる“悪”と戦う「プロパガンダ・バスター」でもある。大変な親日家であり、日本でも圧倒的ファンを獲得している。自著・共著に『テキサス親父の「怒れ! 罠にかかった日本人」』『素晴らしい国・日本に告ぐ』(ともに青林堂)など。


元理想世界誌編集長岡正章先生の憲法論 (3289)
日時:2016年08月21日 (日) 06時30分
名前:アクエリアン

元理想世界誌編集長岡 正 章先生が、「近 況 心 境」で、非常に読み応えのある憲法論を展開されています。非常に勉強になりますので、この掲示板にも、転載させてもらいます。
http://misumaru.o.oo7.jp/kinkyou-3.html

297 天皇陛下のビデオメッセージに思う(7) ―天皇主権でも国民主権でもない「君民同治」が日本の不文憲法である


 「大日本帝国は万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」

 と、「大日本帝国憲法」(明治憲法) 第1条にある。

 それをもって、「明治憲法では国家主権は天皇にあって国民にはなかった」 という人があるが、事実ではない。

 実際は、天皇は憲法の枠内において国家意思を最終決定する機関的存在であって、統治権としての主権は天皇ではなく本来的に法人たる国家にある、とした東大法学部の美濃部達吉の 「天皇機関説」 が、法学界での一般的通説であった。

 大日本帝国憲法は、1889年(明治22年)2月11日に公布、1890年(明治23年)11月29日に施行された、近代立憲主義に基づく日本の憲法である。
 その前、1868年(慶応4年=明治元年) 3月14日に明治天皇は京都御所紫宸殿に公卿・諸侯以下百官を集め、維新の基本方針を天地の神々にお誓いになった 「五箇条の御誓文」 を布告されている。すなわち

        御誓文

 一、広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
    (広く会議を開き、すべて政治は
     公明正大な論議の結果で決しましょう)

 一、上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フベシ
    (治める者と臣民が心をひとつにして、
     盛んに国家統治の政策を実行しましょう)

 一、官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ゲ
    人心ヲシテ倦マザラシメンコトヲ要ス
    (公家も武家も一つになり庶民にいたるまで、みなその
     思いを実現し、人々の心を湧き立たせることが必要である)

 一、旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クベシ
    (古い悪習を捨て去り、宇宙の真理の道に
     基づくようにしましょう)

 一、智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スベシ
    (知識を世界に求め、おおいに天皇国日本の基礎を
     振るい起たせましょう)

 とある。「上下心を一つにして盛んに経綸を行う」 というところにも、「君民同治」 あるいは 「君民共治」 という日本の理想としてきたすがたが表現されている。

 日本においては、君(天皇)は民を 「おおみたから」 として拝み給い、民は君を 「大君は神にしませば」 と拝み、 「終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ」 て来たのである。これは、西洋的民主主義を超えた、国民すべてをもっと幸福にする民主主義の理想であると思います。

 「君民同治の神示」 には、次のように記されている。

≪ 君民同治の神示

 国は人間生命の外延(がいえん)である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。

 人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。

 しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。

 身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。

 天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。即ち観る主体(民)が神聖であるから、観らるる客体である天皇が神聖なのである。

 観る主体(民)の神聖性が包まれ蔽われて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽われて発現しなくなるのは其のためである。今の状態がそれである。

 人間は自己自身の神聖性の故に神造の国家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなわち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。

 かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。是を主客合一の立場に於て把握すれば主客一体であり、君民一体であり、民は君を拝み、君は民を拝む。

 民を拝み給う治は、君を拝むところの事(じ)と一体である。治事一体であり、治めると事(つか)えるとは一体であり、君民同治である。

 天皇は絶対者にましますとは、観る主体たる人間(民)の絶対性より来(きた)る。民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として国の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。

 打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが国家大権、天皇大権の一時中断の形をもって現れたのである。(<昭和20年> 12月28日)≫

 と。


 現行 「日本国憲法」 で謳う、「主権在民」 というのは、君主と人民が対立して権力闘争をし、人民が勝利したというような西洋の歴史的背景の中から出て来た思想であって、日本の不文憲法――国柄、国体にはなじまないものである。

 憲法問題について、私は、#56~62 「わが国の最高の成文憲法は“天壌無窮の御神勅”である」(1~7)などで過去にたくさん書いている。

 現憲法は、実はアメリカ製で、「日本国憲法」という名に価しないものであるから、根本的に全面改正あるいは帝国憲法に復元して改正という手続きを経るのが正当であると思う。それについて詳しくは次回から書いてみたい。

 <つづく>

   (2016.8.17) 

298 「立憲主義」と「国体尊重」は本来同義である


 立憲主義とは Constitutionalism の邦訳語で、Constitutiion は constitute ――構成する、形成するという動詞の名詞化。構成、成り立ち、つまり国体(国がら、国のありよう)のことである。国体(国のありよう、Constitution)を明文化したものが憲法 Constitution でなければならない。「立憲主義」 と 「国体尊重」 とは、本来同義である。

 ところが、いまわが国で 「立憲主義」 と言えば、「占領憲法」 というべき現行 「日本国憲法」 を金科玉条としてこれを墨守すること、とする愚か者が多い。というか、高校教科書などでもそう教えているというのだから、なんとも情けないことである。

 ネット上で検索してみても、たとえば 白川真澄(ピープルズ・プラン研究所運営委員)の言<※「市民の意見」144号(「市民の意見30の会・東京」、2014年6月1日)より転載>とあるのを引けば、

< 立憲主義とは、一言でいえば、個人の自由(人権)を守るために政府の権力(国家権力)を憲法によって制限する、ということである。国家権力に勝手なことをさせないように、憲法であらかじめ縛りをかけることだ、と言ってもよい。

 この社会では、政府は市民(自由な個人)どうしの合意と契約の上に成り立っている。これはある種のフィクション(作り話)ではあるが、みんなに承認された約束事であり、それに従って政治や法や市場経済の仕組みやルールも作られている。政府は市民の信託を受けて公共的なサービスを提供する仕事をするが、同時に強大な権力を手にしている。税金を取り立てたり、人を逮捕し拘束できる強制力である。そのため、政府は市民の自由を脅かしたり圧迫することに走りがちである。

 そこで、政府がけっして侵害してはならない個人の自由を、「人権」として保障することが必要になる。人権を守るために政府の権力行使の自由を制限するルールを定めたものが、憲法である。だから、よく読むと分かるが、憲法に書かれていることは、政府がしてはならない事柄や果たすべき義務なのである。思想・良心の自由、信仰の自由、言論・表現の自由、学問の自由などを保障する、つまり政府がこれらの自由を侵害してはならないと定めている。日本の憲法ではさらに第9条によって、政府が軍隊を持ったり戦争を始めること(交戦権)まで禁じている。政府の自由を制限するという立憲主義が、そこまで徹底している。>

