「宗教目玉焼き論」という幼稚で詭弁的な論理。 (15153) |
- 日時:2024年04月02日 (火) 15時31分
名前:生長の家classics
「宗教目玉焼き論」という幼稚で詭弁的な論理
谷口 繰り返しになりますが、冷戦期は共産主義が大きな脅威だった時代です。共産主義の暴力革命に対抗するため、教団がラジカルな「明治憲法復元」を掲げたのは誤りではないんです。でも今は時代が違います。キリスト教や仏教も、どんな宗教でも時代に応じて変化してきたのです。私は「宗教目玉焼き論」と呼んでいますが、黄身、つまり教義の核は不変です。
ここで総裁が言っている「教義の核は不変です」という発言は、総裁の悪い冗談か詭弁にすぎない。
ア、住吉大神から造化の三神に神様を取り替えた(本尊の変更)。 イ、實相の御額の前に五重塔を配して信徒に祈らせた(祈る対象の変更)。 ウ、祈りの言葉を変えた(祈る言葉の変更)。 エ、石をもちあげる「石上げの行」という奇想天外な行を始めた(行の変更)。
このような変更を強行した総裁が「教義の核は不変です」などというのは、総裁の悪い冗談か詭弁にすぎない。
でも白身は時代とともに、社会や人々に受け入れられるように変わっていく。
この発言は、比喩として見ても間違いである。なぜならば、総裁は目玉焼きの白身を「変わるもの」の比喩として語っているが、目玉焼きの白身は時代が変わっても色や形が変わることなど無いからである。次にその具体的な説明(1)~(3)。
(説明1) 目玉焼きの白身は信号のランプではない。もし白身が信号のランプならば、色が時間とともに赤になったり青になったりするだろうが、白身の色は赤にも青にもならない。
(説明2) 目玉焼きの白身は、皿の上に乗っていれば何年たっても形が変わらない。かえって黄身のほうが潰れやすく、形が変わりやすい。
(説明3) ついでに。目玉焼きの白身は、その中身も時代とともに変わるなどということはない。白身はほとんどがタンパク質で構成されている。その白身の栄養分が、時代の変化とともに次第にカルシウム100%に変わっていった…ということもない。
このように目玉焼きの白身は色も形も中身も変わらない。だから、「白身は時代とともに、社会や人々に受け入れられるように変わっていく」と主張する総裁の「宗教目玉焼き論」は、比喩としても間違いである。間違いというよりも、人々を欺くための詭弁である。
少し余計なお節介かもしれないが、昔、雅宣総裁は、「これからは会議の結果や成果をフルーツと呼ぶことにしよう」と提案して英語通を見せつけようとしたことがおありだった。それも良いのかもしれないが、それ以前に、言葉にたいする誠実さを肝に銘じて(言葉は単なる道具ではない)、そのうえで基本的な比喩の使い方を勉強なさるのがよい。
生長の家の教義の核は「人間はみな神の子」、つまり生命尊重です。
この「人間はみな神の子」という発言が総裁の本心とはとても思えない。この「人間はみな神の子」という言葉は、「総裁の生活習慣から出た決まり文句」にすぎない。次に、その理由(1)と(2)。
(理由1) もし総裁が本当に「人間はみな神の子」と思っているのならば、生長の家の総裁はすべての人を礼拝しなければ嘘である。たとえば、谷口雅春先生は御著『生活と人間の再建』のなかで、
神は吾々の愛深き父であり、神の子たる人間のただ「善」のみを見給うので ある。その如く吾々人間も、すべての人間の内にある「神なるもの」・・・を見て 礼拝しなければならないのである。 (188頁。点線は省略部。下線は引用者)
と、説いておられる。
また、総裁自身も、『日々の祈り 神・自然・人間の大調和を祈る』のなかの、「すべての人々の実相を讃える祈り」のなかで、
我はいま神の御前に座し、すべての人間の実相を感ずるに、すべての人々は 我と同じく神の子であることを知るのである。・・・全ての人々は実相において ことごとくわが兄弟姉妹であり、神の愛(いと)し子である。だから我は全ての 人々を兄弟姉妹として讃嘆する。 (126頁。下線は引用者) と、祈りの言葉を書いている。それにもかかわらず、
