| 雅宣総裁は、確信犯。おとぼけも、いい加減にして欲しいです。 (2094) |
- 日時:2016年06月16日 (木) 16時37分
名前:あめのうずめ
>最近、生長の家の信仰者ではない一人の著述家が、独自の調査によって、これらを解明する本を出版した。<とは、実に白々しいと思いました。
まるで、中立の人間が、客観的に書いたかのような紹介のしかたに、憤りを覚えます。
一般人の調査では知りえないような、教団の内部資料が流出しているのが事実であるならば、
当然、教団側から、「谷口雅春先生は、ウルトラナショナリスト」とか「原理主義者」とか「安東黒幕説」とか、そのような言葉を盛り込んで、本を書くように指示が出ていた筈です。
菅野完氏の擁護をするつもりはありませんが、彼はビジネスとして、この仕事を請け負っただけであって、
とんだ憎まれ役を、演じているようにも見えます。
私が、ずっと引っかかっていたのは、“谷口雅宣総裁、ぜひ、この「手紙」をお読みください。 (1665)”スレッドのなかにある、読者様がコピーして下さった、菅野完氏のツイートです。
>つーか、雅宣さんが僕の本を生長の家の講演会で読んだってのは、正直言って「ありがた迷惑」でもある。
どなたかの講演会で拙著を読んでもらえるのは(どなたであれ)嬉しい。しかし、雅宣さんが僕の本に言及するってのは、複雑だ。<
自分の著作が沢山売れたら、嬉しいばかりのはずなのに、なぜ“複雑”と感じるのだろうと、ずっと考えていました。
菅野氏は、確かに下品キャラを演じてはいるけれども、“生命の實相”を読んだことがあって、安東巌先生の講演も3回聴いている人です。
だから、>雅宣さんが僕の本に言及するってのは、複雑だ。<という言葉の裏に、
自分は真実を書かなかったという、良心の疼きがあるのではないかと、哀しく思います。
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