《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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谷口雅春先生に帰りましょう・伝統板・第二
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「日本の皇室でも、韓国から招いた」の元文章 (212)
日時:2016年01月20日 (水) 10時00分
名前:亀の子


合掌

こちらの掲示板には初めて投稿させていただきます。本流系の掲示板には、久しぶりに投稿させていただきます。また旧名の「亀の子」で投稿させていただきます。

「生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)」に於いて、

「雅宣先生の否定はいかがなものか?」というスレッドで、活発な討論がなされておりますが、トキ様の投稿に見落としか、事実誤認と思われる箇所がありましたので、投稿させていただきます。

本来なら、そちらの掲示板、もしくは、こちらの「「日本の皇室は朝鮮から渡来した」???」に投稿すべきものですが、最近の投稿が本来のスレッドの本旨から外れてきていると思われるため、新たにスレッドを立てさせていただきます。


さて、問題のトキ様の投稿ですが、

>破邪顕正様 (76)
日時:2016年01月15日 (金) 12時28分
名前:トキ

 コメント、ありがとうございます。
 少し追加すると、皇室が半島から来た、という発言は、相愛会 栄える会全国幹部研鑽会でのご発言でした。その後拝見した機関誌にはこの部分は掲載されていませんが、聞いた人は多数おられると思います。<

ここには、

「その後拝見した機関誌にはこの部分は掲載されていませんが」とトキ様は書かれておりますが、

平成二十六年(2014)7月号の機関誌「生長の家」の25頁の6行目から、

「日韓中の国民は、もともと同じモンゴロイドで共通している部分が大いにあるのだけれども、それに注目する人は多くない。だいたい日本の皇室でも、韓国から招いた時期もあるのですが、そんなことは、忘れてしまっている人が多いのは残念です。」

とちゃんと書かれております。

これは、第6回相愛会・栄える会、第6回白鳩会の幹部研鑽会、第66回青年会全国大会の3つの講話をまとめたものなので、実際に研鑽会で話された言葉とは違うと思われる。

しかし、

「日本の皇室でも、韓国から招いた時期もある」

と機関誌に発表しているので、これが公式な発表とみていいと思う。

この「日本の皇室でも、韓国から招いた時期もある」発表は、2通りの解釈が出来ると思う。

一つは、もともと日本には、ご皇室があったが韓国から招いた方もあった。

もう一つは日本には、ご皇室が無かったが、韓国から招いたて日本の皇室となったという解釈も出来る。


いずれにしても、一般の人でも公けの場では「ご皇室」と言うが、生長の家の総裁が単に「皇室」と言い、しかも朝鮮半島ではなく「韓国から招いた」などと事実誤認を言う自体恥ずべきことである。

そもそも韓国(大韓民国)の建国は、

朝鮮→大韓帝国→併合時代→大韓民国(韓国)という流れで建国されているが、建国年は、1948年である。

>1948年 米ソ両国が、南北にそれぞれ自国の傀儡政権を立てる(8月15日に南側で「大韓民国」(以下、韓国)、9月9日に北側で「朝鮮民主主義人民共和国」(以下、北朝鮮)が樹立宣言。(wikipediaより)<


建国してから70年にもならない韓国からご皇室が誰が来たという事実があるのなら日本人全体が驚くであろうが、人の好い生長の家の人は、韓国ではなく、朝鮮半島の百済から 王妃を招いたという説のことを言われているのだろうと解釈してくれるだろうが、生長の家の総裁の発言としては、あまりにもお粗末である。それとも、余程、「韓国」にご執心なのであろうか?それは、通常「日中韓」という所「日韓中の国民」などと言われているが・・・?

(百済から招いたという説も多いに考証の必要がある)