ア、総裁は著作のなかでも講習会でも、安倍元総理を称賛も礼拝もしたことがない。 イ、総裁が信徒に投票を薦めている野党の代表たちを称賛・礼拝したこともない。 ウ、総裁は政治家だけでなく日本会議の人たちを称賛・礼拝したこともない。
要するに雅宣総裁は政治家や政治関係者を称賛・礼拝したことが一度もない。今回の対談でも総裁はかつての政治家・玉置和郎について不満と批判を語るのみである。玉置和郎に対する称賛・礼拝の言葉はまったく見られない(たしか総裁は産経新聞社に入社したときに玉置の世話になったはずだが…)。総裁の「人間はみな神の子」という発言は「生活習慣から出た決まり文句」にすぎない。
(理由2) ・・・もっとも、総裁を支持する人のあいだから、「総裁先生は安倍元総理の間違った政治方針を是正しようとしているだけだ。安倍元総理を礼拝しないのではない」という反論が出るかもしれない。その反論には一理ある。しかし、それならば総裁はなおさら安倍元総理を礼拝したはずである。なぜならば谷口雅春先生は御著『幸福を招く365章』のなかで、
今日、あなたは神の愛に満たされている…。あなたは、何が善、何が悪の標準 をもっては人々を批判することをしないのである。ただ全ての人々に神が 宿っていることを観て常に合掌礼拝するのである。あらゆる人はそれぞれ 自由であって完全であるから、合掌礼拝するときその完全さがあらわれる。 (114頁~115頁。点線は省略部。下線は引用者)
とも説いておられるからである。
雅宣総裁が安倍元総理や日本会議の人たちを合掌礼拝するときその完全さがあらわれて、安倍元首相や日本会議がより良い政治や政治運動を行うように変わる。だから総裁は安倍政治や日本会議の欠点を指摘・批判したあとで、その安倍晋三や日本会議のメンバーの実相を礼拝したはずである。しかし総裁は安倍元首相や日本会議の人たちを批判するだけであった。合掌も礼拝もしたことがなかった。
それどころか、(これは政治がらみの内容ではないが)総裁は実母の危篤のさいに会いに行かず、ついに葬儀にも出席しなかった。総裁の、「人間はみな神の子」という発言は、「生活習慣から出た決まり文句」にすぎないと論評することができるはずである。
これは変わっていない。でも、「明治憲法復元」は核ではありません。
この「明治憲法復元は核ではありません」という総裁発言は、総裁の論理展開能力に不安を感じさせる発言である。なぜならば、生長の家に関係する人間のなかで、誰も、「明治憲法復元が教えの核(黄身の部分)だ」などと言っていないからである。
谷口雅春先生も清超先生も、「明治憲法復元が教えの中核だ」などと言っておられなかった。また、聖経「甘露の法雨」にも『生命の実相』にも、「明治憲法に復帰せよ」とは書いてない。まして、「明治憲法に復帰しなければ、人間は神の子でない」などと書いてあるわけでもない。
総裁はこの発言によって、誰も言っていないことを、あたかも誰かが言ったかのように語って論を進めているのである。総裁のこの発言は、総裁の論理展開能力に強い不安を感じさせる。
——白身の部分であり、変わっていくのだ、と。
谷口 「人間はみな神の子」という教義に立てば、一人一人の人間を尊重しているのは現憲法です。明治憲法のほうが人権に制限をかけている。
この、「人間はみな神の子という教義に立てば、一人一人の人間を尊重しているのは現憲法です。明治憲法のほうが人権に制限をかけている」という発言は、哲学的思考力が乏しい者の寝言にすぎない。次に、その理由(1)と(2)。
(理由1) この発言は、「形而上の概念(人間は神の子)」と、「形而下の概念(人権や憲法がどうのこうの)」を同一次元で直接接続するという致命的な誤りを犯しているから。
詳しくは拙論14906記事、 https://bbs6.sekkaku.net/bbs/kaelou/&mode=res&log=3665 を見ていただきたいが、この発言にそって言うと、
