| 【シリーズ】親子で読む物語。第4回 友だちを大切にしましょう (15568) |
- 日時:2025年03月26日 (水) 13時25分
名前:芥川流之介
友だちを大切にしましょう
むかし、白河天皇のときに、生き物を殺してはいけないという法律が出されました。そのとき京都の西のはずれにある小さな村にお坊さんが住んでいました。そのとなりの家には仲のよい次郎兵衛さんが住んでいました。
七日まえから次郎兵衛さんは病気にかかっていました。次郎兵衛さんはだんだん体が細くなって、今はもう命もなくなってしまうほどになりました。お坊さんは次郎兵衛さんに魚を食べさせるために、魚屋さんをあちこち探しました。しかし魚を殺してはいけないので、魚屋さんにも魚がありません。お坊さんはこっそりと桂川に行き、鮎を二ひき捕まえました。ところが、それが役人に見つかってしまいました。
役人はお坊さんを捕まえて、白河天皇の御所へ連れていきました。白河天皇は「生き物を殺してはいけないという法律があるのに、なんと坊さんが魚をつかまえて殺すなど…もってのほかである」と、お坊さんを叱りつけました。するとお坊さんはこのように申すのでした。
「生き物を殺していけない命令があることは十分知っております。ただ、私には病気の次郎兵衛という友だちがおります。次郎兵衛は私だけを頼りにしていて、私のほかに頼れる者はおりません。年を取り、体も弱って、今にも死にそうなありさまです。私も貧乏です。お金がないので次郎兵衛を養うことができません。次郎兵衛は魚を食べれば元気が出るのに、世の中はすべて魚も鳥もとれなくなってしまったので、私は友を助けるために思い余って川に入ったのです。私が処罰されることも覚悟のうちでございます。けっして逃げたりいたしません」と申すのでした。
お坊さんは続けて言いました。
「この捕った魚は、すぐに川に放したとしても生き返ることはありません。この私に少しでも時間をいただけるならば、この魚を次郎兵衛さんの所へ届けたいと思います。そして次郎兵衛さんが元気になったら、私はいかなる罰でも受ける覚悟でございます」
これを聞いた役人たちは目に涙をうかべました。白河天皇も感動して、お坊さんにいろいろの食べ物をお与えになり、お坊さんを牛車にのせて次郎兵衛さんの家に魚を持って行かせました。次の日に、「あなたのような人が役人になって、私の政治を助けてくれたらありがたい。ぜひ還俗(お坊さんが普通の人にもどること)して大納言になってほしい」と、ていねいにお願いなさいました。お坊さんは髪をのばして大納言になりました。元気になった次郎兵衛さんは白河天皇から「少将」という役人の位をいただきました。
さて、その次の年に御所で事件が起こりました。
昼すぎに御所の台所で大納言や少将たちが集まって食事をしていました。そのときお茶をのんでいた少将が、とつぜん食卓(食事用のテーブル)に頭をあてて静かに眠ってしまいました。大納言は驚きながらも、「少将は疲れているのだろう」と思って起こさないでいました。ところが少将は体が固まったようになって、まったく動きません。人々が「これは変だな」と思っているうちに、少将は食卓に頭をあてたまま喉が詰まったように「くっくっ」と音をもらしはじめました。
「その少将の声はどうもおかしい。はやく少将を起こせ」と大納言がおっしゃったので役人が近寄って少将をよく見ると、少将は歯をくいしばって苦しそうな顔をしたまま体が固まっていて動きません。役人が少将の体に触って、「うわ。もう死んでいる。ひどく気味のわるい顔で死んでいる」と言うのを聞いて、そこにいた役人たちはみな驚き、そのまま思い思いに走って部屋から逃げ出してしまいました。
大納言は、「このまま御所に死体を放っておくことはできない」と思って下男たちを呼び集め、「少将の死体を少将の家にはこんでやれ」と命令しました。下男たちが「この部屋の出口は東と西にあります。どちらの出口から外に出しましょうか」と、たずねました。大納言は「東の出口から死体を出せ」と言いました。それを聞いた多くの人たちが「少し怖いけれども、少将の顔を見たい」と思って、東の出口に殺到しました。
大納言は下男たちに小さな声で、「いや。西の出口から出せ」と言いました。それで少将の死体は誰にも見られずに外に運び出され、ひそかに少将の家に送られました。大納言は、少将が死に顔を見られて恥をかかないように、わざとはじめに嘘の命令を出したのでした。
その三日後の夜のことです。大納言の家で飼っていた兎や鶏をニ十匹の飢えた野犬が襲い、大納言の邸内に乱入しようとしました。寝ていた大納言が、野犬の叫び声で目を覚ますと、どこからともなく一人の侍が現れて、邸内に入ろうとする野犬を刀で切り殺しています。野犬が侍に襲いかかりますが、侍は体がないので噛みつくことができず、野犬はみな刀で切り殺されてしまいました。
そのあと大納言は長く白河天皇に重用されて、最後は左大臣になって国家の重要な政務を担ったということです。
(『宇治拾遺物語』巻第十および『十訓抄』巻第六の30の翻案合作)
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