《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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【論評3/15】 雅宣総裁の「原理主義」に関する発言とその論理を分析すると、「総裁が語る『原理主義』とは、総裁が気に入らない者を排除するための小道具である」という結論に到着する。さらに、「信徒たちに『総裁が正しい。総裁はすごい』と印象づけるための小道具でもある」という結論に到着する。後半。 (15508)
日時:2025年02月27日 (木) 12時25分
名前:勝手に論評家

【論評3/15】雅宣総裁の「原理主義」に関する発言とその論理を分析すると、「総裁が語る『原理主義』とは、総裁が気に入らない者を排除するための小道具である」という結論に到着する。さらに、「信徒たちに『総裁が正しい。総裁はすごい』と印象づけるための小道具でもある」という結論に到着する。後半。


京子
ねえ。次郎さん。谷口雅春先生の「原理主義」は憲法論のほかにも色々あるのでしょう。早く実例を紹介しなさいよ。 

次郎
この冊子でテーマになっている「男が先か、女が先か」に関する雅春先生のご発言だよ。谷口雅春先生はこのテーマに関しても、総裁ロジックによれば「原理主義」となる意見を語っておられる。

京子
具体的には?

次郎
すでに15405記事
https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelo...
のなかで「生長の家classics」さんが紹介したように、谷口雅春先生は『限りなく日本を愛す(改訂版)』(日本教文社。昭和51年7月5日)のなかで、

   男性と女性とは、ともに「一」なる神から分化し、その生命を宿しているので
   ありますから、その基本的人権は平等でありますけれども、ひとたび男性となり
   女性となって出現しました以上は
…女性と男性とは異なる役割を分担し、
   そのおかれている位置も異なるのであります。…真理を中心として自分の
   割り当てられたる方向に働かなければならない。
   (195頁~197頁。原文は旧仮名旧漢字)

と、教えておられた。

京子
ああ。そうだった。

次郎
このご教示の中には「時代の変化に関係なく…」というお言葉はない。しかし、雅春先生は「ひとたび男性となり女性となって出現しました以上は…」と語っておられる。したがって、人間の肉体が男と女に別れているかぎりは、たとえ時代が変わろうが人々の思想が変わろうが、必ず、「男が先に提案、女が従う」という男女の秩序でなければならないのだ。

京子
ふむ…。あっ。ここで雅春先生は、「真理を中心として」とも言っておられるわ。

次郎
そうなのだ。…ということは、谷口雅春先生は少なくとも男女秩序論に関しては、「社会の変化に応じた真理の解釈」を拒否しておられたということだ。…だから雅春先生の男女秩序論も「原理主義」だ。谷口雅春先生は「憲法論」だけでなく「男女秩序論」においても「原理主義」なのだ。

京子
ふ~む…。

次郎
ここまでについて、何かご異存がある?

京子
う~ん…。ない。

次郎
それは、どうもありがとう。

京子
どういたしまして。

次郎
…ということで、京子さん。実はネ。谷口雅春先生のご発言には、雅宣ロジックでいう「原理主義」に該当するご発言がまだあるのだ。

京子
え?…まだあるの?

次郎
ある。

京子
雅春先生は、どこで何を発言しておられるの?

次郎
谷口雅春先生は、『生命の實相』の「家庭教育篇」の「第十章 この教育法で成績をよくした体験」(新編第65巻。頭注版第40巻)の冒頭で、

   この記事は昭和十一年四月二十四日、生長の家本部に於ける教育座談会の速記
   であります。現在と多少教育制度や社会事情が異なっておりますけれども、時代
   を超えて依然として父母及び教育者に教訓になることが無数にある
のである。

と、おっしゃっている。

京子
ふむ。「時代を超えて依然として…教訓になる」と言っておられるのね。

次郎
そうだ。「時代を超えて依然として…」とは、総裁が言う社会の変化に応じた教義解釈など必要ない…ということだ。谷口雅春先生は、総裁がいう社会の変化に応じた教義解釈などを無視・拒否しておられる。

京子
ふむ。…それならば、谷口雅春先生はこの第十章で、どのようなことを言っておられるの?

