《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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『谷口雅宣総裁の“ウソ”の研究』 (2078)
日時:2016年06月15日 (水) 18時43分
名前:破邪顕正


表題は、以下の投稿を読んでの実感です。

>最近八ヶ岳内部で流れている噂 (13342)
日時:2016年06月14日 (火) 23時50分
名前:本部周辺で流れている噂

私も今年中に退職します。

おそらく10人近くの本部職員が退職するやに聞いています。

私の事も特定できないでしょうから、退職前に今八ヶ岳でうわさになっている件を一つだけお教えします。

最近八ヶ岳内部で流れている噂

「日本会議の研究」には生長の家教団でなければ入手できない特別な情報が流出している。

1年では集めることが不可能である。

この事は本部の現役管理職の意見です。

という事は、部長級以上のリークがあった。

というよりも、総裁から「菅野完」に取材費が出ているのであろう。

そうでなければ「政治本」を「聖典」として「聖典普及協会」から出すはずがない。<

今、一つは「トキ」さんのこの投稿です。

>101 : トキ 2016/06/13(月) 10:57:13

私は「日本会議の研究」については一切関係なく、読んでもいないのですが、大阪の講習会で総裁がこの本に言及して、安東巌氏が日本会議の指導的な立場におられたと示唆されたみたいです。

私は安東巌氏とは面識がなく、彼を援護する立場でもないですが、(見方を変えたら、安東巌氏への賞賛にもなりうる話ですが)

「そんなことがあり得るのかしら?」

という疑問を持ちました。

と、いうのは、以前にも書いたことですが、安東巌氏は教団の組織指導をかなり情熱的な態度でされていたのは有名で、講習会の前などは数ヶ月前から教化部に泊まり込みで組織指導をしていたとも言われています。

これは、生長の家という組織内で、組織指導の経験のある人ならわかります(逆に言うと、組織指導の経験がないとわかりませんが)、生長の家の組織指導をしながら、他の運動の組織指導をすることは、ほぼ不可能と言えます。

いくら安東巌氏と言えども、スーパーマンのようなことはできないのではないか、と思います。

(略)

この点について、私なりに調べてみました。

私は現役の会員なので、日本会議側に取材するのは不可能なので、生長の家教団内部でいろいろと調べてみました。

その結果、安東巌氏は、日本会議の指導的な立場にあった、という点は、事実と異なる、という証言を得ることができました。

証言者の身元を守る為、氏名や所属などは一切秘匿しますが、信用できる人です。

少なくとも、教団内部の活動をする上では、日本会議の活動をしていた痕跡はなく、仮に彼が日本会議の活動をしていたとしても、完全にプライベートな時間を使っていたと言えます。

そういうプライベートな時間だけで、日本会議の指導的な立場で活動をするのは不可能かと感じます。

百歩譲って、仮にプライベートな時間でも、総裁の意向に反する活動をしていたのが問題だとしても、教団内部では、プライベートな時間に不祥事と言えることをしている人がいると聞いています。

先にそちらを処分するのが筋だし、さらには、総裁ともあろう方がパットマンの仮装をして自転車に乗るのも問題ということになりかねません。

ですから、私は、今回の安東巌氏に関連する総裁の発言は支持しません。<

以上の二つの投稿は、私がこれまで投稿してきたことを裏付けてくれるものとして、大変、有り難く読ませていただきました。

まず、前者について、つまり『日本会議の研究』のウラには谷口雅宣総裁がいる、との噂について、私はこう書いています。

>谷口雅宣総裁、ぜひ、この「手紙」をお読みください。 (1665)
日時:2016年05月30日 (月) 09時06分
名前:破邪顕正

(前略)

さて、谷口雅宣総裁、何でも、今、話題の『日本会議の研究』を紹介したようですね。

聞いていた人が、「あっ、これを読みなさい」ということかと思ったといいますから、谷口雅宣総裁は、著者の菅野氏を応援しているのだなと思ったことでした。

案外、ウラで、谷口雅宣総裁、菅野氏の今回の著作を支援していたのではありませんか。

だって、あんな内部資料、手に入るわけがありませんから…。

谷口雅宣総裁の肝いりで出来上がったのが『日本会議の研究』ではないのか、私などはそんな見立てまでしていたところ、わざわざ谷口雅宣総裁がこの本を宣伝していたと聞いて、「やっぱりな」と思ったことでした。<

