《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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文学作品としての古事記神話        【3】黄泉(よみ)の国 (15808)
日時:2025年11月09日 (日) 15時33分
名前:比較文化の好事家

【3】 黄泉(よみ)の国   

それで男の「いざなぎの神」は、「私の最愛の妻をあの子一匹(いっぴき)に代えたのは残念だ。」とおっしゃって、「いざなみの神」の枕の方や足の方に這い伏してお泣きになりました。 そして出雲の国(島根)と伯耆の国(鳥取)との境にある山に葬りました。そのあと、持っていた長い剣を抜いて「火焼速男の神」の首を斬りました。斬ったとき、剣先についた血が岩に走りついて多くの神々が生まれ、殺された「火焼速男の神」の体からもたくさんの神々が生まれました。

しかし、「いざなぎの神」は、「もう一度、妻にあいたい」といって、地中の黄泉(よみ)の国へ入って行きました。すると妻の「いざなみの神」が御殿から出てきたので、「最愛の私の妻よ、あなたと共に造った国はまだ作り終えていない。だから地上に帰ってきてください。」と言いました。

しかし 「いざなみの神」は、「それは残念な事をしました。あなたが早くいらっしゃらないので、私は黄泉の国の食べ物を食べて、こちらの国の人になってしまいました。しかし、あなた様がわざわざ来てくださったのですから、何とかして帰りたいと思います。この黄泉の国の神様に話をしてまいりましょう。その間、私を御覧になってはいけません。」と、お答えになって、御殿の中へ戻っていきました。

ところがなかなか出てきません。「いざなぎの神」は待ち遠しくなり、左の髪に挿していた櫛(くし)の太い歯を一本折って、火を灯してソロリソロリと御殿の中に入ってみました。すると、「いざなみの神」の体には、たくさんの蛆(うじ)がわいて集まっており、頭には大きな雷(いかずち)の神が、胸には火の雷が、腹には黒い雷、左手には若い雷、右手には土の雷、左足には鳴る雷、右足には跳ねている雷)がゴロゴロと不気味な音をたてていました。

「いざなぎの神」は、驚いて逃げだしました。それに対して「いざなみの神」は、「私に恥をかかせましたね。」といって、すぐに醜い化物女に命じて「いざなぎの神」を追わせました。「いざなぎの神」が髪に載(の)せていた飾りを投げると、野の葡萄(ぶどう)が生えて生(な)りました。化物女がそれを取って食べているあいだに逃げると、また追ってきたので、今度は右の髪に挿(さ)してあった櫛(くし)の歯を折って投げると、筍(たけのこ)が生えました。化物女がそれを食べている間に「いざなぎの神」はまた逃げました。

しかし、女神の体に生まれていた多くの雷(いかずち)の神たちが、たくさんの悪鬼を従えて追ってきました。「いざなぎの神」が、身につけていた長い剣を抜いて後に向けて振りながら逃げて行くと、雷神たちはなお追ってきて、地上との境の坂に着きました。その坂に桃が生えていたので、「いざなぎの神」が桃の実を三つ取って投げつけたところ、雷神や悪鬼たちはみな逃げていきました。それで、「いざなぎの神」は桃の実に、「おまえが私を助けてくれたように、この地上の多くの人々が辛い目に合って苦しんでいる時に、助けてやってくれよ。」と仰って、神の名前をお与えになりました。

すると最後に、「いざなみの神」ご自身が追ってきました。「いざなぎの神」は大きな岩を境目の坂に置いて、地上への出口を塞ぎました。岩をはさんで、「いざなみの神」が、「いとしい私の夫よ。あなたがこんな事をするのならば、私はあなたの国の人々を一日千人も殺しますよ」と仰いました。

それに対して、「いざなぎの神」は、「いとしい私の妻よ。あなたがそうするのならば、私は一日に千五百人も産屋(うぶや)を建ててみせましょう。」と仰いました。それで、今でも一日に千人死んで、千五百人生まれるのです。この坂は今の出雲の国の揖坂(いぶやざか)で、塞がっている岩は黄泉戸(よみど)の大神といいます。


(1)この話の場面は日本神話の中で最も陰鬱な場面です。 「いざなぎ」が自分の子供を殺してしまう場面は、既に説明した日本神話の特徴、「小規模、かわいらしい、愛らしい」に反するようですが、世界の神話の中で殺戮の具体的描写を伴わない神話はおそらく無いでしょうから、日本神話も殺戮描写を持たざるをえません。