ア、人間がみな神の子ならば人間はみな完全に自由である。だから、現憲法 が「人権」とかいうものを尊重しようが、あるいは明治憲法がその「人権」とか いうものを棄てようが、(人間はいつも完全に自由だから)「現憲法のほうが 良い」とか、「現憲法のほうが教義に立っている憲法である」などという発言 は意味を成さない。総裁発言は寝言を語っているにすぎない。
この説明アで総裁先生におわかりいただけるだろうか。これでおわかりいただけないならば、総裁先生好みの社会契約論的な用語を使って…
イ、全ての人間は神から、「公共の道路を歩く権利」を与えられた。この権利 は、だれも奪うことのできない永遠の権利である。その人権と神聖性を尊重 しているのは青信号である。赤信号は人権に制限をかけて人間の神聖性を 尊重していない。赤信号よりも青信号の方が神の教えに立つ信号である。
…おそらくこの説明イで総裁先生にご理解いただけるであろう。「人間はみな神の子という教義に立てば、一人一人の人間を尊重しているのは現憲法です。明治憲法のほうが人権に制限をかけている」などという愚論は、哲学的思考力がない者の寝言にすぎない。
(理由2) 「明治憲法が現憲法よりも人権に制限をかけている(だから現憲法のほうが良い)」ということは、人間は「人権」というものがないと自由になれない生き物だということである。そのような不自由な生き物を「神の子」などと言うのは宗教にかぶれた誇大妄想患者の寝言にすぎない…。
以上の(理由1)および(理由2)のどちらにしても、「人間はみな神の子という教義に立てば、一人一人の人間を尊重しているのは現憲法です。明治憲法のほうが人権に制限をかけている」などという総裁の発言は、哲学的思考力が乏しい者の寝言にすぎないという結論に到着する。
宗教団体も相当弾圧した。明治憲法のほうが理想的だ、とは必ずしも言えません。
この「明治憲法のほうが理想的だ、とは必ずしも言えません」という発言も哲学的思考力が乏しい者の寝言にすぎない。次に、その理由(1)~(3)。
(理由1) まず、今の憲法は、「主権者である国民一人一人の権利の衝突と、その利害調節」を当然の大前提とする「社会契約思想」に立脚している(この論証は面倒だから省略)。よって現行憲法は、「国家は人間の神聖性が反映した存在である」という「君民同治の神示」から見て遠い。
それに対して明治憲法は、「国家は人間の神聖性が反映した存在である」という「君民同治の神示」、あるいは上記引用の雅春先生のお言葉「日本は天照大神の神勅が本質」、あるいは、その本質を具体化した神武建国の詔、「民にとって利益になることが聖人の行いだから、今から国を造って、みなでそれを実現しよう。それが、皇祖が私にくだした命令でもある」を国家理念として取り込んでいたから、雅春先生の国家理念から見ると、明治憲法のほうが遥かに理想的である。
(このついでに触れておく。少し話がそれるが、この問題を法の効力として 論じるならば、もし憲法のなかに「日本の政府は常に建国の詔を実現しなけれ ばならない」という一文を入れるならば、その一文を根拠にして現在の数ある 人権をほとんど具体的な条文にすることが可能である。不勉強な総裁は勿論 のこと、勉強しているはずの憲法学者たちも古臭い先入観にとらわれている ために、この効力に気づいていない)
(理由2) たしかに戦前には多くの宗教団体が弾圧された。しかし谷口雅春先生の「生長の家」は困難を強いられたものの弾圧はされなかった。宗教団体であろうが金儲け団体であろうが、そのトップが自我を死にきっていない団体は、その心の反動として弾圧されることがある。しかし谷口雅春先生は常に自我を死にきっていたから弾圧されるようなことがなかったのである。
その戦前と比べると戦後の日本は宗教団体を弾圧する国家権力のパワーが弱くなった。その結果、戦後の宗教団体はトップに多少の自我があっても弾圧されることは少ない。そのかわり、トップの心の反映として「統一教会」やどこかの宗教団体のように17年後には消滅するような道を自然と歩むだけのことである。
