《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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講習会参加者数を前回比100%にする方法 (226)
日時:2016年01月21日 (木) 09時32分
名前:亀の子


合掌

今回も、
「生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)」の

「雅宣先生の否定はいかがなものか?」のスレッドから数字のトリックについて考えてみたい。

「真の日本国実相顕現を目指す青年」様が、

>前回比25%増を達成した兵庫教区青年会の一員として、<

と言われている。

例えば、前回100名の参加者だった参加者数が、純粋に125名に増えたなら、それは賞賛に値するであろうし、そうであって欲しいと思う。

私は、前回比25%どころか、表題のように前回比100%にする方法を知っている。

さあ、教団の皆さんも少し考えてみてほしい。


・・・・・。


すでに多くの人にはお分かりだろうが、最近は講習会は、メイン会場の他に複数会場で行わる教区がほとんどと聞く。

一つの方法としては、他の多くの方も投稿されているように2~3箇所の会場巡りをすれば、アッという間に前回比オーバー出来る。但し、自分の名前だけだと怪しまれるので、実際には、来ていない家族、親戚、知人等の名前を拝借することになる。

また、大きな会場なら複数の入場口があるので、出たり入ったりというダブル、トリプルカウントを使う方法もよく知られたところである。

私自身、受講券を押し付けられて上記のふたつの方法で数を増やした経験がある。

また、近隣教区からの応援に参加したりされたりも周知の事実である。

以前、現総裁が、午後からの質疑応答の時間に、該当教区からの質問が無く「今日は、近隣教区の質問ばかりですね」と言われていたので失笑したことがあった。


さて、本題に戻ると、小さな教区では、前回4人の参加者数だった青年会員が1人増えたら、前回比25%の増加である。

前回、1人だった参加者数が2人になったら、前回比100%の増加である。即ち、分母が小さければ小さいほど前回比を大きくすることは、可能なのである。こんなことは、小学生高学年でもわかる数字のトリックである。

長期計画としてあえて一回、大幅に参加者数を減らしておいて計画的に少しずつ増やしていけばよいのである。

私の言いたい本題は、講習会の参加者数など当てにならないものであり、講習会のあり方を考えないといけない(もうその時機は逸しているが)と言う事である(これは講話の内容、プログラムも含め全般の事であり、多くの組織の人達の思っていることでもあろう)。

参加者数に限っても、限り無く純粋に参加者数をカウントしようと思ったら、写真付きの身分証明書(運転免許証、パスポート、マイナンバーカード等)と受講券との確認、他教区からの参加者数は該当教区の数に含め無いなどの方策をとるべきである(それでも色々な抜け道はある)。


兵庫の青年会が純粋に兵庫教区だけの青年会員で、上記のような不正が無く25%増加なら素晴らしいことである。それが「本物の御教え」の信仰者となってくれたら慶ばしい限りであり、大いに期待したい。


再拝


「馬車が馬の前を行ってはいけない。」 (229)
日時:2016年01月21日 (木) 19時11分
名前:信天翁

「馬車が馬の前を行ってはいけない。」

もう20年近く前になるでしょうか。

生長の家の方が開設された掲示板で、「雅春先生のお言葉」として、どなたが書いておられた言葉です。(字句は多少違うかも知れませんが・・・)