皆様の参考になればと思い投稿します。

再拝


「亀の子」さんへ (214)
日時:2016年01月20日 (水) 10時41分
名前:破邪顕正


貴重な投稿、誠にありがとうございました。

こういうことは、出典が何よりモノをいいますから、よくぞご紹介くださいました。

心より感謝御礼を申し上げます。

この事実は、きちんと「30年史」にも追記したいと思っています。

それほどまでに、これはとても重要なことであると私は認識しております。

重ねて感謝申し上げる次第です。


すばらしい情報量ですね。 (216)
日時:2016年01月20日 (水) 12時07分
名前:亀の子ファン

亀の子さん。

久しぶりにお名前を見てうれしいです。

亀さんの投稿がないと、どうもさみしくていけません。

それにしても、あいかわらずすごい蓄積ですな。部屋の中は昔の神誌・機関紙であふれているのでしょう。

平成二十六年(2014)7月号の機関誌「生長の家」の25頁を教えてくださらなかったら、だれも知らずに終わってしまったでしょう。

できたら、該当部分をデジカメや携帯で(あるいは若者のようにスマホをご利用?)で写真をとって、それをアップして下さると皆が喜ぶと思います。

一つご配慮を。





写真は後ほど掲載します (217)
日時:2016年01月20日 (水) 18時06分
名前:亀の子


破邪顕正 様

亀の子ファン 様

拙稿をお読みいただき、嬉しく思います。久しぶりの投稿に送り仮名等の間違いがありましたが、本旨は、間違いありません。

歳を重ねると肝心な部分は鮮明に思い出すということが実感出来るようになって来ました。

以前も書かせていただきましたが、私は組織に属する人間ではありませんが、組織の人とも、また本流の人とも繋がりがありますので、各誌を読ませてもらっています。

一旦、「光明遍照」というハンドルネームに変更しましたが、中々、名前通りになれそうもないので、今後は、長年使ってきた「亀の子」で投稿させていただきます。

写真の方は、後ほど掲載させていただきます。

よろしくお願いします。

合掌


問題の部分の写真 (220)
日時:2016年01月20日 (水) 22時08分
名前:亀の子


問題の部分の写真をアップします。

総裁には天皇信仰はない (256)
日時:2016年01月23日 (土) 12時45分
名前:亀の子


合掌

山ちゃん1952様が御自身のブログで「総裁には天皇信仰はない」として、

私の、

>(百済から招いたという説も多いに考証の必要がある)

という事に関して詳しく紹介してくださいました。


山ちゃん1952様が、

>確かに総裁として恥ずべき発言ですが、そのまま間違いを掲載するのもおかしい。

と言われており、全く同感です。過去にも建国記念の日祝賀式の言葉でも「天孫降臨」の部分を2年に渡って間違えて発言し、機関誌にもその間違いをそのまま掲載してある。


以下は、平成23年・24年の原宿旧本部ホールでの建国記念の日祝賀式の言葉、


>神武天皇は宮崎県の日向あたりに降臨されて、・・・(平成23年5月号掲載)

>国家統一の使命をもって宮崎県あたりに天降った神武天皇が、・・・(平成24年5月号掲載)


そして2ヶ月後の7 月号の最後の方には、出版・広報部名で「天降ったニニギノミコト」と〈おわびと訂正〉。


これでは、、「文章作成」→「推敲」→「校正」という編集段階の機能が働いていないと言わざるを得ない。


総裁の間違いの発言を、「推敲」することもなくそのまま掲載する--教団の機能低下も極れりというところだろうか。


そして一番の問題は、山ちゃん1952様の言われるように「総裁には天皇信仰はない」ということであります。


再拝


使い分けの信仰 (266)
日時:2016年01月24日 (日) 10時14分
名前:山ちゃん1952

亀の子様
いつもありがとうございます。

今回の発言について、総裁という地位であるとしても日本の歴史を一顧だにしないことに問題の原点があります。

私は地域が関西ということで古い歴史を身近に感じています。その土地と風土、歴史というのが綿々と受け継がれその血肉となるのですが、それを断絶されて他の間違った思想というのが混入されてしまうとその間違った思想が正しいと思ってしまう。

生長の家の歴史でそれが教えられない、「生長の家」の歴史を断絶、「愛国書」を絶版してしまう。そうした歴史の封印を行った総裁は自分が正しいという思いと中心帰一という勘違いが絶対君主のような錯覚に総裁自身が自ら貶めるような結果になったのが現在の状況です。

だから間違い発言も平気でするのです。
そんな馬鹿なという思いがあるでしょうが・・・
たとえば日本人は自分の仏壇にも御神符を捧げてお祈り致します。
それが「天照大御神」「住吉大神」の御神符を掲げて日本の平和、家族繁栄を祈願するのです。

雅春先生が住吉大神の御神霊を賜り「生長の家」を創始されたのです。その本源である。教義の御祭神であるべき神様の「住吉大神」を蔑ろにしても平気なのです。それが間違いであっても平気なのです。

そうした感覚は私はどうしても受け入れられない。
しかし、都合のよい言葉だけはちゃんと持っているために、今の信徒にはわからないで眞實を封印しているように思います。

戦後GHQは検閲を日本人自らでその作業を携わせて行っていることが文献に記載されています。絶版という名前を使用しないで、検閲という名前で焚書された歴史を日本人は持っています。
そういうことを長い年月をかけて生長の家総裁は信徒に総裁のドグマを注入しています。