現憲法があるのに明治憲法に戻すというのも立憲主義に反します。
この発言は、緻密な思考ができない不勉強者の粗雑な発言にすぎない。次にその理由(1)~(4)。
(理由1) まず、再確認になるが、生長の家に関係する有力者のなかに、「今の憲法を明治憲法にもどして、まるごとそのままの状態で政治を行え」と主張した者は一人もいなかった。発言者の全員が、「今の憲法を明治憲法にもどして、今の時代に合うように、(人権条項等をふくめた)部分改正を行え」と主張したのである。それが事実である。
それにも関わらず総裁は、「現憲法があるのに明治憲法に戻すというのも立憲主義に反します」と発言した。この発言は、あたかも雅春先生が、「今の憲法を明治憲法にもどして、まるごとそのままの状態で政治を行え」と主張したかのような印象を読者に与えてしまう発言である。
(理由2) 次に、現憲法は「憲法の改正」を認めている。現憲法にも憲法改正に関する条項がある。日本国民が明治憲法に改憲して、さらに人権条項などの部分改正を行うことに何の問題もない(なお、ここでは憲法改正に関する限界論と無限界論の対立には触れない。この対立問題は憲法学の外にまで論点を拡大しないと決着がつかない問題である)。
(理由3) さて、総裁が使っている「立憲主義」という言葉の意味についてであるが・・・。現在、「立憲主義」と言う言葉はいろいろな意味で用いられている。その意味によっては最後の結論が反対になることもないわけではない。だから「立憲主義」と言う言葉を使う人は、その意味を厳格に示してから使わなければならない。
それなのに、ここで総裁は自分が使っている「立憲主義」と言う言葉の意味を示していない。よって、総裁の発言を読んでいる読者が混乱する可能性が極めて高い。だから誰かが「立憲主義」と言う言葉の複数の意味を一つ一つ読者に説明しなければならない。
・・・ということで、「なぜ私が総裁のような粗雑な思考力しか持っていない者の尻ぬぐい的な補足説明をしなければならないのか・・・」と、愚痴を言いたくなるのであるが、手を出した私が悪かった。今となっては仕方がない。ということで・・・
「立憲主義」という言葉には大きく分けて(1)~(3)のような意味がある。その意味によって異なる結論が出てくる。
(意味1) 一つ目は言葉本来の意味である。「立憲主義」とは「憲法に立脚した政治や法の 解釈を行うべきだ」という主義。この意味にしたがうならば、昔の明治憲法は 当時の日本人だけでなく世界中が承認していたから、今の憲法から明治憲法に もどること(もちろん今の時代に応じて人権条項等を部分改正すること)は、 「立憲主義」に反するわけではない。よって、「現憲法があるのに明治憲法 に戻すというのも立憲主義に反します」という総裁の発言はまちがいである。
(意味2) 二つ目の意味は、西洋の近代以前の歴史に見られる「立憲主義」。たとえ憲法 に立脚する政治や法解釈が行われても、その憲法がもともと権力者(多くは 国王)のために作られた憲法なのでは意味がない。だから、「権力者の恣意的 な政治や法解釈を制約する目的をもつ憲法」に立脚する政治や法解釈を行う べきだ・・・という意味。
この「立憲主義」の意味に従っても、総裁のように、「現憲法があるのに明治 憲法に戻すというのも立憲主義に反します」とは言えない。なぜならば 明治憲法は、すでに具体的な証拠を明記したとおり、当時の国内状況さらに 国際状況を睨みながら、「日本国家を安定させること」と、「国民の自由と権利 を確保すること」との両立・調和を図って、ギリギリの点まで煮つめたうえで 国民世論も納得できるように制定された憲法だったからである。
しかも、明治憲法は、権力者の恣意的な政治や法解釈を制約する内容を持って いた。たとえば、明治憲法をつくるときに最も力をふるった伊藤博文に法学を 教えたドイツの法学者グナイストは、「政府が議会の同意なく新しい税を国民に 課する権限をもつようにすればよい」など政権に都合の良い多くのアドバイス を与えた。もしこの権限が政府にあれば、政府と財務省は消費税の税率を国会 の承認なしで10%から20%に上げることができる。さらに新しい税を作り、 それを国会の承認なしで国民に強制することもできる。