 ――だから、安保関連法は憲法違反であり立憲主義に反している、ということになるのだろう。

 しかし、現行憲法がまず先にあって、日本国ができたのではない。現行憲法は、日本国三千年(少なくとも2000年以上)の歴史の中で、たった一度の敗戦、占領下に置かれたという70年前の異常な状態の中で、他国の占領軍の作った占領基本法ともいうべき英文草案を押しつけられ翻訳して作られた、わが国本来の Constitution (国体・憲法) とは言えないものである。

 つまり、現行憲法そのものが、非立憲的(Unconstitutional)憲法なのである。


 英国法では、中世における身分的社会の代表である議会と、特権的身分の最たるものである国王との緊張関係を背景として、王権を制限し、中世的権利の保障を目的とした古典的な立憲主義が成立した。

 フランスにおいては、17世紀、権力が王権に集中するようになり、君主は法の拘束から解放されているとする絶対君主制が確立し、国内における最高性を示すものとして君主主権の概念が登場する。それに対し巨大な権力である国家と対峙する、社会の最小単位としての個人という概念が成立した。(そして18世紀フランス革命が起きる)

 ヨーロッパの近代的立憲主義は、このような絶対君主の有する主権を制限し、個人の権利・自由を保護しようとする動きの中で生まれたのである。そこでは憲法は、権力を制限し、国民の権利・自由を擁護することを目的とするものとされ、このような内容の憲法が、立憲的意味の憲法といわれているようである。

 日本においても現在、立憲主義と言えばその西洋的立憲主義、つまり国家権力と対峙する国民の権利・自由を擁護するという人権主義をさし、ともかく現行憲法の精神を尊重することだと言っている者が多い。

 しかし、それは本来の正しい立憲主義とは言えない。
 昨日も書いたように、現行 「日本国憲法」 で謳う、「主権在民」 というのは、君主と人民が対立して権力闘争をし、人民が勝利したというような西洋の歴史的背景の中から出て来た思想であって、日本本来の不文憲法――国柄、国体にはなじまないものである。

 「明文憲法の上位に、古来からの根幹的な法制(国体、Constitution)がある。これから逸脱する変革を認めない」 ということこそ、特に日本における正しい本来の立憲主義である。そして、それこそが国民の幸福、福祉にかなう、正しい日本的民主主義だと思う。

 戦後70年を超えた今、われわれは西洋かぶれや占領ぼけの平和ぼけから脱し、世界の中で他の国にはない日本独特の珠玉のようなよき伝統を自覚しなおす時ではないか。そこに、かえって世界の混乱を救う道があるのではないか。

 <つづく>

   (2016.8.18) 

299 「立憲主義」と「国体尊重」は本来同義である(2)


 さて、現行 「日本国憲法」 が、日本本来の不文憲法 Constitution (国体)を蹂躙して占領下に押しつけられた翻訳憲法であり、日本が永久に米国に隷属して守ってもらうことを前提にして、戦力(自衛力を含む)を持たないと宣言している、「占領基本法」というべきものであることは、素直に読めば否定できないと思う。(#146、#147 参照)

 それでこの憲法制定(1946年11月3日公布、1947年5月3日施行)から約70年を経た今、この憲法では自衛の問題や皇室と国民のあり方など、抜き差しならぬ問題が出て来たのではないか。だから、根本の根本に還って、憲法問題を考え直す時に来ていると思います。

 憲法は、今のままでよいわけはない。しかし、改定するならば、どのような手順で、どのように改定するか。

 第9条(戦力否定)とか、96条(改正条項)とか、まず一部分だけでも変えたいという方もいらっしゃるようですが、私は、それではいけないと思う。自民党の改正案も、起草決定された方たちのご努力は諒としますが、どうしても根本的な違和感があります。

 なぜか。それは、改正案の底本を現憲法にしている、つまり根本基礎として Constitution (国体) から外れた、非立憲的(Unconstitutional)な現憲法の精神を肯定し、そのバックグラウンドにある日本本来の国体尊重でない西洋的立憲主義――国家と市民を敵対的に見る――から抜け切れていないからです。

 倉山満氏は

≪ 自民党に代表される改憲派の致命的な欠陥は、当用憲法の改正しか考えていないことです。しょせん当用憲法はマッカーサーの落書きにすぎません。落書きをどういじっても、落書きは落書きです。ピカソにはなりません。ましてや葛飾北斎には絶対になりません。

 そもそも自民党は 「自主憲法制定」 を掲げて設立された政党です。「占領憲法の改正」 とは違います。なぜマッカーサーの落書きをいじることに終始して、自分たちの憲法を考えようとしていないのか、不思議なところです。

 憲法というに値しないマッカーサー占領基本法の三大原則(平和主義・人権尊重・国民主権)を墨守して 「日本国憲法」 を改正するなど、「戦後レジーム」 を固定することになるから間違いである。≫

 と言っています(『間違いだらけの憲法改正論議』)が、同感するところです。


 ところで、「日本国憲法こそが戦後レジーム(WGIP体制)の正体であり、憲法の改正なくして戦後レジームからの脱却はありえない」

  という認識においては同じだけれども、「現憲法によっても国体は変わっていない」 と言う方があります。竹田恒泰氏です。

(竹田恒泰氏は旧皇族の生まれで、慶應義塾大学法学研究科講師・作家。『語られなかった皇族たちの真実』<小学館>で第15回山本七平賞受賞、『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』がベストセラーになった)

 竹田氏は、

≪日本の国体は、戦前も戦後も(憲法が変わっても)、一貫して変わっていない。「主権者が天皇から国民に移った」 というのは間違いで、「君民一体」 「君民共治」 という国体は不変である。≫

 という。(『日本人はいつ日本が好きになったのか』

 なぜなら、現憲法において、

≪ 第一章 天皇
第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。≫

 とあり、そのあと

≪第六条  1 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。

        2  天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

第七条  天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

一  憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二  国会を召集すること。
三  衆議院を解散すること。
四  国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五  国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。 (以下、六~十省略)≫

 とあって、内閣総理大臣を任命するのは天皇であるから、もし天皇が存在しなくなったら、内閣総理大臣も最高裁長官も成立せず、また法律を公布できるのは天皇だけであるから、天皇が不在となればすべての法律は公布できず効力をもつことができない。

 つまり、国民に主権があるといっても、立法・行政・司法のすべての機能は天皇がなければ動かない仕組みになっている。それは形式的なものであるけれども。

 だから、国家主権は天皇から国民に移ったのではない。主権とは 「国の政治のあり方を最終的に決める力」 であり、それは 「大日本帝国憲法」 においても、現行 「日本国憲法」 においても、君民が一体となり共に国を治める 「君民共治」 である。

 天皇と国民が一体となった姿 「君民一体」 こそが、戦前も戦後も変わらぬわが国の主権者の姿なのだ、という。(『日本人の原点がわかる「国体」の授業』


 ――日本国家の主権者は、帝国憲法でも現憲法でも一貫して変わらず、「君民一体」 にあるという竹田氏の説にも、説得力はあります。

 しかし、「国体」 というのは、国家主権のありかだけをいうのでしょうか。

 次に、「国体」 の定義を明確にしていきたいと思います。


 <つづく>

   (2016.8.20) 