私は使い分け信仰で「雅春先生」の歴史を曇らせていることに懸念するとともにこうしたインタ-ネットで明るみにする必要性を感じています。
あるときは雅春先生はこのように言っていると「創刊号」の一部を引用して「立教精神に帰ろう」「日時計主義」とか言っていますが、それは一部なのです。

全体像を把握しないとそれは浮かび上がらない。

反論する人がいるのはわかりますが、それならば何故「生長の家五拾年史」を復刊しないかわかりますか?
それを知られたら困るからです。
「愛国書」を復刊したくないのは、そういう思想を「悪」だと思い込んでいるだけなのです。

『生命の實相』も絶版にされることも流れとしてありましたのを未然に防いだのが「生長の家社会事業団」です。
そういう本当の歴史を教えることが今必要とされています。

山ちゃん1952様へ (267)
日時:2016年01月24日 (日) 18時45分
名前:亀の子


合掌、ありがとうございます。

ご無沙汰しております。
いつもブログの方を読ませていただいております。


先ほど谷口貴康先生の「田舎もんのブログ」の「原点回帰」を読ませていただきました。

「生長の家五拾年史」の事が書かれております。

私が組織活動していた頃、「生長の家五拾年史」の拝読誌友会を提案しまし、誌友会長の賛同も得ましたが、その後、何故か立ち消えとなりました。


先日、田中忠雄先生の本を繙いていましたら、法燈継承の「継承」ということについて、

「継承」とは、「歴史」を語り継いで行くことである。

と書かれておりました。


今後、如何に若い世代に歴史を語り継いで行くか?ということが、喫緊の課題です。

また、

>全体像を把握しないとそれは浮かび上がらない。

おっしゃる通りです。

一部のみを見て、谷口雅春先生と同じ事を説かれていると思っている人も多いようです。

もっと大局的な観方、所謂、大局観が必要だと痛感します。

岡先生にも少しは期待があったのですが、まだ和解を言っておられる時点で、現状認識の甘さを感ぜずには、おれません。

岡先生の事は、また別の機会に譲りたいと思いますが、余りにも正直なのも考えものです。


五拾年史以降の年史は、自らで作って行くしかないと考えています。

これからも、よろしくお願い申し上げます。

感謝 禮拝


歴史の断絶 (268)
日時:2016年01月24日 (日) 20時49分
名前:山ちゃん1952

>五拾年史以降の年史は、自らで作って行くしかないと考えています。<

そこなんです。
たとえば総裁が「今の教え」とおしゃられているが「今の教え」とは何?

※総本山で執り行われた「立教記念式典」において「実相額」が覆い隠される
※「神武天皇陵遥拝式」後の「大日本神国観」が「基本的神想観」に変更
※「天之御中主神」「高御産巣日神」「神産巣日神」の祭神の追加
※聖経読誦〟が外される
※SNI自転車部

上記が果たして「今の教え」なんでしょうか

最後の自転車部など宗教が行う行事ではありません。
全部「国家」を省いて、自然環境などを付記しているだけに過ぎない。

たとえば「今の教え」を受け入れても「今の教え」は教勢発展には全く繋がらないということなんです。
そんな発展しない事は「今の教え」という現在風に言っているように解釈する人がいるかもしれませんが、それは何も繋がっていないのは歴然とした事実です。

それならば「今の教え」というのは雅宣総裁にとって都合のいい方向に変えるのが「今の教え」だということになるのです。

「久遠の今」ということを谷口雅春先生に教えられています。久遠の今というのは悠久の今のことなんです。眞理は絶対です。それは昔の言葉だからというのは全く関係のないことなんです。「今の教え」ではなく「久遠の今」の教えこそ生長の家信徒が探求しなければならないことではないかと思うのです。

さて話は変わりますが戦後と戦前でまるで、歴史学の転換と共に、評価がまるで変わってしまった人物もいる。 それは楠正成なんです。
死後の楠木正成

1559年(永禄2年)、正成の子孫と称した楠木正虎によって朝敵の赦免を嘆願され、正親町天皇の勅免を受け朝敵でなくなり、また江戸時代には水戸学の尊皇の史家によって、忠臣として美談化されはじめる。江戸時代後期には尊皇家によって頻繁に祭祀されるようになり、その動きはやがてのちの湊川神社の創建に結実し、他方で靖国神社などの招魂社成立に大きな影響を与えることとなる。明治になり南北朝正閏論を経て南朝が正統であるとされると大楠公と呼ばれ、講談などでは『三国志演義』の諸葛孔明の天才軍師的イメージを重ねて語られ、修身教育でも祀られる。戦後は価値観の転換と歴史学における中世史の研究が進むと悪党としての性格が強調されるようになり、吉川英治は『私本太平記』の中で戦前までのイメージとは異なる正成像を描いている。

