| 文学作品としての古事記神話 【14】天孫降臨 (15836) |
- 日時:2025年11月16日 (日) 21時03分
名前:比較文化の好事家
【14】 天孫降臨
それで天照大御神と高御産巣日の神が、大御神の御子である 「正勝吾勝勝速日天の忍穂耳の命(まさかあかつ・かちはやひ・あめのおしほみみのみこと)」に、お命じになりました。「今、葦原の中つ国を平定し終えたと申してきた。あなたが地上の国へ降りて行って、治めなさい。」
忍穂耳の命が答えました。「私が降りる準備をしている時に、私の子が生まれました。この子を遣わすのがよいでしょう」と。それで大御神がその子・「天つ日高彦穂邇邇芸の命(あまつひこひこほににぎのみこと)」に、「豊葦原の瑞穂の国は、あなたが治める国である。この宣言のままに、降りて治めなさい。」と、お命じになりました。
それで、邇邇芸(ににぎ)の命が 天から降りようとしている時、道の途中に、上は高天の原から、下は葦原の中つ国までを明るく照らしている不思議な神様がいました。
そこで天照大御神と高御産巣日の神が「天の宇受女の命」に、「あなたは女であるけれども、向かい合った神に勝てる顔を持った神である。あなたは、あの上下を明るく照らしている神の所へ行って、『神の御子が天降る道中を照らしているのは何者か』と尋ねてきなさい」と、命令なさいました。この「天の宇受女の命」とは、天の岩戸から天照大御神を引き出す時に踊り跳ねた女神です。
それで、天の宇受女の命が行って尋ねると、相手の神は、「私は国の神・猿田彦の神です。天の神の御子が天降りになると聞いて、その御案内をしようと思い、明るく照らして、やって来ました」と、答えました。
それで、大御神と高御産巣日の神は、あらためて邇邇芸の命に宇受女の命をお供として加え、猿田彦の神を案内役として、再び天から降りさせることにしました。天照大御神は邇邇芸の命(ににぎのみこと)に「鏡」と「八尺の勾玉」と「草薙の剣」をお与えになりました。「鏡」は大御神を天の岩戸から誘い出した鏡であり、「八尺の勾玉」はそのときに岩戸の前に飾ってあった勾玉であり、「草薙の剣」は「すさの男の命」が八俣の大蛇の尾から取り出した剣です。
大御神は、「思金の神」と「手力男の神」と「天の岩門別の神」とを邇邇芸の命に付けて、「邇邇芸の命よ、この鏡を私の魂として、私を祭るようにお祭りしなさい。次に、思金の神は、邇邇芸の命をお助けして政治を司りなさい。」と、お命じになりました。
邇邇芸の命は、天から雲を押し分け、押し分け、勢いよく進んで、天の浮橋にお立ちになり、ついに筑紫の日向の高千穂の峰に天降りなさいました。
そして、「ここは韓国に向かい、岬にまっすぐ繋がって、朝日の直射す国、夕日の輝く国である。ここは大変よい所だ」と仰って、磐石に宮柱を太く立て、屋根を天まで持ち上げて宮殿をお造りになり、そこで地上の国をお治めになりました。
今回の物語は「祭政分離」を語っています。…といっても、今の神話学者や日本文学者のなかに今回の物語から「祭政分離」を読み取る人は多くないのですが、今回の物語で天照大御神が自分の子孫である「ににぎの命」に対して「祭祀を司れ」(斎きまつれ)と命じ、それに対して、思金の神には「皇孫の祭祀を助けて政治を司れ」(さきの事を取り持ちて政をせよ)と命じている事は、まずまちがいありません。
しかも、この命令は、政治を皇孫の臣下が担うという、「天皇独裁排除の形式」の命令にもなっています。この命令は、その後の日本政治史を実質的に規定したようで、実証的な学者の研究によれば、日本の歴史上天皇独裁の時代はほとんどなかったということです。
たとえば、大日本帝国憲法によって、おそらく日本史上最高の権威と権力を手にいれた明治天皇も、現実政治の上では内閣や国会の意思に逆らって強引に権力を行使するということがほとんどなく、当時の国民もそれが当たり前だと思っていました。この意味で、今回の天照大神の命令は、それ以降の日本の歴史を大きく規定する、あるいは予言する力を持った宣言だったのです。
ただ、ここでさらに確認しておかなければならないことは、天照大神が祭政分離を命じたとはいえ、思金の神は皇孫を「助けて」政治を司るのであって、皇孫も政治に参画し、政治の権威や正統性は皇孫(天皇)にあります。さらにつき詰めるならば、日本政治の正統性は「鏡」(皇孫の祭祀)にあるのです。
だから天照大御神の命令を現代欧米風に「祭政分離の命令」と速断するのは粗雑すぎます。大御神の命令は「祭事と政治の独自性を保持した共同作業の命令」です。日本古語の「まつりごと」に、「祭事」の意味と「政事」の意味の両方の意味が含まれているのは偶然ではありません。
実際に日本の歴代天皇も自分の仕事の第一を「皇祖皇宗への祭りと国家国民の安寧を祈ること」としてきたようで、たとえば鎌倉時代の順徳天皇が残した『禁秘抄』(これは後の宮中行事の準則となった著作)にも、「およそ禁中(宮中)の作法は、神事を先にし、他事を後にす」と書いてあって、歴代天皇が天照大御神の命令にしたがって祭祀を第一の任務として位置づけ、そのうえで政務を執ったことが窺われます。この意味で…少し話が大きくなるようですが…もしも日本という国に、歴史に裏打ちされた日本らしさを突き詰めて探すならば、おそらく庶民も使っていた日本国語と、歴代天皇のこの意識の連続性以外には無いでしょう。
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