【無料】細谷雄一×モーリー「英国のEU離脱と日本の安保論争」 (3291)
日時:2016年08月21日 (日) 13時28分
名前:アクエリアン


激しい議論を呼んだ、「安保法制」について、細谷雄一氏とモーリー・ロバートソンさんが、語り合っています。
http://www.nicovideo.jp/watch/1471551683

なかなか面白いですね。

細谷雄一著『安保論争』

目 次

Ⅰ 平和はいかにして可能か
1 平和への無関心
2 新しい世界のなかで

ⅠⅠ 歴史から安全保障を学ぶ
1 より不安定でより危険な世界
2 平和を守るために必要な軍事力

ⅠⅠⅠ われわれはどのような世界を生きているのか――現代の安全保障環境
1 「太平洋の世紀」の日本の役割
2 「マハンの海」と「グロティウスの海」
3 日露関係のレアルポリティーク
4 東アジア安全保障環境と日本の衰退
5 「陸の孤島」と「海の孤島」
6 対話と交渉のみで北朝鮮のミサイル発射を止めることは可能か
7 カオスを超えて――世界秩序の変化と日本外交

Ⅳ 日本の平和主義はどうあるべきか――安保法制を考える
1 集団的自衛権をめぐる戦後政治
2 「平和国家」日本の安全保障論
3 安保関連法と新しい防衛政策
4 安保法制を理性的に議論するために
5 安保関連法により何が変わるのか


文献案内
あとがき

「はじめに」より

覆い隠された真実

メディアからの批判

「国民的論議を抜きにして法案を押し通すのは許せない」
 朝日新聞はその紙面の中で、法案に反対する人々の運動について、「草の根の異議広がる」と題して、その怒りの様子を伝えている。「女性を中心とした草の根レベルの反対運動がここにきて広がりを見せている」という。新しい法案の導入をめぐり、国会の中と外の両方で、激しい論戦が見られた。世論は賛成派と反対派に分かれ、メディアもまたそれぞれの立場を支えるようになっていた。朝日新聞は、明確に、その法案には批判的な立場であった。
 他方で、会員数が五〇〇〇人にのぼる「日本婦人有権者同盟」は、「法案は憲法に違反し、国民の合意も得られていない」と、「議員会館を訪ねたり、電話で慎重審議を求める説得活動を続けている」その様子を、紙面においてくわしく紹介している。
 それだけではない。朝日新聞では「数の力で押し切る政治」と題する社説の中で、法案への強い異議を説いている。そこでは、「『数の優位』を頼んで押しまくっている」政府を批判して、「議会政治の基本である『対話の精神』を欠いているといわざるをえない」と非難する。そして、「このままでは、国会や国会議員の権威が落ち、政治に対する不信感も広がるだろう。憂慮すべき事態だ」と論じて、法案の審議が十分ではなかったことを批判している。
 さらには、「声」の欄で、「憲法ねじ曲げ、何が法治主義」という「21歳学生」の次のような怒りの言葉を載せている。「第9条の理念を際限のない拡大解釈によってねじ曲げれば、国家の最高法規である憲法は全く中身のないものになってしまう。これを法治主義に対する挑戦だと考えるのは、大げさだろうか」。
 法案への国民の反対の声はさまざまな場所で見られるが、朝日新聞ではこのような多様な不安の声を掲載して、国会での政府の対応を厳しく批判した。また社会面では、「『審議不十分』『違憲』9割」と題する記事を載せて、「大阪弁護士会の会長経験者ら有志は一五日夕、約二〇〇〇人の全会員を対象にしたアンケートの結果をまとめた」と報じている。
 その結果は、会員の九割が法案を「違憲」と返答したという。このような批判と不安が渦巻く中で成立した法律に対して、朝日新聞は強く疑念を示していた。
 法案成立についての主要紙の評価は、大きく二つに分かれた。朝日新聞の紙面ではその様子を伝えており、「東京の主要各紙のうち、読売新聞と産経新聞」が「成立を積極的に評価した」と述べ、他方で「毎日新聞と朝日新聞は、国会の審議のありかた全体に疑問を投げかけた」と報じている。また、「毎日は『憲法を守るべき立場にある国会が、国民の意思を問うことなく、どこまでも憲法解釈を拡大するというのでは、議会制民主主義の根幹が揺らぐ』と厳しい目を注いだ」と、その社説を紹介している。

何を恐れているのか

 さて、ここで紹介した法案成立を批判的に報道する朝日新聞の記事は、すべて、二四年前の一九九二年六月一五日に成立した、国連平和維持活動協力法、いわゆるPKO協力法に関するものである。二〇一五年九月一九日未明に参議院で可決して成立した、いわゆる「安全保障関連法」(以下、安保関連法)に関するものではない。
 これらの記事のなかで朝日新聞は、このPKO協力法の成立のプロセスを厳しく批判し、またそれを違憲とする見解をしばしば紹介している。憲法解釈を「変更」して自衛隊を海外に派遣することになるPKO協力法が、それまでの戦後の平和主義の精神を脅かすと、懸念を示していた。このときの政権は、ハト派の宮澤喜一首相率いる自民党政権であり、自民党、公明党、民社党の三党の賛成によりこのPKO協力法が成立した。
 社会党はこの法案成立に激しく抵抗していた。田辺誠社会党委員長は「今日、憲法違反のPKO協力法案が強行採決されようとしている。身をていして打開を図るべく、辞職を決意した」と述べて、党所属の全衆議院議員の辞職願を議長に提出した。また、社会党は、法案採決の際に、国会の議場で「牛歩戦術」をとって抵抗した。法案成立を阻止するために、意図的に所属議員がのろのろと歩くことによって、一本あたり最大一三時間も採決を引き延ばした。これが、彼らの考える平和主義であり、民主主義であった。
 その後、PKO協力法に基づいた自衛隊の海外派遣は、国際社会で高い評価を受けるとともに、国民の間でも理解が浸透していった。他方で、リベラル系のメディアが論じるようなかたちで、憲法解釈の「変更」による自衛隊の海外での活動が戦後の平和主義の理念を壊すことはなかったし、国会での「強行採決」が民主主義を破壊することもなかった。
むしろ、自衛隊のPKO参加によって、よりいっそう肯定的なかたちで日本の平和主義の理念が世界に伝わることになった。災害後の復興支援活動、内戦後の平和構築活動や人道支援活動などは、国際社会において日本の平和国家としてのイメージを定着させることを手伝った。
 そのような自衛隊の海外での努力は、世論調査の結果にも明確に現れている。二〇一六年の内閣府の世論調査によれば、国連PKOへの参加について八一パーセントもの人が、肯定的に評価をしており、「参加すべきではない」と答えた者の割合は、全体のわずか一・八パーセントに過ぎなかった。かつては、PKO参加のための自衛隊派遣を、大阪弁護士会の九割が違憲とみなしており、また朝日新聞は社説で「数の力で押し切る政治」としてその法案成立を批判していた。
 朝日新聞では、法案成立の翌日の一九九二年六月一六日の社説で、「PKO協力の不幸な出発」と題して、「自衛隊とは別の組織を新設し、文民主体の民生分野の協力から始めよう」と主張している。そして、「この法律には多くの問題点や欠陥がある」と法案成立を批判している。そこでは「自衛隊を送る」という「狭い考え方」を批判して、「軍縮の推進、貧困の克服、地球環境の保全」を徹底すべきと、社の方針を説いている。
 同日の朝日新聞では、政治部による次のような解説が掲載されている。そこでは、「自衛隊のPKO派遣をめぐる憲法解釈論議が最大の焦点となったことは間違いない」として、「自衛隊の海外派遣、なかでもPKF参加に対する政府の見解は、従来の『憲法上許されない場合が多い』から、『武力行使と一体化しないのであれば、わが国の武力行使との評価を受けることはない』(工藤敦夫内閣法制局長官)へと大幅に変わった」と指摘する。
 二〇一五年の安保法制に関する反対派の議論を見ていると、まさに一九九二年六月のPKO協力法成立の際に見られた批判と同様の議論が繰り返されていることに気がつく。法案成立への政府の手法に対する批判や、自衛隊が海外で活動することで戦闘に巻き込まれることへの批判、さらにはそれによって戦後の平和主義が崩れていくことの懸念や、憲法解釈の変更による自衛隊の活動領域の拡大についての異議が唱えられている。
 同様の批判や懸念は、一九九九年五月二四日の周辺事態法成立の際、二〇〇四年一月一六日にイラク南部サマワに向けて陸上自衛隊先遣隊が派遣された際、そして同年の六月一四日に有事関連法が成立した際にも、聞こえてきた。いったい何を恐れ、何に懸念し、何を止めようとしているのだろうか

