| 盛会を祈念します。 (15800) |
- 日時:2025年11月07日 (金) 16時38分
名前:三島さん割腹のときに高校生
高校で昼の弁当を食べ終わって眠気と戦っていたときに午後一時限の授業が始まって英語の先生が教室に入ってきました。その先生は教室に入ってくるやいなや、「みなさん。ただいま小説家の三島由紀夫が自衛隊駐屯地で割腹しました」と、われわれ生徒に伝えました。
その先生は授業中に嘘まじりの冗談をよく飛ばす人だったので、われわれ生徒は「また始まった」と思い、笑いながら英語の授業に入るのを待っていたのですが、先生は真面目な顔で、「これは冗談ではありません。本当のことです。東京の市ヶ谷にある自衛隊駐屯地で三島由紀夫が演説したあとで…」と、先生は事実をわれわれに語り、割腹の理由について色々自分の意見を述べつづけました。
そのうちに教室の中は次第にシーンとなりました。私には何が起こったのかよくわからなかったけれども、なにかひどく深くて難しい大事件が起こったのだと直感しました。この直感はまちがっていなかったと今も思っています。そのあとも私は三島さんの割腹事件を考えながら(引きずりながら)この娑婆に生きてきたようなものです。三島さんがお作りになった「楯の会」の初代学生長であられた持丸博さん(ご結婚後は松浦博)の話をうかがうために、知人に連れられて杉並区にあるご自宅を訪れたこともあります。持丸さんは三島割腹に触れることはつらかったようで、あまり多くを語られませんでした。
結局、いろいろな意見が出るでしょうが、三島さんの割腹についてはご本人が谷口雅春先生の『占領憲法下の日本』の「はしがき」でおっしゃっているように、
>このたび谷口雅春師の『占領憲法下の日本』といふ、憂國慨世の書を読むに当り、私は殊に、その「生命体としての日本国家」の章に深く感動した。これこそは久しく私の求めてゐた日本の国家像であり、生命体としての個的自覚と、生ける全体とをつなぐ唯一の橋が、ここに語られてゐると思はれた。…。…このごろ特に私の痛感するところであるが、この複雑多岐な、矛盾にみちた苦悶の胎動をくりかへして、しかも何ものをも生まぬやうな不毛の現代世界に於て、真に政治を語りうるものは信仰者だけではないのか? 日本もそこまで来てゐるやうに思はれる。
に極まるのではないかと思います。
それにしても、今回の公演を公益財団法人である市川市文化振興財団が堂々と後援を表明しているとは・・・。割腹など、昔は「時代錯誤だ」と馬鹿にされるか、あるいは危険視されて終わるものだったのに…。「ずいぶん時代も変わったものだ」と、しみじみ感じさせられるものがあります。
また、今回の会場である市川市文化会館は、昔わたしが仕事で船橋市と習志野市の境界域に赴任していたときに、江戸川と旧江戸川の分岐点周辺を散歩したあと必ず通過した会館なので、これにも多少のご縁を感じさせられるものがあります。
今回の公演が大盛会に終了することを祈念いたします。

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