《谷口雅春先生に帰りましょう・第二》

 

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【論評2/15】雅宣総裁の「原理主義」に関する発言とその論理を分析すると、「総裁が語る『原理主義』とは、総裁が気に入らない者を排除するための小道具である」という結論に到着する。さらに、「信徒たちに『総裁が正しい。総裁はすごい』と印象づけるための小道具でもある」という結論に到着する。前半。 (15507)
日時:2025年02月27日 (木) 12時21分
名前:勝手に論評家

【論評2/15】雅宣総裁の「原理主義」に関する発言とその論理を分析すると、「総裁が語る『原理主義』とは、総裁が気に入らない者を排除するための小道具である」という結論に到着する。さらに、「信徒たちに『総裁が正しい。総裁はすごい』と印象づけるための小道具でもある」という結論に到着する。前半。

社会の変化と教えとの調和
   

ところで、宗教運動には、激しい社会の変化の中では「秩序を守る」という役割が一つあります。変化の時代には人々の心は不安になりますから、そこでは「一定した教えを説く」ことで秩序が保たれます。しかしその反面、社会を支えていくことも宗教の重要な役割ですから、社会の変化に応じた「教義の解釈」が行われるのが普通です。それを拒否する宗教は”原理主義“に陥ることになります。

…生長の家は原理主義ではありませんので、「社会の変化に応じて必要なものは変えるし、必要でないものは変えない」という立場です。この問題については、雅春先生もきちんと仰っています。例えば、『生命の實相』(頭注版)では第三十九巻仏教篇の「はしがき」に、はっきり書いてあります。皆さまには、ご文章をぜひ思い出していただきたいので、朗読します———

   あらゆる人間の救いの原理は一つでなければならない。それは人間の生命
   の起源が一つであるから、その救いの原理も一つでなければならないのは
   当然の帰結である。しかるに世界には多くの宗教があり、互いに排擠(はい
   せい)して、自己のみ真の救いの原理を把握するのだと主張する。それは
   なぜであろうか。それは各民族に、また各地域に、また各時代にはそれぞれ
   の雰囲気があり、民族精神があり、時代精神があり、それに連関せずに
   「救いの原理」を説いても、あまりに時代や、民族に懸絶(けんぜつ)せる
   ものは理解しえないがために、教えが時代および民族に意識的または無意識
   に適するように説かれるようになったのである。(原文は総ルビ)

 一つの宗教は発展すると、必ず社会への「適合」や「適応」が行われると言えるのです。宗教が誕生して長い時間がたってくると、場合によっては「別の教え」のように見えることさえ起こります。…けれども、それは”周縁部分“の違いであり、”中心部分“の変化ではないというのが、私たち生長の家の基本的な立場です。この基本的考えからすると、「女性の立場」についての教えの表現は”周縁部分“に属しているから、「人間・神の子」という中心的教えの展開に従うべきである、ということになります。
(本冊子10頁~13頁)


京子
今回はたくさん引用したのね。

次郎
谷口雅春先生の文章が間に入っているから、「引用の引用」になって長くなってしまった。

京子
他人様の文章を引用すると、そういうことも時々起こるわ。…それにしても、原理主義は怖いわね。とくに「イスラム原理主義」は怖い。

次郎
「原理主義」という言葉には、「頑固で、合理的な結論を無視する体質」というイメージがある。さらに、一方的に「おまえは悪だ。悪魔だ」と決めつめて、こちらの生命を狙って来る…。このような怖いイメージもある。

京子
「原理主義」の定義はあるのかしら。

次郎
「原理主義」という言葉の一般的な定義は、デジタル大辞泉
https://dictionary.goo.ne.jp/word...
によれば、「基本的な理念や原理原則を厳格に守ろうとする立場」だ。

京子
ふむ…。

次郎
ただネ。学者世界で共有されている定義はないらしい。ウィキペディア「原理主義」に、そのように書いてあった。

京子
ふ~ん。…それでは、雅宣総裁は「原理主義」の定義をどこかで語っているのかしら。

次郎
ふふ…。実はネ。これを言い出すとネ、雅宣総裁の「原理主義」は、自分の気に入らない者を否定して自分を偉そうに見せるための小道具にすぎない…ということになってしまうのだよ。

京子
え…。なぜ、そのようなことが言えるの?