次郎
たとえば「父親も母親と平等に(子供と)親しむように(しなさい)」(新編99頁)。「ほめて成績を改善する(べし)」(同114頁)。「興味をおこす教授法(が必要)」(同152頁)、「『できる』という自覚を児童に与えよ」(154頁)などだ。…括弧内の言葉は僕が補足した。

京子
ふむ。子供をほめて・・・・・・子供の成績を改善する…。それはそうよネ。どれほど社会の変化に応じた教義解釈が必要であっても、「子供をけなして・・・・・・・子供の成績を上げる教育法」など、まずありえない。

次郎
そのとおり。

京子
ここで小理屈を言うつもりはないけれど、総裁先生のご意見によると、「子供の興味をおこす教え方・・・・・・・・・・・・が子供の成績をあげるために必要な時代」もあるが、時代によっては、「子供の興味をなくす教え方・・・・・・・・・・・・のほうが子供の成績をあげるために必要な時代もある…ということになる。総裁先生は本気でそのようなことを考えているのかしら…。

次郎
さあ…。一度、総裁先生に、どのようにお子様をお育てになったのか、実際のところを教えていただきたいものだね。

京子
そうね。

次郎
ところで京子さん。この第十章の最後に、新教連(新教育者連合)の機関紙「生命の教育」のことが書いてあるのだ。

京子
新教連のことが…。どのように?

次郎
   両親の方と学校の先生方とが歩調を合せて本当に生命の教育を徹底させて頂き
   たい。それが徹底した時こそ本当に我が教育界の革新が出来るということを考え
   まして、その狼煙を上げたのが、吾々の教育連盟とその機関雑誌『生命の教育』
   であります。どうぞまた、今後ともこの連盟及び機関誌の発達につきまして、色々
   と御尽力を戴きたいと存じます。それではこの座談会はこれで閉会と致します。
   有難う存じました。
   (新編164頁)

京子
あれ…?ねえ。次郎さん。雅宣先生は新教連を「生長の家」から追い出したのではなかった?

次郎
総裁が追い出したのか、それとも新教連が飛び出したのか…。詳しいことは知らないけれど、総裁が新教連の教育方針をよく思っていないことは間違いない。

京子
ふ~ん。…それならば、ぜひ総裁先生に、社会の変化に応じた教育法解釈を御教示いただいて、「この教育法によってわが家の子供たちはこのように素晴らしい大人に成長しました」という体験談を発表していただきたいわね。わたしたちは素晴らしい体験談を拝聴することができるわよ。

次郎
同感だネ。ぜひ総裁先生には我々が感動するようなご体験談をお願いする。それも、総裁ご夫婦とお子様たちがズラッと並んで話をしてくださったら、僕は感涙にむせんでしまうかもしれない。

京子
わたしも。

次郎
…ということで、ここで話をもどすネ。谷口雅春先生は憲法論、男女秩序論、教育論など多くの範囲にわたって「原理主義」を語っておられた。だから、総裁先生は谷口雅春先生の憲法論や男女秩序論など個々の思想だけを「原理主義」と非難・排除するのでは完全ではない。総裁先生は谷口雅春先生の思想まるごと全体を「原理主義だ~」と非難・排除しなければならない。

京子
ふむ…。

次郎
それにもかかわらず、総裁は自分が「生長の家総裁」の立場を維持するために谷口雅春先生の権威を利用し、その反対に、自分が気に入らない日本会議やその支持者に対しては「原理主義だ~」と叫んで非難・排除してきた。だから、僕が前回から繰り返して言っているように、雅宣総裁が言う「原理主義」は、自分が気に入らない者を排除しておいて、信徒たちに「総裁が正しい。総裁はすごい。」と印象づけるための小道具にすぎないという結論にならざるをえないのだ。

京子
なるほど…。

次郎
しかも、ぼくが見たところでは、総裁には哲学的思考力が欠落している。 このことはすでに「生長の家classics」さんが指摘していたことだけども、僕もそう思わざるをえない。

京子
え…。それはあんまりじゃない?

次郎
それについては次の記事で説明するよ。




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