今ひとつの投稿はこれです。

>谷口雅宣総裁は“左翼的本性”を露わにして賭けに出たのです! (1819)
日時:2016年06月07日 (火) 09時54分
名前:破邪顕正

(前略)

もっと深読みすれば、案外、その“真相”は、谷口雅宣総裁の肝いりで「反安東」オンパレードの「最終章」が書かれたのかもしれないわけです。

そのために、教団の内部資料を提供する便宜まではかったのではないのか、そう勘ぐられても致し方ないのです。

私の身の回りでは、『日本会議の研究』が「世界聖典普及協会」で取り扱われるという情報が入るや、間髪を入れず、異口同音に「やっぱりグルか」「出来レースか」という声が上がりましたよ…。

そういう声が上がるのが、普通の感覚というものです。<


続いて後者、即ち、安東巖先生が「日本会議」の“黒幕”であるはずがないことをこのように投稿しています。

>「山ちゃん1952」さんへ (1869)
日時:2016年06月09日 (木) 09時56分
名前:破邪顕正

(前略)

『日本会議の研究』の「ウソ」の一つは、まるで安東先生が、百万運動の成果をもって教団内でのし上がっていったかのように書いていることです。

その後の安東先生の履歴を見れば、そんなことは「ウソ」であること、一目瞭然です。

だって、安東先生は、青年局から政治局に移られ、生政連の解体後、徳島教区の教化部長として赴任されるのです。

もとより、理事でも何でもありません。

(略)

そして、ご存じのように、愛国の政治運動ができなくなった安東先生は、覚悟を定めて、教化部長としての使命に邁進せられます。

とりわけ、講習会の成果が顕著で、それを谷口清超先生が高く認められて理事に抜擢されるのです。

教化活動に専念していると認められたからこその抜擢であって、『日本会議の研究』の言うような“黒幕”として愛国運動に関わることなど出来ようはずがなかったのです。

安東先生の教化活動に対する真摯な姿勢を目の当たりにした人であれば、誰しもがそう証言するでしょう。

にもかかわらず、どうして、『日本会議の研究』は、“安東黒幕説”をブチあげたのでしょうか?

実は、この“安東黒幕説”は、それより以前に「谷口家」につながる人たちの中で言われていた言葉なのです。

その証言は、誰かとは申せませんが、名前を言えば、誰もが知っている方です。

「ウラには安東さんがいるんでしょう」

こういうことが、まことしやかに語られていたのです。

そういう空気が、ずっと、一貫してあったのです。

何を申し上げたいか。

菅野氏が“安東黒幕説”をブチあげたのは、自らの調査結果によって初めて生まれたものではないということです。

なぜ、谷口雅宣総裁が『日本会議の研究』に飛びついたのか。

それは、「谷口家」につながる人たちの中にあった、その空気を初めて明らかにしてくれた、という思いが谷口雅宣総裁の中にあったからこそだと私は見ています。

最後に、『日本会議の研究』の最大のミステークを申し上げておきましょう。

今、改憲運動を展開している諸団体、並びに個人は、それぞれの自らの力で今の地位を築いてきたのであって、それを余りにも過小評価しぎたということです。

安東先生がウラにいなければできなかったような描き方は、諸団体や個人を余りにも小馬鹿にしすぎているということです。

自らの人生、自らの力で切り開く!

そういう志、覚悟をもった人の生き方が見えない人が、陰謀説などにすぐ飛びつくのです。

サヨクという人の限界をそこにマザマザと見る思いがしております。<


長々と引用を紹介してきたのは他でもありません。

谷口雅宣総裁の「ウソ」を満天下に晒したいと思ったからです。

谷口雅宣総裁は、知っていて、「ウソ」をついています!

この箇所です。

>最近、生長の家の信仰者ではない一人の著述家が、独自の調査によって、これらを解明する本を出版した。

菅野完(すがの・たもつ)氏が書いた『日本会議の研究』(扶桑社新書)が、それである。

この本には、かつて生長の家の幹部活動をしていて、今は日本会議が進める政治運動の中枢にいる人が、何人も実名で出てくる。

私より年齢が高く、かつ当時の生長の家の運動に関わっていた人々にとっては“懐かしい”話も出てくるが、当時隠されていた“驚くべき”話もある。

とにかく、最初は門外漢であったはずの著者が、ここまでよく調べ、よく書いたと感心する。<

何が「ウソ」か。

菅野氏が「独自の調査によって」書いたというところです。

「独自」ではない、そのウラにはちゃんと協力者がいたのではありませんか?

