| 【シリーズ】親子で読む物語。第7回 いつも勇気を持ちましょう(前半) (15607) |
- 日時:2025年04月11日 (金) 22時04分
名前:芥川流之介
いつも勇気を持ちましょう(前半)
昔、侍が飛騨国の山を登っているうちに道に迷ってしまいました。しかたがないので下り坂をおりていくと、坂の下に多くの人家が見えました。侍が「やれ。うれしや」と思ってそのほうに歩いていくと、あちこちからたくさんの人が集ってきて、皆で侍を取り囲んでどんどん連れていきます。侍がどうしようもなく歩いていくうちに、たいへん大きな家に着きました。
その家から主人の男が出てきて侍に、「そんなに不思議に思いなさるな。ここはたいへん楽しい村です。あなたには心配させず豊かに過させてあげようと思っているのです」と言うので侍が家のなかを見ると、男女の使用人が大勢います。家の人たちは喜んで侍を待ち迎え、夢中になって走り騒ぐ。人々は侍に、「早くお上がりくだされ」と言って、たいそう大きな部屋の真ん中にある綺麗な座布団の上に侍を座らせました。
家の主人が「まず、お食事をさしあげましょう」と言うと、すぐに使用人たちが食べ物を持ってきました。見ると、魚や鳥を見事に料理してある。侍がそれを食べていると、主人の男が自分の膳を持ってきて、二人さし向いで食事をしました。そのうち男が侍に、「私にはかわいがっている娘が一人おります。まだ一人身で、どうやら年ごろにもなりましたので、あなたの妻にしていただこうと思っております。どうぞかわいがってください」と言いました。
そのあと夜になり、年のころ二十歳ほどの、顔も姿も美しく、きれいに着飾った女を、家の主人が侍の前に押し出して、「この娘をあなたに妻としてさしあげます。今日からは私がかわいがると同様にかわいがってくだされ。たった一人の娘でございますから、わたしの愛情のほどをよくお察しください」と言って出ていったので、侍は娘を妻とすることにしました。こうして、夫婦として月日を過すことになりましたが、その楽しさはたとえようもありません。着物は着たいものを着せてくれる。食べ物はなんでも食べさせてくれる。侍は以前とは別人のように、見ちがえるように太ってしまい、そのうち八か月ほどが過ぎました。
ところが、なぜかそのころから妻の顔色が変り、ひどく悲しんでいる様子です。この家の主人はあいかわらずよく面倒をみてくれて、「男は肉がつき、肥えているのがいいのですよ。お太りなされ」と言って、日に何度となく物を食べさせます。侍はますます太っていきました。ところがそれにつれてこの妻がさめざめと泣く。夫が不思議に思って妻に、「何を嘆いておられるのか。さっぱりわけがわからぬ」と尋ねても、妻は、「ただなんとなく心細く思われるのです」と言って、それにつけてますます泣くのです。
夫はわけがわからず、どうにも怪しい気がする。しかし人に聞くべきことでもないのでそのまま過しているうちに、この家に客がやってきて、この家の主人の部屋で話をはじめました。夫がとなりの部屋でそっと話し声を聞いてみると、客と主人の男は、「よい男がみつかったね。これで家の娘は助かった…」と、不思議なことを話し合っていました。
次の日のことです。この村の人々がなにやら準備に追われている様子で、家ごとに大騒ぎしてご馳走の用意を始めました。妻の泣き悲しむ姿は日ましに募ってゆく。夫が妻に、「これほど私に隠し事をなさるとは情けないことですね」と言うと、妻が涙を落して、「この国には恐ろしいことがあるのです。この国の山の上に神様と名のる怪しいものがいて、その神様は人を生贄(いけにえ)として食べるのです。あなたがここにおいでになった時、私の父が『わたしの家に来てほしい』と頼んだのは、あなたをその生贄にするためでした。もしあなたが来てくださらなかったら、私が神様に食べられることになっていたのです」と言いました。
夫が、「そんなことをどうして嘆く必要がありましょう。別にたいしたことでもないようです。その生贄は人が料理して神に供えるのですか」とたずねると、妻は、「そうではありません。生贄を裸にして、まな板の上にきちんと寝かせ、神社にかつぎ込んで、人がみな去ってしまうと、神様が料理して食べてしまうのです。痩せてみすぼらしい生贄をさし出すと、神様が怒ってその年は不作になり、人も病み、里も穏やかにならないので、このように何度となくあなたに物を与えて食い太らせているのです」と言います。
夫は自分が大切にされた理由がわかって、「その神様はどういう姿をしているのですか」と尋ねました。「だれも姿を見た者がいません」と答えます。そこで夫が妻に、「私に刀を捜して持ってきてください」と頼むと、妻はよく切れる刀を一振り持ってきて夫に与えました。夫はその刀を手に入れて、刃を十分に研ぎ澄し、だれにも見せないように隠していました。そうして侍は前よりも食い物をよく食べて腕も体も太りました。家の主人も喜び、これを伝え聞いた村の人々も、「これでこの村も今年は安心だ」と言って喜びました。さて、この夫はこれからどうなるのでしょうか。
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