《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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【シリーズ】親子で読む物語。第26回  ご先祖に感謝しましょう (15784)
日時:2025年10月26日 (日) 15時49分
名前:芥川流之介

ご先祖に感謝しましょう


 むかし、大金持ちの百姓が博多に住んでいました。ご先祖様が一所懸命に作った大きな田圃と森をもっていて、広い屋敷には立派な母屋と米倉が並んで立っています。しかしその百姓はご先祖に感謝することなく、仏壇のなかにある金色の観音像を拝むこともありませんでした。わずかに召し使いとして働いている親戚の若い娘だけがいつも観音様に手を合わせ、家のご先祖に感謝の言葉を称えていました。娘は主人にわからないように庭の井戸から茶碗に水を汲み、倉から米を取り出して観音様とご先祖に供えていました。

 今日も娘が水を仏壇に供え、倉から取り出した米を運んでいると主人に見つかってしまいました。主人はひどく怒って言いました。「観音と先祖に感謝していればお金が湧いて来るのか。この愚か者。」主人は小石を火であぶって真っ赤に焼き、それを娘の顔に投げつけました。娘の頬に真っ赤な小石が当たりました。しかし娘はなぜか痛くも熱くもありませんでした。主人は雉を狩りに森へ出て行きました。

 主人が雉をさがしていると大きな木の下を狐の子が歩いていました。主人が矢を放つと狐の腰にささりました。子狐は射ころがされて鳴き、腰を引きずりながら草むらのなかに逃げ込みます。主人がさらに追って行くと、この狐が腰を引きずって先に立って行く姿が見えました。主人がまた矢を射ようとすると狐はフッと消えてしまいました。そのうち日が沈みはじめました。

 主人が森を出て屋敷の方へ歩いていると、たくさんの狐が口に松明をくわえて走って行きます。「狐が火をくわえて走るとは、どういうことだ」と思って驚いていると、狐たちは主人の家の倉に松明を投げつけています。「さては狐が仕返しに俺の家に火をつけたのだ」と思って狐を射ようとしますが、狐は火をつけ終えるとすぐに草の中に走り込んでしまいます。主人が見ていると米倉はすぐに焼け落ちてしまいました。その炎が母屋に移りはじめました。日はすでに沈んでいます。暗闇のなかで燃えさかる炎だけが輝いています。

 主人が井戸の水を桶に汲んで母屋の中に入ると仏壇の観音様のお姿が目に入りました。観音様の頬がなぜか黒く焦げています。主人がふしぎに思ってよくよく見ると、観音様の頬が真っ赤に焼いた小石の形で焦げ付いています。主人が娘にぶつけた熱い小石の形です。主人が観音様に詫びました。主人が「すみませんでした。どうぞお助けください」と言うと、どこからともなく白い衣を身にまとった多くの男たちが、井戸から水を汲んだ桶を手に持って母屋に走り寄り、何度も水をかけて火を消してしまいました。そのあと白い人影たちはどこかへ走り去って見えなくなりました。

 次の日のことです。空が明るくなると、それまで寝ていた主人の頬が熱く焼けるように痛みはじめました。「いたい。あつい」という声を聞いた妻が主人の顔を見ると、みるみるうちに主人の頬に熱く焼いた小石の形の傷が広がりはじめました。妻がおどろいて医者を呼びました。そのあいだにも主人は頬をおさえて「熱い。いたい」と、畳の上をのたうちまわります。あわてて召し使いの娘が主人の頬に水をかけて傷を冷やしました。

 そこへ入ってきた医者が薬をぬってようやく傷の痛みがおさまりました。そのとき観音像の頬の傷はまだ治してありませんでした。主人はまた観音様に許しを乞いました。そして仏師を呼んで観音様の頬の傷に金箔を貼らせました。ところが仏師が何回金箔を貼ってもすぐに熱で金箔がとけてしまい、頬の傷は消えません。主人の頬の傷も消えません。主人はまた「観音様。すみませんでした」と言いました。そのとき観音様のくちが動きました。「火を消した白い人たちはおまえと娘の先祖である。先祖と娘にわびよ」という声が聞こえました。主人と妻が召使いの娘に両手をついてあやまり、仏壇に手を合わせて先祖にあやまっていると観音像と主人の頬の傷口が静かに盛り上がり、自然と二つの傷が消えてしまいました。

 主人が観音様にお礼を言うと、ふたたび観音様のくちが動きました。「おまえがいじめた狐の子にもわびよ。狐にも先祖がいる。米倉に火をつけた狐たちはみな子狐の先祖である」という声が響きました。主人が森の方を向いて手を合わせ、子狐と狐の先祖におわびを言っていると森の中から稲穂を口にくわえたたくさんの狐が続々と走ってきました。狐たちは焼けおちた米倉のうえに稲穂を山のように積み上げて去って行きました。その年の秋に夫婦は稲穂の米を売ってお金に代え、以前よりも大きく立派な米倉を立てることができました。夫婦は米倉の中にも観音像を安置して、毎日水と米をお供えしてご先祖に感謝するようになったということです。

(『沙石集』巻第二の3と、『宇治拾遺物語』巻三の20を翻案合作)





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