谷口雅宣総裁、教団が資料を提供するという協力をしたでしょう?ということです。

更に、ユルセナイのは、谷口雅宣総裁は、この本の「ウソ」を知っていながら、それを推奨したというところです。

その箇所を引いておきます。

>第5弾は安東巖先生篇 (1491)
日時:2016年05月14日 (土) 10時57分
名前:破邪顕正

(前略)

土台が「ウソ」というのは、292頁にあるこの情報です。

《いまだに、椛島さん伊藤さん百地さん高橋さんは、毎月、安東巖さんの家でミーティングをしているはずです。少なくとも、元号が平成に変わる頃までは、毎月、安東さんの家に集まっていた。》

菅野氏にしてみれば、この情報こそが、〝安東黒幕説〟を裏付ける最有力情報だとみて飛びついたのでしょうが、これを書いたばかりに菅野氏は「ガセネタ」をつかまされたピエロの役回りを演じてしまいました。

結局、読んでいて感じたのは、この本の情報提供者のことごとくが「反安東」の私憤、私怨にからまれているということでありました。

(略)

この情報の「ウソ」は、安東巖先生の赴任先を見れば一目瞭然です。

「生政連」解散後、安東巖先生は徳島教区教化部長として赴任されます。

それは昭和59年のことです。

以降、岡山、神奈川、千葉教区と本部を退職されるまで教化部長として教化活動に専念されます。

「元号が平成に変わる頃まで」ということですが、当時は、安東先生は、徳島におられたのです。

ということは、毎月、徳島に集まっていたということでしょうか。

そんなわけがないのです。

これまた、結局、思い込みなのです。

そういう会合をもっていただろう、だから結束が揺るがなかった、そういう思い込みがあったからこそ、菅野氏はこれに飛びついたのです。

これほどの重要な情報であれば、「ウラ」をとるのが普通ではありませんか。

何でも、菅野氏は、安東先生の講演を3回も聴いているとのこと。

だったら、その場で、安東先生に直当たりして、この情報の真偽を確認するなど、いくらでもやろうと思えばできたはずです。

とりわけ、これを本にして公刊するというのであれば、それぐらいの努力はして当たり前ではありませんか。<


谷口雅宣総裁は、当然、このことは知っていた筈なのです。

かの「トキ」さんだって、ちょっと調べれば「ウソ」とわかることを、当の谷口雅宣総裁が知らなかったはずがないのです。

安東先生を本部から追い出し、追い出したのみならず、徳島教区で何をしているか、ずっと監視体制を布いていたのが谷口雅宣総裁なのですから!

谷口雅宣総裁は、それだけ、安東先生の動向にはずっと関心を払い続けていたのです。

谷口雅宣総裁は、端っから、「安東は“二股を掛ける”生き方をする」そう睨んでいたのです。

だから、何かにつけ、監視体制をしき、ことあらば糾問しようと待ち構えていました。

そういう監視体制の中にあって、安東先生は定年まで教化部長職を全うせられたのです。

もし、安東先生が、総裁の言うところの“二股を掛ける”生き方をされていたら、とうの昔に谷口雅宣総裁によって教団を追われていたでありましょう。

信徒による“内部告発”だって、充分にあり得たはずですから。

ですから、その監視体制の中にあって、安東先生が、定年までその職を全うせられたということこそ、“二股を掛ける”生き方をされなかった、その何よりの証左であると私は思うものであります。

安東先生は、教団を定年退職され、今は、生長の家の真理を説く講演や執筆をされているだけです。

その安東先生のことを、ここまで貶めるような本を、生長の家総裁ともあろう人が、講習会という場や自らのブログ、その上、教団の通達まで使って推奨するとは、もはや常軌を逸しています。

『日本会議の研究』には、「ウソ」があることを知っていて、それをしも無料配布までしてまで広めようというのは、結局、谷口雅宣総裁がこれまた“確信犯”であるからこそであると思うものであります。


雅宣総裁は、確信犯。おとぼけも、いい加減にして欲しいです。 (2094)
日時:2016年06月16日 (木) 16時37分
名前:あめのうずめ

>最近、生長の家の信仰者ではない一人の著述家が、独自の調査によって、これらを解明する本を出版した。<とは、実に白々しいと思いました。

まるで、中立の人間が、客観的に書いたかのような紹介のしかたに、憤りを覚えます。


一般人の調査では知りえないような、教団の内部資料が流出しているのが事実であるならば、

当然、教団側から、「谷口雅春先生は、ウルトラナショナリスト」とか「原理主義者」とか「安東黒幕説」とか、そのような言葉を盛り込んで、本を書くように指示が出ていた筈です。