なぜ立場を変えたのか

 本書は、二〇一五年に見られた安保関連法をめぐる論争のなかで、いくつもの疑問を感じたことを契機として、書き上げることになった。その疑問の一つは、政治的な議論をする際の誠実さについてである。
 一九九二年六月のPKO協力法成立の際には、厳しくその法律の成立過程とその内容を批判していた朝日新聞や毎日新聞は、いつからPKO協力法への批判をやめたのだろう。
また、当時の社会党、現在の社民党は安保関連法へも激しい批判を浴びせていたが、自衛隊違憲論の旗をいつ降ろして、PKO協力法廃止の運動をいつやめたのだろうか。いつから、PKO協力法は「危険」でなくなったのか。いつから、PKO協力法に基づいて自衛隊を海外に派遣することについて、憲法解釈上の疑念がなくなったのだろうか。
 PKO協力法の際には、自衛隊の海外派遣が、それ以前の戦後日本の平和主義を破壊すると懸念され、従来の憲法解釈の変更であると批判されていた。現在は、同じようにして、安保関連法が立憲主義の否定であると批判され、これによって戦後日本の平和主義が転換したと論評されている。
 二〇一五年七月一一日の朝日新聞朝刊では、「憲法学者ら一二二人回答 『違憲』一〇四人『合憲』二人」との見出しで、憲法学者へのアンケートの結果を報じていた。ところが、紙面版記事からは、「現在自衛隊の存在は違憲と考えますか?」というアンケートに対して、全体の六三%にあたる七七人が、「憲法違反にあたる」あるいは「憲法違反の可能性がある」と返答している結果は、なぜか削られている。そして、「憲法九条の改正についてどう考えるか?」という質問に対しては、「改正の必要はない」と応えたのが、全体の八一%にあたる九九人であった。
 すなわち、憲法学者の多数は、このアンケート調査によれば、自衛隊を「違憲」とみなしながら、その違憲状態が続くような状況を変える必要がないと考えているのである。立憲主義の観点からすれば、違憲状態を放置することを憲法学者の多数が好ましいと考えることを、どのように理解すればよいのか。自衛隊を違憲ととらえながらも、憲法改正の必要がないと説くことは、違憲状態を許容することを意味して、立憲主義にとっての脅威になるのではないか。論理的に考えれば、自衛隊を合憲とみなすのであれば憲法九条の改正は必要ないであろうし、自衛隊を違憲とみなすのであれば憲法九条を改正するか、あるいは自衛隊を廃止するかいずれかの主張を選択するべきであろう。
 憲法学者の多くが、今回の安倍政権による憲法解釈の変更を立憲主義の否定ととらえている。しかしながら、彼らの大半は、政府が憲法解釈を変更すること自体には、反対していない。それでは、どのような場合に憲法解釈の変更が「立憲主義の否定」になるのか。あるいは、メディアの過去二〇年間における、自衛隊のPKO参加に対する立場の変化、そしてかつては自衛隊違憲論が大勢であったのに、個別的自衛権の行使を合憲とみなし、自衛隊の廃止を主張しない姿勢。これらをどのように考えればいいのか。

オーウェルの怒り

 メディアや知識人が目立たぬかたちで立場を転換することや、イデオロギー的な偏向に基づいて報道をしていることは、二〇世紀を代表するイギリスの作家、ジョージ・オーウェルが最も嫌悪したものであった。そのような嫌悪感が、オーウェルの政治評論ではしばしば噴出している。
 かつては、イギリスの帝国主義、そしてファシズムやナチズムを嫌悪していたオーウェルであったが、スペイン内戦への義勇軍としての参戦の経験を経て、イギリスの左派系新聞やメディア、知識人があまりにも現場を知らず、あまりにも無責任な言論を繰り返すことに憤りを感じた。しだいに、そもそも社会民主主義に強い共感を示していたオーウェルは、真実をねじ曲げて、非人道的な政治を顧みることのないソ連全体主義への敵意を募らせていった。その結果、オーウェルは左派系メディアから敬遠される存在となってしまった。当時は、多くの左派系メディアや知識人が、ソ連の社会主義体制を理想的なものと観て、一定ていどの共感を示していたからである。
 オーウェルは、そのようなメディアの偽善と不誠実さに怒りを感じた。かつては、戦争を嫌悪して、平和的に紛争を解決することを絶対的な正義として語っていた左派系新聞が、スペイン内戦がはじまるとむしろ、ファシズムに対して武器を取って戦うことを煽(あお)るようになったからである。暴力を用いてでも、社会主義の理念が実現されるべきと考えていたのだ。それゆえ、オーウェルは「スペイン戦争回顧」と題するエッセイにおいて、次のようにその怒りをぶつけている。

