| 【シリーズ】親子で読む物語。第29回 受けた恩は必ず返しましょう。 (15809) |
- 日時:2025年11月09日 (日) 18時05分
名前:芥川流之介
受けた恩は必ず返しましょう
むかしむかし。九州の唐津の国に、夫が魚をとり、妻が木の実をとって生活している夫婦がいました。ある日、妻が浜に出て貝を拾っていました。妻は小さな赤ちゃんを平らな岩の上に寝かせて貝を拾っていました。その浜の近くには大きな森があるので猿が浜に降りてきているのを女たちが見つけて、「あれをご覧よ。魚をねらっているのかしら、あそこに猿がいる。ちょっと行ってみよう」と言い、妻といっしょに猿に近づいてみました。女たちは、「猿は逃げていくだろう」と思っていたのに、猿は人をこわがりながらも、なぜか逃げもせずキーキーと叫んでいます。
女たちが「どうしたのだろう」と思ってよく見ると、大きな蛸が猿の手足にからみついて海の中にひきずりこもうとしています。猿が水うちぎわで貝をあさって遊んでいるときに蛸がうしろから襲いかかったのです。猿は手足をつかまれて引き抜くこともできずにいるのでした。蛸はじりじりと猿を海の中にひきずって行く。猿は必死に引きずられるまいとするが、もうしばらくすれば潮が満ちて猿が海中に沈む時刻です。空の上では大きな鷲が五羽、輪を描いて飛びながら猿と赤ちゃんを見おろしていました。 女の一人が猿と蛸を打ち殺そうとして大きな石を取り上げ、猿を殴りつけようとしました。妻が、「とんでもないことをする人だよ。かわいそうに」と言って石を奪い取りました。殴ろうとした女は、「いい機会だから、こいつらを打ち殺して家に持ち帰り、焼いて食おうと思ったのさ」と言いました。妻は浜に落ちている棒をとりあげて蛸の頭をはげしく叩きました。蛸は猿の手足を放して海の中へ逃げていきました。猿は妻のほうを向いてうれしそうな顔をしましたが、なぜか赤ちゃんが寝ている岩のほうに走って行きます。女たちが不審に思っているうち、猿は赤ちゃんを抱いて、森のほうに走っていきました。それを見て女たちが騒ぎ出しました。妻がよく見ると、猿が妻の子を抱いて森の中に逃げて行くのです。
妻が、「ああ、あの猿がわたしの子をとっていった。恩知らずの猿だ」と叫ぶと、女たちが、「猿が恩を知るものか。あの時に猿と蛸を打ち殺していたら、わたしたちがもうけものをしたうえに、あんたは子供をとられずにすんだのに…。それにしても憎い猿だ」と言って、みなで猿のあとを追いました。女たちがむきになって早く走ると、それに合せて猿も早く走る。女たちがゆっくり歩くと、猿もゆっくり歩いて逃げる。猿はそのまま森の奥深くへ入り、子を抱いたまま大きな木の遥か上のほうに登っていきました。妻がその木の下に走って行って木を見上げると、猿は太い幹から分かれ出た大きな枝が二股になった所に赤ちゃんを抱いたまま坐りました。女たちは、「家に帰って、あんたのご亭主に知らせてくる」と言って、村のほうへ走っていきました。
妻が木の上を見ていると猿は右手で細い木の枝を引きたわめて、さかんに枝を揺すっています。猿が左のわきに赤子をかかえながら右手で木の枝を揺すって音をたてると赤子は大声で泣き出す。赤ちゃんが泣きやむと、猿はまた細い木の枝をゆすって赤子を泣かす。そこへ赤子の声を鷲が聞きつけて、赤子を獲ろうとして高い空から矢のように飛んで来ました。妻はそれを見て、「どうなってもわが子は食われてしまうにちがいない。猿が食わなくても、あの大きな鷲に必ずとられるだろう」と思って泣いてしまいました。妻がなおも見ていると、猿は右手で引きたわめた細い枝をもう少し引きたわめて、鷲が飛んでくるのにはずみを合せて枝を放つと、しなった枝が鷲の頭に命中して、鷲は真っ逆さまに落ちてしました。
その後も猿は同じように枝を引きたわめて赤子を泣かせ、また鷲が飛んでくると、同じように鷲を打ち落しました。その時はじめて妻が気づきました。「そうだったのか。この猿は赤ちゃんをとろうとしたのではなかったのだ。はじめから鷲が岩の上の赤ちゃんを狙っていたから、猿はわたしに恩を返そうとして、鷲を打ち落しているのだ」。妻がそう思っているうちに猿は鷲を何回も打ち落していました。「おい。お猿さん。おまえの気持ちはよくわかった。もうそのくらいにして、わたしの子供を返しておくれ」と妻が訴えると、猿は大木を降りてきて、赤子を木の根もとにそっと置き、また大木の上に走り登って背中を搔き始めました。 妻が自分の赤子を抱きとった時に、そこへ夫が息せききって走ってきたので猿は木伝いに逃げてしまいました。妻と夫がよく見ると、大木の下には大きな鷲が五羽も落ちていました。夫婦は赤ちゃんと五羽を持って帰り、五羽を売ってお金に代えました。村の人たちは、「猿のくせに受けた恩を返すとは、なんとも立派なものだ」と称讃したそうです。
(『今昔物語集』巻29の35を翻案)
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