しかし、このような政権に都合のよいアドバイスはほとんど伊藤たちが棄て去 った。そして出来上がったものが明治憲法だった(もちろん、この背景には 自由民権運動の強い圧力が伊藤たちを縛っていたことも事実である)。
ともあれ、今の日本人が、「日本国家を安定させること」と、「国民の自由と 権利を確保すること」との両立・調和を図って制定された明治憲法に戻り、 同時に今の時代に応じた人権拡大の部分改正を行う(この設計図を前以て 書いておくことが本来の憲法学者の実務的職責であった)ことは、決して 「立憲主義」に反する事態ではない。
(意味3) 三つ目の意味。三つ目の「立憲主義」の意味は、西洋の近代以降の憲法史に 見られる「立憲主義」である。具体的には、(意味2)の「立憲主義」に 留まらず、もっと突っ込んで具体的に、「『国民主権』と『基本的人権の 尊重』を明記した憲法」に立脚する政治や法解釈を行うべきだ・・・と いう意味である。
もっとも、今の日本の論者のなかには、このほかに、「厳格な三権分立」 や「恒久平和主義」を加える者もいる。しかしそれは一般的な支持を得て いない(その理由は今関係がないので省略)。
この「立憲主義」にしたがうならば、今の憲法を明治憲法にもどすこと は「立憲主義に反する」ことになるかもしれない。なぜならば、 明治憲法(大日本帝国憲法)の第1条が「大日本帝国は…天皇が統治する」 と宣言し、さらに第4条が「天皇は国の元首であり、統治權を総攬し (すべてを握り)、この憲󠄁法の規定によって統治する」とも宣言している からである。つまり、天皇に「主権」があるように見えるからである。 その理由で、総裁が「現憲法があるのに明治憲法にもどすというのも 立憲主義に反します」と述べているのは、それなりに筋が通る。
しかし、実際にはそう単純に論が進まない。日本の憲法史には次のような 事実(1)~(3)があるからである。
(事実1) 明治憲法は「天皇主権」を宣言したわけではなかった。明治憲法の中に 「主権」という言葉はない。明治憲法を作成した伊藤博文ほかの日本人は 西洋由来の「主権」概念を日本憲法に持ち込むと、西洋政治の伝統とも いえる「国王と人民の闘争」という悪い構図を日本憲法に持ち込むことに なる…。これを警戒して「主権」という言葉を憲法の中で使わなかった。 実際に、日本の国王ともいえる天皇は人民との対立・戦闘を行ったこと がなかった(これは当時の福沢諭吉も「帝室論」のなかで国民に力説した) のである。
よって、「国民主権」を宣言している現憲法から、「天皇主権」を宣言して いない(それどころか、主権者確定を避けている)明治憲法にもどって、 今の時代に応じた人権条項等の部分改正を行うことが「立憲主義に 反する」とは言えない。
(事実2) 日本の歴代天皇はほとんどが日本人民の自由と幸福を願って行動した。 これが史実である。また、明治天皇と昭和天皇は明治憲法のもとにあり ながらも、自分の意見を政治家や役人に押し付けることがなかった。 両天皇は常に国会や内閣の決定を尊重した。(この証拠と証明は省略)。
その天皇の心を日本の権力者が準則として行動するならば、今の憲法の もとで権力者が権力欲による政治を行うよりも、実質的には「国民主権」 の理想が実現する。よって、現憲法から明治憲法にもどって、今の時代に 応じた人権条項等の部分改正を行うことは、必ずしも「立憲主義に反する」 とは言えないはずである。
(事実3) 実際に、日本敗戦とマッカーサーが憲法草案を日本政府に押しつける間に 公開された(つまり今の憲法に変わる前に公開された)佐々木惣一博士の 「帝国憲法改正案」は、明治憲法の人権条項を大幅拡大した内容だった。 その結果、社会主義憲法を理想とする憲法学者・田畑忍からも、(不満を 保留しながらも)「高野案にも劣らない点を有している」と評価された。 高野案とは、社会主義的な憲法をストレートに目指した高野岩三郎の 「日本共和国憲法私案要綱」(『新生』誌。昭和21年2月号に公開)の ことである。 (なお、田畑忍の論文は、「同志社大学学術リポジトリ」 http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000009484)
