《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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「生長の家」と書いて〝お孫様の家〟と読むようです?!しかし、それだけではもはやもたないところまで“SNI教団”はきている! (2922)
日時:2016年07月20日 (水) 08時43分
名前:破邪顕正


表題は、「トキ」さんの以下の投稿を読んでの感想です。


>3812 : トキ 2016/07/19(火)

これは私の教区だけの話かもしれませんが、総じて、高齢の方は、意外にも雅宣先生を支持する人が多いです。

理由は、「谷口雅春先生の孫だから、間違うはずがない。」というものです。

若い人や頭の柔軟な人は、「雅宣さんの言っていることは、谷口雅春先生の教えとはかけ離れている。」

と言っています。これは、興味深い現象だと思います。<


これはどこの教区にも見られる傾向ではないでしょうか?

もっとヒドイところでは、「谷口家」をご皇室とをまるで同じように思っていて、〝背教総裁〟を批判しようものなら、「不敬罪だ!総裁先生にたてつくとは何事か」と叱り付けられることもままあるやに聞いております。

それを支えているのが、所謂、ドグマ化した「中心帰一」でありましょう。

そういう、いわば頭の固い〝雅宣原理主義者〟には、何を言っても無駄なのかもしれません。

しかし、決してそういう信徒ばかりではありません。

現に、一連の「通達」で、やっと「目が覚めた」という信徒が陸続と生まれているからです。

今は一見、鳴りを潜めているように見えても、だからと言って、私は決して悲観してはおりません。

今回のことは、間違いなく、ずっと尾を引くに相違ないと睨んでいるからです。

それだけの大事件なのです!

だって、〝背教総裁〟は、教え親とは真逆の路線を宣言したのですから!

だから、私は敢えて、これは生長の家教団の「共産党宣言」にも等しいとまで評したのです。

言うなれば、これは、〝背教総裁〟が教団に乗り込んできたからの30有余年の中での最大事件!

これで「退会」しないような信徒は、今後、何があろうとも退会しない、教団に残り続ける信徒であろうとすら私は思っています。

「退会」するなら、この機会を逃してはありえない!

私はそれぐらいの認識をもっています。

ですから、今は「退会」していないでも、何かのきっかけさえあれば「退会」へと踏み切る信徒は潜在的にはまだまだいると踏んでいます。

その意味では、珍しく「トキ」さんと同じ認識を持っているということがわかりました。


>3814 : トキ 2016/07/19(火)

今回の本部通達は、さすがに「ポイント オブ ノー リターン」という事案です。

教団内部の云々というよりも、もはや教団の崩壊を前提にして、どういう対応をするかという方針に変換する時点になりました。

具体的には、大量の退会者が今後、出るのは確実ですから、こういう方々について教団や本流復活派とは独立した形で、生長の家の勉強会をする、という動きが各地で水面下で出ていると聞いています。

総裁に忠誠を尽くすという人は、全体の1割もいませんし、また、そういう人はどちらかというと、それほど優秀な人材は少ないですから(失礼)、総裁の方針ではいずれは行き詰まりは確実だと思います。<


長年、教団の中にいての「トキ」さんの言ですので、これは私なりに重要視しています。

実際、有り難いことに「谷口雅春先生を学ぶ会」への入会者が今、激増していると言われます。

〝背教総裁〟のおかげで、「谷口雅春先生を学ぶ会」の存在を信徒が知るようになり、信徒の関心がこれまでにないほど高まってきています。

それと同時に、“SNI教団”の受け皿としての「谷口雅春先生を学ぶ会」の存在感がますます高まってきています。

何より嬉しいことであります。

いよいよ、ここからが正念場です。

谷口雅春先生の教えに帰ろう!

この声を全国津々浦々に轟かせていきたいと決意しております。


“「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず” (2994)
日時:2016年07月23日 (土) 18時31分
名前:破邪顕正


表題は、『生命の實相』第13巻「倫理篇上」にあるお言葉です。

そこのところを引いておきます。

《キリストを肉体イエスにのみ見いだして、「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在るなり」とイエス自身いわれた「永遠の神性」を見ることができず、「肉体イエス」を通さなければ人間は救われないなどと、「肉体」をもって「神性」に代え、「迷い」をもって「実相」に代えているキリスト教徒のいかに多いことでありましょうぞ。…

キリストでもこれを肉体イエスという「物質的形体」に見いださず、「アブラハムの生まれぬ前よりわれは在り」といわれた「永遠神性」にこれを見いだし、仏でもこれを肉体釈迦に見いださず、「過去の諸仏は皆わが弟子なり」と阿難に答えた「久遠の釈迦」に見いだし、「生長の家」でもこれを肉体谷口の家に見いださず「すべての教えわれに流れ入りて生命を得ん」と示された「久遠実在の生長の家」に見いだすとき、すべての教えは、ここからあすこまでは自分の領分だなどという縄張り争いをする必要がなくなるのであります。》(81~83頁)


これを引いたのは他でもありません。

「谷口雅春先生のお孫様だから、間違うはずがない。」

この“お孫様信仰”に注意を喚起するためであります。

そもそも、〝背教総裁〟は盛んに「谷口雅春先生も間違われたのです!」ということを谷口恵美子先生の最初のご結婚の失敗を引いてはそれを強調しているわけです。

普通ならば、谷口雅春先生も間違われたならば、当然、3代目だって大いに間違いを犯す筈だとならなければオカシイのです。

ところが、どういうわけか、信徒さんの中には、先述したように、「谷口雅春先生のお孫様だから、間違うはずがない」という、それこそ“偶像崇拝”の信仰に生きているわけです。

結局、これは、表題に掲げたとおり、“肉体谷口の家に”すがりつこうという“「迷い」をもって「実相」に代えている”からではないのかと私には思えてならないのです。

〝背教夫妻〟が教団のすべてを支配するに到った今こそ、生長の家においても、新たな“信仰革命”を起こさなくてはならいと強く強く思うものであります。





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