| 【シリーズ】親子で読む物語。第3回 親と御先祖を大切にしましよう (15567) |
- 日時:2025年03月24日 (月) 16時25分
名前:芥川流之介
親と御先祖を大切にしましよう
むかし印度のマカダ国に若い娘がいました。娘は見た目が美しい娘ですが、両親が木こりをしている身分の低い家の娘でした。
ある日、娘が茶畑に出かけてお茶の葉を摘んでいるのを、たまたま狩にやって来た若い国王が通りかかって御覧になりました。しかし娘は茶葉を摘むばかりで国王の行列を一度も見ません。国王が不思議に思ってそのわけをお尋ねになると、娘は、「私は親の命令でお茶の葉を摘むだけです。王様のお姿を見ることは、私の親の命令に入っておりません」と答えるのでした。
「この娘は、どうもただ者ではない」と若い国王はお気づきになり、そのまますぐに娘を宮殿に連れていこうとしました。しかし娘は、「私は家に帰って両親にこの事を申しあげ、両親の許しを得てから王様のご命令に従いましょう」と言います。この娘がひどく親孝行であることに気づいた国王は娘の親にたくさんの贈り物をとどけ、立派な車に娘をのせて宮殿につれいき、宮殿の大きな部屋で結婚式をあげて自分の后としました。すぐに国王とお后のあいだに玉のような男の子が生まれました。男の子はアショカと名付けられました。アショカはたくましい皇子に成長しました。アショカは母に似て親孝行な青年に成長しました。
そのころのことです。マカダ国の北の山岳地帯にあるカリンガ国の人たちがしきりにマカダ国に入ってきて、マカダ国の領地を奪おうとしてマカダ国の大臣たちに贈り物をとどけることが何度も起こりました。マカダ国の国王はカリンガ国との境界に軍隊を派遣し、その軍隊の責任者に最も信用できるアショカ皇子を指名しました。アショカは都をはなれて山岳地帯に進軍しました。アショカは父と離れたことをさみしく感じて、「早く都に帰りたいものだ」と思いながらもカリンガ国の軍と戦いました。
それから三年後のことです。ようやくカリンガ国がマカダ国に侵入することをやめたので、アショカ皇子は兵をひきいてマカダ国の都にもどりました。ところがアショカ皇子がカリンガ国軍と戦っているあいだにマカダ国では流行病がはやり、国王がその病にかかって、十日ほど苦しんだあげくアショカが都に到着する前の日に亡くなっていました。
アショカは都に着いて国王の遺体を燃やしてから王の葬式をおこない、次の日に悲しみのあまり髪の毛を切ってお寺に入ってしまいました。アショカは物を食べない「断食」という厳しい修行を続けました。その修行の功徳で、アショカは死んだ人が住んでいる霊界に行けるようになりました。アショカは霊界にいる父をさがすため、さらに厳しい断食・瞑想の修行を続けました。その修行を始めてから七日目の正午に、アショカは長らく物を食べなかったために意識が遠くなって、その日の夜に気絶してしまいました。
アショカ皇子が霊界で気がつくと、夢ともいえず現実ともいえない薄暗い世界に地獄界があります。そこになぜか父の国王がいました。地獄には鉄の岩の山が四つあり、その山の一つの頂上に一軒の粗末な小屋があります。そこに父の国王がいました。国王はアショカ皇子の姿を御覧になり、喜びの表情で近くへお招きになりました。国王が皇子に言いました。
「私はマカダ国の国王である。それなのに三つの罪でこの地獄に落ちてしまった。一つめの罪は、私が隣のカリンガ国と戦争をはじめて多くの国民を死なせてしまった罪である。二つめの罪は、カリンガ国の王を油断させるために自分の娘を王にさしあげて、そのあと戦争をはじめて娘を裏切ったことである。三つめの罪はカリンガ国につかまった自分の家来たちを見殺しにして戦いを続けたことである。この三つの罪が原因で私がここで苦しみを味わわされてい。私は辛い。苦しい」とおっしゃるのでした。そして、「私が救われるためには世界で一番徳の高い立派なお坊様に、一番立派なお経をあげて祈ってもらわなければならない」と語って、「息子よ。おまえが生きかえったら、このことを世界でいちばん徳の高いお坊様にお願いせよ」と命令なさいました。
アショカ皇子がよく見ると、国王は三人のお供とともに真っ赤に焼けた灰の上にうずくまっています。国王だけは着物を召しておられるが、三人は裸である。おのおのが泣き悲しみ、涙にむせんでいる姿は目もあてられないほど気の毒なものでした。アショカ皇子が涙を流してその小屋から外に出ると四つの鉄の岩の山が動いて一つの山になり、小屋が山のなかに埋もれて見えなくなってしまいました。地獄の世界は辛く悲しいものであります。
さて、アショカ皇子がこの世にもどって功徳あるお坊様にこの事を話すと、お坊様は国王のために祈り、「甘露の法雨」という尊いお経を何回も読誦して盛大に供養なさいました。それから七日後にアショカ皇子が霊の世界を見に行ったところ、国王は極楽の蓮華の花の上にすわって、三人のお供といっしょに遊んでおられたということです。
(十訓抄・第五の17ほかを翻案)
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