《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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【シリーズ】親子で読む物語。第1回  生き物を大切にしましょう (15565)
日時:2025年03月24日 (月) 12時36分
名前:芥川流之介

はじめに
このシリーズは、ある教育誌に掲載されていた「親子で読む物語」を発掘し、著作者の快諾をいただいたうえで掲載するものです。全部で何回のシリーズになるかは不明ですが、著者の許可を得た物語だけを掲載していることをご理解ねがいます。


生き物を大切にしましょう


むかしむかしの鎌倉時代。少将という侍がいました。少将は長いあいだ城に住んでいたのですが、敵に攻められて城が落ち、兵士たちもことごとく討ち取られてしまいました。少将はやっとのことで、命からがら逃げ出し、山の奥に身を隠しました。

敵はその山をあちこち捜したけれども、少将は用心深く岩穴に隠れて、三日のあいだ隠れていました。そのとき岩穴の下の方に蜘蛛が網をかけていて、その網には大きな蜂がひっかかっていました。蜘蛛は網を引き寄せて今にも蜂を巻き殺そうとしているのでした。

少将はかわいそうになって、蜘蛛の網から蜂をはずしました。そして蜂に言いました。「生きているものにとって、命以上に大切なものはない。お前は、前世の修行が少ないために虫となって生れてしまったが、命が惜しいことは人間と同じだろう。いま俺は敵に攻められて危ない目に遭っている。おまえも危ない目にあっている。お前の命を助けてやろう」といって、蜂を放してやったのでした。

その夜のことです。少将の夢に、赤色の衣を着た男がやって来て言いました。「昼のおことば、すべて耳にはっきり残っております。あなたさまのお心は、まことにもったいないと存じます。私は蜂という、つまらない身に生れついたけれども、どうして恩を返さないことがありましょうか。どうぞ私が申し上げる通りに、ご用意をして下さいませ。あなたさまの敵を討ち滅ぼそうと思っております」と。

少将が、「いったい、どちらの人が、こんなことをおっしゃるのか」と尋ねると、「昼間、蜘蛛の網にからめられていた蜂は、私でございます」と言います。少将は不思議なことだと思いながらも、「どうやって敵を討つというのか。おれに付き従っていた者は、十のうち九は死んでしまった。おれには城もない、頼りもない。どう考えても、戦う方法など無いのだ」と言うと、

「どうして、そんなふうにおっしゃるのですか。生き残っている者もいるはずです。二、三十人ほど、何とかして声をかけて、お集めください。この後ろの山に、蜂の巣が五十あります。これも、みな私と同じ心の者たちです。みな呼び集めてあなたの加勢をすれば、どうして敵を討ち果さないことがありましょうか。

ただし、お願いがあります。いくさをなさる日には、もとの城の近くに小屋を造って、瓢箪と壺をたくさん置いて下さい。そこに私の仲間が少しずつ寄り集まって来るでしょうから、瓢箪と壺の中にしばらく隠れて、敵を待っていようと思います」と約束して男は消えてしまった……と思っているうちに、少将は夢が覚めた。

少将は「あてにならないことだ」と思うものの、とてもうれしく思い、夜の闇にまぎれて、もとの城のあたりへ出て行き、あちこちに隠れていた者たちを呼び集めて、こう言った。「俺はまだ生きている。どうせ死ぬのなら、最後に敵に矢を射かけてから死のうと思う。弓矢を手に取る者は、こうしたものだ。どうだ、ものども」と。

「そうだ、その通りだ」と言って、五十人ほどが集まった。それで少将が小屋を造って、夢に見たとおりに用意をしていると、「これは、いったい何のためだ」とみなが不思議そうに尋ねる。「ちょっとした理由があるのだ」と少将は答えて、たいそう立派に用意をととのえるのであった。

いよいよ夜が明け始めたころ、山の奥から大きな蜂が百、二百、三百と群れになって瓢箪と壺の中に入ってきた。そのようすは、それこそ気味悪いほどだった。

日が天中に上ったころ、敵の所に「出てきて勝負しろ」と言ってやると敵は喜び、「行方を見失ってくやしがっていたのに、なんと自分から出てきたものだ。愚か者よ」と言って、三百騎で攻めて来た。敵軍が見ると、相手にならないくらいの人数である。敵軍は馬鹿にして、早くも小屋に突っ込んできた。

その時、蜂たちは小屋の中から雲や霞のごとく瓢箪と壺のなかから湧き出してきたのだった。一人の敵に五十匹の蜂が取り付いた。敵の目となく鼻となく、動く所はどこでも蜂が刺して傷つけるので、敵はもう何が何だかわからなくなってしまった。敵が蜂をうち殺しても五、六匹が死ぬだけで、どうにもこうにもする力はない。弓矢のことなどまったく忘れてしまい、顔をふさいで逃げ騒ぐばかりである。その間に少将たちは思いのままに駆け回り、敵の三百騎をわずかなうちに討ち殺してしまった。少将たちはもう怖れることもなく、もとの場所に帰って身を落ち着けたのであった。

あとで少将が数えてみると十匹の蜂が犠牲になっていたので、山の後ろに埋めて寺を建て、毎年「蜂の命日」として、その蜂の恩に感謝したということです。


『十訓抄』第一の6を翻案






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