《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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【論評11/15】雅宣総裁の発言とその論理を分析すると、「雅宣総裁は護憲の原理主義者である」との結論が出る。その反対に、「雅宣総裁を『護憲の原理主義者』と見ることはできない」という結論は出ない。3分の1番目。 (15532)
日時:2025年03月10日 (月) 13時19分
名前:勝手に論評家

【論評11/15】 雅宣総裁の発言とその論理を分析すると、「雅宣総裁は護憲の原理主義者である」との結論が出る。その反対に、「雅宣総裁を『護憲の原理主義者』と見ることはできない」という結論は出ない。3分の1番目。


憲法草案に”男女平等“ を書き込んだ女性(前回の再引用)
ところで、我々が谷口雅春先生から教えられたように、現行の日本国憲法の下案は、確かにアメリカのGHQによって作成されました。しかしこのGHQ…のスタッフの中に、一人の女性がいました。…名前はベアテ・シロタ・ゴードンさんです。

…ゴードンさんは日本で育ち、日本人の生活をよく知っていた。…だから、「男女平等」の考えを日本の憲法に書き込むことについて、上司や同僚の中には疑問視する声もあったけれど、自分の日本での経験に碁づいて大丈夫だと判断し、「男女平等を日本国憲法に書き込む」ことを主張し、それが実現したのです。だから、日本国憲法は戦勝国の力による単なる”押しつけ憲法“とは言えないのですね。

…確かに(今の日本国憲法は)GHQの起草になるけれども、その背後には悪意だけがあったと考えるのは間違いです。これだけいろいろな善意や理想も織り込まれているのです。そのことをよく頭に入れて、私たちは人間内部の神性?仏性を認め、自信をもって運動を進めていくべきでしょう。
(本冊子25頁~29頁)


次郎
あ~あ。総裁はずいぶん今の憲法をかばうものだ…。いくら国際政治学専門だといっても、同じ社会科学に属する憲法学を勉強していないのかなあ…。

京子
あら、珍しい。なぜため息をついているの?

次郎
総裁は本当に社会科学を勉強したのかね…?

京子
そんなこと、私は知らないわよ。

次郎
総裁はこの引用文のなかで、ベアテ・シロタ・ゴードンさんというGHQの女性スタッフが「男女平等」を今の日本国憲法の草案に書き込んでくれたから、「日本国憲法は戦勝国の力による単なる”押しつけ憲法“とは言えない」と言っているよネ?

京子
言っている。

次郎
それは間違いだよ。

京子
間違い…?

次郎
間違いだ。しかもその間違いは、総裁の「何があっても今の憲法を批判させない。憲法改正させたくない」という気持ちから来ている。

京子
なぜそんなことが言えるの?

次郎
少し専門的な話になるけれども、京子さんは、「憲法の条項の中で最も大切な条項」は何だと思う?

京子
憲法の条項の中で最も大切な条項…。憲法第9条とか?…そんなこと知らないわよ。

次郎
ここから少し話が抽象的になるけど、それでも良い?

京子
あなたの面倒な話は聞きなれている。聞いてあげるから、ありがたく思って、さっさと説明しなさい。

次郎
いつもこうなる…。

京子
なにか言った?

次郎
憲法の中で最も重要な条項は「主権の所有者」を示す条項なのだよ。

京子
主権の所有者…。なに。それ。

次郎
簡単にいえば、「国家の政治のあり方を最終的に決める権利を持つ者」だよ。

京子
ぜんぜん簡単になってない。…そもそも憲法のなかで重要なものは「平和主義」とか「基本的人権」とか…そういうものではないの?

次郎
そのとおり。「平和主義」や「基本的人権」は大切だ。しかし「平和主義」「基本的人権」の具体的な内容はいろいろありえる。たとえば「平和主義」を実現するために「周辺国が安心するように軍備をゼロにしろ」とか、「いや。最低限の軍備は必要だ」とか、「何を言っているか。もっと必要だ。核武装も行え」とか、いろいろ意見が別れる。

京子
ふむ…。

次郎
「基本的人権」も同じだ。今の日本には、「基本的人権」のなかに「厳格な三権分立」や「恒久平和主義」を加えるべきだという主張がある。しかしそれを否定する主張もある。

京子
ふ~ん…。

次郎
だから、「これが平和主義の具体的な内容ですよ」とか、「これが基本的人権の具体的な内容です」と決定して、憲法にその「具体的な内容」を書き込む人が誰なのか…。この「人」が主権者(主権の所有者)だ。憲法の中で最も重要な条項は「主権の所有者」を示す条項なのだよ。

京子
そういえば、今の日本国憲法は「国民主権」ネ。

次郎
そのとおり。…それで、むかしの明治憲法(大日本帝国憲法)について言うと、明治憲法は「天皇主権」だったと言われている。…ぼくはこの意見に反対だ。しかし今は直接関係がない話なので、横に置いておく。明治憲法は「天皇主権」だったとしておく。

京子
まどろっこしいわね。…それで何が言いたいの?

