「谷口雅春先生を見ている、谷口雅春先生も見ている」 (2664) |
- 日時:2016年07月07日 (木) 16時02分
名前:破邪顕正
「谷口雅春先生を学ぶ会」の中心生命は、河井寛次郎の言葉を借りれば、この表題の言葉に尽きるように思います。
『白鳩』誌・昭和40年8月号所収の「十日の箴言 情熱と行動の必要」に、このようなご文章があります。
《どんな立派な邸宅に、その人が住んでいようとも毎日その美しい邸(やしき)の床の間に坐らされていたならば、飽きて来て、その邸宅から出て何処かへ行きたくなるに違いないのである。…
生長の家がどんな立派な宗教であっても、ただ坐って聖典聖経を読誦し、神想観を修して瞑想しておれというだけだったら、飽きて来て生長の家を出て、もっと低級な宗教であっても行動的な団体運動をしている宗教に参加したくなるかも知れないのである。…
その宗教が行動化して伝道や、救済事業や、政界の浄化などの問題などに具体的に動き出して来たとき、宗教の静的修養が動的救済運動に変って、そこに休眠火山が活火山になるように、活気と情熱とが湧いて来るのである。
情熱のない宗教は活きた宗教ではないのである。多くの既成宗教が眠ったようになっているのは伝道と救済の情熱と行動とを失っているからなのである。》
信仰には、やはり、情熱と行動とが伴わないといけないのですね。
このお言葉を肝に銘じて大いに精進していきたいと思います。
|
|