| 【シリーズ】親子で読む物語。第8回 いつも勇気を持ちましょう(後半) (15614) |
- 日時:2025年04月16日 (水) 18時52分
名前:芥川流之介
いつも勇気を持ちましょう(後半)
いよいよ祭の当日になりました。村の人たちが男の体を清め、衣装をきちんと着せ、髪をとかせ、こまごまと面倒をみているうちに、使いの者が山の神社からやってきて、「早く。早く」とせかせます。男は家の主人や多くの村人たちといっしょに馬に乗って出かけました。男の妻は物も言わず、衣を引きかぶって泣き伏してしまいました。
さて、男と村人たちが進んで行く山の中には大きな神社があり、広々とした建物がそびえています。男がよく見ると、その建物の前にたくさんのご馳走を供えて、数えきれぬほどの村人が居並んでいました。村人たちは建物のまえに一段高く座席をこしらえて、そこに男をすわらせて食べ物をすすめます。ほかの者たちも食ったり飲んだりして舞い遊び、それが終るとこの男を呼び出して裸にして、「絶対に動くな、口をきくな」と言い含めて、まな板の上に男を寝かせ、そのまな板の四隅に榊の枝を立て、それに注連縄(しめなわ)をかけ巡らし、村の人々がそのまな板をかついで建物の中にすえつけ、神殿の扉を閉じて一人残らず帰っていきました。男は足をさし伸ばした股の間に、隠し持った刀をさりげなく挟みこんでいました。
しばらく経つと一の殿(でん)と呼ばれる神殿の扉がギイーと鳴って開きました。その音を聞いたとたん、侍は恐怖で頭の毛が少し太くなり、背筋が寒くなりました。そのあとは次々と神殿の扉が順々に開いてゆく。そして、大きさが人間ほどもある猿が神殿のわきから現れて、一の神殿に向ってキャッキャッと声をかけると、一の神殿の簾を押し開いて中から出てくる生き物がいる。見ればこれも同じ猿である。
そのなかで大きく銀のような鋭い歯を持つ、堂々とした猿が歩み出てきた。侍は「神ではなかった。ただの猿だったのだ」と思うと、気もちが楽になりました。神殿から次々と猿が出てきて並んですわると、さきほど神殿のわきから出てきた猿が、銀歯の猿に向き合ってすわりました。最初の猿が何事かキャッキャッと言う。それに応じて銀歯の猿が生贄の男に歩み寄り、そこに置いてある刀を取って男を斬ろうとしました。
その瞬間、男は股にはさんだ刀を手に取るやサッと立ち上がり、銀歯の猿めがけて走りかかったので、猿はあわててあおのけざまに倒れました。男はそのままのしかかって猿を踏みつけ、刀を猿の腹に向けて、「貴様が神か」と言うと、猿は手をすり合せて拝む。ほかの猿どもはこれを見て一匹残らず逃げ去り、キャッキャッと騒ぎ合って木に走り登ってしまいました。
男はそばにあった蔓草(つるくさ)を引きちぎり、この猿をふんじばって柱に縛りつけ、ふたたび刀を猿の腹に突きつけて、「やい、きさまは猿だったのだな。神だと偽り、毎年人を食うなどは飛んでもないことだ。ほかの猿をすべて呼び出せ。出さぬと貴様を突き殺すぞ。もしお前が本当に神ならば刀は刺さるまい。ひとつ試して腹に突き立ててやろうか」と言って、ほんの少し腹をえぐるまねをすると、猿は叫んで手を合せます。
男が、「早くほかの猿を早く呼び出せ」と言うと、それに応じて猿はキャッキャッと叫んだ。それでほかの猿がすべて出てきた。侍が、「最初の猿を呼べ」と言うと、またキャッキャッと言う。それとともに一匹の猿が出てきた。侍はその猿に命令して蔓草を取りにやり、取ってきた蔓草でほかの猿を縛りつけ、またその取ってきた猿をも縛り、「おまえたちは俺を食べようとしたが、今日だけはオレの言うことをきくなら命を助けてやる。しかし明日から村の人たちに良からぬことをしようものなら、その時には貴様たちすべてをこの刀で斬り殺してやるぞ」と言って、玉垣の中から猿をみな引きずり出し、木の幹に縛りつけてしまった。
侍は神社の建物に火をつけて、炎に驚いてもどってきた村人たちを寄せあつめ、村人たちの目の前で猿どもをにらみつけ、目をいからして、「貴様たちは猿のくせに神だと偽り、毎年一人ずつ人間を食い殺していた。やい、悔い改めろ」と言い、弓に矢をつがえて猿を射ようとしたので、猿たちは叫び声を上げて手をすり合せてあわてふためく。侍は猿に向って、「悔い改めるならば貴様らの命は取るまい。しかし今後もし村の人たちに神様のまねをしようものなら、その時には必ず射殺してやる」と言って、一匹の猿を杖で二十回ほど順々に殴りつけ、村の者にも一回ずつ猿をたたかせ、焼け残った神殿もみなこわしてひと所に集め、ふたたび火をつけて猿たちが悪さをできないようにして、最後に猿たちを放してやった。猿たちは片足を引きずりながら山深く逃げ入り、その後は二度と村人たちの目の前に姿を現さなくなりました。
男は村の人々から尊敬されて村の長者となり、山に住む熊やいのししを退治するときにはいつも先頭に立って狩りを行い、あの美しい妻といつまでも仲むつまじく暮したということです。
『今昔物語集』巻第二十六を翻案
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