次郎
ここから話が総裁の発言にもどる。総裁は「日本国憲法は戦勝国の力による単なる”押しつけ憲法“とは言えない」と言った。しかし、そもそも、「押しつけ憲法と言えるのか、押しつけ憲法とは言えないのか」を決定する最も重要な判断基準は「主権の所有者」つまり「主権がどこにあるか」なのだ。

京子
ふむ…。

次郎
この判断基準をもとにして考えるかぎり、「日本国憲法は戦勝国の力による明らかな”押しつけ憲法“」だ。総裁は文中に「単なる」の三文字を加えてごまかしているが、これは詭弁的な誤魔化しにすぎない。

京子
ふむ…。しかし、なぜ「日本国憲法は戦勝国の力による明らかな”押しつけ憲法“だ」と言えるの?

次郎
米国のマッカーサー将軍が率いるGHQは明治憲法の「天皇主権」を無理やり「国民主権」に変更した。それが今の憲法だ。GHQは日本の憲法のなかで最も重要な「主権者」を、軍事力を背景にして強引に変更した。これによって出来上がった今の憲法は、本質的に「押しつけ憲法」だ。それなのに総裁は、GHQが「男女平等」を今の日本国憲法の草案に書き込んだから、「日本国憲法は戦勝国の力による単なる”押しつけ憲法“とは言えない」と断言した。このようなゴマカシまじりの断言は、憲法学や社会科学に関するド素人の放言にすぎない。

京子
ふ~ん。…しかし逆に質問するけれども、今の憲法が作られたときの日本人のなかに「日本の憲法を国民主権の憲法に変えよう」と考えた人は全くいなかったの?

次郎
いなかった。…もっとも、社会主義や共産主義を志向していた人たちのなかには「国民主権の憲法がよい」と考える人もいた。たとえば、「国立公文書館」のウェブページ
https://www.archives.go.jp/
から、
「誕生。日本国憲法」

「Ⅰ。新たな国のかたちの模索」

「失意ノ淵」からの再生

「憲法草案要綱」を見ると、当時の社会主義に共鳴する人たちが作成した「憲法草案要綱」の実物を見ることができるが、その最初の条項に、「日本国の統治権は日本国民より発す」と書いてある。これは実質的に「国民主権」の宣言だ。しかし、このように「国民主権」を支持する人は国民全体のなかのごく少数にすぎなかった。

京子
それじゃあ、続けてうかがうけれど、その「憲法草案要綱」が「国民主権」を宣言していたのに、「国民主権を主張する人は国民全体のなかのごく少数にすぎなかった」と、なぜ言えるの?

次郎
まず、歴史事実を確認しておく。昭和20年(1945)8月15日に日本政府がポツダム宣言を受け入れて敗戦を決断した。それと同時に、当時の昭和天皇や学者・政治家たちは「今の憲法を改正しないといけないだろう」と考えた。もちろん、その時の憲法はまだ明治憲法(大日本帝国憲法)だった。そして、翌年の昭和21年10月29日に今の日本国憲法が成立した。

京子
ふむ…。たった一年少々で今の憲法が出来た…。

次郎
そうだ。明治憲法が十年の年月をかけて、しかも多くの日本人が激論を交わして出来あがった憲法であったことと比べると、今の憲法は極めて杜撰な作成作業によって出来上がったということが想像できるだろう。

京子
なぜ、それほど短時日で出来上がったの?

次郎
何度も言うようだが、戦争に勝った連合国とくにアメリカのGHQが日本政府に強制したからだ。GHQが一週間ほどで新憲法の原案を作成した。それを日本政府に押し付けた。当時は、三発目の原爆を落とされる恐怖や、天皇陛下が東京裁判に引きずり出されて絞首刑を宣告される恐怖が、当時の日本人と日本政府の心理を強力に縛り上げていたから、日本人全体がGHQの命令に対して無力だった。

京子
ふ~む…。

次郎
ただネ。京子さん。ぼくは今、原爆や東京裁判の話をしているのではない。昭和21年のころの日本国民のなかに、「国民主権」の憲法を作ることを考えていた者は、ほとんどいなかった…という話をしている。そのころのほとんどの日本国民や知識人は、それまでの明治憲法の「主権条項」を変えずに、「人権条項」などの条項に改正を行えば「民主的な日本国と政府が出来上がる」と考えていたのだ。

京子
本当に?…なぜそれが分かるの?

