ある大学生の感想文 (15171) |
- 日時:2024年04月25日 (木) 09時27分
名前:「谷口雅春先生を学ぶ会」本部
合掌 ありがとうございます。
初めて全国大会に参加した大学生の感想文をご紹介します。
今回の全国大会が若い世代にも大きな感動を与えたことを知っていただきたいと思います。再拝
〈この度、第11回全国大会に参加させていただき、これまで私が持っていた人生観も唯物論であったこと、それを少しずつ変えることができたのは谷口雅春先生の学びに触れたためであったことを思い出しました。
また、最近気持ちが塞ぐことが多かったのですが、それはだんだんと谷口先生のお言葉や皇室への感動が薄れてしまっていたからなのだと、それにより自分のことや目先のことに囚われてしまっていたのだと気づき、学びを継続していきたいと思いました。
特に印象に残った場面が、二つあります。
一つ目が、高倉俊治講師がご講義の中で「青年ほど唯物論に囚われてしまう。しかし、谷口雅春先生は『それは死刑囚と同じ』とおっしゃられた。なぜなら死んだら全て終わりだから。」と話されていた時です。
その時、同じことを小学生の時に感じていたと思い出しました。
寝る前に一度、死んだらどうなるのかと考えたことがあるのですが、「そうか、積み上げてきたものが何もかもなくなるのか。」と思った記憶があります。
怖くてそれ以上考えるのを辞めていたのですが、それが当時感じていた唯物論的な人生観であったと思いました。
二つ目は、ブラジル訪日団の方々のお話を聞いた時です。
女性の方が話された、「これまでは生きることは苦しみしかなかったが、生長の家の学びに触れたことで救われた。」との言葉が残り、その時もまた、前の自分のことを思い出しました。
生長の家の教えに出会う前までは、私にとってはいつかは病気か自然死か事故によって死ぬことだけが確かなもので、それ以外に何をしたら価値があるのか、分からない感覚がありました。
とにかく有意義な時間を過ごさないとという思いと、でもそれをやってどうなるのかという虚無感があったように思います。
涙ながらに話された訪日団の方を見ながら、私も救われていたのだと気づきました。
自分の人生を前進させていくために、日々意識して言葉に触れる機会を増やすとともに、『生命の實相』を通読し、生き方の一部としていきたいです。
そして、前原代表が、日本全国にはびこる唯物論的な考えが、現代のヤマタノオロチであり、そのヤマタノオロチから救済しないといけないと話されていましたが、そのような運動に関わり今回参加されていた方々との交流を深めていく中で、私だけでなく他の誰かの心も前向きにしていく一助となりたいです。
参加させていただき、ありがとうございます。〉
|
|