ありがたうございます (15163) |
- 日時:2024年04月09日 (火) 20時06分
名前:立葵
通りすがりの“おっさん”信徒樣
合掌 ありがたうございます。御返信をありがたうございました。
通りすがりの“おっさん”信徒樣が御指摘下さいましたやうに、それぞれの版の註釈類にもそれぞれの方針のやうなものがあると思ひますので、それぞれのスタイルでよいのだと思ひます。 『眞理』の頭註などは、實にシンプルで端的な一言で説明して下さつてゐるものが多いことにハッとさせられます。(頭註のあつた舊版『眞理』は新版『真理』(日本敎文社刊)、新裝新版『真理』(光明思想社刊)では元の頭註をそのまま本文中の括弧内に割註に)
頭注版の頭注は、各卷の凡例に「東京都港区立城南中学校国語科教諭河口暎氏の好意ある協力」を得た事への感謝の言葉がありますね。 更に頭注版第一卷の卷頭の谷口雅春先生の御文章「『生命の實相』の頭注版に序して」には、
「今度、頭注を付し、新仮名遣いを採用し、終戦以来、歴史的仮名遣いを習ったことのない年齢層のためにも解りやすい形で出すことにしたのが本書である。頭注は中学生六人に本文を読んでもらい、意味のわかりにくい語にしるしを付けてもらって、その説明を上欄に書くことにしたので、辞書を引く世話もいらぬし、国語の学習の補足にもなると思う。若い人が、読んでいるうちに感化されて次代を背負う日本国民の心が光明化される事を想像するだけでも悦びである。」
との御記載があります。谷口雅春先生御自身の國語表記の傳統護持への强いお氣持はひとまづ措いて、頭注版といふ形を通して「若い人が、読んでいるうちに感化されて次代を背負う日本国民の心が光明化される事を想像するだけでも悦びである。」とお書きになられたことに肅然とさせられます。
頭注版を生み出された方々への敬意と感謝の念は有(も)つ者です。 (と申し上げながら、一つだけ餘談を失禮いたします。「有(も)つ」といふ漢字の讀み方は、ほとんど全卷と申してもよい位『生命の實相』に頻出しますが、頭注版では平假名の「もつ」となつてをりますので、私も頭注版を拜讀してゐた頃には谷口雅春先生が「有(も)つ」といふ文字表現をよく使はれることをそれほど氣に留めませんでした。今でも輪讀會などでルビ無しの「有つ」が出てくるとお互ひに讀み方を確認し合ふことがあります。)
拙稿は決して頭注版へのアンチではありません。しかし、逆に、新編へのアンチといふただそれだけで、頭注版が編まれた約六十年前の御勞作を時代の必然として見直すことを拒む方々がいらしたなら、殘念なことだと思ひます。 その意味で、拙稿に共鳴していただき感謝申し上げます。ありがたうございました。 再拜
|
|