真理を伝えれば(馬)、数字(馬車)は、後から付いてくるので、数字のみを追い求めてはならない、という意味だと思います。


「生長の家」出現の精神(朗読版)をお聞きすると、「なるほど」と、このお言葉の意味が腑に落ちます。


どなたか、このお言葉の出典を御存じありませんか。



「生長の家」出現の精神(朗読版)
https://www.youtube.com/watch?v=A_FH691U758

勘違いを招きました。 (234)
日時:2016年01月21日 (木) 23時31分
名前:信天翁

「出現の精神」が創刊号に載っていることは存じております。

私が知りたかったのは、「馬車が馬の前に行ってははいけない。」というお言葉の出典でした。

志恩 様へ (235)
日時:2016年01月21日 (木) 23時32分
名前:亀の子



合掌、ありがとうございます。

お久しぶりです。こ無沙汰しました。他の掲示板での投稿に元気づけられております。

今回は、こちらの掲示板に投稿下さり、ありがとうございます。大変、嬉しく思います。

昼間は、現役で仕事をしている身で、先ほど食事を終え、信天翁様のご質問の件で、過去の神誌などを引っ張りだしていたところでした。

ですので、信天翁様へのご返事は後ほどさせていただきます。

今日中に削除されるとのことですので、ご返事の順番が逆になってしまいますが、お許しください。

志恩様のご投稿文章自体は、生長の家人にとって最も重要なものですので、出来れば、削除してもらいたく無い内容です。

折角、ご回答いただいたのに残念ではありますが、このご回答は、信天翁様のご質問の意図するところではないと思います。

信天翁様のご質問は、

「「生長の家」出現の精神」の出典を求められた訳ではなく、

最初の、

>「馬車が馬の前を行ってはいけない。」<

という谷口雅春先生の御言葉の出典をご質問なさったと自分は受け取らせていただきました。

そして、

>「馬車が馬の前を行ってはいけない。」

という御言葉の本質(深い意味)が、

>「生長の家」出現の精神(朗読版)をお聞きすると、「なるほど」と、このお言葉の意味がよく分かりました。<

ということで、

言い換えるならば、

「馬車が馬の前を行ってはいけない。」という御言葉の意味が、「「生長の家」出現の精神(朗読版)」をお聞きすることによって理会できた(腑に落ちた)ということが信天翁様の言われたいことで、そして、最初の御言葉の出典を求めておられるということになります。

志恩 様には、お気を悪くなさったかもしれませんが、こちらの掲示板へも御投稿していただきたいと存じます。


感謝 礼拝


亀の子様ありがとうございました。 (236)
日時:2016年01月21日 (木) 23時36分
名前:信天翁

全くおっしゃるとおりです。

代弁して頂きありがとうございました。

たとえの内容から、戦前の頃のお言葉かな、と思っています。

私が「下野して良かったと思われませんか」を書く原因の一つとなった言葉です。

そこでは、雅宣氏以前の教団を評して、

「でも、そうなる前の生長の家は、一体どうだったでしょうか?
組織は高齢化し、覇気を失い、沈滞し、女性のみが異常に多く、若い人が極端に少なく、「推進」という掛け声の下に、ただ参加者等の数値目標のみを求めていたのではないでしょうか?
数値目標のみを追い求める姿は、票集めに奔走する自民党の姿とダブリます。」

と随分と失礼な事を書いております。

信天翁 様へ (237)
日時:2016年01月22日 (金) 00時36分
名前:亀の子

合掌、ありがとうございます。

ご投稿が同時だったようで、失礼しました。

拙稿をお読みいただき、ありがとうございます。

年末から信天翁様の討論を拝見させていただいておりましたが、ほとんどの方が信天翁様の意図されているところを汲み取っておられ無い様子で、残念に思っておりました。


今回の私の投稿意図は、次のテーマに繋げる一つのステップであります。

年末から信天翁様の投稿は、気になっておりましたが、私事で精神状態が良くない状態でしたので、投稿も控えておりました。

信天翁様の各掲示板への投稿もほとんど読み返しながら、失礼ながら信天翁様の背景を考えておりました。

このスレッドのテーマから外れますがお許しください。

信天翁様は、「共感」という御言葉を使っておられました(「同情」だとか「憐憫愛」という言葉を使う方もおられましたが)が、

あの場合は、本当は「理解」を求められておられたのではないかという気がしております。即ち、そういう方の事も分かって欲しい、理解して欲しいという思いではなかったかと思う次第です。

信天翁様のハンドルネームからして、大本(教)の方にも造詣が深く、教団のこと、組織のこともよく分かっておられると拝察させていただきます。私と同じ立ち位置のように感じております。

しかし、言葉だけの世界にはどうして限界があると感じております。それだけに谷口雅春先生の御言葉に凄さを感じてしまいます。


さて、本題に戻りますが、ご質問の御言葉は、まだ見つけ出せずにおります。

私は、運動論としての御言葉と感じさせて頂きました。

自分の今の方向は、天皇信仰の原点にありますので、少しお時間を頂きたいと思います。

よろしくお願いします。

また、ご存知の方がおられましたら、是非、投稿をお願いします。

再拝


亀の子様、信天翁様 (239)
日時:2016年01月22日 (金) 03時07分
名前:志恩

亀の子様、信天翁様
ご丁寧に コメント下さいまして、ありがとうございました。


亀の子様
いつもながらの お気遣い、感謝致します。


信天翁様
[生長の家出現の精神] の 出典の方ではなく、
「馬」と「馬車」の喩え話の出典のことでしたか。どうも、そそっかしくて、すみません。

私の場合は「馬」といえば、條件反射的に、トキ掲示板に出没している「馬様」が、念頭に浮かびますが、
あの「馬」じゃないわけで....