菅野完氏の擁護をするつもりはありませんが、彼はビジネスとして、この仕事を請け負っただけであって、

とんだ憎まれ役を、演じているようにも見えます。


私が、ずっと引っかかっていたのは、“谷口雅宣総裁、ぜひ、この「手紙」をお読みください。 (1665)”スレッドのなかにある、読者様がコピーして下さった、菅野完氏のツイートです。

>つーか、雅宣さんが僕の本を生長の家の講演会で読んだってのは、正直言って「ありがた迷惑」でもある。

どなたかの講演会で拙著を読んでもらえるのは(どなたであれ)嬉しい。しかし、雅宣さんが僕の本に言及するってのは、複雑だ。<

自分の著作が沢山売れたら、嬉しいばかりのはずなのに、なぜ“複雑”と感じるのだろうと、ずっと考えていました。

菅野氏は、確かに下品キャラを演じてはいるけれども、“生命の實相”を読んだことがあって、安東巌先生の講演も3回聴いている人です。

だから、>雅宣さんが僕の本に言及するってのは、複雑だ。<という言葉の裏に、

自分は真実を書かなかったという、良心の疼きがあるのではないかと、哀しく思います。

悪質なデマを信じている人 (2097)
日時:2016年06月16日 (木) 19時37分
名前:童子


 さすが神奈川の堀門下だ

 悪質なデマを信じてPJ投稿するとは ・・・
http://postingjoy.com/users/57091120042259/diary/show/198360

総裁ブログを見て

登録日:2016/06/16 04:34 (GMT+09:00) / カテゴリ:よろこび日記 登録者:なおちやんさん

ブログを見て
私が所属する神奈川教区の教化部長を長期に渡って在任したA氏がまさか今回の首謀者とは青天の霹靂である。

教化部長在任中は奇跡の渦の錬成会を巻き起こしたが、一方お金に関してはザルであった私が教区青年会単青委員長の時、A氏の教化部長在任末期には青年会使途不明金問題が発覚。

問題はうやむやに、ア青年会事務局長辞任→委員長就任、イ委員長強制辞任→光実議長で巻く引き、この対応で疑念を抱き私は単身、本部青年会部長へ訴るも当時の青年会部長は総裁実弟!。本部預りもうやむやに。

その後委員長になったア氏は一大スキャンダルをやらかし、流石に青年会部長も激怒、委員長交代の憂き目をみた。

イ光実議長→委員長復帰、ア委員長→光実議長へ。その時の教化部長はK氏。だからA氏の影響力は全く無し、後ろ楯を失ったア氏は程無くして東京第二へ転出。イ氏は結婚後マスオさんになって宮城教区へ=嫁さんの実家の家業を継いだ。

そんな事ありましたな。然るにA氏にそんな裏の顔があるとは。まあ、教化部長在任中には古事記講義を生学連相手に開催したり、愛国聖典とか沢山、絶版聖典大量に買い込んで、生学連に無料頒布していたほどだから、今になってしてみれば、今の布陣をしていたのかな?

そういう点では、栄える会もあぶないな。神谷光徳名誉会頭も安倍ブレーンだし。

 

谷口雅宣総裁、「生政連」の活動停止に〝何ら関与していない〟などとよくも言えますね! (2109)
日時:2016年06月17日 (金) 08時36分
名前:破邪顕正


表題は、谷口雅宣総裁の以下の発言を読んでの感想です。

《清超先生は、生政連時代の政治色を憂いて、信仰色の「生長の家」へと帰られたのである。

清超先生は「法燈を継承すると云う事は、雅春先生の説かれたことを一時一句繰り返すことではない」として、政治色中心の運動方針を改めるために「生政連」の活動停止を決断されたのであって、当時の自分はこのことについて何ら関与していないのである。》

谷口雅宣総裁、そこまで言うのであれば、この証言にどう答えますか?

「生政連」の活動停止が決まった際、谷口雅宣総裁は、わざわざ「生政連」にやってきて、そこにあった資料をすべて持ち去ったそうですね。

資料を持ち去ったということ自体、既に〝関与〟しているではありませんか!