次郎
雅宣総裁は自分のブログ「小閑雑感」(以下、小閑)や「唐松模様」(以下、唐松)のなかで、「原理主義の特徴」を提出している。そして自分の気に入らない集団や人々を「原理主義だ~」と批判して排斥している。

京子
ほう…。

次郎
ところがネ。その「原理主義の特徴」は谷口雅春先生の多くのご発言に当てはまってしまうのだ。その結果、総裁は谷口雅春先生の思想信仰も「原理主義」として批判・排斥しなければならないことになる。

京子
へえ…。

次郎
それなのに総裁は谷口雅春先生の思想信仰を「原理主義だ~」と言って批判・排除することがない。総裁は、自分が気に入らない者だけを「原理主義だ~」と言って否定・排斥しているにすぎないのだ。

京子
なぜそのように言えるの?

次郎
まず、今回、上に引用した発言のなかで雅宣総裁は「社会の変化に応じた教義の解釈」(11頁)を拒否する思想信仰を原理主義だと言っておられたね。

京子
うん。言っておられた。

次郎
総裁が言う「原理主義」にはこのほかにもまだ別の特徴があるのかもしれない。しかし、「社会の変化に応じた教義解釈の拒否」という特徴が「原理主義」の重要な要素になることは間違いない。

京子
ふ~ん。…それでは、ある人の意見が「社会の変化に応じた教義解釈」を拒否しているだけで、その意見が「原理主義」になるのかしら。それとも、そのほかの要素も含まれていなければ「原理主義」にならないのかしら…?

次郎
おや…。京子さん。今日はずいぶん思考が緻密だね。

京子
ばかにしないでよ。

次郎
それならば教えよう。京子さんの疑問に答えを出してくれる総裁の記事がある。それは総裁のブログ「唐松模様」の2016年6月17日 の記事、「信仰者はウソをつかない」
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2016...
だ。総裁はこの記事のなかで、菅野完という人が書いた『日本会議の研究』(扶桑社刊)という本を紹介して、

   同会議の主張と目的は、憲法改正をはじめとする安倍政権の右傾路線と
   ほとんど変わらないことが、同書では浮き彫りにされています。

と述べて、日本会議を批判的に語っている。

京子
ふむ…。やはり雅宣総裁は憲法改正に反対なのね。

次郎
そのようだ。しかし今は、そんなことはどうでもよい。総裁はつづけて次のように語っているのだよ。

   日本会議の主張する政治路線は、生長の家の現在の信念と方法とはまったく
   異質のものであり、はっきり言えば時代錯誤的です。彼らの主張は、「宗教
   運動は時代の制約下にある」という事実を頑強に認めず
、古い政治論を金科
   玉条とした狭隘なイデオロギーに陥っています。宗教的な観点から言えば
   “原理主義”と呼ぶべきものです。


京子
ふむ…。この総裁発言によれば、「日本会議」や「日本会議に賛成する者」は「社会の変化に応じた教義解釈」を拒否しているから原理主義者なのね。

次郎
そのとおり。

京子
ふ~む。それでは、このブログ記事の中に、たとえば、「日本会議は対話や議論を拒否しているから原理主義者だ…」というようなご発言は無いの?

次郎
まったくない。この記事を読めばわかるが、この記事のなかに、「日本会議は対話や議論を拒否しているから原理主義だ」という発言はない。雅宣総裁は、「社会の変化に応じた教義の解釈」を拒否するだけで「原理主義」と断定している。

京子
ふ~ん。…ということは、総裁先生によれば「社会の変化に応じた教義解釈」を拒否するだけで、その人は立派な「原理主義」なのね。

次郎
立派かどうかは分からないけれども「原理主義」だ。…そうするとネ。京子さん。驚いてはいけないよ。実はネ。谷口雅春先生のたくさんのご発言も「原理主義」になってしまうのだよ。

京子
え?…なぜ、谷口雅春先生が原理主義者になるの?…雅春先生が憲法改正を主張しておられたから?

次郎
いや。そうではない。…ここで確認するけれども、憲法改正に関する雅宣総裁のご主張は極めて合理的だ。立派なものだよ。雅宣総裁によれば、

①谷口雅春先生の時代には、かなりの人たちが「憲法改正が必要だ」と考えていた。また、それにはそれなりの尤もな理由があった。

②しかし今は時代が変わった。人々の考え方も変わった。だから今になっても憲法改正を主張している日本会議や、それを支持している者は社会の変化に応じた教義の解釈を拒否している。

⓷だから谷口雅春先生は原理主義者ではない・・・・・・・・・・・・・・・・が、谷口雅春先生の憲法改正論を今も主張している「日本会議」や「日本会議の支持者たち」は原理主義者だ!