別の「馬」の話でしたら、つい最近、ここの掲示板に載っていましたけれど、
この「馬」では、ないのですか、信天翁様。

これだとおっしゃるのでしたら、出典は谷口雅春先生著「善き人生の創造」ということになりますが,,。
_____________________________________

転載 ・谷口雅春先生に帰りましょう・第二掲示板より

尊師・谷口雅春先生著『善き人生の創造』第十六章「あなたは本来罪がない」 (50)

日時:2016年01月07日 (木) 06時54分
名前:平賀玄米


武士は道の為に死ぬ。武士ならずとも庶民でも道の為に死ぬ。「天野屋利兵衛は男でござる」
佐倉宗五郎は死を賭けて農民を救った。斯く肉体を滅して道と一つになるところに、自分のい
のちが永遠に生きる道があるのであります。

それをイエスは「生命(いのち)を得んとする者は生命を失い、生命を捐つる者は生命を得」と
教えているのであります。まことにこれ等の聖者は、肉体を滅ぼしても道を生活に行じて道と一
つになるところに本当の自分の永遠に生きる道があると云うことを知って居り、そして之を生活
に行じて居ったのであります。

ところが最近になっては宗教も下落したと云いますか、下化衆生に傾き過ぎたと云いますか、宗
教に来て道を求めるのは、肉体が健康になるように、或は金が儲かるお導きを授かるようにと思
って道を求める――全くあべこべになっているのであります。

肉体が 健康になろうと 思って道を 求めるのは、

⭕️馬車を 馬の前にくっつけて 馬車を走らせようと思うようなもので、中々 その馬は 走らないのであります。

馬車を 走らすには、馬を 前に 走らせなければならない。

馬が 走れば、馬車も 一緒に 走るのであります。

道を行ずれば、健康にもなるし、事業もおのずから繁栄して来るのであります。

                                拙著『栄える原理』参照)

つづく

      <平成28年1月7日 謹写> ありがとうございます 合掌。

他に、「馬」でも、天の「まだら馬」(あめのふちこま)のお話もございます。 (240)
日時:2016年01月22日 (金) 03時37分
名前:志恩

伝統様の掲示板より
《天変地変という浄化の働き》 (207)
日時:2015年02月06日 (金) 04時49分
名前:伝統

        *「實相と現象」(P223~226)より

ところで地球の生命と人間の生命とは互いに連関しておりますので
地球上に住んでいる人類全体が、汗をかかん様な焦(あせ)らない、静かな、平和な、
心境になっておったら、そう云う天災地変というものも減って来ると云う事になる。

天災地変と言うけれど、
雨が降るのは瀬織津比咩命(せおりつひめのみこと)の御働であり、
地震や火山爆発は速佐須良比咩(はやさすらひめ)の御働であって、
宇宙を浄化し地球を浄化しているのであります。

若し宇宙に斯う云う浄化の働きがなかったら、私たちが《うんち》でも流したのが、
いつまでもその辺に浮いておって、もう汚くて汚くて、海水浴なんて
できない事になるけれども、

それをちゃんと速佐須良比咩命(はやさすらひめのみこと)が擦(さす)ってくれて
波を起して、「可々(かか)呑(のみ)てむ」というわけで不浄物を「無」の世界に
皆呑み込んでくれるものですから、どんな不浄物を海に流しても
浄化してしまうわけであります。

風呂へ入って皮膚の表面を擦(こす)ると垢(あか)がとれる。
それと同じことが宇宙にもおこなわれる。

此の宇宙浄化の働を神格化して、祓戸四柱の神として、
日本神道ではこれに礼拝し感謝するのであります。それで、


   「祓戸(はらいど)の大神等(おおかみたち)諸々(もろもろ)の
   枉事(まがこと)罪穢れ(つみけがれ)を祓給(はらひたま)へ
   清給(きよめたま)へと申す事の由(よし)を、