今は楠正成像は教科書では「悪党」として捉えている。

戦後の歴史学では、戦前の英雄崇拝、道徳の権化のような人物のエピソードを交えた思想教育的な部分は、前体制への批判から削除されていったせいもある。

戦後歴史学は、マルクスなどの影響をうけた事から歴史教科書は、「唯物史観」により経済中心の事実を中心として歴史を解釈したり、奈良の大仏建造のくだりに「人民を酷使して作られたことを忘れてはならない」といった話がつくようになり、「英雄崇拝」や「道徳的人物の賞賛」は消え去り、人民主体の歴史が賞賛される向きも見られた。


こうしたことは雅宣総裁と創始者谷口雅春先生との隔絶した考えがそこにあります。それを法燈継承と果たしていえるかどうか甚だ疑問です。唯神実相論と唯物思想の混在した谷口雅宣教というのが戦前と戦後の歴史的断絶と同じではないかと感じています。

そうした歴史の断絶というのが起こっていることを真摯に受け止めて、それにそのように対峙していくかは個人が勉強して考慮して考えるしかない。
亀の子様が言われた

>しかし現教団の状況を鑑みて、歴史は自ら創るものであることを各人が認識することです。<



「 歴史を研究する目的」 (270)
日時:2016年01月25日 (月) 00時43分
名前:亀の子


合掌

山ちゃん1952様、ありがとうございます。

今日は所用にて外出しておりました。帰宅して早速『驀進日本の心と力』の「日本國の世界的使命」の中の御文章「歴史を研究する目的」の謹写に取り掛かりました。

どなたが既に謹写されていると思いますが、今回は、自分で経験してみました。

少し長いですが、皆様のお役に立てればと思います。

出来る限り、正漢字、歴史的仮名遣いにしましたが、誤字、脱字があるかもしれません。

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「 歴史を研究する目的」

そこで歴史と云ふものは何であるか、何のために研究するかを申上げたいのであります。歴史といふものは一體何であるかといひますと、現象界に實相が如何に投影し表現されて來るかといふことの、その現れ方、即ち實相が現れる場合の作用、反作用といふ風なものを時代を追うて並べて行くことによって、その民族に如何様に實相が現れ、實相が現れんとするに當って如何に反作用を起し、自壊作用を起したかを知り、それをずっと時間的に貫いて觀てそこに實相が如何なる相を以て現れるかといふことを知ることによって、大宇宙に於ける日本國の位置及びその將來性を知り、現在自分が國家構成の一員として及び個人として如何に生きて行くべきものであるか、將來この世界は 如何に發展して行くべきものであるかといふことをはっきりさせるためのものが歴史の研究であります。ですから、歴史といふものは單に過去の記錄を書いたといふ風なものではないのであって、生命の生々流動の流れの相、實相が現象界に貫いて響き出る時のその儘の相が書いてあるのであります。その相を見ることは自分自身の生命の相を見ることであり、宇宙の相を見ることであり、宇宙が、自分が、今如何に生き抜いて、今後、如何に發展すべきであるかといふことを知ることであります。ですから、この『古事記』を研究致しますのも單に過去にかういふことがあったといふことであるとか、或は日本の古くからの言博へがかうであるとか、神話やお伽噺がかうであるとか、さういふ死んだやうな動 かない過去の記述や、人の創作した物語を讀むやうなつもりで讀んで頂いては間違で、實相が迷を通して輝き出るときの波動紋理と云ふものを掴み出さなければならない。換言すれば、吾々日本人が如何に實相を生き、如何に自壊作用と戦うて来たか、といふことの記錄が、この『古事記』に現れてゐるのであります。
(『驀進日本の心と力』新日本體制版 第三篇 「日本國の世界的使命」より)

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『驀進日本の心と力』昭和15年9月20日発行

お持ちで無い方は、『古事記と日本国の世界的使命』、『限りなく日本を愛す』をご参照ください。


上記の御文章の中で、

「宇宙が、自分が、今如何に生き抜いて、今後、如何に發展すべきであるかといふこと」


「吾々日本人が如何に實相を生き、如何に自壊作用と戦うて来たか」

というところが、重要だと思います。

ご参考まで。

再拝





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