という論理なのだ。ここで僕がわざわざ傍点を付けた意義を理解してもらいたい。

京子
ふむ…。さすがに総裁先生ね。合理的で理路整然としているじゃない。

次郎
ふふ…。ところがネ。京子さん。谷口雅春先生は、「時代が変わろうが変わるまいが、憲法を改正しなければならない」と説いておられた。その証拠はすぐに提出する。だから雅宣総裁の論理でいうと、このようになってしまうのだ。

①谷口雅春先生は「時代が変わっても・・・・・・・・憲法改正をしなければならない」と説いておられた。

②だから谷口雅春先生は「社会の変化に応じた教義の解釈」を拒否しておられた。

③したがって谷口雅春先生の憲法思想は「原理主義」である。けしからん!
とネ。

京子
へえ…。…谷口雅春先生はどこで、「時代が変わろうが変わるまいが、憲法を改正しなければならない」と説いておられたの?

次郎
谷口雅春先生は『私の日本憲法論』(昭和55年9月5日。5版)というご著書のなかの論文「日本国憲法の背景となる哲学」のなかで次のように説いておられる。

   天照大神の神勅即ち御言葉によって出来たところの日本国の根本的設計は
   「理念日本国」の実相そのものであって、これは永遠不滅の存在であります。
   現象の日本国は途中で色々変化するにしても、この天照大神様の神勅にある
   処の「これ吾が子孫の王たるべき地なり」と仰せられたその根本設計が壊れる
   と云うことは有り得ない…のであります。
   (15頁。赤色は引用者。点線は引用者が省略した部分)

   明治憲法に復元せよ(26頁)
   ですからどうしても安保改定の一九七〇年が来るまでに明治憲法に復元して、
   日本国の軍隊は天皇陛下の統帥権のもとにあるとして、はっきり天皇の軍隊
   であると云うようにしておかなければならないのです。
   (27頁~28頁。青色は引用者)

次郎
ここで谷口雅春先生は、現象の日本国は途中で色々変化するにしても、この天照大神様の神勅、「日本は天皇が国王である」という根本設計が壊れると云うことは有り得ない…とお説きになり、明治憲法に復元せよ(26頁)と命令しておられる。…これは、間違いないね。

京子
まちがいない。

次郎
そうすると、谷口雅春先生は、雅宣総裁が言う社会の変化に応じた教義解釈を拒否しておられるのだ。なぜならば、雅春先生は現象の日本国は途中で色々変化しても、とおっしゃっていて、その意味は、「社会の変化に関係なく」ということだからネ。

京子
そういえば、雅春先生はここで、「実相そのものであって、これは永遠…」とも言っておられる。

次郎
そうなのだ。このご論文は、雅宣総裁が言う社会の変化に応じた教義解釈を相手にしていない。つまり、拒否しておられるのだ。

京子
ふむ…。

次郎
だから、雅宣総裁の論理にしたがうと、やはり次のような結論にならざるをえない。

①谷口雅春先生は、「現象の日本国は途中で色々変化するにしても」などと言って、時代や人々の思想の変化に応じた教義の解釈を拒否なさった。そして明治憲法に復元せよなどと叫んで、時代錯誤を命令なさった。この雅春先生のご教示は、大変な「原理主義」である。

②生長の家は「原理主義」ではない。

⓷今日から「宗教法人・生長の家」は、「原理主義者・谷口雅春氏」の憲法論を否定・排除する。みんさん。すでに時代と社会は変わったのです~。

これが総裁の合理的な論理展開から出る正しい結論だ。

京子
う~ん。なんとまあ。ものすごい結論ね。

次郎
ものすごい結論だ。しかし、総裁のロジックから言えば、そうならざるをえない。

京子
うむ…。

次郎
しかもネ。谷口雅春先生の「原理主義」的なご発言は、憲法論だけではない。雅春先生のご発言のなかには、総裁がいう「原理主義」に該当するご発言がまだまだあるのだ。 

京子
え…?まだまだある…。何があるの?

次郎
ここまで長くなったから、次の記事で紹介するよ。




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