毎朝の水垢離 (14982) |
- 日時:2024年01月29日 (月) 18時52分
名前:下総の野人
合掌ありがとうございます
伊藤陽夫先生のご著書『躾なぜどうする』(展転社、平成四年)を古書にて入手し読みました。同書によると伊藤先生は毎朝風呂場で水垢離を取っておられたそうです。
成人直後から始められたとのこと。読書で知った幕末の志士に倣ってと。 二人の息子さんも父君の真似をしてされていたとか。長男さんは五歳の後半から。次男さんは小一の誕生日後から。
この話の後、次のように書いておられます。
「わが家に宿泊する人は、朝早くからその水垢離をとる水の音に驚く。そして、朝食前に家族揃っての神棚・祖霊舎前での祝詞奏上と般若心経誦唱と真理の言葉の吟唱の手際よい勤行に感心してくれる。親は、それなりの信念や信条でやっているのだから、別段めずらしがられる理由はない。子供が感心だ、といってくれた。舌が廻るか廻らないうちから、一緒に坐らせて毎朝やってきたから、子供たちがまだ幼少のときに、澄んだ清らかな声を合わせて奏上してくれる祝詞や、お経のひびきは、親の身ながら尊いものとして感じてきた。この習慣の原型は、じつは父や私が尊師と仰いだ先生の御一家の家風にあった。そして、わが父の代に行なっていた就寝前の家族揃っての勤行を、わが代で朝に切り換えた格好になっている。師から、そして親から受け継いだ、これも生活文化の一つといえよう。」(74頁)
再拝
|
|