よって、今の憲法を明治憲法に復元して人権条項等の部分改正を行うことは、 必ずしも「立憲主義に反します」とは言えないのである。
…ということで、雅宣総裁のための、やさしいパンパース的解説(尻ぬぐい解説)を終了する。
(理由4) まず、拙論が長くなったので、ここで確認しておく。今、「生長の家classics」が述べていることは、総裁の「現憲法があるのに明治憲法に戻すというのも立憲主義に反します」という発言が、緻密な思考ができない不勉強者の粗雑な発言にすぎないことの証明である。
ここで日本を離れて世界の歴史を眺めると、世界史は共和制(国王がいない国家制度)から君主制(国王がいる国家制度)への転換が多くあったことを示している。たとえば、次の4件。
(事実1) 世界中の人権宣言のなかで最も有名な人権宣言を発したフランスは、その後 君主制の憲法にもどった。そのあとまた共和制憲法に変わった…と、コロコロ 変化した。そのような変化を「立憲主義に反する」と言う者はいない。
(事実2) イギリスも清教徒革命による共和国がチャールズ2世の即位によって君主国 に変わった。これは長くは続かなかったが、イギリスは今も立憲君主国である。 この変化と今のイギリス憲法を「立憲主義に反する」と言う者もいない。
(事実3) 第二次大戦以降に限っても、スペインが共和制国から君主制国に転換した。 その憲法が今の憲法である。今のスペインの憲法「1978年憲法」は国王を 認めている。国王を、”The King is the Head of State, the symbol of its unity and permanence. “と規定している。この規定は国王を 元首(the Head of State)としているから、今の日本国憲法よりも重い 国王の位置づけである。スペインの人達はこの憲法を、「民主化運動によって 成立した憲法である」と意義付けている(以上、ウィキペディア「スペイン 1978年憲法」)。これを「立憲主義に反する」と言う者は一人もいない。
(事実4) 朝日大学の法学部や大学院で法学を講じておられる下條芳明氏は、 「象徴君主制憲法史としての21世紀一日本とスウェーデンとの比較考察―」 (そのURLは、http://repository.kyusan-u.ac.jp/dspace/と bitstream/11178/6142/1/KJ00004853166.pdfを直接接続) のなかで、
「二十世紀前半が君主制の凋落の時代であるのに対して、二十世紀後半は 君主制(あるいは、君主制的なもの)の復権の時代であった…ということが いえるのではないか」(1頁~2頁)との問題提起を行っている。もちろん、 下条氏はここで明治憲法について語っているのではない。氏は世に言う、 「1974年スウェーデン象徴君主制憲法」に関する解説を行っている。 しかし二十世紀後半が君主制(あるいは、君主制的なもの)の復権の時代 であったことを「立憲主義に反する」と批判できる人は少ない だろう。
以上の(1)~(4)の理由で、日本国の現憲法(国王らしい天皇はいるが政治権力がない憲法)から、明治憲法(国王天皇がいて政治権力もある。しかし国王が政治権力を行使せずに国会と内閣が政治を執行する憲法)に変わることが「立憲主義」に反するとは必ずしも言えないはずである。
雅宣総裁の「現憲法があるのに明治憲法に戻すというのも立憲主義に反します」という発言は、緻密な思考ができない不勉強者の粗雑な発言であると論評せざるをえない。
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