 「イギリスのインテリがただひとつ信じていたものがあるとすれば、それは戦争に対する暴露的解釈、つまり戦争とは死体や便所ばかりで、なんのよい結果も生まないという説であっ た。ところが、一九三三年には、状況によって祖国のために戦う覚悟だなどと言えば憐れむような冷笑を浮かべたその同じ連中が、一九三七年には、負傷したばかりの兵士が戦線に戻ら せろと叫んでいるという『ニュー・マスィズ』の記事はまゆつばものだなどと人が言えば、たちまちトロツキー=ファシストだと言ってきめつけたのである。しかも左翼インテリがこうした『戦争は地獄』から『戦争は栄光』への切り替えをするに当たって、なんら矛盾を認識しなかったばかりか、中間過程といったものさえほとんどなかったのである。その後も、彼らの大部分は何度か同様の大転換をやってのけた」(『オーウェル評論集1 象を撃つ〔新装版〕』川端康雄編、平凡社、二〇〇九年所収、六〇-六一頁)

 オーウェルの言葉は激しい。オーウェルは、イギリス国内の軽薄で不誠実な、ころころと立場を変える左派系メディアに対する軽蔑を隠さなかった。オーウェルは、スペイン内戦において、共産主義者の残虐な行為が覆い隠され、歪められて報道されている様子を見て、そのジャーナリストについて次のような皮肉を語っている。すなわち、「私ははじめて、嘘をつくことが職業である人物に出会ったが、なんとその人のことを人々はジャーナリストと呼んでいるのだ」。

現実への無知

 オクスフォード大学教授の歴史家であるティモシー・ガートン・アッシュは、オーウェルの政治評論集の序文の中で、オーウェルがこのように書いたのは、「彼が自らの目で見てきた現実を、イギリスの左派系新聞全般が、歪めたかたちで報道していることへの嫌悪感の反映であった」という(Timothy Garton Ash,“Introducion”,Peter Davison, Orwell and Politics〔London: Penguin, 2001〕, p. xii)。 ガートン・アッシュによれば、オーウェルが最も嫌悪していたのは、「おそらくは暴力や専制である以上に、不誠実であった」という。ではなぜ、新聞はそのように、偽善的で、安易に立場を転換し、不誠実になったのか。ガートン・アッシュによれば、「新聞や、ラジオや、テレビにおいて事実が歪められて報じられるのは、部分的には覆い隠されたイデオロギー的な偏向がそこにはあるからであり、同時に、商業的な競争や、読者や視聴者を『楽しませる』という冷酷な必要性があるからであろう」。
 そして、そのような記事を通じて、一般の人々がそこで報じられている内容を「正義」と思い込み、義憤に駆られ、感情的な判断をするようになる。オーウェルは語る。

「大衆に関するかぎりは、最近しばしば見られる世論の急激な転換も、スイッチのように点滅する感情も、新聞やラジオによる催眠作用の結果である。しかしインテリの場合は、それは金と身の安全が保障されているためだと言えよう。彼らはときによって『主戦』になったり『反戦』になったりするが、いずれの場合にも、現実の戦争がどういうものか知らないのである」(「スペイン戦争回顧」前掲『オーウェル評論集』六一頁)

 オーウェルは、戦争の現場を知り、その悲惨さを自ら体験した。だからこそ、現場を知らずにロンドンで安易な言葉を並べる左派系メディアに、強い怒りを感じたのであろう。
 それでは、われわれはいま、どのような時代に生きているのか。そして、日本のメディアは現実に存在する安全保障環境を適切に理解して、それを自らの政治的イデオロギーや、政治的立場とは切り離して、冷静かつバランスよく報道しているのだろうか。

二一世紀の世界に生きる

 われわれはいま、新しい二一世紀の時代に生きている。それは、七〇年以上前の、国民が総動員体制により徴兵制を通じて戦争に動員されて、悲惨で非人道的な戦闘を行った太平洋戦争の時代とは異なる。二一世紀の世界では、主要国が協力して国際テロリスト・ネットワークに対抗する必要が生じて、各国の軍が対テロ政策の情報を共有し、国境を越えた脅威に対応するための国際協調を深めることが不可欠となっているのだ。そして、こうした新しい時代にふさわしいように、従来の安全保障法制を整備しなおすことが、今回の安保関連法の主たる目的であったのだ。そのような日本政府の行動を、国際社会が歓迎するのは当然である。
 また、われわれは、各国の装備がネットワーク化されて、それがつながることで多様な情報を共有し、効率的に危機へ対処することが必要な時代を生きている。ネットワークによって結びつけられた、いわゆる「ネットワーク・セントリック・ウォーフェア(NCW)」の時代に必要なのは、各国が必要な情報を提供し、それを共有することで、強固な国際協調体制を確立して、それにより国際社会において平和と安定を維持することである。
 だが、そのような国際協調を進める上で、対テロ政策に関する情報を共有するだけでも、相手側が紛争当事国である場合は「武力行使との一体化」となってしまうことがある。従来の解釈では集団的自衛権の行使と評価されることにより、憲法違反とされかねない。
 テロリズムを企てる国際テロリスト・ネットワークの活動に関する情報を共有するだけで、どうしてそれが集団的自衛権の行使となり、憲法違反となり、戦争へ進む道となるのか。そのような情報を入手できないことで、テロリストが日本国内で大規模なテロリズムを実行するのを看過することが、本当に「平和主義」の名に値するのか。そのようなテロリズムが東京で起きたときに、それを阻止するための法整備を食い止めた「平和主義」の運動をする人々は、それによる人命の損失の責任をとれるのか。われわれは、新しい時代に生きている。一国主義的な思考を脱ぎ捨てて、新しい時代にふさわしい思考を備えることが重要だ。
 一九四五年の太平洋戦争の時代に止まるのではなく、また一九九二年六月のPKO協力法案に「牛歩戦術」で抵抗した時代に止まるのでもなく、二〇一六年という現在の時代へ、つまり未来の世界へと戻ってこようではないか。まさに「バック・トゥー・ザ・フューチャー」である。

