| 【シリーズ】親子で読む物語。第15回 親孝行をしましょう (15658) |
- 日時:2025年06月10日 (火) 22時37分
名前:芥川流之介
親孝行をしましょう
むかしむかし、武蔵の国の浅草の北にある丘のうえに、小さな畑で野菜をつくり、家の下を流れる隅田川におりて魚をとっている村人がいました。その村人には美しい妻と十五歳の小柄な娘がいました。娘は畑に出て人参や南瓜の種をまき、そのあとで父親といっしょに細い道をくだって、隅田川の海苔(のり)やアサリをとっていました。畑にまく人参の種は南瓜の種と同じ四月にまきます。四月の種まきで二人がいそがしいときには隣の家に住んでいる幼なじみの男の子も手伝っていっしょに種をまき、アサリをとっていました。
ところがある日、父親が風邪にかかって高い熱をだしてしまいました。寝込んだ父を娘が看病しました。ところが父親はなかなか元気になりません。それどころか日に日に体がやせて細くなります。娘は夜も寝ずに看病しました。しかし父親はとうとう亡くなってしまいました。娘と母親は嘆き悲しみました。しかし今さらどうにもなりません。二人は隣の家の幼なじみの男の子に手伝ってもらって父の遺体を棺の中に入れ、その棺を手押し車にのせて、三人で野原の墓地へ運んで行きました。男の子も娘とおなじ十五歳。体が大きいので、娘と母親はゆっくりと丘の上の野原まで遺体をはこぶことができました。
さて、野原に遺体を埋めようとして車から棺をおろしてみると棺はひどく軽く、ふたが少し開いていました。三人が奇妙に思ってふたを開けてみると、どうしたことか棺のなかは空っぽです。「これは一体どうしたことだろうか」と、三人は合点がいかずに唖然としてしまいました。しかし今さらどうしようもありません。「このままにもしておけない」と言って、三人がもと来た道を反対に進み、「ひょっとすると途中の道端に遺体がおちているかもしれない」と捜してみました。しかし道では猫の子いっぴきも見つからず、三人は家の近くにまでもどってしまいました。
三人が家にちかづくと、なんと門の外の道端に父親の遺体が横たわっています。三人はふしぎに思って、「これはどうしたことだろうか」と話しているうちに日が暮れてきました。「これでは丘をのぼれない」とおもって、三人はまた遺体を棺に入れて、今度はよく念を入れて蓋をしめて棺を部屋の奥に寝かしておきました。「朝になったら棺を墓地に運ぼう」と三人が相談しているうちに、夜が明けて外が明るくなってきました。
三人が棺を見ると、棺の蓋が細めに開いています。三人がおどろいて棺をあけると中はまた空っぽでした。おどろいた三人が家のまわりをよく見ると、父の遺体が棺から出てまた門の外に横たわっていました。「これはいよいよあきれたことだ」といって、三人がまた父の遺体を持ち上げようとしました。ところが遺体は重くて動きません。まるで土から生え出た大木を引きぬこうとするような具合でした。三人は、「父はここにいたいのだろうか」と思い、娘が遺体にむかって、「おとうさんはここにいたいのですか。それなら、このままにしておきましょう。しかし門のまえの道路に遺体があるのは見苦しいから道に穴をほり、そのなかに埋めさせてもらいますよ」と言って遺体の右手をもちあげました。すると手は軽くもちあがりました。それで三人が門の横に穴をほって遺体をもちあげると、やはり軽々と持ち上がりました。三人はそこに遺体を埋めて、土をたくさん盛って、垣を守る土塀のようにしておきました。
その次の日のことです。三人が家の中で父のために「甘露の法雨」という尊いお経をよんでいると、突然地面がゆれてはげしい地鳴りの音が遠くから聞こえました。大地震が武蔵の国を襲ったのです。江戸の海から高い津波がおしよせて隅田川を上ってきました。川の水が左右の丘にはさまれた細い道をさかのぼって娘の家に押し寄せました。娘の家が津波に呑みこまれそうになったとき、遺体を埋めてある土がとつぜん高く盛り上がり、隣の家の前まで横にも広がり、さらに高くそびえて、押し寄せてくる津波の水をすべて撥ね返してしまいました。
津波が引いたあとに三人が門の外へ出て見ると、きのう盛り上げた土が津波の水といっしょに海へ流れてしまい、娘の家と隣の家だけが昨日と同じように残っていました。娘と幼なじみの男はそのあと結婚して仲良く村を開拓したということです。
『宇治拾遺物語』巻三の15を翻案
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