《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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【論評4/15】 総裁は「人間・神の子」の論理を展開していないのに、「論理を展開した」と前提して論を進めている。 (15509)
日時:2025年02月27日 (木) 12時28分
名前:勝手に論評家

【論評4/15】 総裁は「人間・神の子」の論理を展開していないのに、「論理を展開した」と前提して論を進めている。


京子
ねえ。次郎さん。あなたが前回の最後に言った言葉、「総裁には哲学的思考力が欠落している」は、やはり総裁先生に失礼じゃない?

次郎
そのお気持ちはわかる。しかしネ。京子さん。何度も総裁のこのような発言を読まされると、ついそのように言いたくなるのだ。

京子
「総裁のこのような発言」って、なに?

次郎
前々回に引用した総裁の発言だ。前回は総裁の発言を引用しなかったから、前々回つまり第2回目の総裁発言だよ。

京子
第2回目の総裁発言…?

次郎
総裁は第2回目の引用文の最後で、このように言っていたね。
   この基本的考えからすると、「女性の立場」についての教えの表現は”周縁部分“
   に属しているから、「人間・神の子」という中心的教えの展開に従うべきである、
   ということになります。(本冊子13頁)


京子
うん。確かに言っていた。

次郎
この発言は、総裁がしばしば言う「黄身の部分(人間神の子)」は変わらないが、「白身の部分(女性の立場)」は変化する…と同じことだよね。

京子
そのとおり。

次郎
そして、「女性の立場」(白身)についての教えの表現は、「人間・神の子」という中心的教え(黄身)の展開に従うべきだ…ということだよネ。

京子
そのとおり。…それがどうしたというのよ。

次郎
…ということは、白身の部分である「女性の立場」に関する総裁の結論、「ジェンダー平等が必要だ。これから生長の家は、性自認女性を白鳩会の会員に含めます」は、「人間・神の子」という中心的教え(黄身)の展開から出た結論だよネ。

京子
しつこいわね。そのとおり。…それで何が問題なのよ。

次郎
しかし、これはオカシイのではない?

京子
何が…?

次郎
総裁は展開などしていない。総裁は本冊子のなかで、「人間・神の子」という中心的教え(黄身)展開など全く語っていない。

京子
どういうこと?

次郎
総裁は、「昔はああだったが今はこうだから…」とか、「日本政府がG7から批判されているから…」とか、挙句の果てには、「雅春先生のご教示が古いから」などということを根拠にして、最後の結論、「ジェンダー平等が必要だ。性自認女性を白鳩会の会員に含める」を出したにすぎない。総裁は「人間・神の子」という中心的教えを展開することによって、最後の結論を出したのではない。

京子
あ…。

次郎
総裁は、「生長の家の外・・・・・・にある物事」を根拠にして最後の結論を出したにすぎない。

京子
なるほど…。

次郎
だから僕は、「雅宣総裁は哲学的思考力が欠落している」と言わざるをえないのだ。おそらく「生長の家classics」さんも、「そのとおりだ」とおっしゃるだろう。

京子
ふ~む。…しかし、それでは逆に次郎さんに質問するけれど、谷口雅春先生はご自身の男女秩序論に関して「人間・神の子」という中心的教え展開を行い、その結果、「男が提案、女が従う」をお説きになったの?

次郎
もちろんだ。

京子
どのように?

次郎
ここから話の内容が少し抽象的になってもよい?

京子
あなたがわかりやすく説明するのならば、許してあげる。

次郎
許してあげる…。なぜこうなるのか。

京子
嫌ならやめなさいよ。

次郎
まず、谷口雅春先生のご著書、『神 真理を告げ給う』(日本教文社。昭和48年7月10日)の中で、神が谷口雅春先生に、「すべて実在するものは私がアイデア(言葉)で創り、それは私と別のものではない」と告げておられる。以下、この御本のなかの「わたし」とは「神」のことだ。

   すべての実在は、わたしのアイディアの展開である。わたしのアイディアとは、
   わたしから離れたものではない。…わたしはアイディアそのものである。アイ
   ディアのことを、『ヨハネ伝』福音書には”コトバ“と書いている。…”コトバ“
   とはアイディアを内容とする”わたし“自身のいのち・・・の振動にほかならない。
   (41頁~42頁。傍点は谷口雅春先生。点線は引用者による省略部)