「催眠作用」から覚醒せよ

 それでは、現代の世界でどのように平和を実現すべきか。そして、自国の安全をどのように確保すべきなのか。日本の安全保障を考えるうえで、冷戦時代と何が同じで、そして冷戦後には何が変わったのか。これらを考えることが、本書の重要な目的である。
 より具体的には、二〇一五年九月一九日に成立して、その半年ほどのちの二〇一六年三月二九日に発効した安保関連法が、日本の安全保障と東アジアの平和にどのような変化をもたらし、それを受けてどのように今後の平和と安全保障を考えるべきなのかについて、いくつかの示唆を提供することを目指したい。
 一部のメディアや知識人が論じていたように、本当に安保関連法は立憲主義の否定なのだろうか。本当にそれによって、日本は安全を損なうことになるのだろうか。本当にこれから自衛隊は、頻繁にアメリカの要請によって海外で戦争を繰り返すことになり、それによっておびただしい数の日本の若者が戦場に送られることになるのだろうか。そして、日本政府は本当に、徴兵制を企てていて、国民を戦争に動員することを目指しているのだろうか。
 オーウェルは、一九三〇年代のイギリスの新聞や知識人が、事実を歪めて報道して、「覆い隠されたイデオロギー的偏向」を読者に浸透させることを優先する現実に、強い軽蔑の感情と疑念を示した。そして、そのようなメディアや知識人の言葉に不信感を抱き、「新聞やラジオによる催眠作用」で、人々が感情にまかせて政治を語る様子を批判した。
 オーウェルは「なぜ私は書くか」というエッセイのなかで、次のような言葉を記している。「私が本を書くのは、あばきたいと思う何らかの.があるからであり、注意をひきたい何らかの事実があるからであり、真っ先に思うのは人に聞いてもらうことである」(前掲『オーウェル評論集』一一七頁)。
 政府は嘘をつくことがある。同時に、新聞などのメディアも嘘をつくことがある。われわれは、そのどちらの嘘も見抜く力を身につけなければならない。二〇一五年に繰り広げられた安保論争は何だったのか。ほんとうに真実が語られていたのか。それを振り返ることは、それなりに意味のあることではないだろうか。
 本書では、そのような問題意識を背景として、歴史的視野から、平和のための条件、そしてあるべき日本の安全保障政策を考えていきたい。

西村眞悟の時事通信「日本国憲法無効論の重要性を自覚せよ」 (3295)
日時:2016年08月22日 (月) 20時05分
名前:アクエリアン

西村眞悟の時事通信
http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1234

日本国憲法無効論の重要性を自覚せよ
平成28年8月20日(土)

 アメリカの副大統領のジョー・バイデンが、演説で、
 日本も核を持てばいいと言った共和党大統領候補ドナルド・トランプを批判して、
「核保有国になれないとする憲法を私たちが書いたことを彼は知らないのか」
 と言った。
 
 この発言は、
 事実を言ったのである。
 しかし、我が国では、この事実を見て見ぬ振りをして
 憲法を守れとか、九条を守れとか、改正するとか、
 さらに、最もケッタイなのは、加憲するとか、言っているのが大勢である。
 つまり、バイデン流に言うならば、
 「この憲法をアメリカ人が書いたことを日本人は知らないふりをしているのか」
 ということになる。
 では何故、
 護憲論も改憲論も、仲良く知らないふりをしているのか。
 その理由は、護憲論も改正論も、
 日本国憲法を「有効」だという前提の上に成り立っているからである。
 「有効」としておかなければ、護憲論も改正論も成り立たない。
 ということは、
 アメリカ人が書いた日本国憲法は「無効」だということである。
 「無効」なら、護憲論も改正論も加憲論も、前提をなくして吹っ飛ぶ。
 だから、アメリカ人が書いたことを「知らない」ふりをしているのだ。

 ところで、
 「日本国憲法」は、我が国の「戦後体制」の枠組みである。
 ということは、我が国の「戦後体制」とは「ウソ」を前提にして成り立っているのだ。 義務教育では、
 大日本帝国憲法を天皇が定めた「欽定憲法」と教え、
 日本国憲法を国民が定めた「民定憲法」だと教えている。
 しかし、これは「ウソ」だ。
 日本国憲法は、日本を占領統治していたアメリカ人が書いたのだ。
 国家の基本法に関して、
 義務教育で子ども達に「ウソ」を教える国に未来があろうか。

 本日(八月二十日)の産経新聞朝刊に、
 古森義久氏がジョー・バイデンの発言を取り上げた
 「『米国製憲法』の歴史とは」という論考を書いている。
 古森氏は、確か平成九年に日本国憲法を書いた
 チャールズ・ケーディス陸軍大佐にインタビューをした上で、
 憲法に関する論考を産経新聞に書いている。
 私は、これを保存し、時にコピーして持ち歩く。
 何故なら、私は、講演でも選挙演説でも「日本国憲法は無効だ」と主張し、
 その無効論の根拠に、
 古森氏が産経新聞に載せたケーディスの発言を使うからである。
 これからは、本日の論考も無効論の根拠に使うことにする。

 次ぎに無効論の重要性について指摘する。
 第一に指摘すべきは、
 日本国憲法が「有効」か「無効」かに関しては、
 世界の誰でも参加して結論を言うことが出来る。
 何故なら学術論だからである。
 かつて、韓国が、朝から晩まで、
 日韓併合条約は「無効」だと言っていたことがあった。
 その時、アメリカのハーバード大学が、憲法学者や国際法学者を集めて審査し、
 日韓併合条約は「有効」だという結論を公表した。
 それで韓国の無効論は消えた。
 同様に、例えばハーバード大学に世界の学者が集まって、
 日本国憲法が「有効」か「無効」かを審査したら如何なる結論となるか。
 必ず「無効だ」との結論をだす。
 その時、「有効」を前提とした護憲論も改憲論も、呆然自失することになる。
 無邪気に、未だにGHQの優等生として、
 日本国憲法を「有効」だと信仰していてはダメだ。
 前にも指摘したが、
 中共が朝鮮半島に武力進駐して「朝鮮国憲法」を布告すれば、
 我が国を初めとする自由主義国家群は、それを「無効」だと言うだろう。
 しかし、「日本国憲法」を「有効」としている我が国は
 「無効」とは言えず利敵行為者として孤立する。
 従って、無効論は必要なのである。
 次ぎに、
 無効論の戦略的重要性を指摘する。
 危機は何時襲ってくるか判らないから危機なのだ。
 その危機の時に、憲法を改正している暇はない。
 一体、改正に何年かかるか、誰も指摘できないではないか。
 ということは、その間、危機に対処できないということだ。
 その時に、無効論が日本を救い国民の命を救う。
 総理大臣が、
 当職は、日本国憲法に囚われることなく、
 国家から与えられた国家と国民を救うための権限を行使する、
 と宣言し果敢に危機克服に立ち向かう。
 これができるのが「無効論」である。
 かつて、東京都議会議員の土屋たかゆき氏が、
 都議会本会議で石原慎太郎東京都知事に、
 「日本国憲法は有効か無効か」と質問したら、都知事は
 「破棄したらいいんだ」と答えた。
 「破棄」つまり「無効」だから捨てる。
 これが無効論である。

______________________________________________________

(コメント)

 >>同様に、例えばハーバード大学に世界の学者が集まって、
 日本国憲法が「有効」か「無効」かを審査したら如何なる結論となるか。
 必ず「無効だ」との結論をだす。
 その時、「有効」を前提とした護憲論も改憲論も、呆然自失することになる。
 無邪気に、未だにGHQの優等生として、
 日本国憲法を「有効」だと信仰していてはダメだ。<<

そうなんですよね。

学術的に、どう考えても、「無効」という結論を出すことは目に見えています。

岡正章先生は、

http://misumaru.o.oo7.jp/kinkyou-3.html
「時代は変わりました。今から10年も経てば、現憲法を金科玉条とする 「立憲主義」 を言い続けるような者こそ、時代錯誤のガラパゴス「化石人間」といわれるようになると思います。」

