| 【シリーズ】親子で読む物語。第9回 自分の善行を自慢しないようにしましょう (15616) |
- 日時:2025年04月21日 (月) 17時04分
名前:芥川流之介
自分の善行を自慢しないようにしましょう
昔、江戸の町に原田内助という浪人が住んでいました。浪人とは仕事がなくて貧乏な生活をしている侍のことです。内助は年の暮れの二十八日になって、とうとうお正月の準備をするためのお金がなくなり、近くに住んでいる医者の兄に「お金を貸してほしい」と手紙を出しました。兄は十両のお金を紙に包んで内助に送りました。
内助は大いに喜び、ひごろから親しく交際している浪人仲間七人に、「思いがけず小判で十両が手に入ったので、今夜お酒を一献さし上げたい」と誘いの使いを送りました。その夜やって来た客をむかえて内助は柴の戸をあけ、「さあ、こちらにお入りくだされ」と言って客人たちをご案内。客の浪人たちはみな軽くて暖かい紙子を着ているが、金がないので季節はずれの夏用羽織を着ている者もいました。
客人全員が一通りの挨拶をすませてから、亭主・内助があらためて歓迎を語って酒宴になりました。「私は兄からうれしい援助を受けて、思いのままの正月を送れます」と内助が言うと、皆々、「それはうらやましい」と言う。内助が、「兄からいただいた金を見ていただきましょう」と言って、あの小判を紙に包んだまま客人たちにさし出すと、「さてさてしゃれた金包みだ」「拙者も大晦日の包みを手に入れたいものよ」と言いながら金包みを見て回すうちに、杯の数も重なって行きました。
「いや何とも気持のよい年忘れの会で、ことのほか長居をしました」と一人が言って酒宴も終わりになり、みなで鍋や徳利(とっくり)を手渡しで片づけ、「十両の小判もおしまいください」と集めたところ、なんと十両あったうちの一両が足らない。一座の人々は居ずまいをなおし、自分の袖を振って調べてみたが、いっこうに一両は出てこない。
主人の内助が、「そうそう。十両のうちの一両は、私がある所に支払ったのでした。十両あると申したのは、私の覚え違いでした」と言う。それを聞いて、「しかし今まで、確かに十両あったのに不思議なことだ。とにかく身の潔白を示すために…」と、正面の客が自分の着物の帯を解いて身の潔白を示すと、その横にいた男も帯を解いて小判を盗んでいないことを証明した。ところが三番目にすわっていた男は、それまでは渋い顔をしてものも言わなかったが、とつぜん居ずまいを正して、
「この世の中にはこういった辛いこともあるものだなあ。私は衣服を振って調べるまでもない。たまたま小判一両を持ち合わせているのが拙者の身の不運だ。思いも寄らぬことで拙者は一命を捨てることになった」と言った。すると、一座の人々が口をそろえて、「あなただけでなく、いかにおちぶれた身の上だとはいえ、われわれ浪人が小判一両を持たないものでもない」と言ってかばう。
「いかにもこの小判は、私が長年持っていた小刀(しょうとう)を刀屋へ一両で昨日売却したものであることに違いはない。しかし何分にも時節が悪い。常々ねんごろに語り合っていた仲として、私が自害したあとで、このことをお調べくださり、私が死んだあとに残った汚名をどうかすすいでもらいたい」と言いもあえず刀の柄(つか)に手をかけて抜こうとした。
その時、「小判はここにある」と、行灯(あんどん)の陰から小判一両を投げ出した者がいた。「さては見つかったか」と一座の騒ぎが静まり、みなで「よかった。よかった。何事も念には念を入れて調べるものだなあ」と言って安心していた時に、なんと台所から内助の妻がやってきて、「小判は台所に来ていました」と言って、重箱(じゅうばこ)の蓋(ふた)に付いたままの小判を座敷へ持ってきた。妻は、「これは、おそらく山芋のにしめを入れてあった重箱の蓋に、にしめの湯気で小判がくっついたのでしょう」と言う。それを聞いて客人たちが、「そういうこともあるだろう。これで小判がふえて十一両になった。年の暮れに小判の数がふえていく。これは何ともめでたいことだ」と喜びあった。
しかし内助は、「九両の小判は十両だったはずと言っているうちに十一両になりました。ということは、この部屋のなかに誰か小判を持っていた人がおられて、三番目の人が切腹するのを避けようとして、ご自分の小判をお出しになったに違いない。だからこの一両は私がいただく筋合いのものではない。ぜひ持主の人にお返ししたい。どなたが出してくださったのですか」と、客人たちに聞いたが、誰ひとり名のって出る者もない。そのまま一座の者たちは妙に白けてしまって、夜更けに鳴く一番鶏が鳴き出す時分になっても、みな帰ろうとしても帰ることができない。
内助が、「こうなった以上、私が考えている通りにさせてくださらぬか」と客人たちに言ったところ、「ともかくも、ご主人のご意見にまかせる」と客たちが言うので、内助はこの小判を庭の手洗い用の水鉢(みずばち)の上に置いて、「どなたでも、この小判の持ち主はお取りになってからお帰りください」と、お客を一人ずつ帰らせ、そのつど戸をいちいち閉めて、七人を七度に帰して、最後に内助が手燭(てしょく)をともして水鉢の上を見ると、誰とも知れず小判を持ち帰っていた。
さて、小判を差し出した人がだれであったのか。それは誰にもわかりません。
井原西鶴『西鶴諸国ばなし』のなかの「大晦日はあはぬ算用」を一部修正の上、現代語訳。 (記憶違いを読者にお詫びし、正確に教示して下さった人に感謝す」との著作者の弁です なお、著作者によると、「親切な読者が読んでくださっていることを嬉しく感じたので、 下にある15617記事は削除されない方がありがたい」とのことです。)
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