   天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)八百萬(やおよろづ)の
   神等(かみたち)共に

   ⭕️天斑駒(あめのふちこま)の耳振立(みみふりたて)て
   聞召(きこしめせ)と畏(かしこ)み畏(かしこ)みも白(まを)す」


⭕️天斑駒(あめのふちこま)と云うのは、古事記に、
須佐之男命(すさのおのみこと)が天斑駒を逆剥(さかはぎ)に剥(は)いで、
天照大神が機(はた)を織っておられた所へ投げ込んだと云う事が
書かれているのであります。

⭕️此の天斑駒(あめのふちこま)と云うのは、天之“まだらうま”と云うことで
これは“時間”の象徴であります。

あのガソリンに「ペガサス・ガソリン」と云うのがあるでしょう。
あのペガサスと云うのが天を翔(かけ)る馬であって、商標を見ると、
馬に翼(つばさ)がついているでしょう。あれが天斑駒(あめのふちこま)です。

“斑”(ふち)というのは、白と黒との“《ぶち》”のことで、
之は、“昼”と“夜”とを表わしているわけです。
“昼”と“夜”との交代によって幾日経過したかと分る時間の事なんです。

「天馬空を翔る」とか「白駒(はくく)の隙(げき)を過ぎるが如し」――
白い駒が隙間(すきま)を過ぎる様だ」――と云って時間を馬に譬(たと)える
語句があります。

このように支那の喩(たとえ)にも、「時間」を「駒」に譬えているが

日本でも「時間」を「駒」に譬えてりのであります。



⭕️此の世界を浄化するためには或る時間が要る。あまり急いだらいかん。

あまり急激に変革しようとして急いだらそれだけ余計激しい変動が起こらなければ

ならないから、悲惨が一層拡大するのであります。

だから徐々に時間の経過をとおして変化させて行く。

これが「天の斑駒(あめのふちこま)の耳振り立てて」であります。



病気でも早く癒(なお)る時には“ケミカライゼーション”即ち“迷いの自壊作用”
と云うものが起って今まで慢性の病気であったのが急激に急性の病気になったりして、
一時的には《ひどく》なってそれで却(かえ)って快(よ)くなると云うことがある。

或は此の社会でも良くしようと思ったら、革命と云うような、激しい事が起ってから、
それで善くなると云うことがある。

中共みたいにわずか数年の間に社会革命を起こして封建制度の世界から、
共産制度の世界を造り上げたと云うような場合には、あの為に、一千万人程度の人が
粛清されて殺されたということですね。

あんな大きな問題は、それ程の大自壊作用を急激に起すことによって、
急速に良くなるのであります。


だからどうしても此の世界を良くしようと思ったら、時間を経(へ)なければならない。

・・・

*この掲示板への投稿規制により、表現を変更している部分があります。

             <感謝合掌 平成27年2月6日 頓首再拝>

(⭕️は、わかりやすくするため、私(シオン)が つけました)
________________________________________________________________________

「天の斑駒(あめのふちこま)は、禊祓祝詞 講義(谷口雅春先生)に出てくる「馬」です。

 (「馬」は、このスレッドの ④ に出ています)

出典・(『生長の家』誌  昭和32年12月・33年2-3月号)

日の丸掲示板より
http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=3958

有難うございました。 (247)
日時:2016年01月22日 (金) 19時15分
名前:信天翁

志恩様

有難うございました。
確かに書かれている内容が似ておりますから、これが、出典かも知れません。

この本は、持っておりますが、全く読んでいませんでした。

ただし、これが出典だとすると、光明思想の一般論が書かれているだけのように思われます。

数値目標のみを追い求めてはならない、というたとえかと思ったのは、小生の早とちりであり、勘違いだったことになります。

本当に有難うございました。



亀の子様

御理解頂いたことに感謝します。

随分以前に、「組織内の職員や信徒を大切にするべきである。」という投稿をしましたが、賛成は得られませんでした。

今回もそれと軌を一にした投稿でした。
「その方が学ぶ会のためになる」という思いでしたが、小生の言葉使いが激しかったために、学ぶ会への誹謗・口撃と受け止められたようです。しかし、もう、何も言う気はありません。