と、予言されている。

今回のバイデン発言は、現行憲法の成立の「密教」を暴露したもので、この暴露発言は、じわじわと効いてくるでしょうね。


日本国憲法の真実 偽りの起草者ベアテ・シロタ・ゴードン (3360)
日時:2016年09月01日 (木) 19時54分
名前:アクエリアン

政治学者岩田温さんのツイッターに紹介されていましたので、このスレッドにも、紹介しておきます。


岩田温
@iwata910 22 時間
高尾 栄司『日本国憲法の真実』。良書。幣原喜重郎が憲法九条の発案者だというデマを粉砕してある。以前、「幣原喜重郎は憲法九条の発案者ではない」と断固として主張する幣原喜重郎の息子のコメントを読んだが、その部分にも触れてある。

「日本国憲法の真実 偽りの起草者ベアテ・シロタ・ゴードン」 単行本 – 2016/8/10
高尾 栄司 (著)

内容紹介
嗚呼なんというお粗末! 日本の憲法が、コピペによる捏造だったとは! ! 日本への怨念と復讐心に燃えた「虚飾の女神」ベアテ・シロタとは何者だったのか?

人気ピアニストを父に持つユダヤ人女性、ベアテ・シロタ・ゴードンは5歳から15歳まで日本で過ごすと戦時下のアメリカに渡り対日工作に従事。米国籍を取得したばかりの終戦直後、22歳で再来日、GHQ民政局に飛び込み、すぐに日本国憲法の起草に従事する。その後いつしか存在は忘れ去られたが、1990年代に入って「男女平等条項の起草者」として日本のテレビで紹介されるや「戦後民主主義の女神」として日本各地で称賛される。憲法の骨子となる人権条項は「当時22歳だったベアテの手によるもの」と日本の憲法学者の間でも常識化された。が、そもそも憲法の門外漢だった若いベアテに起草などできたのか? 実際どのような杜撰さで書かれたのか? そして彼女の上司だった謎の人物ピーター・ルーストとは何者で、彼の所属した秘密結社とは何だったのか? 「憲法を世界遺産に! 」などと言っている場合ではない。全日本人必読、驚愕の戦後史!

小山常美氏の新著『「日本国憲法」・「新皇室典範」無効論―日本人差別体制を打破するために』 (3643)
日時:2016年09月29日 (木) 15時53分
名前:アクエリアン

小山常美氏の新著の紹介のブログの記事を転載させてもらいます。

 『「日本国憲法」・「新皇室典範」無効論―日本人差別体制を打破するために』
http://tamatsunemi.at.webry.info/201609/article_3.html
<< 作成日時 : 2016/09/09 02:46 >>

  『「日本国憲法」・「新皇室典範」無効論』の出版

 今月下旬、『「日本国憲法」・「新皇室典範」無効論―日本人差別体制打破のために』という新著を、自由社ブックレットの一冊として出版する。「日本国憲法」と「新皇室典範」に関する無効論をセットで展開した本である。私にとっては、「日本国憲法」関係に関する10年ぶりの著書である。10年前に『憲法無効論とは何か』(展転社、2006年2月)を世に問うた時には、今後の研究予定として大日本帝国憲法史の研究を挙げていた。

  だが、私にとって想定外の「つくる会」分裂騒動が起こり、9年前に「つくる会」理事になった。その結果、この10年間(正確には9年間)、私は教科書分析と教科書づくり、育鵬社盗作問題に追われてきた。この間、「つくる会」教科書の位置付けを行うために、そして教科書全体の改善度合いを測るために、平成18~23年度版、24~27年度版、28~31年度版の中学校歴史・公民教科書とにらめっこする日が続いてきた。最も目を通したのが、育鵬社盗作問題研究の関係もあり、平成18~23年度版の扶桑社と東京書籍、24~27年度版の育鵬社であった。

 そのようなわけで、もう一度30代に戻って大日本帝国憲法史の研究を行う予定を立てていたけれども、大日本帝国憲法も「日本国憲法」も全く研究できない状況になってしまった。ようやく、10年ぶりに憲法無効論の著書を出版する運びとなって、多少とも喜びの感情が沸いている。

 「日本国憲法」も「新皇室典範」も偽物 

  さて、なぜ、今回、改めて著書をまとめたのか。本年7月10日の参院選挙で自公両党が勝利した。まもなくして、政府は「皇室典範」改正の作業を進めていく方針であるという報道がなされた。

 しかし、「日本国憲法」も「新皇室典範」も、占領下でつくられただけではなく、天皇も政府も議会も全てが自由意思を持っていない状態で作られた。特に、「新皇室典範」の作り方は問題が大きいものだった。皇室の家法という性格を持つにもかかわらず、皇室の意思を全く尊重せず、国家の法律という形でつくられた。

 従って、「日本国憲法」も「新皇室典範」も偽物である。偽物だから、私は「日本国憲法」も「新皇室典範」も、共に「 」を付して表記している。偽物だから、当然に「日本国憲法」は憲法として無効であり、「新皇室典範」は「皇室典範」として無効である。

 このように無効である「日本国憲法」と「新皇室典範」が定める手続き通りに憲法改正と典範改正を行えば、出鱈目な成立過程、GHQによる「日本国憲法」と「新皇室典範」の押し付けを正式に正当化することになる。

 そうなれば、二点の弊害を及ぼすことになる。一つは、日本が再び敗戦し再び「憲法」や「典範」を押し付けられようとした時に反論する論理がなくなってしまうことである。二つは、自虐史観を絶つことが出来なくなることである。

  なぜ、出来なくなるのか。まずは、出鱈目な成立過程史を取り繕うために、できるだけ日本側の自由意思が捏造され続けることになる。それでも、完全に取り繕うことはできないから、大日本帝国憲法とその下の政治史を悪いものとして教える自虐史観が必要となる。そればかりではなく、日本の戦争を侵略戦争と弾劾し、更には「南京事件」や「従軍慰安婦問題」の捏造も行われ続けることになろう。従って、「日本国憲法」と「新皇室典範」の改正を行えば、自虐史観を絶つことは出来なくなるのである。

 最近10年間の私は、「日本国憲法」や大日本帝国憲法の研究は出来なくなったが、教科書と9年間にらめっこし続ける中で、以上見た二点の弊害については10年前よりもはるかに強固な確信を抱くようになった。

 そこで、「日本国憲法」と「新皇室典範」が何故に無効なのか、「日本国憲法」改正や「新皇室典範」改正の代わりにどのような方法で「日本国憲法」と「新皇室典範」を処理するのか、まとめて論じたいと考えるようになった。そしてまとめたものが『「日本国憲法」・「新皇室典範」無効論』である。

 「日本国憲法」の本質は日本人差別

  その意味では、本書刊行の意義は、これまで別々に論じていた「日本国憲法」と「新皇室典範」の無効論を統合して論じたことである。特に、両者の処理手続きを第三章「『新典範』無効論」の最後でまとめて提案したので、お読みいただきたい。

