| “「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず” (2994) |
- 日時:2016年07月23日 (土) 18時31分
名前:破邪顕正
表題は、『生命の實相』第13巻「倫理篇上」にあるお言葉です。
そこのところを引いておきます。
《キリストを肉体イエスにのみ見いだして、「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在るなり」とイエス自身いわれた「永遠の神性」を見ることができず、「肉体イエス」を通さなければ人間は救われないなどと、「肉体」をもって「神性」に代え、「迷い」をもって「実相」に代えているキリスト教徒のいかに多いことでありましょうぞ。…
キリストでもこれを肉体イエスという「物質的形体」に見いださず、「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在り」といわれた「永遠神性」にこれを見いだし、仏でもこれを肉体釈迦に見いださず、「過去の諸仏は皆わが弟子なり」と阿難に答えた「久遠の釈迦」に見いだし、「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず「すべての教えわれに流れ入りて生命を得ん」と示された「久遠実在の生長の家」に見いだすとき、すべての教えは、ここからあすこまでは自分の領分だなどという縄張り争いをする必要がなくなるのであります。》(81~83頁)
これを引いたのは他でもありません。
「谷口雅春先生のお孫様だから、間違うはずがない。」
この“お孫様信仰”に注意を喚起するためであります。
そもそも、〝背教総裁〟は盛んに「谷口雅春先生も間違われたのです!」ということを谷口恵美子先生の最初のご結婚の失敗を引いてはそれを強調しているわけです。
普通ならば、谷口雅春先生も間違われたならば、当然、3代目だって大いに間違いを犯す筈だとならなければオカシイのです。
ところが、どういうわけか、信徒さんの中には、先述したように、「谷口雅春先生のお孫様だから、間違うはずがない」という、それこそ“偶像崇拝”の信仰に生きているわけです。
結局、これは、表題に掲げたとおり、“肉体谷口の家に”すがりつこうという“「迷い」をもって「実相」に代えている”からではないのかと私には思えてならないのです。
〝背教夫妻〟が教団のすべてを支配するに到った今こそ、生長の家においても、新たな“信仰革命”を起こさなくてはならいと強く強く思うものであります。
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