信天翁と大本教のつながりが、よく分かりませんが、若い頃に「巨人出口王仁三郎」という本を読んで感銘を受けた記憶があります。

彼が満州で作った「シャカンメラ(白馬)くつわを並べて 進み行けば 神代に住める 人の心地す」という歌は、今でも好きです。また、彼の焼いた茶碗も好きです。

とにかくスケールの大きな人だったと思います。


さて、話は変わりますが、田舎もんのブログに、貴康氏が、「原点回帰」と題して素晴らしい御文章を書いておられます。

「混乱したときは原点に帰る」というのは、すべての事柄に共通する大原則だと思います。

生長の家についても同様で、「生長の家にかかわる人々の、10人のうち2人でも、貴康氏のような「原点回帰」の思いになり切られたときに、今の混乱は収束に向かう」という思いが、心の内から湧いてきております。


「田舎もんのブログ」
http://blogs.yahoo.co.jp/tachiyan50

信天翁 様へ (249)
日時:2016年01月23日 (土) 00時08分
名前:亀の子


合掌

目的の言葉が見つかったようで、何よりです。

『善き人生の創造』の初版は、昭和28年ですが一時は品切れ状態になりましたが、出版を望む声が高く谷口雅春先生ご昇天後の昭和64年、版を重ねた名著です。

上記、ご紹介の御文章の最後の参照ご著書の『栄える原理』の初版は、昭和23年12月10日です。もちろん、絶版ですが、今では考えられないことが書かれています。

同時、谷口雅春先生ご自身、公職追放中で、この昭和23年12月は、教主(今で言えば総裁)を辞任され教団人事運営の権限も有たれず、「全国講師」として布教に専念された時期です。


>「馬車が馬の前を行ってはいけない。」<

真理の言葉は、いかようにも受け取ることが出来ますし、人それぞれに解釈、応用が出来ます。

「光明思想の一般論」と観るのも一つの解釈ですし、心の法則の一つとして、あるいは運動論として捉えることも一つの解釈です。

禅問答でも、悟りの深浅、機縁によりいかようにも受け取ることができます。

上記の紹介された御文章で、重要なところは、最後の「道を行ずれば」というところだと思います。

「道を行ずれば、健康にもなるし、事業もおのづから繁栄して来るのであります。」

「道」は、もちろん「正道」であり、「真理の道」そのものです。そして「健康」とか「事業」というところを「数字(教勢)」と置き換えたら、立派な運動論としても応用可能だと思います。


>信天翁と大本教のつながりが、よく分かりませんが、若い頃に「巨人出口王仁三郎」という本を読んで感銘を受けた記憶があります。<

それだけで、もう充分、関係大ありです。

私は、てっきり「信天翁」というハンドルネームは、出口王仁三郎師の書かれた『霊界物語』(ご存知のように谷口雅春先生も筆録者のお一人でした)から、取って来られたものと拝察しておりました。

ちなみに『霊界物語』第十三巻・信天翁(あほうどり)」には、とても重要なメッセージが隠されていると感じております。

また長々と書いてしました。

信天翁様のますますのご活躍をお祈りしております。

再拝

善き人生の創造 (250)
日時:2016年01月23日 (土) 00時20分
名前:信天翁

早速、「善き人生の創造」225ページを読んでみました。

やはり、道を求め、道を行ずれば、健康も事業もおのずと繁栄してくる、という意味でした。

昔、馬車のたとえを書かれた方は、数値目標が優先してはならない、という意味でお使いだったように記憶しておりましたが、小生の勘違いだったのかも知れません。


なお、上記の少し前のページに、次のようなお言葉が書かれていました。(一部仮名遣い等を変えております。)

「もっとも善人と云うものは、心がとらわれやすくて、人と衝突しやすく、そして自分が善だと思っていることに窮屈に凝り固まって、自由というものを失ってものですから、そういうことが病気の原因だったろうと思うのです。・・・」

なるほど、思い当たる所があります。(反省)

初めて読みましたが、とても素晴らしい本でした。(感謝合掌)