次郎
たとえば「ウィキペディア日本国憲法」
https://ja.wikipedia.org/wiki...
を見てもらえば、出典名つきでこのように書いてある。

   憲法学者の美濃部達吉と佐々木惣一はポツダム宣言には憲法改正を要求する
   条項はなく、大正デモクラシーの復活・強化で(「日本を民主化しろ」と
   いうポツダム宣言の)要求に答えられるとして(GHQが主導する)憲法
   改正に反対した。
   (2024年12月22日。括弧内は引用者)

この引用文中の「美濃部達吉」とは当時の東京大学法学部を代表する著名な憲法学者だ。また、「佐々木惣一」とは「憲法学の京都学派」と呼ばれたほど大物の京大法学部教授だ。

京子
ようするに当時のほとんどの憲法学者は「国民主権」を宣言する憲法を作ろうとは考えていなかった…ということネ。

次郎
そのとおり。この大物二人は「国民主権」を掲げる憲法を作ることなど全く考えていなかった。

京子
それにもかからず軍事力を背景にしたGHQの圧力によって、「国民主権」を宣言する今の憲法が、わずか一年ほどで出来上がった…と、次郎さんは言いたいわけネ。

次郎
簡単に言えば、そのとおりだ。

京子
ふ~ん。…しかし、こだわるようだけど、当時の日本人全体・・・・・が本当に「今の憲法はGHQの押しつけによって出来上がった」と感じていたの?

次郎
そのころはGHQを批判することができなかった。だから当時の人たちは大声では言えないものの、みな「今の憲法はGHQの押しつけによって出来上がった」と感じていた。

京子
なぜ、それがわかるの?

次郎
当時の国会(貴族院)で、上記の憲法学者・佐々木惣一や、当時の東大総長だった南原繁(政治学)が勇敢にも政府に対して、「政府が提出した憲法案(今の日本国憲法)は、GHQに強制されたものではないのか」と質問している。もしこの質問がGHQに知られたなら、二人がGHQに引っぱられる可能性がないわけでもなかった。さらに、二人が結果的に日本政府と昭和天皇を窮地に追いこむ可能性もあった。

京子
ふ~ん。…しかしこの二人は当時の憲法案に反対だったから、「今の憲法はGHQの押しつけによって出来上がった」と感じていただけではないの。

次郎
ん…。どういうこと?

京子
当時の改憲問題に関心をもっていた日本人の全員が本当に「今の憲法はGHQの押しつけによって出来上がった」と感じていたの?

次郎
ああ。よい質問だね。そのとおりだ。

京子
その証拠を出しなさいよ。

次郎
京子さんは知らないかもしれないけれど、敗戦当時の東京大学法学部で日本政治思想史を教えていた丸山眞男という先生がいた。この人は今の憲法と、いわゆる「戦後民主主義」を擁護したことで有名な人だ。簡単にいうと、戦後の日本に今の日本国憲法を定着させた第一人者だといってもよい人だ。

京子
要するに、今の憲法を「よい憲法だ」と擁護した人ネ。

次郎
その丸山眞男が平成18年(2006)8月29日に岩波書店から『丸山眞男回顧談(上)』という本を出した。…正確に言うと、その本は丸山のお弟子さんたちが丸山死去のあとに出版した本なのだが、その本のなかで丸山がお弟子さんたちに、「今の憲法の下書きをGHQが書いて、それを日本政府に強要した。その下書の内容は当時の日本国民の意識からかけ離れた内容だった」と語っている。丸山は次のように語っている。

   (今の憲法の第一条にある)日本国民統合の象徴というのは…当日は非常な
   ショックでした。人民主権ということを・・・・・・・・・・、(GHQのマッカーサーが)
   あれほど明白に書くということは予想できなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・から。 
   (301頁。傍点と括弧内は引用者)

   (現在の憲法の草案が日本政府から出たときに、その下書をGHQが書いた
   というようなことは)すぐにわかりました・・・・・・・・・。(当時はその下書を)マッカー
   サー案と称していましたけれども。…(GHQの)民政局は、もしこの案を
   飲まなかったら天皇制の将来を保障しないとはっきりそう言ったらしい。
   …正直言ってぼくらも驚いたくらい・・・・・・・・・・・・・・・当時の一般国民意識からかけ離れて・・・・・・・・・・・・・・・・
   いました・・・・。(なぜならば当時の)憲法試案で人民主権(国民主権)という
   言葉を用いたのは日本共産党だけですから。
   (303頁~305頁。傍点と括弧内は引用者。点線は引用者による省略部)

