《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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文学作品としての古事記神話        【15】木の花咲くや姫 (15843)
日時:2025年11月18日 (火) 15時24分
名前:比較文化の好事家

【15】 木の花咲くや姫   

邇邇芸の命(ににぎのみこと)が笠紗(かささ)の岬にいる時、麗しい姫に出会いました。「お前は誰の子か」と尋ねると、「私は大山津見の神の娘で、木の花咲くや姫と申します」と答えました。「兄弟はいるか。」「姉の石長姫がおります。」「お前と結婚したいが、どうか。」「さあ。私はお答えできません。父の大山津見の神がお答えするでしょう。」と、答えました。

それで、邇邇芸の命が大山津見の神に頼むと、大山津見の神はひどく喜んで、姉の石長姫と一緒に「木の花咲くや姫」を差し出しました。邇邇芸の命が姉を見ると大変醜いので、姉だけを返して、「木の花咲くや姫」と結婚なさいました。

大山津見の神は姉を返されたことを恥じて、邇邇芸の命に申しました。「私が姉妹二人を差し出した理由は、もし貴方様が姉の石長姫を妃になさると、あなたの寿命が、雪が降り嵐が吹いても岩のように永遠に続き、また妹の木の花咲くや姫を妃になさると、あなたが花が咲くように栄えるからです。しかし、あなた様は姉を返し、妹だけを妃になさったので、あなた様のお命は花が咲く時だけのように短いでしょう」と、申しました。それで、今でも天皇さまの寿命は短いのです。

そののち、木の花咲くや姫が邇邇芸の命に言いました。「私は妊娠いたしました。この子は天の神の御子だから、申し上げました」と。それを聞いて、邇邇芸の命は怪しんで言いました。「あなたはたった一晩で妊娠したと言うのか。ならば、生まれてくる子は私の子ではないだろう。この地上の国の神の子に違いない」と。それに対して、木の花咲くや姫が言いました。「もしも私の生む子がこの地上の国の神の子ならば、私が生む時に、私は無事ではないでしょう。もしも、あなた様の子ならば、私は無事に生むでしょう。」と。

そして、木の花咲くや姫は出入り口のない大きな産屋を作り、粘土ですべての壁を塗って、その中に入って子を生む時に、その産屋に火をつけて、炎の中で子をお生みになりました。その炎の中で生まれた子は、「火照りの命(ほでりのみこと)」と「火須勢理の命(ほすせりのみこと)」と「火遠理の命(ほおりのみこと)」の神様でした。


 この話はきわめて不敬なことを語っています。この話は、「それで、今でも天皇さまの寿命は短いのです」と、極めて不敬なことを語っているのです。

 しかも、この文は特定一人の天皇を指して言っているのではなく、歴代天皇すべてに該当する事として語っています。だから、これは注目すべき一文です。なぜならば、もともと『古事記』は、天武天皇に差し出すつもりだったから、『古事記』を構想した人たちも、実際に読んだ歴代天皇も、この不敬な文を読みながら何も思わない、極めてのんびりした人達だったらしいということが見えるからです。

 …と、それだけで終わっても良いのですが、この不敬な一文は、現代人が『古事記』をどういう本として見るかという難しい問題に対して、重要なヒントを与えています。

 つまり、近代日本人の『古事記』観は、「古事記は畏れ多くも有り難い神典だ。まちがったことは一つも書いてない」という極端な見方から、その反対の方向の、「古事記は歴史的資料として役に立たないだけでなく、古代日本人の思想信仰とも無関係に、ただ天皇制の権威を拡大するためにでっち上げられた架空の物語にすぎない」という見方まで、極端なブレを含んでいるのですが、今回の不敬な文は、その二つの極論に対する頂門の一針になっているのです。