  しかし、本書刊行の動機は、両者の無効論の統合だけではない。それ以上に、最近3年間ほどで、《「日本国憲法」の本質とは日本人差別である》という想いを年々強く抱くようになっていったことが動機である。

  特に、政府が慰安婦性奴隷説も強制連行説も否定しながら、それでも慰安婦問題で謝り続け、挙句の果て、昨年末の日韓合意によって国家としての責任を認めてしまった時、そして所謂保守派の大多数が安倍政権を批判しなかった時、広範な日本人差別思想の広がりを認識せざるを得なかった。この認識は、日本人によるヘイトスピーチは規制するが外国人によるヘイトスピーチは規制しないとするヘイト法(日本政府及びジャーナリズムはヘイトスピーチ規制法と言う)が、国会でほとんど議論もされずほぼ全員一致で成立した時、更に強まった。

  このように日本人差別という認識が強まるにつれ、この日本人差別思想は「日本国憲法」がもたらしたものであり、「日本国憲法」の中に存在するという捉え方が、私の中で更に強くなった。そして、単なる「日本国憲法」無効論という捉え方では「日本国憲法」の本質を捉えたことにはならないのではないか、日本人差別こそが「日本国憲法」の本質であり、出鱈目な「日本国憲法」成立過程の背景には日本人差別思想が強固にあると捉えなければならないのではないかと考えるようになった。そして、「日本国憲法」改正という方式は日本人差別思想に基づき出てきたものであると捉えるようになった。
  

 以上のような捉え方は、「日本人差別体制を打破するために」という副題に表されている。

 本書は、以下のような三章構成である。

第一章 独立国を目指す憲法、属国化と滅亡を目指す「憲法」
第二章 「日本国憲法」をどのように処理するか
第三章 「新典範」無効論

 第一章の「独立国を目指す憲法」とは大日本帝国憲法のことであり、「属国化と滅亡を目指す『憲法』」とは「日本国憲法」のことである。第一章では大日本帝国憲法と「日本国憲法」を世界秩序の中で比較しているが、両者を比較すると、「日本国憲法」は単に日本弱体化政策から生まれたものではなく、抜きがたい有色人種差別思想、というよりも端的に日本人差別思想から生まれたものであることがよく分かった。

 第二章では、作られ方と内容にふれ、「日本国憲法」は果たして有効なものか無効なものか、検討している。そして、滅亡を回避し本当の独立国になるためには、「憲法学」はどうあるべきか、「日本国憲法」をどのように処理すべきか、考察している。

 第三章では、「新典範」の内容を「日本国憲法」の天皇条項と併せて検討するとともに、その成立過程の問題点について整理している。最後に、前述のように、「日本国憲法」と「新皇室典範」の処理方法について具体的に提案している。

 本書の結論は、日本人差別体制を打破することは「日本国憲法」と「新皇室典範」の無効論によってしか達成できない事、「日本国憲法」と「新皇室典範」をこのまま放置しても、「日本国憲法」改正と「新皇室典範」を改正しても、日本は徐々に滅んでいくであろうということである。

 今後、拙著が少しでも読者を獲得することによって、世界秩序との関連で「日本国憲法」を捉える見方が広がること、「日本国憲法」の本質に対する考察が進むこと、「新皇室典範」の成立過程に対する研究が進むことを期待する。「日本国憲法」の成立過程の出鱈目さについてはまだ少しは研究されてきたが、「新皇室典範」の成立過程の出鱈目さについてはほとんど研究されていない。その意味では、とりわけ、「新皇室典範」の成立過程に対する研究が多くの人によってなされることを希望するものである。

 付加――バイデン副大統領の発言は、《日本人に対しては国際法を守らなくてもよい》という意味となる

 ところで、8月15日、米国民主党の副大統領バイデン氏は、共和党大統領候補トランプ氏を批判する文脈の中で、「米国が日本の憲法を書いた」と発言したという。事実だが、極めて失礼な話である。占領下で現地の法律を尊重すべしとする一般国際法があり、ポツダム宣言及びバーンズ回答という特別国際法でも、日本人の自由意思による憲法改正を保証していた。従って、米国は国際法違反を犯したのである。米国による国際法違反の事実を、副大統領が認めたのである。

 国際法違反を認識し、日本国を対等な独立国として扱おうという意識が少しでもあれば、バイデン氏はこんなことを言えるはずがないのだ。氏の発言は、国際社会のルールを無視するものであり、米国の国益を害するものである。

 なぜ、彼はこういうことを言えるのか。国際法違反であることを知らないのか。それとも日本国を独立国とは見ず、名実ともに属国とみているのか。両方かもしれないが、恐らくは日本国を独立国とは見ていないから、このような発言を平気で行うのだろう。
 
 独立国とは見ていないということはどういうことか。《日本及び日本人に対しては国際法など守らなくてもよい》あるいは《日本及び日本人に対しては国際法など必ずしも守らなくてもよい》と、民主党及びバイデン氏が考えていることなのである。私は、そのようにバイデン発言を受け取っている。その意味で、極めて深刻な問題をはらむ発言なのである。

  とはいえ、私としては、「日本国憲法」無効論の一論拠をバイデン氏発言の中に捉えてもいる。
 
  しかし、それにしても、押し付け憲法論を否定する護憲派は、なぜ怒らないのか。特に《九条にノーベル賞を》運動を行っている人達は、怒るべきであろう。もっとも、彼らも押し付けとは認識しているから、怒れないということであろうか。

  付加部分は、間違いがあり一部修正した……9月17日

  転載歓迎 

(コメント)

それにしても、「背教総裁」と揶揄される現生長の家総裁、いまどき占領憲法を見直そうという日本会議の憲法論を「時代錯誤」と捉えるその感覚、どうしようもなく、この時代の流れに取り残されていると言わざるを得ないですね。

日本会議批判の書の出版ラッシュで、日本会議への入会希望者が激増しているということですが、その日本会議批判の書を現教団の指定図書とするスタンス、素晴らしいです。(爆笑)

これからも、頑張って、日本会議批判の言論をガンガン展開していってもらいたいですね。

小林某氏なども、日本会議批判の書を出されるそうですが、小林某氏は女系天皇論擁護の時点で、愛国陣営からは斬り捨てられていますので、小林某氏の日本会議批判の書は、逆に、日本会議への追い風になります。

このことは、護憲反日(アメリカの元大統領が日米戦争は狂人ルーズベルトの陰謀と評価しているのですよ、それが、なぜ、日本の侵略になるのですか。洗脳されているといわざるを得ないか、もともと反日の人間だったか、ということでしょう。)の現総裁の反日本会議の言説も、同様に、日本会議への追い風になります。



「愛国の花」 [歌:中川麻梨子] 海上自衛隊 横須賀音楽隊『日本海海戦111周年記念』
https://www.youtube.com/watch?v=DQRaYxRXAyI



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