わざわざ、自ら乗り出してきたというところに、谷口雅宣総裁の、並々ならぬ〝関心〟をそこに読み取るものであります。

そうそう、青年局を解体する際にも、谷口雅宣総裁はわざわざ青年局にやって来て、資料を持ち去ったというではありませんか。

いつか、その資料が役立つときがくると思っていたのではありませんか。

そういうところの資料が、今回、菅野氏に渡されたのではありませんか。

こういう証言があがっているのに、それでも、〝何ら関与していない〟と言い張るのですか?!

「生政連」並びに「青年局」解体は、自分の色の「生長の家」に染め込むために、いの一番に手がけたかったこと!

それが本心だったのではありませんか。

「ウソ」はすぐに見抜かれるということです。


雅宣総裁、純子夫人は、揃いもそろって千両役者! (2122)
日時:2016年06月17日 (金) 19時56分
名前:あめのうずめ

雅宣総裁は、かつて、「生政連」並びに「青年局」の資料を、自らの手で、持ち去っていたのですね。

そして、それを、後生大事に数十年にわたって、“お宝”として、大切に保管されていたという訳です。

やっと巡ってきた来たこのチャンス、菅野完氏への内部資料の提供とともに、

どれだけの尊い浄財が、使われたのでしょうか。

“そんな証拠はどこにもない”と言う人が、いるかもしれません。

でも、菅野完氏なら、すべて知っていますよ。

ほとぼりが冷めた頃、菅野完氏が、今度は教団のすっぱ抜きを書く可能性だって、大いにあると思います。

『日本会議の研究』より、売れるかもしれません。(私は、そんな本が出たら、買います 笑)

雅宣総裁は、人選を誤りましたね。

誰でもが、飼い犬になると思ったら、大間違いです。

キーマンは、菅野完氏です。

「信仰者はウソをつかない」と言える神経はどこから! (2139)
日時:2016年06月18日 (土) 09時39分
名前:破邪顕正


谷口雅宣総裁は、尊師31年祭での挨拶のタイトルを「信仰者はウソをつかない」としました。

〝背教総裁〟は、私の拙稿『谷口雅宣総裁の“ウソ”の研究』を読んで、それを意識して、こういうタイトルをつけた?!

そんなわけはないか。

それとも、読んでいてアテツケでわざとそういうタイトルにしたか?

余談はさておき、今回、私が思ったのは、〝背教総裁〟は、自分の良心として、「ウソ」をついているのは分かっているはずなのです。

しかし、こういうように、それを恬として恥じないわけです。

で、私は確信したのです。

「信仰者はウソをつかない」

ウラを返せば、「信仰者でなければウソをついていい」

つまり、〝背教総裁〟は、自らを「信仰者」とは思っていない!

それがホンネなんだと。

だから、どんなに自己矛盾、自己撞着があっても、「信仰者」ではないから、気にならないのだと。

確かに、〝背教総裁〟は「信仰」を語ってはいないですね。

谷口雅春先生の教えの「解説」(私に言わせればそれも真っ当とも言えませんが)をすることはあっても、「信仰」は語っていない。

だから、聴衆も、感動しないのでしょう。

結論、〝背教総裁〟は「信仰者」ではない!

だから、唖然、呆然、愕然とするようなことを平気で言い募ることができるのだと!



「生政連」の解散を谷口雅春先生が賛成しておられたかのようにいう「ウソ」 (2151)
日時:2016年06月18日 (土) 17時37分
名前:破邪顕正


〝背教総裁〟は、奥津城の前でこう言いました。

>しかし、そういう政治運動はやめようということになりました。

これは、第2代総裁の谷口清超先生の決断によるものです。

しかし、谷口雅春先生も政治と宗教が一体となった運動には弊害が大きいことを、この決定の10年ぐらい前から気づいておられました。

谷口清超先生は、その意を汲まれ、さらにご自分の信念にもとづいて、この重大な決断を下されたのです。<

よし、谷口雅春先生も「生政連」の解散に賛同されていたとしましょう。

だったら、どうして、そのことを『歴史から何を学ぶか:平成15年度生長の家教修会の記録』に掲載しなかったのですか?!

それだけの重大な事実があれば、当然、それを書いておくべきでしょう!

ところが、〝背教総裁〟は、「10年ぐらい前から気づいておられました」という言い方で、誤魔化すのです。

誤魔化すしかないのです。

谷口雅春先生が「生政連」の解散に賛同されるはずがないことをわかっていたからです!

だから、「事実」は、一切、「生政連」について、谷口雅春先生に相談はされていなかった!

谷口清超先生にすべて教団のことについては、移譲されていたからです!

『歴史から何を学ぶか』に書けなかったことが、その何よりの証拠です!





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