| 文学作品としての古事記神話 【6】天の岩戸(あめのいわと) (15816) |
- 日時:2025年11月11日 (火) 22時52分
名前:比較文化の好事家
【6】 天の岩戸(あめのいわと)
すさの男の命は、「私の心が清く明るかったから、私は姫を得た。だから、私の勝ちだ」と言って、うれしさで天照大御神の田の畦を壊し、その溝を埋めて、水が流れないようにして、さらに天照大御神が大嘗(おおにえ。新穀物)をめしあがる宮殿に大便小便の汚物をまき散らしました。
しかし天照大御神は怒らずに、「糞をしたように見えるのは、酔って吐き散らした結果、こう見えるのでしょう。また、田の畦を壊して溝を埋めたのは、土地を惜しんでしたのでしょう」と、良いように言い直しました。
しかし、すさの男の乱暴は止みません。天照大御神の神聖な機織場(はたおりば)へ行って、大御神が機織り女に神の衣を織らせている時に、その屋根に穴をあけて、天馬の皮を剥いで部屋の中に放り込んだために、機織り女がひどく驚き、その拍子に、機織り機に陰部を突いて死んでしまいました。
それで大御神は驚き恐れ、天の岩戸を開いて、その中に閉じ隠ってしまいました。そのために天上の高天の原も地上の葦原の中つ国も真っ暗になり、いつまでも夜が続きました。驚いた八百万(やおよろず)の神様たちの叫び声が響きわたり、あらゆる不幸と災いが一斉に広がりました。
すべての神様が天の安の河の河原に集まって、「思金の神」に良い知恵を出させて、長鳴き鳥をたくさん集めて一斉に鳴かせ、大きな鏡を作り、立派な勾玉(まがたま)の飾りを作り、占いをして、天の香具山の大きな賢木を根元から引き抜いて、
上の枝には大きな御統(みすまる)の勾玉の飾りを取り付け、中の枝には鏡を取り付け、下の枝には楮(こうぞ)や麻をつり垂らし、荘重な祝詞(のりと)を唱え「手力男の神」が岩戸の陰に隠)れて、いつでも戸を開けられる準備をしました。
そして女神の「天の宇受女(あめのうずめ)の命」が天の香具山の蔓(つる)を肩から襷(たすき)にかけて、正木のつるを頭にのせて、小竹の葉を束ねて手に持ち、岩戸の前に大きな桶を伏せて踏みならしているうちに、神様が女の神である「天の宇受女命(あめのうずめの命)」にとり憑いたので、この命は突然、着物の裾を下腹部に垂らし押し当てて、桶を踏みならして踊りはじめました。
それを見ていた八百万(やおよろず)の神様たちは、はじめは暗くて何が起こったのか分らなかったのですが、すぐに宇受女の命が乳房を揺すり出して踊っているのだと知り、驚き面白がって一斉にワッと笑い、高天の原が地震のように揺れました。 岩戸の中の天照大御神は不思議に思い、岩戸を少し開けて、中から仰いました。「私が岩の中に籠っているので、高天の原も葦原の中つ国も暗いだろうと思っていたのに、どうして天の宇受女の命は楽しく踊り、八百万の神たちは笑っているのだろう。」
それで、天の宇受女の命が言いました。「あなた様よりも貴い神様がいらっしゃるので、みな喜び笑っています」と。そして隣りの神様が大きな鏡をさしだして、天照大御神にそっと見せました。大御神の目の前に光り輝く貴い神がいました。
大御神がますます不思議に思って、少し岩戸から覗いた時に、横に隠れていた手力男の神が大御神の手をとって、岩戸の外に引き出しました。
すぐに隣りにいた神様が注連縄(しめなわ)を岩戸にかけて、大神に「もう内に戻らないでください」と言いました。それで、高天の原も葦原の中つ国も、日の出の時のように明るく輝きました。
八百万の神様たちは色々相談して、すさの男の命に罰として多くの品物を出させ、すさの男の命の髭(ひげ)と手足の爪を切り、祓(はら)い清めて天上から追い払いました。
この話は、最高権力者と言ってもおかしくない天照大御神の「ひきこもり」を語っています。最高権力者がひきこもるとは、なんとも情けない話です。それに対してギリシア神話の最高神ゼウスは、愛人にしようとして断られた女神を岩に変えて永遠に海を漂うようにしてしまったり、あるいは、神々を祭ったり拝んだりしない人間を滅ぼして、新たに別の人種を発生させたりしたという、極めて攻撃的な一面を持っています。
それに対して、天照大御神にはそのような攻撃性は全くない。今回の行動は、たとえて言うならば小学校に赴任した新米の女性教師が、いたずら小僧に困らされ、泣かされたようなものです。最高権力者がこのような姿を見せる神話も珍しいでしょう。
ただ、今回の話の本当の特徴は別にあります。それは、天照大御神の引きこもりを見た他の神々が新権力者になろうと画策したのでなく、大御神を再び登場させようと一致団結して協力しあっている点です。今のたとえで言うならば、いたずら小僧が泣かせてしまった女性教師を、他の子供たちが慌てて元気づけようと苦心している点です。
だいたい天照大御神の神格には、権力者あるいは暴君という趣は全くない。また、周りの神々も、それにつけ込んで自分が権力者の地位に就こうと画策する神は一人もいません。
『古事記』の神話には権力闘争の趣が極めて薄い。これは日本神話を貫流する無意識の「中心帰一」のセンスの必然的な帰結です。一方、ギリシア神話の最高神ゼウスがどのように最高神になったかというと、父と戦うために仲間を集め、それまでの世界支配者(父親)とその仲間の神々に対して戦いを挑み、十年間戦い続けて最後に勝利者となったのです。
しかも、ゼウスに敗れたゼウスの父親も、昔、自分の父親の性器を鎌で刈り取って傷を与え、それによって自分が世界支配者となった神でした。日本神話には、このような権力闘争の話はほとんどありません。『古事記』の日本神話は、良くいえば権力悪に無縁な神話、悪く言えば正義のために戦うことをあまり行わない神話です。
では、日本の神々が帰一するべき中心の神とは、どのような神なのか。既に説明したように、究極の神は天照大御神ではなく、大御神でさえも祭り、従順に従う「姿を見せぬ無規定の神」です。この神は姿を見せていないが、今回も働いています。今回の話で、「宇受女の命」に神がとり憑いていました。神が神に憑くという奇妙な事を八百万の神々は少しも怪しまず、さらに『古事記』の構想者たちも当然の事として話を続けていますが、この神が「宇受女の命」に憑いたことによって「宇受女の命」が狂ったように踊りだし、その結果、はじめて明るい日の光が戻ったのです。
しかも、この神が「宇受女の命」に憑く前に八百万の神々が「占い」を行って「より上位の神の意思」をうかがっていました。そして、その占いの結果を素直に実行したからこそ日の光が戻ったのです。
この解釈が正しいならば、普通よく言われるような、「日本人の宗教性は多神教的であって、一神教的でない」という通念は、充分な吟味が必要でしょう。より根本的には、この通念が前提としている「多神か一神か」という思考の枠組みそのものを吟味・検討する必要があるのですが、ここでは論点が複雑になるので話をもどして、
『古事記』が語る日本神話は、神々の行動パターンを見る限り「姿を見せない一神教」です。少なくとも「一即多神教」です。…もちろん、このような見解は現代宗教学者の多くの解説と異なっています。さらに過去の日本の国学者たちの解説とも異なっているでしょう。しかし、まずまちがいありません。この点を歴史学者や神話学の研究者にぜひ検討していただきたいと願います。
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