「生長の家 出現の精神」の出典の方は、一度削除しましたが、 再掲させて頂くことに致しました。 (254)
日時:2016年01月23日 (土) 11時26分
名前:志恩

生長の家の皆様へ

「生長の家出現の精神」は、生長の家誌 の 創刊号(単行本)に載っています。
アマゾンコムで、送料込みで、309円で 購入できます。

(日本教文社からでも 購入できます)

谷口雅春先生著

『生長の家創刊号 復刻版』

昭和5年3月1日に発行された「生長の家」誌 創刊号の復刻版。

「自分はいま生長の火をかざして人類の前に起つ」で始まる「生長の家出現の精神とその事業」をはじめ、
生活法、教育法、心の法則など紹介、生長の家出現の原点としての価値ある冊子。

【目次より】
生長の家の精神とその事業
生長の家の使命及び読み方
生長の家の生き方
生命の法則による天才養成法
最近精神分析による心の研究
マーデン博士の積極的健康法
デンマルク戯曲家の心霊現象

【著者紹介】 谷口雅春(たにぐち・まさはる)(先生)
「生長の家」創始者。明治26年11月22日、神戸市に生まれる。
大正3年早稲田大学英文科中退、求道生活に入る。やがて「人間・神の子」善一元の世界、 万教帰一の啓示を受け、
この真理を万人に伝えたいとの悲願の下に個人雑誌『生長の家』 を昭和5年3月創刊。以後、同誌の普及と共に、
教化団体「生長の家」を経て、宗教法人 「生長の家」へと発展。昭和5年以降一貫して「生長の家」の教えを全世界に宣布する。
昭和60年6月17日、満91歳にてご昇天。
▽四六判・並製
80頁
日本教文社刊
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(ネットより)

 神誌『生長の家』創刊号の「生長の家出現の精神」が「人類光明化運動」であって、
人類一人一人の實相顕現運動であり、
今ひとつは「天皇国・日本の實相顕現運動」であります。

個人の成仏(實相顕現)と
国家の成仏(實相顕現)、

この二つが開祖・谷口雅春先生の「生長の家」地上出現の使命たる 時代を超越して進められるべき
二大運動であります。

ここのところを、われわれ信徒たちは正確に理解して置かなければならないのであります。

「天皇国・日本の實相顕現運動」については、立教後、あまり時を経ずして、
開祖・谷口雅春先生が「古事記」講義を 始められたことからして明らかであります。

『古事記と現代の予言』P.106には、
「・・・生命の實相は 三つある、その桃の実の一つは

「日本天皇の生命の實相」、

もう一つは
「日本國の生命の實相」、

それからさらにもう一つは
「人間の生命の實相」であります。と書かれています。

「霊界物語」より (258)
日時:2016年01月23日 (土) 16時45分
名前:信天翁

亀の子 様

自分のハンドルネームに関することなので、出口王仁三郎の「霊界物語」第13巻「如意宝珠」第5編「信天翁(三)」を読んでみました。

最近、文庫本で復刊されているのを書店で見かけましたが、ネットでも読むことができました。

「霊界物語ネット」
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm139901

他の章は、大正11年頃に記録されているのに、最後の「信天翁(三)」は、「昭和10年3月30日王仁校正」と書かれていますので、後にご本人が校正されているようです。
また、「この歌を各自の事に誤解して罪を重ぬる曲人(まがびと)もあり」というコメントが付されていますので、組織の内部で何か問題があったのかも知れません。

内容については、なんとも言えませんが、随所に出てくる七五調の歌がとても素晴らしかったです。
いずれ全編をじっくりと読んでみたいと思いました。
小生は、出口王仁三郎師については、人間的なスケールの大きさと、芸術家としての才能に惹かれただけで、教義的にはあまり関心はありませんでした。「鎮魂帰神」という行には少し興味がありましたが。

「神がおもてに現はれて
 善神邪神を立別(たてわ)ける
 この世を造くりし神直日(かむなおひ)
 心も広き大直日(おおなおひ)
 ただ何事も人の世は
 直日に見直せ聞き直せ・・・」

