| 【シリーズ】親子で読む物語。第22回 生きものを大切にしましょう (15728) |
- 日時:2025年09月16日 (火) 23時18分
名前:芥川流之介
生きものを大切にしましょう
むかし、美濃の国に大きな河がありました。その河は大雨が降ると大変な量の水があふれて洪水になります。河の近くに住む人たちは、洪水に備えて家の床板を地面から一メートルの高さのところに敷いて、梯子を使って上り下りしていました。河の魚を網で獲って暮している甚平さんの家でも丈夫な床板と屋根を組み合わせて、ひいお爺さんのときから高い床の上で暮らしていました。
ある年の夏の終わりごろです。急に発生した台風が美濃の国を直撃しました。河は大洪水になりました。たくさんの家が河の水に流されて、多くの人がなくなりました。しかし甚平さんの家は丈夫に造ってあるので、家の柱が地面から離れても家はそのまま水に浮いて、船のように洪水に流されてゆきました。山に逃げ登ってその様子を見ていた人たちは、「甚平さんは助かるのだろうか」と口々に言っていました。
そのうち、甚平さんがちょうどご飯を炊いていた火が床板にうつり、そこへ台風の強い風が吹いて火は猛然と燃え広がりました。山の上で見ていた人たちは、「水に流されながら火事にあうとは、なんとも不思議なことじゃ」と言いながらも、どうすることもできません。ついに甚平さんが河に飛び込みました。甚平さんが使っている魚獲り用の網は風に揉まれて、どこかへ飛んでゆきました。甚平さんはそのまま流されてゆきます。それを見ている人たちが、「甚平さんは火事からなんとか逃れたが、あれではとても助かるまい。なんとも気の毒なことだ」と言っているうちに甚平さんはどんどん流されてゆきました。ところが、たまたま短い木の枝が水面につき出ていました。その枝を甚平さんがつかむと、それに引っ張られて甚平さんの体が流されなくなりました。甚平さんが手でその枝を探ってみると、太く大きな木の幹から分かれて伸びた木の枝でした。甚平さんは安心して、その枝をつかんでいました。
この河は大洪水になってもすぐに水が引いてしまうのでした。このときも河の水が引いてゆくにつれて、甚平さんがつかんでいた木が姿を現してきました。やがて太い枝の股が現れてきました。甚平さんがそれにまたがって、「水がすっかり引いたら、このまま助かるにちがいない」と思っているうちに、日が暮れて夜になってしまいました。真っ暗で何も見えません。甚平さんが、「朝になったらこの木から降りよう」と考えて、なかなか夜が明けないのを待ち遠しく思っているうちに、ようやく夜が明けて空が明るくなってきました。
甚平さんが辺りを見ると、なんとなくフワフワとして高い雲の上にいるような気がします。「これは一体どうしたことだろう。」よくよく目をこらして甚平さんが下を見ると、なんと甚平さんは高い断崖から深い谷に向けて傾いて生えている太い木の枝の股の上に腰を乗せているのでした。甚平さんが乗っている枝は風が吹くとユラユラと揺れて今にもポキンと折れそうです。「この枝が折れたら、はるか下の谷川に落ちてしまう」と思うと甚平さんはおそろしくて、どうしようもありません。朝から山に登って甚平さんを探していた村の人たちは甚平さんの姿を見つけましたが、どうしようもありません。村人たちが「どうやって助けたらよいだろうか」と言っているとき、どこからともなくキツツキが一羽、甚平さんが乗っている木の枝に飛んで来ました。キツツキは鋭いくちばしで、なんと甚平さんが乗っている枝の付け根を突っつきはじめました甚平さんは驚いて声も出ません。
そこへ大きな鶴が四羽、くちばしに魚獲り用の網をくわえて飛んできました。網は台風の風で飛んで行った甚平さんの網でした。山の村人たちが山の上からその様子を見ていると、鶴は羽ばたきしながら網を広げて、甚平さんの木の枝の真下に浮いていました。甚平さんの網が真下に広げられた瞬間、木の枝がポキンと折れて、甚平さんは真っ逆さまに網の真ん中に吸い込まれました。四羽の鶴は甚平さんを網の中にぶら下げたまま山の上まで飛びつづけ、それを見ている村人たちの目の前に網をおろすと一直線に空のかなたへ飛んでゆきました。
次の日、甚平さんが村のお婆さんから聞いた話では、甚平さんのひいお爺さんは生きものを大切にする人で、林のなかで猟師がしかけた罠にかかった鶴を、猟師にお金を払って助けたことが四回もあったということでした。
(『今昔物語集』巻二十六の3を翻案)
|
|