| 亀の子様、信天翁様 (239) |
- 日時:2016年01月22日 (金) 03時07分
名前:志恩
亀の子様、信天翁様 ご丁寧に コメント下さいまして、ありがとうございました。
亀の子様 いつもながらの お気遣い、感謝致します。
信天翁様 [生長の家出現の精神] の 出典の方ではなく、 「馬」と「馬車」の喩え話の出典のことでしたか。どうも、そそっかしくて、すみません。
私の場合は「馬」といえば、條件反射的に、トキ掲示板に出没している「馬様」が、念頭に浮かびますが、 あの「馬」じゃないわけで....
別の「馬」の話でしたら、つい最近、ここの掲示板に載っていましたけれど、 この「馬」では、ないのですか、信天翁様。
これだとおっしゃるのでしたら、出典は谷口雅春先生著「善き人生の創造」ということになりますが,,。 _____________________________________
転載 ・谷口雅春先生に帰りましょう・第二掲示板より
尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十六章「あなたは本来罪がない」 (50)
日時:2016年01月07日 (木) 06時54分 名前:平賀玄米
武士は道の為に死ぬ。武士ならずとも庶民でも道の為に死ぬ。「天野屋利兵衛は男でござる」 佐倉宗五郎は死を賭けて農民を救った。斯く肉体を滅して道と一つになるところに、自分のい のちが永遠に生きる道があるのであります。
それをイエスは「生命(いのち)を得んとする者は生命を失い、生命を捐つる者は生命を得」と 教えているのであります。まことにこれ等の聖者は、肉体を滅ぼしても道を生活に行じて道と一 つになるところに本当の自分の永遠に生きる道があると云うことを知って居り、そして之を生活 に行じて居ったのであります。
ところが最近になっては宗教も下落したと云いますか、下化衆生に傾き過ぎたと云いますか、宗 教に来て道を求めるのは、肉体が健康になるように、或は金が儲かるお導きを授かるようにと思 って道を求める――全くあべこべになっているのであります。
肉体が 健康になろうと 思って道を 求めるのは、
⭕️馬車を 馬の前にくっつけて 馬車を走らせようと思うようなもので、中々 その馬は 走らないのであります。
馬車を 走らすには、馬を 前に 走らせなければならない。
馬が 走れば、馬車も 一緒に 走るのであります。
道を行ずれば、健康にもなるし、事業もおのずから繁栄して来るのであります。
拙著『栄える原理』参照)
つづく
<平成28年1月7日 謹写> ありがとうございます 合掌。

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