 まず、「古事記は畏れ多くもありがたい神典」説を採用すると、今の不敬な文によって、「天皇陛下が早く死ぬことがありがたい」という、本当に恐れ多い結論になってしまいます。次に、その反対の、「古事記は天皇制を主張・拡大するために、でっち上げられた本にすぎない」説を採用すると、今の不敬な文が『古事記』の中に存在する理由を説明できません。

 大体、明治以降の近代日本人は「天皇」を正面から説明してきませんでした。「恐れ多い、あるいは面倒な事に巻き込まれるのは御免だ」という理由で、「天皇」に関する研究は敬して遠ざけられました。

 その結果、現在、世の中に「天皇論」は数多くあるものの、ほとんどが「時流に迎合した天皇論」です。たとえば人々が優しさを欲しがると「優しい天皇様」が現れます。その反対に、日本国内に対外強硬論が流行すると「世界の奇跡・天皇家」が現れます。そうでなければ日本共産党のような「理屈倒れの天皇論」です。近代日本人は古くからある『古事記』一冊の中の天皇像を整理することさえ行いませんでした。

 『古事記』が描いている天皇像は、人民が炊飯の煙を立てることができない貧窮状態だと知って租税労役を全廃し、その結果、御所がボロになったけれども、民の家々から炊飯の煙が立つようになったので、それだけで大いに満足なさったという「聖人」としての天皇(仁徳天皇)と、

お妃の強烈な焼きもちに恐れをなして、お妃様に嘘をついて何とか御所を外出して、ようやく愛する女の所へ逢いに行けたという、どうにもなさけない「庶民」としての天皇(同じ仁徳天皇)とが、バランスをとって一つになっている天皇像です。

 ここで「庶民」としての天皇は、「古事記は畏れ多くもありがたい」説にも具合が悪く、「古事記は天皇制を強化するために、でっち上げられた本にすぎない」説にも具合が悪い存在でしょう。現代日本人は先入観を棄てて、『古事記』は神聖天皇を描くと同時に、凡人天皇も描いているという事実を確認するべきです。

 いや、『古事記』や『日本書紀』は凡人天皇だけでなく、悪人天皇も描いています。『古事記』下巻には、たった七歳の子供に殺されたという、だらしがない安康天皇の話が書いてあり、さらに『日本書紀』には、武烈天皇という帝が妊婦の腹を割いて胎児を見たとか、人の生爪を抜いて山芋を掘らせた、また人を池の樋の中に入らせて、外に流れ出てくるのを三つ刃の矛で刺し殺して喜んだ、さらに、あろうことか女たちを裸にして、その面前で馬に交尾させ、そのあと女の陰部を調べ、潤っている者は殺し、潤っていない者は官婢として呼び上げるのを楽しみとしていた...などという「悪人天皇」の話も記しています。

 またさらに同じ『日本書紀』雄略天皇の条にいたっては、「粗暴な」雄略天皇の挙動を具体的に挙げ、「ほとんどの人民が雄略天皇を『大変悪い天皇だ』と非難した」と、はっきり書いています。これらの記述は、先入観を持って『古事記』『日本書紀』を読む者の期待を必ず裏切る記述です。

 …と、話がズレてしまったので視点を戻すと、今回の物語は「女の意地・プライド」を語っています。

 今回の主人公である「木の花咲くや姫」は夫から貞操を疑われた。それに対して、姫は炎の中で子を生んで、自分の操を証明した。もし今回の物語がギリシア神話の物語だったならば、姫は自分の操を証明したあとで夫に激しく言い返したでしょう。きびしく夫に復讐したかもしれません。しかし日本神話の姫たちは言い返しも復讐もしない。復讐しないが、姫は烈女でしょう。

 日本古典の女性のなかには、男に従順でありながら、内心には男もたじろぐような意地やプライドを秘めている女性がいます。もちろん日本以外にもそういう女性がいるでしょうが、『古事記』には時々そのような女性が登場しています。これは古い日本の、いや、おそらく古今東西の女性の一つの典型なのです。


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