京子
ふむ…。簡単に言えば、神様は神様と別のものを創ったのではなく、ご自身のいのちの振動(コトバ)で、実在するすべての物を創ったということね。

次郎
そのとおり。…それでは神様はどのように人間その他のものを創ったのか。それも同書に書いてある。

   わたしは…わたしの生命の霊的波動すなわちコトバによって…光を生み出し…
   つぎつぎと万物を生み出して、最後にわたしの最高完全のイメージの顕現として
   の人間を創造した。
   (47頁)

つまり、神様が霊の波動(コトバ)を発することによって、何もないところから光を創り、人間(神の子)をお創りになったのだ。…もっとも、本当は「何もない所」というのは間違いで、単に物質がないだけだ。本当は「充実して躍動する無」とでもいうべき所だ。しかし今は話がそれるので横に置いておく。

京子
それで…?

次郎
谷口雅春先生は『新版・叡智の断片』(日本教文社。平成18年10月15日発行)のなかで、同じようなことを説いていらっしゃる。

   生命の運動・・・・・(波動)を「言葉」と言う。その運動・・の奥に自増(じぞう)不滅の
   エネルギーがひそんでいる。それは生命(いのち)のエネルギーであり、いのちの
   コトバである。万物はすべて、このいのち・・・の波から成り立っている。いのちの波が
   変化するとき万物は様々に変貌するのである。
   (139頁~140頁。傍点は雅春先生)

と、説いておられる。ここでいう「いのち・・・の波」が、上記の「霊的波動すなわちコトバ」だ。…ここまでご異存はない?

京子
ない。

次郎
しかも雅春先生は最後の部分で、「いのちの波が変化するとき万物は様々に変貌する」とも説いておられる。つまり、神様のコトバが変化すると、「人間(神の子)」から、「神の子(男)」や「神の子(女)」の理念が生まれるのだ。…しつこいけれども、ここまで、ご異存はない?

京子
ないつもり。

次郎
どうもありがとう。…しかもネ。僕がすでに前回の第3回目で再提示したように、谷口雅春先生は『限りなく日本を愛す(改訂版)』(日本教文社。昭和51年7月5日)のなかで、

    男性と女性とは、ともに「一」なる神から分化し、その生命を宿しているので
   ありますから、その基本的人権は平等でありますけれども、ひとたび男性となり
   女性となって出現しました以上は
…女性と男性とは異なる役割を分担し、その
   おかれている位置も異なるのであります。…真理を中心として自分の割り当てられ
   たる方向に働かなければならない。
    (195頁~197頁。原文は旧仮名旧漢字)

と解説しておられたのだった。もちろん、雅春先生はここで男と女の「異なる役割」を強調しておられる。これが雅春先生の男女秩序論のご結論、「針(男)が提案、糸(女)がしたがう」だった。

京子
うん。そうだった。

次郎
このような論のご展開が、雅宣総裁の言う、「人間・神の子」という中心的教えを展開した説明なのだ。

京子
あ…。なるほど。

次郎
それに対して総裁は何だ。総裁は偉そうに、「女性の立場についての教えの表現は…『人間・神の子』という中心的教えの展開に従うべきである」と言いながら、実際には、「人間・神の子」からの展開など無い。総裁は、「人間・神の子」とまったく関係のないことを根拠にして最後の結論を出している。やれ時代が変わったから。やれG7が日本を叱っているから。やれ連合や日本航空のトップは女性だが、まだ不十分だから…と。このような「生長の家の外・・・・・・」にある理由によって最後の結論を出しているではないか。…「バカも休み休み言え」と言いたいね。

京子
ふむ…。ごもっとも。

次郎
しかもネ。京子さん。ぼくは時々、総裁は記憶力に欠陥があるのではないかと思うときもあるのだ。

京子
え…。総裁は記憶力に欠陥がある…。それもずいぶん失礼な話ね。

次郎
ここまで長くなったから、次の記事で説明するよ。まず、次の記事の最初に本冊子、「”神の子“は性別によらず」の続きを引用する。そして、そのすぐあとで「総裁の記憶力欠如」を説明するよ。




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