| ルソーと福沢の対話。天皇永続の原因と意義【18。最終回】神勅と建国の詔は、憲法以上の自然な法 (15865) |
- 日時:2025年11月22日 (土) 22時48分
名前:政治思想マニア
神勅と建国の詔は、憲法以上の自然な法
咸臨丸が浦賀に入ると、突然、幕府の役人たちが咸臨丸に乗りこんできた。役人たちは、わずか2ヶ月ほど前に発生した「桜田門外の変」で井伊直弼を暗殺した犯人たちが船内に潜んでいるのでないかと疑って乗りこんできたのであった。勝海舟が役人たちに、「メリケン国からもどってきた船の中に暗殺の犯人がいるはずないだろう!」と一喝すると、役人たちはすごすごと船を出て行った。咸臨丸が日本にもどったときの国内情勢は、咸臨丸が浦賀を出たときとまったく違って、「尊皇」「倒幕」の叫び声が響く騒然たる情況に変っていたのである。
このあと、最後の徳川将軍・慶喜が京都の二条城で天皇に大政奉還を申し出たのは、わずか7年後のことであった。7年後の慶応三年(1867)に、徳川幕府が薩長反幕勢力に政治権力を奪われる革命が発生した。その激烈な革命による死者数が3万人前後にすぎず、フランス革命の死者数の100万人よりもはるかに少ないという事実を否定することはできない。
また、その事実の原因に、相戦った幕府軍と薩長軍が「尊皇」の大義を共有していたゆえに無用の戦闘を回避しようとする政治判断能力を保持していた…という事実があることも否定できない。さらに、その尊皇思想の中核に『神勅』があった思想的事実も否定できない。
以上の事実から構築できる法理を西洋自然法の発想に倣って強引に述べるならば、『天照大神の神勅』と『神武建国の詔』のワンセットは、日本の国体(国の性格および骨格)にとって「憲法以上の自然な法」である。これからも日本人が「憲法以上の自然な法」を維持することは、今後の日本国が国家的な大変革を断行するときの効率を最大化し、危険性を最小化する重要なモメント(契機)となる…。このことも否定できないであろう。
現代日本人は、「天照の神勅」と「神武建国の詔」を、「古い。幼稚で危険な神話にすぎない」というそれこそ古臭い理由で棄て去るべきではない。なぜならば、愚直なまでに合理的な政治思想を追求・構築した近代革命思想家ルソーでさえ『社会契約論』のなかで次のように述べているからである。
それでは、古い法律にあれほどの敬意がはらわれるのはなぜであらうか。 それは、まさしく古いからこそなのである。古い法律をこれほど長い間 維持したからには、古人の意志がよほどすぐれていたからにちがいない、 とでも考えるほかはない。 (『岩波版』125頁。『中公版』307頁)
われわれはこのルソーの言葉が持つ意味を軽く考へるべきでない。「憲法以上の自然な法」に背く法は、いかなる法や原理であっても認めるべきでない。また、皇族はいかなる状況にあろうとも『天照大神の神勅』と『神武建国の詔』を継承しなければならない。
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