京子
ふ~ん。「憲法の『国民主権』はGHQが当時の日本政府に強要したものだ」と、当時の日本人全員が感じていた…。

次郎
そうだ。ついでにもう一つ証拠を出そう。丸山眞男と同じ東大法学部で憲法学を教えていた宮澤俊義という人がいた。この人は先ほど名前が出た美濃部達吉の次に東大の憲法学を背負ったような大物学者だ。この人は今の憲法を正当な憲法だとする「八月革命説」を唱え、それ以降も一貫して「今の憲法は正当な憲法だ」と主張してきた人だ。

京子
ふむ…。

次郎
ところが、その宮沢俊義が「今の憲法は日本政府の強い反対意思にも関わらず、当時の国際状況とGHQの圧力によって成立した憲法である」と、憲法制定の5年後に述べているのだ。

京子
どこで述べているの?

次郎
宮澤が大学生のための憲法学の教科書として書いた『改訂 憲法』という本のなかだ。宮澤はこのように書いている。

   連合国軍の日本占領の後まもなく、連合国最高司令官の指示にもとづき・・・・・・・・・・・・・・・・
   憲法改正が行なわれることになった。…連合国最高司令官マッカーサーは
   …みずからの手で改めて憲法草案を起草し・・・・・・・・・・・・・・・・・・…これを日本政府に示して…
   それを立案の基礎とすべきことを求めた・・・・・・・・・・・・・・・・・・。(当時の)幣原内閣はこの案に・・・・・・・・・ 
   対してはつよい反対の意見をもった・・・・・・・・・・・・・・・・が…当時連合国の多数が天皇制の存続
   に反対であったという事情を考慮し…それをほとんどそのまま内閣の憲法
   改正草案要綱として採用し…(国会の審議で)それぞれ多少の修正を加えた上
   …11月3日、公布された。これが日本国憲法である。
   (勁草書房『法学叢書2・憲法』著者・宮沢俊義。14頁~15頁。
    初版は1951年10月5日。傍点と括弧内は引用者。
    点線は引用者が省略した部分)

マッカーサー草案に対して当時の幣原内閣は「つよい反対の意見をもった・・・・・・・・・・・・」のだ。しかし敗戦国の悲しさ。日本政府と日本国民は、当時の国際法に違反する「戦勝国による敗戦国の憲法改変」を、泣く泣く受け入れざるをえなかったのだ。…ここまで、ご異存はない?

京子
急に言われても、よくわからないけれど、一応、ない。

次郎
それは、どうもありがとう。…ここで、「総裁の護憲原理主義」に話を進めてもよい?

京子
あ。そうだった。この記事は「雅宣総裁の護憲原理主義」の説明のはずだった…。早く本題に入りなさい。

次郎
また命令された。

京子
なにか言った?

次郎
雅宣総裁は「日本国憲法は戦勝国の力による単なる”押しつけ憲法“とは言えない」と言っていたよね。

京子
何をいまさら…。言っていたわよ。

次郎
その総裁の言い方は、「日本国憲法は…でない」という否定形の表現だね。

京子
もちろん。

次郎
それでは、総裁は今の憲法について、「日本国憲法は…である」という肯定形で述べているの?

京子
あ…。述べていない。

次郎
本冊子全体のなかで、述べていないね。

京子
述べていない。

次郎
総裁は「今の憲法は~ではない」と言いながら、「それでは今の憲法は何なのか」ということを全く述べていない。総裁は実に奇妙な憲法論を語っているのだ。

京子
ふむ…。

次郎
それでは、なぜ総裁が「日本国憲法は…である」と言わなかったのか、その理由がわかる?

京子
はて…?

次郎
もし総裁が「日本国憲法は…である」という肯定形式で述べたら、どこかで「日本国憲法は、程度の差はあれ押し付けによって成立した」と言わざるをえなくなるからだよ。しかしそのように言ってしまったら、「外国の軍事力によって押しつけられた憲法ならば、それは自分たちの意志で改正しなければならない(あるいは、無効にしなければならない)」という結論に近づいてしまう。総裁はその結論に近づくことを避けたのだ。

京子
ふむ…。

次郎
総裁は、「とにかく今の憲法を悪く言うのを避けよう。なにがあっても憲法改正を避けよう」とする気持ちで一杯なのだ。

京子
総裁は護憲の原理主義者だ…ということネ。

次郎
そうだ。このような総裁の護憲原理主義は何十年もまえから主張されてきた。

京子
何十年もまえから…?

次郎
何十年もまえからだ。

京子
証拠をあげて説明しなさいよ。

次郎
ここまで長くなったから、次の回で説明するよ。





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