 しかし、同じ殺戮の描写にも神話の個性は出るものです。日本神話のこの殺戮の表現は最低限にとどまっていて、ギリシア神話の殺戮場面と比較すると、極めて温和な表現になっています。

 たとえば、ギリシア神話の音楽の神アポロンは、体からも着衣からも常に黄金の光を放つ光明の神ですが、気に入らない相手には仮借ない罰を与える神であって、たまたま生意気にも自分に音楽の腕比べを挑んできたマルシュアス(人間の体の下に二本の馬の足と馬の尻尾をはやし、耳も馬の形をしている、ひょうきん者)の挑戦を受け、

 「勝った者は、負けた者を好きな目にあわすことができる」という条件で音楽演奏の腕比べをして、結局自分が勝ったあとマルシュアスを松の木にぶら下げ、マルシュアスが許しを願って泣き叫ぶのを構わず、生きたままマルシュアスの皮を剥ぎ、その結果、地面が一面の血にまみれました。これと比べると、「いざなぎ」の殺戮は最低限の描写になっております。

(2)今回のように恋人を取り戻せなかったという話は、世界中の神話や物語にあるようで、ギリシア神話にも「オルフェウスとエウリュディケ」の話があり、最後は悲しい結末に終わっています。少し長いようですが、今回の話と比べるために、紹介します。

     人間最初の詩人であり音楽の天才でもあったオルフェウスは
     エウリュディケという美しい女性と結婚しました。が、幸せな
     日々を過ごしているうちに、美しい妻が野原で毒蛇に咬まれて
     死んでしまいました。絶望に沈んだ夫オルフェウスは、再び妻
     に会うべく死者の国へ旅立ちました。死者の国には、生きた
     人間は入れないのですが、夫オルフェウスの歌声と妻を思う 
     訴えを聞いて、地獄の番犬も魔物も深い感動に酔いしれ、
     オルフェウスを止めることはしませんでした。死者の国の王
     と女王も、止めませんでした。

     しかし、一つだけ条件がありました。「地上にもどって太陽
     を見るまで、夫オルフェウスは妻の前を歩かねばならない。
     その間、夫は後ろを振り返ってはならない。もしも、振り返っ
     て妻エウリュディケを見たら、夫は一人で地上に帰らなけれ
     ばならない。」夫オルフェウスは喜んで承知して、妻を背後
     に連れ、地上に向かって歩き出しました。

     しかし、地下にいる間はまだ亡霊である妻エウリュディケは
     歩いても足音をたてません。夫は自分の背後に妻がいると
     いう感じがしませんでした。「妻は本当に自分の後ろにいる
     のだろうか。地獄の王と女王は、うまいことを言って、私を
     一人で地上に帰そうとしているのではないだろうか。」
     そう思うと、夫は不安でたまらなくなり、とうとう後を振り
     返ってしまいました。

     すると、うしろには懐かしい妻エウリュディケがいました。
     しかし、彼女は悲しそうな声を出して夫に手を差し伸べたか
     と思うと、一瞬のうちに煙のように消えてしまいました。
     結局、夫オルフェウスは、一人で地上に帰らなければなり
     ませんでした。


(3)さて、日本神話の「黄泉の国」の話は、後半が「生と死との対決、さらに生の勝利」の結末を迎えているという点で、「オルフェウスとエウリュディケ」の悲話と大きく異なっています。

 大体、日本神話は基本的に「清・明・優美」の感性で語られていて、『古事記』の神話には楽天的かつ「清・明・優美」の結論に落ち着く話がたくさんあります。今回の最終部で、「いざなぎ」「いざなみ」二神が、憎んでいるはずの相手を「いとしい」と呼んでいて、多少不合理な感じを与えますが、これも「明・優美」が、最後に割り込んできた結果です。つまり、『古事記』神話の構想者たちは、今回の話を殺伐とした「対立・別れ」の話で終わらせることを、おそらく好まなかったのです。

(4)また、これは重要な事実です、『古事記』が語っている日本神話は、ギリシア神話の展開に重要な影響を与えている「嫉妬・憎しみ」をほとんど持っていません。仮に日本神話のなかに「嫉妬・憎しみ」が登場しても、それは物語の展開を左右する重みをまったく持っていない。これも「清・明・優美」の基本的感性から生じた必然的帰結です。この事実を少し強引に日本文学史上に位置付けるならば、日本の古典文学史全体にギリシア悲劇のような「悲劇の文学史」が存在しないのは、『古事記』が編纂された時(西暦712年)すでにその文学的感性が確定していたということなのです。


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