亀の子様、今回は、本当にありがとうございました。

それにしても、皆様博識なのに感心します。


ちなみに、小生が「信天翁」と名乗った理由は、「信天翁(あほうどり)」が、鳥の中で唯一助走しなければ飛び立てない間抜けな鳥であるということが、長い期間、人生の助走ばかりしている自分の姿とダブったためでした。

志恩 様、信天翁 様へ (259)
日時:2016年01月23日 (土) 21時17分
名前:亀の子

合掌

志恩 様、

『生長の家創刊号 復刻版』のご紹介、ありがとうございます。

何と言っても『生長の家創刊号』は、生長の家の原点であり、生長の家人類光明化運動の出発点であります。常に初心に返って拝読、心読、行読したいと存じます。


信天翁 様がご紹介してくださいました「生長の家」出現の精神(朗読版)も併せて聴かせていただくとより一層、心に刻まれます。


信天翁 様、

『霊界物語』第十三巻の「信天翁」を読まれたのですね。

実際に即、行動に移された信天翁様は、やはり素晴らしいと存じます。

私は、別に大本(教)の信者という訳ではありませんが、私は自分がとことん興味を持ったら、その方の辿られた道を追体験したいという願望が強いためできる限り、関連する著書、同じ場所に立って観ておられたであろう原風景を追体験することに関心があります。

著書は、インターネットの普及で手に入り易くなりましたが、京都市内や大阪、神田の古本街を逍遙しました。

特に「生長の家」が現界に出現する前に谷口雅春先生が歩んでこられた道を知りたくて、大本(教)時代の先生の書かれた御文章や著書や「生長の家」立教以前の書 物も金銭の許す限り蒐集しております。


「信天翁(三)」は、出口王仁三郎師自身が自分は偽物であること書いている不思議な預言に満ちた言葉で書かれています。

「変性男子(へんじょうなんし)」「変性女子(へんじょうにょし)」という表現は、大本の独特の概念です(仏教の「変成男子」とは概念が違います)が、大本では、出口直(なお)開祖が肉体は女ですが、霊魂は男であるとされ「変性男子」。出口王仁三郎が肉体は男ですが、霊魂は女であるとして「変性女子(へんじょうにょし)」言われていますが、出口王仁三郎自身が自分はニセモノであると書いてあるのが「信天翁(三)」で、「誠の女子が現れること」「みのか尾張の国の中」から現れることが書かれています。

表面だけで 読むと、誠(本当)の女子(変性女子の概念から言えば男性となります)が、「美濃(岐阜県)か尾張(愛知県)」からとなりますが、言霊で解釈すれば、

「みのおわり」→「身の終わり」→「肉体なし、現象なし」の国から現れる。

となります。ここまで書けば、私の言いたいことが判ると思います。


これ以上、深入りすることは、この掲示板自体の趣旨から外れますので避けます。


以上は、私なりの勝手な世迷い事ですので、捕らわれないようにして下さい。


私のハンドルネーム「亀の子」は、以前かきましたが、入信して間もない頃、先輩から「人間・神の子」の教えを伝えられた時、「私が、神の子などと畏れ多い。歩みの鈍い「亀の子」で充分です」というところから来てお ります。


まさか、これほど注目され有意義な意見交換、貴重な情報をお寄せ頂くことになろうとは思っていませんでしたが、私自身、大変、勉強になりうれしく思います。

これからも何卒、よろしくお願いいたします。

感謝 禮拜


霊界物語ネット (261)
日時:2016年01月23日 (土) 23時45分
名前:信天翁

亀の子 様

本来、この掲示板には直接関係のない「霊界物語ネット」を紹介した趣旨は、とても素晴らしいサイトだと思ったからです。
谷口雅春先生の膨大なご著書も、いずれ、このような形で公開されればいいな、と思いました。ふりがなまで、正確に付されています。

なお、小生も、信天翁(3)で、「いま大本(おほもと)にあらはれた変性女子(へんじやうによし)は似而非(にせもの)だ」という言葉には、「あれ?」と思いました。自分を否定する言葉ですから。でも、預言能力については、ものすごい方でしたから、長い歴史のスパンでは、何かの意味がある言葉なのかも知れません。


この度は、貴重な情報をお教え頂き、本当に有り難うございました。

「信天翁」は、将来的にも使用する予定ですから、本当に助かりました。




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